9 解散
帝都東京、首相官邸。午後。
総理官邸の小部屋には各省の審議官や参事官が集まっていた。
第78回帝国議会は終盤に入っている。予算案を含む重要法案は成立の見込みがたっていた。しかし、外交政策、国防政策に関しては荒れている。それは、議員先生方の死活問題だからだ。選挙が間近い。会期末の25日はもうすぐで、来月には総選挙。
4月30日の第21回衆議院総選挙では政党が復活する。議員たちは今会期のうちに、手柄とまではいかなくても、なにか目立つ話題を作っておきたかった。今のところ、東条内閣にはこれといった失策がない。むしろ、内政は成功しているともいえた。しかし、外交・国防に関しては、大いに異論のあるところだ。
『戦争では米国に勝てない』
それは全議員に共通の思いだ。といって愉快なわけではないし、仕方がないで済ませては地元に帰って申し開きが立たない。議員たちは、昨年末からの政府の丁寧な説明により、なぜ勝てないかを理解した。出会い頭の一発だけなら、豊田海相が強調するように、帝国が勝つ分はある。だが、数年にわたって殴り合いを繰り返すのなら、勝ち目はない。まったくない。
その違いは米国が一発で引き下がるかなのだが、とてもそうは思えない。人口も資源も工業力も、国力は段違いに米国が上なのだ。代議員先生方の悩みは、それを素直に選挙民たちに言えないことだった。例によって、政府の外交説明は秘密会が中心だった。詳細を洩らせば国賊だ、死刑だ。先例がある。一族郎党・近隣知己も無事に済まない。葬式もあげてもらえないだろう。
「それでどうします?」
「うん、対支那戦勝利でも・・」
「二番煎じでしょう」
「たしかに。年末正月にやったな」
「ま、われら官僚は選挙には介入しない」
「いいのですか、内務審議官」
「もちろん、民主主義だ」
「誘導はしますがね」
「司法参事官、ちょっと」
「「あっはっは」」
「必ずしも、二番煎じでもないのだが」
「え号作戦ですね」
「うむ。ふ号作戦の最終段階も選挙前には終わる」
「なるほど、外交と国防のすり替えですか」
「まあね、いつものことだが」
(陸軍の大作戦が続いている)
小部屋に集まった官僚たちの共通の思いだ。昨年からの支那撤兵、ふ号作戦、今年に入ってからは防衛総軍特別演習。今日明日にはえ号作戦の発動が。さらに来月にはふ号作戦最終段階だ。2つの作戦では、新式連隊や新式装備が実戦に投入されるという。停滞している日米交渉を紛らわすには絶好の話題の筈だ。
「陸軍は忙しいからな」
「大作戦続きですからね」
「外交の方で色をつけるか」
「陸軍には作戦に集中してもらいたい」
「うむ、雑音を入れんように」
「海軍はどうなのです」
「「げふんげふん」」
「あれの公試がある」
「それに大阪もな」
「今の議員全員を当選させると?」
「いや選挙には介入しないが」
「ま、アカい先生たちは検挙したし」
「そう、排除した」
「残った先生方は、まあいいのかと」
「新人だと読めないから困るし」
「バランスはとれてるでしょう」
「なにしろ成功報酬だ」
「では!」
「うん」
内務省の審議官は、星野内閣官房長官との交渉結果を披露した。
「「おおお!」」
「条件がついていますが、だいたいは通っていますね」
「ああ、問題ないだろう」
「ええ、満額回答に近い」
「条件がね」
「アカと餓死者は出さない」
「当然のことだ」
「あとは、時限ですね」
「首相は?」
「最後の2回は同席されたよ」
「「うんうん」」
「何年にしますか?」
「5年は短いだろう」
「そうです。10年でも短いかも」
「20年は論外だな」
「うん、固定化される」
「永久みたいなものだ」
(利権は官僚が独占する。民間には渡さない)
小部屋に集まった官僚たちの総意だ。
もちろん、利権の一部は大臣や議員たちにも分配される。しかし、大部分は、現役の官僚と退官した上級官僚に集中させる。その基本方針を首相は承諾した。条件は、綱紀粛正と時限立法である。
「たしかに無期限の立法だと」
「一度施行すれば永遠だ」
「その上にまた立法すると」
