3 海軍
帝都、東京、宮城。
久しぶりに、大本営政府連絡会議が開かれた。
大袈裟ではないかという意見もあった。そうかもしれない。軍事作戦は行っているものの、どの国とも交戦状態にはない。万が一の日米交渉破局に備える、大本営の存続の理由はそれだけだ。しかし、現時点では、挙国一致を具現する最適な場と思える。
近々に大本営を解散させるのは、陸海軍共に一致している。その後で、大本営の改革を東條は考えていた。しかし、常設の今現在においては、政府と軍略を一致させるという意味で有意義であり、有用でもある。
正直なところ、東條はまだ迷っていた。現役軍人の首相が退いて、文官首相となれば、こうはいくまい。だが、平時はともかく、侵略を受けて開戦必至の状況でそういうことがあり得るだろうか?
最初に、大本営の陸軍部や海軍部から欧州大戦の現況が簡潔に報告された。
「独ソ戦正面の東部戦線で、独軍の守りは堅いようです」
「夏季攻勢というが、いつ頃動くのか」
「昨年の独逸の奇襲は、本来は5月中旬の計画でした」
「すると来月ですか」
「独空軍機は東欧に戻って来ていない」
「冬が厳しかった分、春の泥濘も深い」
「両軍とも、後方の動きは激しくなっています」
「再配置や再編成ですな」
「土地勘があるソ連が5月に動き、独軍の攻勢は6月かと」
「合理的な判断だ」
「どうも、賀屋蔵相。えへへ」
「北極海の情勢です」
「アイスランドからムルマンスクまでの対ソ支援ですな」
「はい。3月に入って、英海軍が劣勢です」
「つまり、独海軍が優勢なのか」
「主要な水上艦をすべてノルウェーに集結しています」
「思い切ったな」
「直近の2つの船団はいずれもソ連領には未着です」
「それはたいへんだ」
「ソ連は猛烈に抗議し、英国は最大規模の船団を編成しました」
「そう来なくちゃ」
「月末に出港でしたから、今頃は独軍哨戒圏に入っているかと」
「では、明日にも」
「両海軍の衝突が予想されます」
「海戦だ」
「そのとおりです、蔵相。えへへ」
重光外相は舌を巻く。陸海軍ともに、賀屋蔵相には気を使っているようだ。もはや戦時ではない。平時となれば、予算を握っている大蔵省の機嫌をとる必要と必然があった。それに、帝国とは直接関係のない欧州大戦、所詮は他国の情報である。
陸軍参謀が地図の前に出て来た。
「北阿弗利加戦線ですが」
「年初から独伊軍が反攻中でしたな」
「はい、蔵相。1ヶ月で400kmを進撃しました」
「さすがはロンメル将軍」
「2月から両軍はここ、ガザラの前面で対峙しています」
「戦線膠着は、補給と補充のため」
「はい、蔵相。しかし、動きました」
「ごくり。どちらが?」
「独伊軍です」
「どうなりますか?」
「作戦や戦術は独伊軍が上です。迂回や突破を自由自在に」
「ふむふむ」
「しかし、補給線を維持できるか」
「補給線?」
「英軍には前線のすぐ後方に、この要港トブルクがあります」
「独伊軍は持ってない?」
「ここからだと、遠くて細いのです」
「よくわかりました。ありがとう」
「どういたしまして、蔵相」
負けずと、海軍参謀も出て来る。
「先月、英伊の間で大規模な海戦がありました」
「おおお」
「独伊地上軍の攻勢開始は、その結果なのです」
「どういうことです」
「海戦が起きたのはここ、マルタ島です」
「独伊軍の補給線の真中ではないか」
「そうです。ここに英軍があり限り」
「「独伊軍の補給はかつかつなのです」」
「マルタ島には有力な空軍があり、港湾もある」
「独伊は封鎖していますが、突破もされている」
「ここにきて、マルタ島の兵糧弾薬は底を尽いたようです」
「独伊空軍が連日、空襲を行っています」
「哨戒も厳しい」
「ほうほう」
「英国は、西と東から2つの船団を送りました」
「ジブラルタルとアレキサンドリアか」
「はい。それを伊潜水艦が発見」
「なに。伊号?」
「いえ、伊太海軍の潜水艦です」
「伊太利に潜水艦があったのか」
「それはあとで」
「伊太海軍は全力出撃したようです」
「全力?!」
「戦艦4隻です」
「だが、英国海軍も」
「さて。2隻出せたかどうか」
「地中海にはもっといた筈だ」
「伊太海軍の人間魚雷で2隻、沈んでいます」
「ひ、人間魚雷?」
「それもあとで」
