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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第3章 昭和17年4月
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6 艦砲射撃


北半球。夜。北アフリカ、イタリア領リビア。


キレナイカは、イタリア領リビアの東半分である。地中海沿岸部を除くと、果てしない砂漠地帯だ。英軍はガザラの前面から南へ、およそ100kmの防衛線を構築していた。その南端ビルアケムの、さらに南に目指す隊商の宿営地があった。


黒木機関のカザマは、立哨の若いアラビア人に紙の包みを渡す。立哨は、すぐに包みを開け、色と硬さを確かめる。上等のハッシシとわかると、歯を見せて笑った。隊長のテントまで案内してくれる。隊長は、立哨が出て行くのを待って、ブルクを外した。



「姐御、大丈夫ですか」

「族長の第4夫人を襲うバカはいないわ」

「今度はアラビア人ですか」

「あら、ベルベル人は白人よ」

「そうなんだ」

「それが、よぼよぼの年寄りなのよ」

「そいつは残念でしたね」


「ほんとに残念だわ」

「えー」

「それで」

「はい、艦砲射撃が始まりました」

「まあ。空は済んだの」

「マルタ島周辺は、独伊の航空機だけです」

「早いわね」

「月末までもちません」

「そうね」



マルタ島が陥落すれば、北アフリカ戦線の戦況はがらりと変わる。すでにクレタ島は独逸占領下にあった。まもなく、英国海軍は地中海東端に押し込められるだろう。それはつまり、要港のトブルクまでの海路も安全でなくなるということだ。かたや、補給路を安定させた独伊アフリカ軍団は、正攻法での攻撃も可能になる。


これまでの、迂回、機動、突破に加えて、潤沢な補給と補充を背景にした正面攻撃。トブルクの運命は決まった。補給で足枷をつけていた独伊軍上層部も、もうロンメルの大胆を止めることはできない。もとより、トブルクから東にはたいした要衝はなかった。そしてその先はエジプトである。



「まいったわね」

「困りましたね」

「伊戦艦に損傷はあるの?」

「無傷ではないでしょうが、行動不能とは聞いてません」

「じゃあ、ひと段落すれば来るわね」

「どこへ、ですか?」

「あら、トブルクへよ」

「ふむふむ。えーっ!」


「英軍主力はガザラからトブルクの間にいるのよ」

「ええと、兵員10万名、戦車1千輌」

「きっと、ロンメルは動くわ」

「伊艦隊がトブルクへ来ると」

「こうしちゃいられない」

「英軍の退却は陸路だけとなる。あーっ」

「ガリアののっぽはどうなってるの」



「当然、英軍は浮き足立ちますよねぇ」

「そうよ。ボスに伝えてちょうだい」

「すると、ロンメルは大迂回の必要もなくなる」

「白素を使いなさいと」

「アリエテもトリステもここに来ない?」

「だから言ってるでしょ」

「せっかく埋めたのに」

「しっかり、連れて来なさいな」


「そうは言いますがね」

「将軍を落とすしかないわね」

「へ。ロンメルですか、ドゴールですか」

「あそこにいる自由フランス軍の旅団長よ」

「どうやって」

「あら、見たいの?」

「いえ、そっちじゃなくて。伊軍の誘導」

「そりゃ、カザマの仕事でしょ」

「ちぇっ」



カザマはピザとパルマハムを渡すと、すぐに引き上げる。

外でわくわく待っていた若い立哨は、がっかりした。







大日本帝国、午後。帝都東京、海軍省。


小沢次官は自室で、宇垣軍務局長の報告を聞いていた。


小沢治三朗海軍中将は酒豪揃いの海軍でも筆頭であるが、次官就任以来は定時まで、酒を口にすることはなかった。顔が赤いのは長年の酒焼けのためである。一方の宇垣纏海軍少将も、局長就任以来は笑顔を造るように努めていた。二人とも、『軍艦』を歌って踊ったのは強い海軍をつくるためである。決して保身のためではなかった。


「どうだった」

「はっ。やはり海相案が最善でした」

「そう、なのか!」

「無念です、次官」


宇垣局長は、じっと小沢次官を見つめる。大丈夫だ。手も瞼も震えはない。

小沢も宇垣を見つめていた。顔の痙攣は治まってきている。だいぶ慣れたな。


「残念だが、仕方がない」

「申し訳ありません」

「帝国は貧乏なのだ」

「二兎は追えません」

「英国はまだいいな」

「はい。同盟国の米国は海軍国です」

「「・・・」」



海軍大臣の豊田大将が海上護衛から手を引きたいと言い始めたのは、2ヶ月ほど前だった。海軍省内は騒然となった。小沢も宇垣も、豊田に詰め寄って愚を説いた。しかし、豊田は、非難も怨嗟も覚悟の上だった。豊田は、日米融和後の帝国海軍を見据えていたのだ。


