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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第3章 昭和17年4月
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4 船舶兵


南半球、夕暮れ。南大西洋。


第三図南丸は、ドレーク海峡を抜けて大西洋に入った。針路は今、サウスジョージア島に向けている。


「ようやく安定してきた」

「はい、うまく乗れたようで」

「昨日の嵐はすごかった」

「台風なみでした」

「絶叫する60度」

「まさしく、ドレークシェイク」

「冬でなくてよかった」


南太平洋から南大西洋へは、マゼラン海峡を抜けるのが通常だ。南アメリカの最南部は島嶼で、大陸南端とフエゴ島との間がマゼラン海峡である。途中に多くの島々があって狭いが、海流は読める。海峡を囲む山々は低く、決して暴風を遮ってはくれない。しかし、万が一、遭難しても人が住む島があった。


だが、マゼラン海峡では会合日時に間に合わないかもしれない。速度をかせぐ選択肢がなくなるのだ。一方で、ドレーク海峡は広く、全速を出すことが可能である。マゼラン海峡もドレーク海峡も難所であることは同じだ。最大速度14ノットの本船が会合までの時間を縮めるには、早いうちにフォークランド海流に乗るしかなかった。


「船長、今のうちにシャワーをどうぞ」

「えっ、そうですか。中佐」

「会合時の操船には自信がないもので」

「あはは。正直ですね、中佐どのは」

「このフネは難物です」

「では、先にもらいますよ」

「ゆっくり、どうぞ」


早川船長は船長個室に戻りながら、日本水産と陸軍省との雇船契約の内容を反芻する。



第三図南丸は陸軍の雇船であるが、戦時下ではないから、船長の権限も要員の職務もそのままだ。作戦が始まれば、本船の指揮権は早瀬陸軍中佐に移る。広島県宇品の船舶司令部から派遣された船長執行で、雇主である陸軍の権益を代表し、操船も含め戦闘時の指揮を執る。


早川が驚いたことに、早瀬中佐は操舵が出来た。引き連れてきた20名近くの船舶兵も、それぞれ航海や機関ができる。六分儀を使って天測もこなすし、機関整備はもちろん、貨物や燃油による重量配分もやった。海図も読めるから、針路も策定できる。実際に、嵐のドレーク海峡を乗り切ったのである。


早川船長をはじめ、船員のほとんどが海軍予備員である。高等商船学校を卒業すると自動的に海軍予備将校となるし、商船学校を出た船員は海軍予備下士官となる。商船に乗っている間に昇進もする。しかし、早川は、この航海が済めば陸軍船舶兵に移るつもりだ。階級も上がり、海軍予備少佐が陸軍予備役中佐となる。


悪くはない。なにより、海軍よりも陸軍のほうが大切にしてくれそうだ。大西洋に入った時点で、本船と乗員に対して戦争海域での補償が適用されていた。万一のときは、年金や恩給が出る。大西洋は欧州大戦下にあり、英独の砲火が交わされる戦場であった。


(陸軍の方が海員のことを思ってくれる)


腰にタオルを巻いた早川は、鏡に向かって頷く。




直近の定期通信によれば、会合時刻に変更はなかった。波高は1mを超えているが、この海域では穏やかな方だろう。1時間前に、早瀬中佐は作戦開始を下令していた。第三図南丸は陸軍特殊船と同じ扱いとなった。すなわち特務作戦である。全船員が戦闘中の陸軍将兵と同じ扱いを受ける。一等航海士と機関長は、船長から拳銃を受け取った。


「あと20分です」

「中佐」

「うむ」

「お願いします」

「これより、本船の指揮は早瀬がとる」

「「ヨーソロー!」」


フネの指揮権が早川船長から早瀬中佐に移譲された。しかし、言葉とは裏腹に、早川船長は船長席のままである。操舵員もそのままで、船舶兵の各員は本船の船員の脇についていた。早瀬中佐は、船長席と並列して設けられた指揮官席にいる。船橋要員の一人は、通常は使わない制御盤の前に立つ。


指揮を執るといっても、操船や操舵は本船の船員が行う。第三図南丸は、二万トンの巨船である。早瀬らが実習で操船した陸軍特殊船の神州丸よりひと回り大きく、排水量は三倍近い。それを、他のフネと会合させようというのである。しかも、他国のフネ。幅600kmの海峡をただ横切るのとは、訳が違う。




