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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第3章 昭和17年4月
38/59

5 上陸船団


南半球、夕暮れ。南大西洋。第三図南丸。


その時、深村海軍少佐は、第三通信室です号機を操作していた。


深村は、海軍技術研究所から出向中の電波兵器の専門家である。汐見室長に配線の改良を頼まれて、あれこれいじっていたら、巨大「くじら」を発見したのだ。そして今度は、コートを着て機動艇に乗るように頼まれた。


「くじらを銛で仕留めろと」

「もう~。少佐はドイツ語も話せる」

「ドイツ語を話すくじらだと」

「勘弁してください。海軍の軍服がない」

「は?」

「各国の軍服は用意したんですが」

「え?」

「まさかの帝国海軍軍服がない」

「はあ」



船尾の日章旗を旭日旗に替え、深村の軍服と軍帽を確認すると、Uボートは誤解を解いた。それまでどう説明しても、日本陸軍のフネとは聞き入れなかったのだ。


誤解が解かれると、あとは早かった。艦長自らが第三図南丸に乗り込んできて、段取りを決める。給油方法は縦曳法で毎時90トン、必要量は150トン前後だから2時間ほどかかる。その間、本船は大きく周回することになった。


2時間の間に、Uボート乗員は交代でシャワーを浴びる。洗濯機と乾燥室も開放される。連絡のために探鯨船を2隻降ろして、まわりに配置する。偽装にもなるだろう。作業が始まって20分、順調を確信すると早瀬中佐は船橋に向かった。




Uボート艦長は主食堂で饗応を受けていた。艦長は、ヘルマン・デーニッツと名乗った。客船ではないからボーイはいない。通訳係りの逓信省の役人がワインを注ぐ。


「このアスパラガスは上等ですね」

「どうぞ、どうぞ」


目玉焼きがのった厚切りのベーコンに茹でたてのポテト、それにアスパラガスのサラダ。艦長は旺盛な食欲を見せた。熱いシャワーも浴びたのでご機嫌である。早瀬は任務中だから飲まないが、ずっと非番の逓信省と農林省の役人は飲んでいた。


早瀬が座ると、デーニッツ艦長がじっと軍帽を見つめるので、どきりとした。


「さきほどは失礼した」

「あ、いや。いえ」

「星に錨ですか。たいしたものだ」

「まあ」

「日本陸軍は給油艦をお持ちなのですね」

「ええ、まあ。あはは」

「潜水艦母艦か休養艦のようだ」

「そうでしょう。あはは」


「まるでゲーリングの独逸空軍だ」

「あはは」

「独逸空軍は戦車師団を持っているのですよ」

「あはは。えーっ」

「まさか、空母はお持ちじゃない」

「げふん、げふん」

「よかった」

「「あっはっは」」




休養船は大袈裟ではない、本船の設備は充実していた。


第三図南丸は捕鯨母船だったから、客船や貨客船と違って、一等船室も主食堂もなかった。高級船員にはそれなりの待遇があったが、ただそれなりだ。しかし、改造費が陸軍負担となれば、話は変わる。陸軍は海のことを知らない筈だ。日本水産には野心をもった役員がいた。


陸軍雇船が決まって改造が始まると、役員の一人が頻繁に訪れ、あれこれと助言を始めた。返却時には現状復帰となっているが、改造の内容によっては復元性や使い勝手が変わってしまう。そうなっては死活問題だ。


指揮官に内定した早瀬中佐にあれやこれ、あることないことを吹き込む。早瀬がこだわったのは、作戦の成否に直接かかわる事項だけだった。それさえ可能になるならば、ほかのことには頓着しない。


こうして、理想の捕鯨船団旗艦船が誕生することになった。旗艦船として、船団船員の休養のために、病院設備、映画室、大浴場や大小の食堂から舞台付きの座敷まで備えている。造りは質素ではあるが、そこらの内航客船より充実している。


捕鯨母船としては、解体・採油のほかに、冷凍食肉や缶詰製造もできる。そのための真水製造装置や大型冷凍庫、新型冷蔵庫もつけた。発電機と補機を増設し、デリックとウィンチは換装強化、新型クレーンも搭載する。すべて、陸軍予算だ。役員は、農林省や厚生省と組んで、安くて滋養のある食肉の供給を計画していたのだ。


視察に来た陸軍高官は目を剥いた。が、船舶司令部の幹部らが説明すると、頷くしかない。なにしろ、海のことは知らないのだ。そして、早瀬中佐の号令の下、スリップウェイの途中が割れて、完全武装の兵士が乗り込んだ高速機動艇が発進すると、黙り込む。


