7 新型戦艦
西半球、午前。米合衆国、華府。米国国務省。
吉田大使とハル国務長官との会談は、日本への非難から始まった。
「中国侵略の野心が露見したと、大統領は言われた」
「国務長官閣下、帝国は中国国境を侵してはおりません」
「そうですかな。陝西省に侵入した明確な形跡があります」
「ほう。是非とも拝見したいものです」
「残念だが軍機でして、わたしも見ていない」
「「・・・」」
中国では今年に入って、蒋介石の国民党と毛沢東の中国共産党との内戦が激化していた。蒋介石には、内省18省から打って出る気はない。まずは、中共を滅ぼす。国民党一党体制の中国が蒋の目指すところだった。内政を固めることこそ一番の課題だ。中共への攻勢の中で、党内の反対勢力や国内の不穏分子も同時に潰す。
最大の援助国である米国は、顧問団を派遣して助言させていたが、必ずしも蒋の考えと一致していないようだ。上海の松井大使の報告によると、蒋介石は米国の真意を訝っているらしい。そういう状況下で北京事件が起きた。事件は中共の謀略だったが、米国が関与した疑いもある。
時を空けると不測の事態も起こるし、また不利になる。そう判断した蒋介石は、一気に中共の本拠を突こうと考えた。陝西省延安府を強襲し、指揮中枢を壊滅させる。それには、満州帝国の協力が必要だった。国外逃亡を阻止するための、中満国境、中蒙国境の封鎖である。
「国境封鎖中の満州軍の背後には日本陸軍がいる」
「友好国に協力している友邦を支援しているだけです」
「なるほど、理屈ですな」
「事実です。長官閣下」
「大使閣下。事実と真実は必ずしも一致しない」
「はて、北京のことでしょうか。閣下」
「閣下。誰も北京事件のことは言っておりませんぞ」
そうか、と吉田大使は思った。さすがに北京事件はやり過ぎだったと、国務省は認めたわけだ。日本兵は、軍旗を護るために数百、数千の死も厭わない。ご真影が焼かれたとあっては、数十万、数百万の日本兵が殺到する。
事件は、甘粕機関が全力で隠蔽した。関係者と目撃者は一人もいない。これは日本のカードになると吉田は思ったが、ハルが先にプロトコールと宣言してしまった。仕方がない。残念だが、しばらくは使えないな。
「大統領には日本非難声明を止めてもらいました」
「それはそれは」
「陸軍長官も海軍長官も、私に賛同しました」
(しめた!)
「えっ?」
スティムソン陸軍長官もノックス海軍長官も、共和党からの入閣である。挙国一致を謳う民主党のルーズベルト大統領に、超党派で応じたのだ。しかし、日本屈服から半年近く経っても、対日挑発をやめようとしない大統領に危機感を感じていた。主義主張を降ろし、米国世論統一のためにソ連支援に賛同したが、肝心の英国救援の態勢には程遠い。
「これ以上、大統領を刺激するのはご勘弁願いたい」
「おおっ。よもや、弱音ですか?」
「閣僚でも阻止出来ない事態を憂えているのです」
「今度は威嚇ですか。国務長官閣下」
「大使閣下、わたしは誠意をもって臨んでいるつもりです」
「もちろん、真摯に受け答えしております。国務長官閣下」
「「ふーっ」」
突然、ハル長官は立ち上がると、部屋の隅のバーに向かう。二つのグラスを持って戻って来た。ひとつを吉田の前に置くと、ハルは椅子にどっと深く座った。
「お付き合い願えますか」
「喜んで。閣下」
「乾杯は何にしましょうか」
「さよう。新世界では?」
「よろしい」
「「新世界に!」」
吉田は思う。今日の本題は蘭印進駐のはずだ。本題の前に、もう酒が入るということは、ハルは相当に気疲れしているのだろう。ルーズベルト内閣は混乱していて、閣僚間の確執もあるのではないか。いずれにしても、共和党の二人については朗報である。
深夜。帝都東京、教育総監部。
今夜も、土肥原教育総監は、天下三分儀の前にいる。
「副官、シンガポールはどうだ」
「はあ」
「なにを言っておる。東洋艦隊に動きはあるか」
「あああ、待ってください」
「待つものか」
「ひい」
禄雄は部屋の隅の机を引っ掻き回し、目指すものを見つけると戻ってくる。
「軍港には、空母1、重巡2、軽巡2、駆逐艦4、潜水艦6」