「第三通信室長から、緊急」


通信室は本船付属の本来の航海用で、増設された第二通信室は作戦用である。第三通信室には特別な通信機と暗号復号機があったが、今は、特種兵器の実験に使われている。


「早瀬だ」

「汐見です。くじらを捕捉」

「ほう、す号か。早いな」

「浮上中。さすが、餅屋です」

「同意。継続せよ」

「宜候」


振り返った早川に、早瀬は、右の手の平を上にして、上下してみせる。早川は、ふ~っと、口をすぼめて息を吐いた。


「第二通信室」

「船内同時、乙号、開け」

「周囲3海里に機影、船影なし」

「了解。以後、2分毎に知らせ」

「宜候。毎2分、了解」

「よし」



船長の合図で、航海士が伝声管に叫ぶ。


「上空、水上、見張り厳戒」

「「宜候」」

「3番見張り。機影なし、船影なし」

「1番見張り。機影なし、船影なし」

「2番見張り。機影なし、船影なし」


もちろん、早川船長はす号機のほかにも、たせ機など特殊兵器が搭載されているのは承知している。しかし、それはそれ、これはこれだ。見張りを遊ばせる理由にはならない。航海士は、新設された中央船橋や後部船橋にも告げる。第三図南丸は全長が170mあり、前部と後部では視界が違った。




「会合、10分前!」

「中佐、どちらでいきますか?」

「おも、でしょう」

「宜候。面舵、用意!」

「面舵用意、宜候」

「機関、側流用意!」

「側流用意、宜候」


第三図南丸は、会合海域を中心に周回を始める。二周目で、航海士と操舵員は要領を見つけた。すなわち、船体を水平に保ったまま周回する舵と速度だ。海上に、途切れ途切れのおぼろげな円が描かれる。


第三通信室長から電話が入る。


「くじら、マイナスひとまる!」

「宜候」




突然、海面が膨れ上がり、黒い巨体が飛び出してきた。くじらと呼ばれていたそれは、暗灰色の潜水艦だった。独逸海軍のUボートである。円のど真ん中だ。


「やった!」

「よし、出せ。わしも行くぞ」

「中佐、それは」

「なに、船長がいる」



早瀬中佐は軍装を正すと、降ろされる発動艇に飛び移った。

艇首で、軍刀を握った仁王立ちになる。周りの兵が迷惑そうな顔で、中佐の両足を後ろから支える。無蓋で非武装という条件で選んだので、艇は小さく狭い。操舵兵は波を見ながら、楕円を描くようにUボートに近づく。


先頭に立つ早瀬は、波をもろに浴びてびしょ濡れだ。もちろん、前は見えない。


「中佐どの、変です」

「何が変だ。見張りらしく言わんか」

「はあ」

「正面、独潜水艦、艦橋に3名、双眼鏡」

「あたりまえだ」

「こちらを見ています」

「ぶつけられたら困るだろう」

「ああ、こちらを向いてくる」


「だから、見張りらしく」

「正面、潜水艦、主砲に3名。砲撃準備中」

「ええー」

「副砲にも人がついています」

「ああん」

「艦橋の兵隊が何か叫んでいます」

「海兵だ。士官はいるか」

「正面、独潜水艦、ひとまる・・」



発動機の音が小さくなり、舵が切られた。

ようやく、早瀬は目を開けて様子を見れる。そして、愕然とした。


独潜水艦の前甲板の主砲は、第三図南丸に向けられていた。艦橋上の独海兵は、こちらを指差して、大声で叫んでいる。そして艦橋の機関砲は、まさに早瀬を狙っていた。


「・・・」



「エスイストダ!」

「スシュテルンニ!」

「ヒトダスキル!」

「シュブリューテ!!」


「あれ、ドイツ語のわかる者はいないのか?」

「予定外の中佐が乗るからですよ」

「す、すまんかった」

「なんて言ってるのかな?」

「こいつらは。怪しい。殺せ。撃て」

「そう聞こえるよな」

「「・・・」」







同じ日。大日本帝国、広島県、宇品。


陸軍省は、陸軍運輸部を陸軍運輸本部に、船舶輸送司令部を船舶司令部に改組した。同時に、工兵の一類であった船舶工兵を、船舶兵として独立の兵科とした。新式編成の島嶼連隊や南方連隊に関連した改組であったが、台湾沖事件の影響で、内容は深化したものとなった。海軍は海上護衛に関心がない。その危機感が、船舶兵を海軍学校へ入学させることになった。


もともと上陸戦は陸軍の範疇だ。数十年前から、おさおさ研究は怠りない。上陸用舟艇やその支援船、機動艇を実戦配備していた。船載銃砲だけでなく、船載航空機も制式化したし、それらを載せる揚陸母船や航空母船もある。音響探針機や超短波警戒機も、制式化まであと一歩だ。