豊田の考えを聞き取った小沢は、しかし、1ヶ月の猶予を求めた。陸海協力の詔勅があり、海軍内の意見統一もある。まずは、大臣が言うように不可能なのかどうかを検討したい。同期の井上に揶揄されながらも、次官就任の要請を受けたのは伊達ではない。豊田大臣は了承してくれた。


小沢は、海軍を横断した検討会を組織した。が、中間報告は否定的だった。上陸、輸送、通商のすべてを海上護衛するならば、海軍予算の半分を費やして、なお3割は失敗するだろう。しかも、実現できるまで2年はかかる。検討会の大勢は、7割の成功ならやるべきというものだった。だが、毎回3割が戻らないのであれば、1年しかもたない。



「大臣には、私から報告する」

「はっ」

「さて、いくか」

「驚くでしょうね」

「夜が明ければ、海軍要職は誰もいない」

「ちょっと後ろめたいです」

「要求どおり、ら号艦隊に乗せてやったぞ」

「そのぉ、誠意というか」

「誠意を見せないのは、蘭印の方だろう」


赤鬼と笑い仮面は見つめ合う。そして笑い出した。


「「あっはっは」」








西半球、夜。米合衆国、華府。在米日本国大使館。


公邸でくつろいでいた吉田大使は、海軍武官が来訪したと告げられた。


今夜は人と会いたくなかったが、断るわけにはいかない。挙国一致、陸海外協力、同じ在米邦人で、建前では部下でもある。ネクタイはつけないが、上着を羽織る。



「英国大使館から海軍武官が来ました」

「今朝、言っておいたはずだが」

「まさか、本当になるとは」

「ほう、ほう」

(しまった)


「それで何と」

「日本では海軍省と連絡がつかないと」

「そうなのか」

「海軍は幹部特別図上演習の最中でして」

「何日の予定か」

「3日間です」


「あっはっは。それはいい」

「はあ」

「まさか、海上でやっているのか?」

「はい、よくご存知で」

「あっはっは、うまいぞ」

「はあ」



英国からの艦隊借用の要請に、重光外相は蘭印進駐の踏み絵で返した。すなわち、蘭印が日蘭会商を履行すれば、帝国に憂いはない。聨合艦隊の主要艦を存分に派遣できると。


驚いたことに、英国は了解した。阿蘭陀の説得を開始したらしい。そして、蘭印進駐艦隊に連絡将校の乗艦を要求してきた。さすがは英国、ただでは起きない。ま、ここまではいい。


問題は、この先だ。英国と阿蘭陀の交渉だけではすまない。米国が介入してくる。保障占領と大義名分を繕っても、戦艦4隻、空母2隻の存在感は圧倒的なのだ。


蘭印が武力に屈したとなれば、米国の想い描く太平洋の秩序は崩れる。事実、明日はハル国務長官から呼び出されていた。この問題に違いない。



「よしよし、待てば海路だ」

「明日も来ますかねぇ」

「むろん。きっと、米海軍も一緒だ」

「えええーっ」








大日本帝国、午前。神奈川県、横須賀沖。


連合艦隊旗艦の長門には、帝国海軍の要職が揃い踏みしていた。海軍大臣、海軍次官。軍令部総長、軍令部次長。艦政本部長、航空本部長。連合艦隊司令長官、鎮守府司令長官、・・。



幹部特別図上演習1日目の午前は、後部甲板上に張られた天幕の中で、欧州大戦の海戦が再現された。いずれも戦艦が沈没したものばかりだ。アドミラルグラフシュペー、ブルターニュ、ビスマルク、フッド、ロイヤルオーク、バーラム、・・。


「ひどいものだ」

「ああ」

「開戦時は英国が圧倒的だった」

「今では独伊と互角かそれ以下」

「思うに、独伊は戦場を選んでいるな」


「いや、敵を選んでいる」

「善く戦うは、易きに勝つもの」

「そうか。英国は無理していたのか」

「独伊が自然体なのだな」


海軍軍人ならば、たとえ他国のフネであっても、戦艦への想いは深い。欧州での海戦の過酷な現実に、全員が愕然とした。風は通っているのに、天幕の中は重苦しい雰囲気に包まれている。中座するものはいない。全員が、なんとか咀嚼しようと努めていた。




