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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第3章 昭和17年4月
43/59

10 衝突


夜。帝都東京、教育総監部。


定時を過ぎると、土肥原大将はすぐに地下室に降りる。定席の椅子の上から天下三分儀を眺め、あちこちの点灯についていちいち確認する。


「パラオ沖は海上補給だな」

「はっ、あと1時間はかかります」

「遅い、何をやっとるか」

「捕鯨船を戻したので、油槽船が足りません」

「そんなもん、作戦計画に入れておけ」

「計画より速度を出しましたので」

「げふんげふん」


副官の禄雄は土肥原の視線を追って、先回りする。


「東洋艦隊が出港しました」

「編成は」

「空母1、重巡2、軽巡1、駆逐艦4」

「樋口」

「油槽船が2隻、先行しています」

「駆逐艦が少ないと思う」

「先日不在の駆逐艦が」

「それだ」



土肥原は4つの半球儀を見比べるが、すぐに首を振る。


「どうもいかんな、これでは」

「総監、グリニッジと赤道で区切ってはだめです」

「どういうことだ」

「先日、船舶司令部に出張しましたが」

「そうだったな」

「あそこの半球儀は傾いておりました」

「「・・・」」

「そうか、南回帰線か」


土肥原はすぐに理解した。さすがだと樋口は思う。


「東洋艦隊は東へ行ったと」

「マラッカからは視認報告がありません」

「油槽船を追った漁船がいます」

「それだけでは判断できん」

「はい。この後、北か南か」

「両方ではないのか」

「え、挟み撃ちですか」

「「あっはっは」」



土肥原と樋口の間では、東洋艦隊の問題は解決した。


「副官、太平洋艦隊出港は海軍特務か?」

「はっ。グアム経由でマニラへ向かうかと」

「ハワイからグアムへは15ノットで10日」

「油槽艦は何隻だ」

「電文にはありません」

「これだ。ばかめが」

「総監、ら号作戦には間に合いません」

「もちろんだ」

「ひょっとすると」


そこで、土肥原は樋口に目配せする。樋口は頷く。


「帰路を狙うのかも知れませんな」

「そうだな。タラカンまで4日もない」

「上陸占領に2日かかるとして」

「施設を復旧して油送するまで3日」

「帰る頃に、待ち伏せしているわけだ」

「ら号艦隊は戦艦4の空母2」

「2隻は巡洋戦艦で装甲が薄い」

「軽空母で艦載機は少ない」

「戦力は半分以下だな」

「・・・」







東半球、早朝。太平洋、パラオ西方。


蘭印領海に入ると、ら号船団は全速を出した。巡洋戦艦金剛と榛名は、第1戦速で先行する。金剛に乗り組んだ王立海軍の連絡士官は気が気ではない。


「中尉、また艦速があがったようだが」

「第2戦速になりました。中佐どの」

「はああ。わたし宛の電文は」

「ありませんね。まだ10分です」

「ふう」

「明日の昼には開始できます」

「なにを始めるのだ」

「艦砲射撃ですよ」

「えーっ」


その時、爆音が聞こえて、王立海軍の少佐は空を見る。通過したのは、艦上戦闘機の編隊だ。


「あ、空母もいました」

「いたらどうする」

「未明には航空攻撃ができます」

「「・・・」」

「中尉、電報を頼みたい」

「はい。いいですとも、中佐」

「ちょっと待ってくれ」

「平文じゃないんですか」

「げふんげふん」








午前。帝都東京、外務省。


重光外相とクレイギー英国大使の会談がはじまって1時間になるが、結論には至らない。


「大使。蘭印は公式の場に出て来ません」

「亡命政府の説得は終わっているのです、大臣」

「まさか、ウィルヘルミナ女王ですか?」

「げふん、チャーチル首相が訪米中でして」

「頑固、いや強固な意思の方でしたね」

「あと1日下さい、その蘭印も米国も」

「ご承知でしょうが、保障占領は戦争ではない」

「それはノーコメントと申し上げた」


「戦争ではないから政府が主導していますが」