「駆逐艦と潜水艦が何隻か出ているな。いつの情報だ」
「今日の正午、海軍特務です」
「ふうむ」
「なにか匂いますか、総監」
「空母1隻に重巡2隻だぞ、副官」
「はっ」
「逼迫している中で、なかなかの戦力です」
「そのとおりだ、樋口」
「地中海、少なくとも印度に向けるべき」
「近々、出港するかも知れんが」
「はい」
「ただ待つのは面白くない」
樋口中将は、少しだけ考えた。
「D機関員を急派します。ペナンから」
「マラッカはそのままだな。よし」
「見張る対象は民間船、特に油槽船」
「うむ」
「飛行場もですね」
「任せた」
「はっ」
「副官、ら号船団の補給準備は?」
「次は、パラオ沖での海上補給です」
「12ノットのままか」
「はい。重心が高くなっています」
「14ノットは無理かな」
「フネの半分は最大速度16ノット」
「機関が心配ですね」
土肥原大将は、半球儀を斜めから透かし見る。
「もう1日、我慢するか」
「はい」
「領海に入れば全速だぞ」
「500海里はあります」
「数時間でいいさ」
「機関整備に万全を期すように」
「電文を打ちます」
「海軍さんは大丈夫ですかね」
「餅屋だ、心配はいらんさ」
「いえ、補給のほうです」
「自前の油槽艦があるだろ」
「大喰らいの戦艦が4隻です」
「なに、目的地は油田だ」
「そうでしたね」
「「あっはっは」」
西半球、夜。米合衆国、ペンシルベニア州、ハリスバーグ市。
サスケハナ川に面したボートハウスの一室で、重一は従次と会っていた。
「今日の吉田-ハル会談は?」
「うん。え号作戦には名目的な非難」
「アリバイ作りか。ら号には?」
「太平洋艦隊を出動させると!」
「ひゅ~、マニラへか。本気かい」
「大統領もたいへんだ。議会も世論もある」
「この頃は共和党もずいぶん言うようになった」
「うまくいってるな」
「うまくいってるさ」
「それで、B号作戦か」
「うん。数日中に発令されると思う」
「ずいぶん待ったというか」
「一時は、温存も考えていたからね」
「基本はそう変わっていないが」
「動機付けだね。状況が違う」
「そこだよ、難しいのは」
「どうするの」
「市号作戦のアレを使う」
「吾朗さんが弄ってるからね」
「「うっふっふ」」
昨年11月にシカゴデイリートリビューン紙がすっぱ抜いた米国の戦争計画は、日本では新聞作戦案と呼称されていた。それは、米陸軍参謀本部戦争計画部のウェデマイヤー少佐が作成したものである。その内容の8割は戦時体制への移行、すなわち動員と軍需生産に関するものだった。しかし、記者に渡る前に、戦争計画は吾朗に改竄されていた。作成した本人である少佐でさえ気がつかないほど、巧妙に数箇所が書き換えられていたのだ。
無論、米陸軍とFBIは情報漏洩の経路を調べ上げた。同時に、部内に存在した戦争計画の公的私的な写しは、メモの類まですべて処分される。ウェデマイヤー少佐も、自身の草稿や覚書を焼却した。戦争計画は、一旦は、戦争計画部長であるジロウ准将の金庫内の1部だけになる。吾朗が改竄した戦争計画書が原本となったのだ。
「そうか、アレにあった」
「一千万人の中には黒人もいるし」
「軍需増産・工場拡張の原資は」
「資本家が出すのではなく」
「増税によるもの」
「昨年ほどではないにせよ」
「ちょっとした喧嘩や」
「諍いの種には十分だ」
「「うっふっふ」」
「チャーチル首相もたいへんだ」
「きっと、大汗をかいている」
「汗をかくとビールがうまい」
「B号作戦のあと、僕は?」
「S号作戦の準備に入ってよ」
「A号は敏郎、R号は重一」
「英語でも日本語でもSだよ」
「よしビールにしよう!」
「「あっはっは」」
大日本帝国、午前。神奈川県、相模灘。
海軍要職を乗せた戦艦長門は、浦賀水道を抜けた後、半速で相模灘を遊弋していた。
幹部特別図上演習2日目は、これからの海軍像についての討論であった。
およそ、上意下達の軍隊組織において、会議の結論を討論で決めるということはまずない。それぞれ階級や部署によって権限や任務が違うのだから、討論になること自体が組織の不調である。会議とは、決定事項とその事由を、確認するためのものであった。討論で決定することは、軍隊に求められる科学的行動を否定することにもなる。