戻って来た高速機動艇がマストを折り畳むと、するすると巻き上げられ、スリップウェイの途中に消えた。つまり、特務作戦要員と機材は完全に秘匿されており、本船上に姿を晒すことなく作戦行動が出来る。陸軍高官は一言『程々にな』と言うと、帰っていった。


あの時のことを思い出すと、今でも冷や汗が出る。




しばらくすると、デーニッツ艦長は艦に戻った。入れ替わりに、機関長と先任士官が主食堂に入ってきた。深村海軍中佐も一緒だ。三人ともに顔は真っ赤で、額から湯気を上げている。どうやら大浴場で湯船に浸かっていたらしい。


「ビールがいいそうです」

「そうだろうな」


深村はテーブルからビール瓶を取ると、二人のコップに注ぐ。自分のコップにも注いで、乾杯を上げた。早瀬は眉を顰める。が、何も言わない。深村は出向中で、船舶司令部所属ではない。


「ああ。どこの海軍も酒は飲みますよ」

「えっ、勤務中もか」

「英国の水兵はそうですね」

「そ、そうなのか」

「よく知ってるね」

「何て言った?」

「英海軍ではラムかビールが昼と夜に配給されると」

「昼からか」

「ふむふむ。ラムが薄いと艦長は吊るされるそうです」

「そうか、恐いな」


「うちも司令部の幹部らはテキトーにやっていたな」

「でしょう。艦の幹部はともかく、司令部にはいますね」

「そうだろう」

「今はどうなんだと、聞いていますが」

「今はないな」

「どうして言い切れるのかと」

「そりゃ、陸軍には介錯官がいるからな」

「あはは、驚いてる。って、本当ですか」

「本当だ。最初は将官だけだったんだが」

「はあ」

「獲物がいなくなって、今は大佐も対象らしい」

「そりゃたいへんだ」

「なあに、すぐ慣れるさ」

「えええ」



深村が頭を捻っていると、二本目を飲み干した機関長が切り出す。


「実は頼みがある」

「何でしょう」

「潤滑油がほしい」

「潤滑油ね、軸受けとか」

「そうそう」


早瀬は、逓信省の役人に振る。


「どうしましょうか」

「ものはあるのかね」

「あると言えば、ありますなあ」


農林省の役人が床を指差す。機関長は嬉しそうだ。


「しかし、作戦命令は重油だけだ」

「現場の我々だけで決めていいのか」

「えと、課長でしたよねぇ」

「ええっ。だって中佐が指揮官では」

「いやいや、ここは官位でしょう」

「「・・・」」


しびれを切らした機関長は、ポケットから皮袋を出す。

ちゃり~ん。


「アイン」

「「えええっ」」

「ツバイ、ドライ・・」

「「ごくり」」


テーブルの上に、金貨が積まれていく。







夜。帝都東京、教育総監部。


地下司令室で土肥原大将と樋口中将は、天下三分儀を見つめていた。


「え号作戦は順調か」

「はい。各国軍の進出は計画通りです」

「侵出だろう。わが日本軍は?」

「大休止2日目です」

「ま、行軍速度がまったく違うからな」

「歩兵部隊もいるのですがね」

「これは戦訓に入れておくか」

「はっ。同時進発における突出の危険性」

「うむ、それでいこう」


土肥原は、壁に張られた地図を見る。

陝西省のほぼ中央、延安府に向けて、四方から矢印が伸びていた。


「甘粛省に廻った工藤顧問官の護衛増強は?」

「騎兵1個小隊と機関銃1個小隊を増援しました」

「軽機2丁に重機2丁か」

「他に甘粕機関から、馬賊1個小隊」

「すると、乗馬だけで400名を超えるか」

「騎兵2個中隊の規模です」

「皇帝の直轄部隊を死なせるわけにはいかん」

「興安部隊を制止できる人物は他にいません」


土肥原は、また天下三分儀に戻る。


「いざという時はカ号がある」

「えっ、羽布張りですよ」

「五郎だったらやるさ」

「・・・」

「それに、第2航空師団の前進基地も近い」

「はい」

「なるべく日本兵は死なせるな」

「はい。中国兵主体に」

「満州兵も蒙古兵も死なせていいぞ」

「・・・」

「根本に念をおしておけ」

「はっ」



土肥原は、別の半球儀を見た。


「副官、神州丸の位置を出せるか」

「はっ。ぽちっ」

「ここか、まだ日があるな」

「はっ。船団速度は6ノットです」

「英国士官の乗艦を待ってましたから」

「乗ったのは海軍のフネだろう」

「はい。艦隊旗艦の扶桑です」

「北極海での戦艦喪失は」

「当然、知ってますね。え」


樋口がぎくりとした。

土肥原は凄みのある笑みを浮かべたのだ。


「よし、外務省の応援をしよう」

「すると」