「あっ、統帥権ですか」

「一旦戦闘が始まれば、こうはいきません」

「うう」

「米国艦隊も出動したという」

「いや、それは」

「開戦となれば、作戦に介入できません」

「大英帝国の威信にかけて、解決します」

「蘭印総督も石頭でしたね」

「あ」







夜。帝都東京、教育総監部。


「シカゴは何だ」

「デトロイトで喧嘩が起きたと」

「そうか、よし」

「ガザラで独伊軍が総攻撃開始です」

「よくやった」

「上海の英国領事館の女性秘書2名が欠勤」

「いいぞ」

「大統領の今朝の血圧は、180の150」

「もう少しだな」

「第三図南丸です」

「おおっ、どこだ」

「赤道祭の出し物は白浪五人男」

「遅すぎる」

「カラカス北方の群島は蘭領です」

「ふん、新庄め」

「油槽船です、寄港しなくても」

「よし、それでいこう」

「仏印駐在武官の長少将から酒はまだかと」

「放っておけ」

「いいのですか」

「あいつの酒はしつこい」

「甘やかしましたな」

「げふんげふん」

「ロンドンです」

「誰だ」

「ドゴール将軍が人事不省」

「量を間違えたか」

「解毒の黒素は?」

「ある筈です」

「次はら号船団」

「待て」

「「・・・」」

「一服しよう」

「「ほっ」」







東半球、未明。太平洋、セレベス海。


ら号艦隊では、空母瑞鳳と祥鳳が艦載機を発艦させようとしていた。


瑞鳳の飛行甲板上を一条の白い煙が走る。艦は風に立った。零式艦上戦闘機4機は後方エレベータの前に一列に並んでいる。九七式6番陸用爆弾2個を下げた九九式艦上爆撃機4機は甲板最後尾から千鳥に置かれ、片方の主翼は海上にあった。零戦より一回り大きく、1トンも重い。発動機の馬力はほとんど同じだから、発艦には倍近い距離が要る。



発動機の爆音が一際高くなった。発着甲板指揮官が旗を振る。


『マテマテマテ』

「「えええー」」


艦は回頭し、艦首を西に向ける。そして、艦速も第1戦速に落とされた。








午前。帝都東京、外務省。


重光外相とクレイギー英国大使の会談は挨拶ぬきだった。


「なんとかタラカン空爆は制止しました」

「国王陛下が女王を説得します」

「マカッサル海峡から蘭印艦隊が迫っています」

「会談は9時からです」

「6時間もある。航空攻撃ができない」

「戦闘は不要です」

「日が暮れれば船団も危険になります」


「船足を止めてください、大臣」

「大使。一方的な不利は軍が承知しない」

「8時に繰り上げます」

「4時間が限度です」

「なんとか5時間を」

「艦載機は降ろしませんよ」

「30分毎に電話します」


天を仰ぎつつ、クレイギー英国大使は出て行く。







東半球、正午。太平洋、セレベス海。


ら号船団は、タラカン東方100海里の海上にあった。


神州丸を旗艦船に各種揚陸船5、輸送船2の合わせて8隻の船団は、2列横隊を組んでいる。その周囲を戦艦2、軽空母2、重巡2、駆逐艦8のら号艦隊が護衛していた。上空には戦闘機6機、さらに西方と南方を水上機4機が警戒している。


もしもタラカンに蘭印空軍機があれば30分で飛んでくるのだ。神州丸の電探室では操作員がたせ機のスコープを睨んでいた。あきつ丸と摩耶山丸ではす号機を運用できたが、艦船が多過ぎてあてにはならない。一式指揮連絡機が対潜見張りにあたっているが、それも日暮れまでだ。




150海里南方の海上を、艦隊から分派された巡洋戦艦2、軽巡1、駆逐艦8が急行していた。北上する蘭印艦隊を迎撃するのだ。先行した艦載機が視認した蘭印艦隊は軽巡3、駆逐艦7だから、戦力的には知れている。


しかし、快速にものをいわせてすり抜けられると、船団が危険にさらされる。おそらく蘭印鑑隊はいくつかに分かれて、突破しようとするだろう。個艦突破となったら始末に終えない。


マカッサル海峡の最狭部はおよそ100kmで、11隻では有効な封鎖には至らない。金剛の艦橋では、隊形について喧々諤々の論争が起きていた。阿武隈の第1水雷戦隊長は衝突戦を具申したという。