「結局、船団は1隻もマルタに着いていません」
「・・・」
「そして、この攻勢開始」
「ああ。理解した」
「これからは、ロンメル将軍には」
「十分な補給がなされるでしょうね」
「そうだったのか」
「「そうだったのです」」
「お二方の共演に感謝する」
「「えええ」」
会議は休憩に入った。
「首相、いい前振りになりましたね」
「そうだね。蔵相には感謝しないと」
「え、え」
「蔵相も、なかなか軍略にお詳しい」
「ま。予算査定をしっかりするとなるとね」
「え、え」
「首相、独逸の動きが解せんのですが」
「はて、どう解せないのでしょう」
「水上艦艇を一箇所に集めたり」
「ああ、ノルウェイですね」
「伊海軍に石油を融通したり」
「ま、同盟国同士ですから」
「これまでの総統らしくない」
「え」
「なにかある。ひょっとして」
「「・・・」」
「総統には一流の占星術師がついている」
「えっ。首相、それは」
「大島大使からの報告です。ね、外相」
「はい。あ、その。まさか」
「いやー、なかなかやる。失敬」
「「えええ」」
休憩の後、すぐに本題に入ろうとする東條を、賀屋蔵相が止める。
「なんですか」
「英海軍の現況を知りたい」
「「ええー」」
「あ、その主要艦だけでいい」
「大蔵省としてですか?」
「げふん。連絡会議員としてだ」
「よろしいでしょう」
「えへへ」
「仕方ありませんな」
海軍部の長谷川海軍大将が頷くと、伊藤情報部長が説明を始める。
「王室海軍の現在の主要艦は、戦艦10隻と正規空母6隻です」
「開戦時には戦艦18隻だったのでは」
「ごほん。建造中が3隻で、修理中4隻」
「半減ではないか」
「そのうち2隻は出撃できるかもしれません」
「3年でそんなに消耗するのか」
「4隻が沈没しております」
賀屋蔵相は、携帯算盤を出して弾く。
「ええと、18-4=14。14-4+2=12。最大で12隻か」
「10隻から12隻ですが、まもなく新造艦2隻が加わります」
「そんなもん。慣熟訓練なしでは戦力とはならん」
「詳しいですね、賀屋蔵相」
「あ、う。げふん。失礼した。ありがとう」
「どういたしまして、ちなみに独戦艦は3隻、伊戦艦は4隻です」
「仏蘭西はどうですか?」
「はい。戦艦3隻が行動可能です」
「少ないようだが?」
「はい、戦艦2隻と空母1隻が、連合国に抑留中です」
「どうなるのかな」
「さあて。連合国は説得に必死でしょう」
「そうだろうな。英国は強引過ぎた」
「メルセルケビール海戦ですね」
「やはり戦艦の数なのか。海軍は」
((しめしめ))
会議は、議題その一に入った。参戦後の米軍進撃路に関する内閣決定についてである。
大本営の多田大将と長谷川大将が手をあげる。
「政府が内政について決定されたのを」
「とやかくいうつもりはないが」
「その新聞案どおりとは、安直すぎるのではないか」
「あれだけ派手に書かれて、全世界が知ったのだ」
「裏をかくのが軍事作戦というもの」
「そうだろう」
「「うっふっふ」」
「内閣は、総力戦研究所に諮りました」
「なに、総研か」
「それで」
「新聞作戦案は至極合理的であり、軍事的に最も損害が少ない」
「「え」」
「米軍の策源地は米国本土であり」
「もちろん、そうだ」
「英国を中継根拠地としての北仏上陸には蓋然性がある」
「低地諸国だと独本国に近過ぎるからな」
「英軍の人的策源地は印度や豪州もあります」
「うむ、そうだな」
「すると、地中海は無視できない」
「地中海と北阿弗利加か」
「参戦の大義名分が英国の救援であるなら」
「それしかあるまい」
「ならば、地中海作戦は欠かせません」
「要するに」
「印度、豪州の英軍がスエズから西進し」
「東進して来た米軍と合流」
「そのまま北へ向かえば」
「伊太利か」
「すなわち、北阿、南伊、北仏・・」
「「あれ」」
「なるほど、理屈は合うな」
「本所研究生、高等班、第二別班、すべて答は同じでした」
「ふうむ。ま、いいでしょう」
「同意してもらえますね」
「え、今なのか」
「陸軍はエトワルとステラを新設した」
「あ、はい」
「海軍もアンクルを新設した」
「はい、です」
「米軍の進撃路ということで、新規予算を認めました」
「「ええーっ」」
「だって、何もないなら新設は必要ないでしょう」