午後は直近の二つの海戦だった。最初は、先月末のマルタ島への緊急輸送作戦。


「アレキサンドリアからは、戦艦マレイヤ、空母イーグル、アーガス」

「いずれも旧式じゃないか」

「はい、艦載戦闘機は20数機」

「すぐに、独伊空軍の襲撃を受け壊滅」

「「・・・」」

「翌日には伊艦隊と海戦」


「伊戦艦は4隻。全力出撃か」

「ジブラルタルからの船団は」

「この航路じゃ、無理だ」

「レパルス1隻だけか」

「両艦隊は合流できませんでした」

「もともと、無理な話だな」


伊海軍の戦艦、カイオデュイリオとアンドレアアレアは32cm砲10門で28ノット、リットリオとヴィットリオベネトは37cm砲九門で30ノット。

英海軍のマレイヤは38cm砲8門の24ノット、レパルスは38cm砲6門の30ノット。

おそらく、英戦艦は2隻が合流できても敵わなかっただろう。



「マレイヤとレパルスが沈んだか」

「ええと、あのマンボウは出ていないのか」

「ネルソンとロドネイは修理中です」

「H部隊は戦艦がいなかった」

「間が悪かったな」

「「・・・」」


「つまり、各個撃破に終わったのか」

「なぜ、英国は戦力が揃うのを待たないのだ」

「いや、待てなかったのだろう」

「背に腹は変えられない」

「草は食えるが、撃つ弾はな」

「補給を預かるとはそういうものか」

「それが輸送任務なのか」


「よく2週間でここまでわかったな」

「あ、それは、ほれ」

「えっ、聞こえない」

「しっ、あれだ」

「海軍特務が統一されたらしい」

「なに、複数あったのか」

「げふん、ま、あれだ」

「あれか。ごほん」



海軍内のソ連派粛清の直後に、海軍特務第2部が解体された。それを承知している者もいたが、公言する者はいない。



「英海軍はあきらめていません」

「「ええっ」」

「まず、ねずみ輸送」

「ね、ねずみ?」

「駆逐艦による輸送です」

「それから機帆船による、あり輸送」

「まだあるのか」

「潜水艦による、もぐら輸送」


「もういい」

「どうなった」

「独伊の駆潜艇や水雷艇、航空機に」

「ボカチンか」

「腕利きの急降下爆撃隊がいるそうで」

「悲惨だな」

「海上護衛とは」

「おそろしい」



目を閉じている者もいた。先の欧州大戦では、英国の要請により、帝国は艦隊を地中海に派遣した。第二特務艦隊だ。マルタ島を基地として海上護衛に従事した。島には、第二特務艦隊戦没者の墓もある。無事だろうか、小沢次官の胸は痛んだ。


辟易している提督も多い。堂々の砲雷戦で武運つたなく敗れ、軍艦が沈むのは仕方がない。しかし、駆逐艦や潜水艦とはいえ、本来の戦闘ではなく物資輸送の途上で沈むのだ。それも、格下の艇によって。思いはひとつだ。わしらはそんな海軍に志願したのではないっ。




最後は、北極海の対ソ支援船団だった。


PQ12船団、PQ13船団では巡洋戦艦レナウンが沈没し、空母ヴィクトリアスは火災で中破した。しかし、1隻の輸送船もソ連に到着できない。PQ14船団には40隻近い商船が集められ、そして、ついに本国艦隊が出撃した。



「KG5,POW、DOY、それにウォースパイトです」

「それでも4隻か」

「勘定が合わん。R級はどうした」

「2隻は船団の直衛」

「戦艦がか!」

「駆逐艦、駆潜艇、掃海艇からなる直衛隊が2つ」

「それぞれに分派されたようです」

「「まさか」」


「残り2隻のR級は回航中のもようです」

「この辺りです。スエズに向かっているのでは」

「すると、英本土はどうなる」

「戦艦がすべて出払ったのなら」

「重巡と空母か」

「空母もたいして残っておりません」

「「・・・」」



「独海軍は全力で出撃、こことここ」

「ナルヴィクより北か」

「戦艦3隻、装甲艦2隻、重巡2隻」

「わしが独提督だったら、二手に分けるな」

「ひとつが本国艦隊誘致、ひとつが船団襲撃か」

「貴様、わしと組まんか」

「いいぞ、あはは」


「KG5級は28ノットだが、ウォースパイトは24ノット」

「足手まといではないか」

「それでも船団に付けたR級の22ノットよりは速い」

「午前の戦訓を見るに、2ノットの差はないに等しい」

「この荒天の北極海で、諸元どおりの速度が出るのか」

「いずれにしても劣速は不利だ」



「海戦が起きたのは一昨日です」

「「結果はわかるのか」」

「未確認情報ですが」

「ウォースパイト沈没、KG5中破、フューリアスが大破」

「空母も出していたのか」

「「・・・」」







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