「中佐。外に出てはいけませんよ」

「そうなのか、中尉」

「距離があるうちに空襲すればよかった」

「それは」

「不利になったのは英国が止めたから」

「しかし」

「ただではすみません」

「ひぃ」


「まもなく4時間が過ぎます」

「5時間に延ばしただろう」

「あと30分で交叉するのです」

「うう」

「艦載機は下げましたが、フネには何百人もいる」

「え」

「敵艦が横切るのに誰一人撃たないとでも?」


「まだ敵じゃない」

「応答しないのは敵ということです」

「しかし」

「全艦沈めれば誰もわからない」

「わたしがいるが」

「じーっ」

「えっ。まさか、中尉」

「にやり」







午後。帝都東京、外務省。


重光外相に英国大使館から電話が入った。


『成功です、大臣』

「説得したのですね」

『あ、その。うん、解決です』

「わかりました、作戦を中止します」

『夕方、お目にかかりましょう』

「シャンパンを用意しておきます」

『げふんげふん』


「大臣」

「天羽君。外交の勝利だ!」

「おお」

「大本営に電話を」

「はいっ」

「それと車だ、官邸へ」

「了解しました」







東半球、午後。太平洋、セレベス海。


「中佐どの、電報です」

「よし来た。ふむふむ」

「成功したのですか」

「残念そうだな、中尉」


その時、艦が大きく傾く。変針だ。中止命令が来信したのだろう。


「やんぬるかな」

「上がっていいかな、中尉」

「ご案内しましょう」

「ふっふっふ」



しかし、中佐を見た金剛艦長の表情は困惑であった。


「中佐、どういうことです」

「なにがでしょう、艦長大佐」

「蘭印艦隊が発砲しています」

「ええ、そんな」


双眼鏡を借りた中佐は艦橋の横から南を見る。たしかに発砲の閃光と煙が見えた。


「こちらに撃ってはいないようですが」

「そうなのです、中佐」

「すると」

「蘭印総督府が割れているのか」


そこへ、通信長が電信簿を持ってくる。


「艦長、艦隊司令部より至急電です」

「読め」

『ラクニクルシムラクインキョ』

「作戦中止ではなく作戦終了だと」

「では、あの発砲は」



連絡士官の中佐が艦長を振り向き、敬礼をする。


「ホワイトエンサイン、王立海軍です」

「お見事ですな」


艦長は、ゆっくりと答礼を返した。







夕方。帝都東京、在日英国大使館。


長文の訓令電は、国王女王会談の顛末についてだった。

ウィルヘルミナ女王を知っているジョージ6世国王陛下は、はなから説得など考えていなかった。ただ、一方的に告げた。会談は5分もかからなかったという。


『貴方の油田は大英帝国が占領します』

『貴方の艦隊も王立海軍が殲滅します』

『これは通告です。反論は容れません』

『今すぐ、総督に命令なさい』

『1インチでも日本の艦船に傷をつけたら』

『ドーバーを泳いでもらいます』

『それでは、ご機嫌よう』



おそらくそうだ。電文には会話まで記されてなかったが、予想はついた。クレイギー大使は、深くため息を吐く。これは、英国外交の勝利なのだろうか。大英帝国には選択の余地がなかった。最善が望めないなら、次善を採るしかない。


大日本帝国からは戦艦6隻をもぎとるつもりだった。聯合艦隊は新型艦2隻を含めて12隻の戦艦を持ち、さらに2隻を建造中だ。半分は出せるだろうし、残した6隻で仕事は出来る。


英米は対独戦に専念するのだ。一時的に戦艦不在となる太平洋の保全は日本に任せる。問題はない、米国は説得できる。日米間への積極関与こそがクレイギーの持論だった。



「秘書官、日本外務省に行く」

「サー、車は待たせてあります」

「損して得とれか」

「サー?」

「東西、考えることは同じだな」







東半球、夜。蘭印、ボルネオ島、タラカン港。


タラカン油田と一帯は、王立海兵隊が占領していた。港内を進む金剛は、英国の空母や駆逐艦とすれ違う。油送桟橋には、すでに日本海軍の油槽艦が取りついていた。


「世話になったな、中尉」

「中佐どの、ご武運を」

「ありがとう」



港外に停泊した旗艦コーンウォールに向かう連絡艇の中で、中佐は気づく。


「おい、船団はどこだ」

「なんのことです。中佐」

「日本軍の輸送船だよ」

「油槽艦は見ましたが、輸送船は見ていません」

「しまった」

「どうしました、中佐」

「艇長、戻せ。金剛に戻るんだ」

「ええ」

「いや、空母に向かえ。飛行機なら追いつける」

「ええええ」


ら号艦隊はタラカンに入港したが、ら号船団は入港しなかった。







東半球、朝。太平洋。


神州丸はスル海を出て南支那海に入った。


「昨年から思うと、一周したんですね」

「輪廻だな」

「秘匿名が仏号作戦です」

「誰にとって不都合なのか」

「そりゃ米国でしょう」


「長少将がお待ちかねです」

「日本酒は大丈夫か」

「大吟醸50樽です」

「豪勢にやったな」

「「あっはっは」」


ら号船団はふ号船団と符号が変わった。12ノットで西に向かう。







夕方。帝都東京、教育総監部。


地下司令室で、三人は煙草を吸っていた。


「一段落ついた」

「「はっ」」

「たまには英気を養うか」

「「はっ」」


え号作戦とら号作戦は終了したが、土肥原の謀略はまだまだ続く。


「閣下は大混乱がお好きですから」

「そうだとも」

「「あっはっは」」



誰もいなくなった司令室の半球儀で、上海の赤灯が点滅する。






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