「かちかちに固まる」
「崩しようがなくなる」
「永遠の利権だとわれらの出る幕もない」
「例えば10年とする」
「10年後に廃案、新規法案に替わる」
「民間に魅力的なのかどうか」
「10年で投資を回収して、次の資金も蓄える」
「雇用も10年単位となります」
「ああ」
「一度失敗しても、10年辛抱すれば」
「次の機会があります」
「なかなか面白い」
「10年から15年の間ですね」
「もちろん、今日は結論は出さないよ」
「持ち帰りですね」
「ああ、いずれにせよ選挙後だ」
「では、選挙対策を考えましょう」
「「うんうん」」
東条内閣の希望は、今の議会勢力の維持だった。
といっても議会解散を先送りするのはおもしろくない。もともと昨年が解散、総選挙だったのを支那事変の非常時で先延ばししたのである。それに、翼賛会を解散して政党に復帰することはすでに公言した。後戻りはできない。
懸念は、政党選挙で議会の党派構成が大きく変動することである。これまでの説明を一からやり直さないといけなくなるし、そうすると予定している変革が大きく遅れる。下手をすると、頓挫するかもしれない。
地租改正・農地改革から国防基金にいたるまで、変革すべき旧制は多い。それらを変えなければ、帝国の税制改革は成立しない。税収基盤を安定させることこそが急務だった。帝国の國軆を保持し得なければ、米英と協力するのは危ういだけである。
「首相は国力の根源がどこにあるか」
「よくご存知のようだ」
「働き甲斐があるな」
「しかも報酬は約束済み」
「よしご奉公するか」
「「あっはっは」」
「先生方の独自色はどこで?」
「米英はまずい」
「独ソ批判はかまわんだろう」
「強気が欲しい方もおられますが」
「そりゃ、朝鮮だろう」
「あそこなら何を言ってもかまわんぞ」
「世論の動向もわかる、それで」
「「あっはっは」」
官僚たちの仕事は速い。手分けして、一時間もかからずに議員先生方の選挙対策、それに新議会の勢力図予想が出来上がる。これで内閣から依頼された今日の課題は終わった。
あとは、情報交換である。農林省の参事官がコーヒーを淹れる。
「欧州の戦争は?」
「対ソ支援が滞っています」
「うん?」
「PQ12船団が引き返し、PQ13船団が全滅しました」
「ほう。PQというと北か」
「はい、ノルウェーには独戦艦が3隻健在でして」
「規模は?」
「PQ12が16隻、13は19隻」
「「すごいな」」
「護衛の空母か戦艦もやられたらしい」
「すると、次はPQ14?」
「はい。30隻規模で編成中です」
「そうなるよな」
「「・・・」」
「地中海も動きがあります」
「へえ」
「昨年末にマルタ島西のシルテ湾で伊英艦隊の海戦がありましたが」
「伊、イタリア海軍?」
「先日、同じ海域で、やはり伊英艦隊の海戦が起きた模様です」
「「・・・」」
「マルタ島ね」
「独伊アフリカ軍団に対する補給が強化されておりまして」
「ああ、マルタ島は邪魔だね」
「ええ、厳重包囲を布いている模様です」
「ひょっとして・・」
「はい。リビアの独伊軍が大規模攻勢を計画中と」
「いや、発動したらしい」
「「!」」
「北アフリカで独伊軍が大攻勢に出る」
「その補給を維持するにはマルタ島は目障りだ」
「だが北アフリカの英軍に対する補給も海からだ」
「本拠のエジプトからリビアまで侵出したからな」
「両方とも補給線の維持の要がマルタ島になるのか」
「「これは!」」
「英国はマルタ島を死守するだろう」
「それは、本国艦隊から地中海に派出するということだ」
「ああ、北の戦力が南に移るのか」
「ますます、対ソ支援船団の護衛が薄くなるな」
「「!」」
「先日、海相が司法省に来た」
「豊田大将が?」
「うん。千島を封鎖する法的根拠はないかと」
「「ええ!」」
「米国シアトルからの対ソ支援船団を通せんぼするつもりか」
「そこまでは言えんよ」
「「ああ」」
「そう言えば」
「どうした、商工省」
「ソ連大使館からね」
「「ごくり」」
「北樺太の石油はいりませんかと」