しかし、今回に限っては異論を残したくない。海軍一体となって決定した事実が必要で、少なくとも要職の全員は納得する必然があった。日米融和、日英友好の下での新しい帝国海軍は、陸軍だけでなく、他の省庁や国民の非難にも堪えなければならないし、耐え得るものでなければならない。
小沢次官と角田次長は、豊田海相の3つの結論を提示した上での討論会を準備した。
『1つ。海上護衛から手を引く』
『2つ。高速戦艦を整備する』
『3つ。海軍の存在意義を再認識させる』
軍令部総長の長谷川大将と、海軍大臣の豊田大将から訓示があった。日米融和、日英和合の気運があって、一触即発の危機は去ったと思われる。しかし帝国海軍は、見敵必殺の心意気を保持し、護国に邁進しなければならない。よろしく海軍の将来を見据え、忌憚なきご意見を望む。
「「がやがや」」
「護国とは、一歩退いた言葉だな」
「見敵必戦じゃなかったか」
「見るだけで殺せと」
「まさか、伊藤の殺人光線か」
「「あっはっは」」
集まった提督たちは、昨晩の酒でも憂さが晴れていない。とにかく、今までのやり方ではだめだとは、全員が理解できた。それが欧州大戦の戦訓だ。だが、新海軍像はなかなか見えてこない。
『1つ。海上護衛から手を引く』
「その、英国式の警戒部隊としての護衛はどうなるのか」
「それは行なうが、対象は陸軍上陸船団だけとする」
「輸送船団や通商船団は無視か、山口」
「大西、海上護衛船隊は独自に防空と対潜を行なうのだ」
「言葉は便利だな、作戦部長」
「参謀長、何とでも言ってくれ」
昨日再現された戦艦沈没のほとんどに、輸送船団や護衛任務が関わっていた。つまり、戦艦の行動の自由を船団護衛が奪っていたのだ。海戦を有利にする艦隊の隊形や編成、航路選択ができない。不利な態勢のままで、敵艦隊との戦闘を余儀なくされる。最悪だ。
艦隊決戦のための海軍ならば、海上護衛と決別するのは必然だった。王立海軍も、早い段階で独伊艦隊を殲滅していれば、その後の海上護衛は有利に進められたであろう。敵戦艦を放置したまま海上護衛の任務につけば、いずれジリ貧は免れない。欧州での海戦はそれを物語っていた。
『2つ。高速戦艦を整備する』
「高速戦艦とは。巡洋戦艦ではだめなのか」
「艦政本部長。装甲がないと撃ち合えない」
「独戦艦の喪失は1隻のみ」
「鈍足の英戦艦は軒並み沈んでいます」
「次長、鈍足とは言い過ぎだろ」
「いや。もはや30ノットが最低基準です」
「そして装甲」
「口径と門数が劣ってもいいのか」
「本部長、32ノット出れば6門でもいい」
「うむむ」
堂々と隊列を敷いての正面からの海戦は起きていない。半数以上が追撃戦で、足が速いと逃げ切っている。4ノット以上優ってないと追いつけない。英独の海戦は荒天下の海域で起きていたから錯綜している。だが、海戦から気象要因を除けば、見えるものがあった。
「旧い艦はどうする」
「陸助に売って、新型の建造予算に回す」
「なに、他国ではなく、陸軍にか」
「買うのか?」
「陸軍は戦車の装甲板が造れない」
「解体されるのか、勿体ない」
「海上護衛船隊もある」
「油を喰うぞ。運ぶ以上に」
「砲塔を減らして、主機を換装すればいい」
「それもそうだな」
『3つ。海軍の存在意義を再認識させる』
「大上段だな」
「どこから入るのだ」
「軍艦の意義です」
「軍艦は動ける、航行中も撃てる」
「陸では及びもつかない大口径砲」
「それが戦艦だ」
「例えば、陸助の重砲だが」
「45式24cm榴弾砲、射程10km」
「96式15cm加農砲、射程26km」
「なかなかやるではないか」
「砲の布置に半日はかかる」
「わが重巡の主砲は」
「3年式20cm砲、射程26km」
「軽巡の主砲は」
「3年式15.5cm砲、射程27km」
「陣地設営も砲の布置も不要」
「「うんうん」」
「つまり、艦砲射撃か」
「戦艦の主砲なら30km以上」
「新型は射程40km」
「しっ」
「え」
「いや、空母艦載機もあると」
「「うん、うん」」