「あ。ああ」
「なにしろ、特務機関は領収書がない出費ばかり」
「「・・・」」
「大蔵省としては、機密費は少なくしたい」
「「同意しましょう」」
議題その二は、本日の中心課題『英国から助勢の要望』である。
「重光外相、外務省の分析を」
「はい。一つは、支那海を日本に頼みたい」
「ちっ、マレー海峡までなのか」
「同盟なしで、インド洋は許しませんよ」
「そうだよな」
「南を見ろということか」
「そうです、総長」
「北から退かせたいのだな」
「目障りだったのでしょう」
海軍部は、揃って渋い顔をした。
防特演の前後から海軍は北に戦力を展開し、頻繁に訓練を行っていた。演習ではなく訓練だ。米国とソ連に対するプレゼンスである。米国船団の時は遠く南に離れるが、ソ連船ならば接近して臨検の構えも見せる。戦艦2隻に空母1隻が基幹の砲艦外交だ。
「ソ連向け船団を邪魔するなということか」
「はい。ついでに、陸軍と海軍の相克も図る」
「ぶはっ」
「それはいい」
「「あっはっは」」
陸軍と海軍は今、南洋での共同作戦を準備中である。まもなく発動だ。だから、南を見ろとか、陸海分裂とかは、あたらない。むろん、今に限ってではあるが。それに、陸海軍が北方で活発なのは、国内にいる第五列の目を北に向ける意味があった。西南日本に目を向けさせたくない。
「英国のことですから他にも意図があるでしょう」
「東洋艦隊から戦艦を引き揚げるとか」
「・・・」
「外相」
「はい」
「逆に、全面的に帝国が乗ったとして」
「ええ」
「日英同盟復活はあるのか?」
「「それだ」」
「謀略は、どちらの目も勘案して行います」
「むろんだ。どっちにころんでも対応できなければ」
「ですが、日英同盟だけはあり得ません!」
「「えええ!」」
「な、ないのか?」
「まったくありません。米国が怒るからです」
「英国が米国を恐れているのか」
「はい」
「今次大戦では、米国が英国に支援を行っております」
「大々的にな」
「政府の試算では、あと3年も大戦が続いたとして」
「「・・」」
「英国が弁済を終えるには30年から50年かかるでしょう」
「「それは!」」
「これは、中国から印度までの植民地を保持し続けた場合です」
「「では」」
「それらがない場合は70年から100年となります」
「「・・・」」
「ご存知のとおり、日英同盟は米国に潰されました」
「忸怩たる思いだ」
「英国は、もはや米国の恨みを買いたくはない」
「そうか」
「勝利後に、中国の権益の大部分を譲渡するでしょう」
「借金の形に、マレーやビルマも」
「中東の一部もです」
「印度は?」
「人口が多いから、保持するでしょう」
「「なんと」」
「で、どうする?」
「米英を仲違いさせるには?」
「米国が参戦すれば、連合国は米英ソとなります」
「いずれも大国、列強だ」
「そこです」
「ソ連か」
「はい。それで帝国の浮かぶ瀬ができます」
「「なるほど」」
「今回の回答から始めたい」
「「ふむ、ふむ」」
「外務省の試案は3つあります」
「「聞きましょう」」
「ごほん。1つめは、拒否する」
「それは、まずいでしょう」
「そう。日米融和なら日英友好でもないと」
「2つめは、受諾する」
「また、乱暴な。だいいち、海軍の諾否もまだ」
「日英同盟がないなら、意味がない」
「「それ、それ」」
「3つめが本命か」
「時間稼ぎか」
「独伊との関係も続いているし」
「仏印もある」
「極端はまずい」
「3つめは」
「「ごくり」」
「英国の本気度を試します」
「「ええっ」」
「ちょっと大胆すぎるのでは」
「うん。元も子もなくなっては」
「いえ、勝算はあります」
「「なんと」」
「帝国と取引がしたいのですよ、英国は」
「「・・・」」
連絡会議が終わった後、重光外相と賀屋蔵相はいつもの居酒屋にいた。
「たいしたものだ」
「独逸の戦略転換ですか」
「こりゃ、東部戦線もわからんな」
「ソ連の疲弊は望むところです」
「首相はとぼけられたが」
「は」
「年末の親書が要因と思っている」
「いや、大島大使からの報告は事実ですよ」
「またまた」
「星は何でも知っている」
「え」
「報告書には、そうあったのです」
「はあっ」
「・・」
「「・・・」」
 