「「えええ」」
「ご機嫌とりかな」
「満蘇国境の越境もずいぶん楽になったらしい」
「「・・・」」
「えと、ちょっと整理したい」
「「うんうん」」
「海軍の腹が読めないのだが」
「豊田さんか」
「あの人はわからん」
「米内大将が失脚してから」
「ソ連派は壊滅した」
「豊田大将はどこだっけ?」
「たしか英国」
「うん、在英大使館の武官補佐官だ」
「主流だな、帝国海軍は英国製だ」
「元祖メイドさんか」
「「あっはっは」」
「待て」
「「ん?」」
「連合国は海上戦力が不足ではないのか」
「あれ」
「英ソ間連絡をノルウェーの独海軍が阻止している」
「英国自体が地中海の英海軍を増強したい」
「そこに英国式海軍をもつ帝国が三国同盟から抜けた」
「「・・・」」
「まさか」
「米国、米海軍がいるではないか」
「そう、帝国と和解した今、太平洋の戦艦を大西洋に回せる」
「だが、う~ん」
「「・・・」」
「あれだ!」
「どうした、司法省」
「伊海軍がいる」
「それほどの戦力か?」
「よくは知らんが、聯合艦隊の半分ほどは」
「「え!」」
「そして、仏海軍もいる」
「「あああ」」
「司法省、なぜ、仏海軍がここで出てくるのだ」
「なに、ふ号で思いついただけだ」
「「・・・」」
「豊田大将といえば」
「どうした、大蔵省」
「護衛艦隊を手放したいと」
「「ええっ」」
「いや、今あるフネはすべて聯合艦隊で引き受けるから」
「「なにっ?」」
「新しく護衛艦隊を政府直属で作ればと」
「「どういうことだ!」」
「あれだ、海軍予算の割り振りで」
「「ふむふむ」」
「戦力の分散や逐次投入はよろしくないと」
「「・・・」」
「護衛艦隊が戦力分散なのか」
「なんだか本末転倒のような」
「豊田大将だからな」
「一発にかけるなら、全戦力の一挙投入しかない」
「理屈はわかる」
「しかし御前会議での決定では」
「そこよ」
「で、大蔵省はどうしたのだ」
「首相に振った」
「「え」」
「海軍予算の有効活用としては」
「聨合艦隊と護衛艦隊の二兎を追うのは無駄だな」
「「しかし」」
「あの英国が戦力不足なのだぞ」
「「あっ、そうか」」
「海上決戦用の艦隊は船団護衛に不向きか」
「といって、無い袖は振れない」
「英海軍がそうなら帝国海軍もむろん」
「英国製だからな」
「「・・・」」
「海相も食えない人だな」
「豊田さんはいつもそうだ」
「こちらの読みを見据えた上で動いている」
「それでは」
「民間の輸送船は誰が守るのだ」
「首相だ」
「「え」」
「まさか陸軍が」
「「・・・」」
「内務審議官?」
「ああ、内務省の現業は分けるつもりだ」
「「はあ」」
「逓信省も鉄道省も改変の対象だ」
「「・・」」
「内務省だけ無傷とはいかんだろう」
「「いや、その」」
「ひょっとして省庁改変?」
「あれ、聞いてないか」
「「ええーっ」」
「首相の考えは第4の軍だ」
「「陸海、空に続く?」」
「そう」
「外務省は知っていたのか」
「今の陸海軍を米英に差し出すのはまずかろう」
「「ああ」」
「空軍はもっとまずいよな」
「あれは本土防衛の要だ」
「「そうすると」」
「そういうことなのですよ」
「どんな軍になるのでしょうか」
「護送護衛が中心?」
「まだわからんが」
「「が?」」
「え号作戦で戦訓が得られるだろう」
「「あああ」」
「なにせ、日米中協同作戦だからな」
「「ごくり」」
「司法省、それはまずい」
「あ、日中協同作戦でしたね」
「「そうそう」」
「ま、米国もいると思えば安心です」
「司法参与官、いいのか」
「いいんだ、明日は出征だ」
「「えええーっ」」
「え号作戦には、内務省と司法省から一人ずつ出す」
「「え!」」
「なにせ軍人にはできない仕事がある」
「「ああ」」
「内務省は警保局から出す」
「そして、司法省は私だ」
「「ぴし」」
「そこで頼みがある」
「「はい」」
「盛大に壮行会をやってくれ」
「「おおお」」
「いいのか」
「うん、なにせ総力戦だ」
「「あっはっは」」
「新橋だ、いくぞ」
「「おおーっ」」