だが、上陸までの船団護衛は考えたことはなかった。本土の港湾から敵地の上陸海域までは、海軍が護衛する。当然である。ところが、台湾沖事件の合同調査が進むにつれ、陸軍は驚き、呆れ、最後には絶望した。民間人が多数乗船していたので、合同調査会には、陸海軍のほかに逓信省なども加わって、内閣直下に置かれた。


そこで判明したのは、海軍の無関心であった。船団の組み方や航路設定の方針はない。敵航空機には一応の対応策があったが、敵潜水艦に対しては具体的な対策も指針もなかった。だいたい、潜水艦をどうやって探知するのか、襲撃を受けた船団の安全をどう確保するか、何も研究されてない。



それでも、陸軍も他の省も、反省した海軍が海上護衛の研究に着手することを疑わなかった。新型の海防艦や対潜哨戒機を揃える予算が付けられているのだ。それを手放さないためにも、研究の真似事はするだろう。ところが、海軍は護衛艦隊から手を引きたいのだと伝わってきた。


尋常ではない。しかし、そうであれば、陸軍で研究を開始するしかない。まさか、防衛総軍にはなげられない。こうして、陸軍は本土から上陸海域までの船団護衛、すなわち海上護衛船隊の研究に着手した。

『ないのなら、つくればよい』

まさに、豊田海相の言葉通りだ。



仮称「海上護衛船隊」は、まだどこの所属になるかも決定していない。陸軍省とは限らない、他の省になるかもしれない。戦時輸送船には多くの商船を徴用するから、逓信省の下においてもおかしくはない。また、同盟国や中立国との通商も護衛するなら商工省でもいい。


実際に研究を始めると、上陸船団の護衛だけではすまないのは、すぐに判明した。帝国には資源が少ない。石油やゴムなどの戦略物資から、米穀などの食糧、その他もろもろ。多くの物資を輸送しなければならない。それは、昨年、いやになるほど研究した。そして、戦時ならば護衛が必要である。


幸いに、海軍は協力的だった。必要な人材と資料を送ってくれる。

昨年末に起工した新型の揚陸船と戦車揚陸船は、設計段階から海軍の協力を得ていた。新式の急速造船法で、すでに進水し、就役した船もある。一方で、陸軍が先行していた水中音響や超音波警戒などの技術は海軍に公開された。陸海協力の詔勅は、戦略作戦の分野ではなく、思ってもいなかったところで実現されつつあった。




船舶司令部の司令官公室では、司令官の鈴木中将、参謀長の物部少将、それに司令部顧問の伊藤海軍少将が会談を行なっていた。三人ともに着任から間がない。これまで船舶司令官は運輸本部長が兼任してきたが、第四の軍になるかもしれないとなれば、専任が必要だ。


「一番の問題はどこまでやるかです」

「所管範囲ですね。規模は昨年の研究がある」

「各省庁から、ごっそり資料をもらってます」

「船団護衛に関しては、同一でよい」

「上陸船団も、輸送船団も通商船団も?」

「はい。機材、航路、編成の基本は共通です」

「なるほど。では違うのは」

「上陸戦支援でしょうね」


「やはり」

「どこまで、上陸戦に関与するかです」

「上陸前には、航空撃滅戦と艦砲射撃があります」

「それです」

「防空と対潜は、どの船団でも必要で」

「上陸戦は、さらに爆撃機と艦砲か」

「ちょっと、手に余りそうだな」



「防空用の空母は調達するのですね」

「やはり、戦闘機はほしい」

「爆弾装備での発艦はどうかな」

「敵陣地や飛行場なら200kgはないと」

「すると、最低で80mの飛行甲板か」

「100mだと、何機出せますか」


「このフネですか、う~ん」

「並べられるのは5機かな」

「200kg爆弾を5発じゃね」

「1隻では足りないな」

「滑走ではなく、射出か」

「それが堅実です」


「艦砲はどうします」

「20cmあれば、いいですよね」

「十分です。15cmでもいい」

「4門なら、このフネでも載ります」

「そうですか」

「しかし、マストの高さが」

「測距か」

「観測機では?」

「そうだ、海戦じゃなかった」

「「・・・」」



その時、入室許可を乞う副官の声がした。


「入れ」

「はっ。報告電が1つです」

「どうれ」


鈴木中将は、司令官席で電報を受け取る。


「ほう」

「「・・」」

「神州丸からです」

「おっ」

「本文、待ち人来る」

「そうか、出港しましたか」

「いよいよ、実戦ですね」

「うむ」


三人は、地下司令室に入る。

そこには、半球儀がおかれた机が6つあった。





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