「ら号船団は12ノットに増速!」

「「は、はっい!」」

「どうだ、樋口」

「英国は焦るでしょう」

「考える時間を与えてどうする」

「それが全面攻勢の骨子でしたね」

「徹底しようではないか」



樋口と禄雄は、どっと汗をかく。


「し、上海ですか?」

「米国もだ」

「ひっ。しかし、ヤマ機関長は出動中で」

「五郎はな。親父の四郎さんは日本にいる」

「は、はい」

「この間、飲んだぞ。東條の家で」

「そ、総監。段取りが狂いますが」

「向こうはもっと狂うだろう」


樋口と禄雄は顔を見合わせて、頷く。


「すぐに再構成します」

「もちろんだ」

「総監、樋口は退室します」

「おうっ。良しなに、な」

「は、はっ」

「閣下。副官は上に戻ります」

「水交社の八郎にも言っておけ」

「は、はい?」

「時は今」

「ええ」

「復唱はいらんぞ」



地下司令室に残った土肥原は、ひとり呟く。


「わしは大混乱が好きなのだ」







東半球、深夜。太平洋。


寝入り端の武藤中将は、揺動と物音に起き上がる。

乗っている船の振動が増していた。隣の船室のドアが閉まる音がした。まだ飲んでいた今井と岩畔が、やって来るらしい。やれやれ。


「「夜分、失礼します。師団長閣下」」

「まったく失礼だ。ほれ、それを飲め」

「さすが師団長、話が早い。ごくごく」

「いったいわしは、いつ眠ればいいのだ」

「それは、うちに帰ってからでしょう」

「「あっはっは」」


しばらく乾杯の応酬をした後、今井大佐が言う。


「閣下、船団は速度を上げたようです」

「そうだな。振動が違う」

「いよいよ実戦ですね」

「さあて、それはどうかな」

「師団長、士気にかかわります」

「だから、船室の中で呟いておる」

「失礼しました」


武藤は、煙草に火を点けた。マッチを消した今井は話を続ける。


「いきなりのタラカン上陸ですが」

「参謀長はメナド経由が持論だったな」

「はい、中継の補給基地を設けて」

「しかし、まずフネがない」

「極端に自動車化されてますからなあ」

「それはないだろ、連隊長」

「これはしまった。ふ号作戦の戦訓でした」

「「あっはっは」」



蘭印保障占領を遂行するら号兵団の基幹は、近衛歩兵第5連隊の5500名だ。ふ号作戦の頃と違って、船団に組めるフネが少ない。ほとんどの商船が徴用を解かれ、本来の航海に戻っていたのだ。南方連隊の車両は多い。そして、戦車はふつうのフネでは運べなかった。


「3ヶ月は持久できる」

「補給があれば、数年も可能です」

「そうなのですが」

「油田を占領した事実が重要だ」

「日蘭会商違反の懲罰です」

「保障占領だ。石油代金は払う」

「また、しまった。政治でしたね」

「何を言うか、軍事課長」

「「あっはっは」」


「タラカンの蘭印軍は2000名足らず」

「問題は沿岸に設置された砲台」

「聯合艦隊がいる」

「36cm砲40門だぞ」

「それに艦載機60機」

「成功しないほうがおかしいですね」

「だから重圧なのですよ」

「まったく慎重居士だ」

「「あっはっは」」



日蘭会商を破った蘭印を、やむなく保障占領する。それが、今回のら号作戦の大義名分である。それは今井参謀長も岩畔連隊長も承知だ。その裏があることも知っていた。

しかし、その裏の裏に、また裏があることは武藤師団長しか知らない。


「タラカンは英領ボルネオにも近い」

「西の白人王国、保護国だったな」

「北ボルネオもです」

「比島にも近いな」

「メナドなら蘭印だけですむ」

「そこだ、岩畔」

「今井。作戦は師団長だけで決めたのではない」

「知っているさ。閣下が反対されたのも」

「ならば、なぜ」


「不合理で不健全だからだ」

「なにをこの」

「その先は止めておけ」

「閣下!」

「でなければ、自室でやれ」

「失礼しました」

「そのウヰスキーは持っていっていいぞ」

「ありがたくあります」

「程々にな」

「「失礼します」」



一人になった武藤は、煙草を深く吸いながら思う。


今井と岩畔が熱くなるのはわかる。装備や編成は、近衛第2師団が上げたふ号作戦の戦訓が活かされていた。しかし、作戦自体は上から下りてきたものだ。そして、占領地域がタラカンに決まったのは、まさに、英領と米領に近いからだ。支那海へも近い。メナドでは遠すぎた。





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