8 防特演(4) 連結
大日本帝国。北海道、札幌市郊外。北部防衛軍司令部。
防特演は土肥原統監の介入以来、青軍の苦戦が続いていた。有り体に言えば、大混乱である。それでも、安達二十三中将は演習の進行を続けていた。教育総監部の安達本部長は、今回の演習の統裁官であるからだ。しかし、苦渋の表情は隠せない。
「いったい、実弾を使う必要があったのか」
「しかし、統監は爆弾ではなく爆薬埋設を許可されました」
「うむ。空から撒いた爆弾では、不発弾の処理が面倒だからな」
「演習とはいえ、民用地ですからね」
「「・・・」」
「実弾使用ではなく、爆発が目的だったのでは?」
「何を言うか。なんのために自国の村落や耕地を破壊するのだ」
「いや、たしかあそこは・・」
「げふん。そこまでだ、諸君」
「「統裁官」」
「正しくは爆破だが、それは両軍の戦闘の帰趨には関係ない」
「「・・・」」
「この話はここまでだ。続きは東京に帰ってからとする」
「「はっ」」
演習統裁官室には静かな緊張が戻った。
しかし、隣の指揮室はそうはいかない。参謀たちが思い思いに憤懣を口にしていた。
「なんだ、この想定は!」
「騙まし討ちではないか!」
「わが青軍は、北海道防衛に成功していた」
「そうとも。北千島からの敵爆撃機は、あらかた殲滅した筈だ」
「赤軍の来襲回数は減り、一回に数機だけ」
「そろそろ反撃の作戦を練ろうかと」
「新状況にひっくり返された」
「なんだ、このボ09は!」
「「卑怯な!」」
その日の朝、突如、敵赤軍は大規模空襲を敢行した。
根室、標津、釧路、帯広にまで渡る十数か所が、数百機にのぼる航空機による空襲を同時に受けた。敵爆撃機は護衛の戦闘機を随伴していて、奇襲となる。北部防衛軍の迎撃は失敗に終わった。
その日だけで延べ900機に及ぶ敵の空襲は、単発機によるものだった。
赤軍は空母数隻を基幹とする艦隊を投入し、艦載機による大規模な空襲を実行したのだ。もちろん、北部防衛軍はまったく予想していなかった。
演習の範囲外、いや陸軍の範疇外であろう。
そして、ついに軍都室蘭が空襲を受け、室蘭の製鉄所と周辺の軍需工場は壊滅的な被害を被った。つまり、北海道の防衛は失敗である。
北海道、釧路国支庁、阿寒川西方。
それは突然起きた。だから、小隊員のほとんどが納得できない。不平不満は上官に向けられる。当然のことだ。
「何もやることがないのでありますか?」
「ない」
「食って寝るだけなのですか?」
「ああ。食ったなら寝ろ」
「「はあ?」」
大川曹長は見かねて、一人を選ぶ。
「こらー、小隊長ドノに失礼だぞ」
びびびび~んん。
「ひっ。大藪一等兵は寝るであります!」
「それでよし」
大山小隊長は、それをぼんやりと眺めながら、これまでの経過を振り返る。
青軍は防衛戦を有利に進めていた。
赤軍の来襲回数は減り、一回の機数も10機を割るようになっていた。特設第6監視小隊は余裕を持って対応できていたし、実験隊もしかるべき成果をあげているらしい。そろそろ反撃の段階ではないか。
第3航空師団は重爆撃機を持たないから、赤軍に占領された北千島の敵飛行場に出撃できない。しかし、海軍の基地航空隊がいるし、なにより、聨合艦隊がいるではないか。航空撃滅戦のあとに逆上陸だ。小隊各員の意気は上がる。
北の森の中で数回の爆発があったのは、早朝だった。
その日、戦闘は様相が一変した。まず、無線が通じない。発信はしているらしいが、応答がなかった。味方の迎撃機は一機も上がらない。周波数を変えて傍受してみると、通信は混乱していた。なにか、突発事態が起きたらしい。
大山少尉は大沢中尉に相談して、近くの駅に設けられた民間連隊の指揮所に伝令を出す。しかし、伝令が帰ってきたのは夕方だった。指揮所が山のほうに移動していたからだ。その伝令は判定結果を持ち帰った。全滅を知ったのはその時だ。
無線を発することのできない第6小隊は、しかし、発信を止めただけで監視や聴音は継続していた。実験隊の大沢中尉の判断だ。それで、演習の進行が判断できるらしい。翌朝、傍受した結果をまとめて中尉は説明してくれた。
赤軍航空隊の総力をあげた一斉空爆に対して、北部防衛司令部の迎撃機は数で対抗できなかった。釧路沖で取りこぼした爆撃機は3桁に達した。そのうちの50機が釧路市周辺に爆撃を敢行し、一帯は壊滅的な損害を受けた。その爆撃に特設第6監視小隊は巻き込まれたらしい。
兎に角、小隊の面々はくさっている。
小隊は全滅したと、そう判定されたのだ。演習で全滅の判定を受けると、上位組織と連絡することが許されない。上位機関も、なにもしてやることは出来ない。存在しないことになるのだ。
大川曹長が寄って来た。いやな予感がする。
「小隊長どの」
「なんだ」
「いえね。実験部隊の中尉殿はなにやら無線機をいじってますがね」
「知らん。わしは少尉だ」
「はいはい。ですが、話を聞くくらいは許されるのではないですか」
「それはそうだが」
大山は兵隊からたたき上げの少尉であるから、兵たちの気持ちはよくわかる。そして、兵隊や下士官が何を自分に期待しているかも知っていた。
「大川曹長、一緒に来るか」
「いや、自分は下士でありますから・・」
「そうか?」
大山にはわかる。大川は背中に兵たちの視線を受けていた。大川曹長とて、兵たちの期待は受けているのだ。ある意味で、大山に対するそれより大きいかもしれない。
「・・えと。お伴させてください」
「いいとも」
大山は大川に向けて、歯を出して笑って見せた。大川の顔は、途端に渋くなった。
大沢中尉は、大山少尉の話を聞いた後、しばらく無言だった。じっと大山の顔を見つめている。長い。大山は、尻の辺りに汗をかくのを感じた。
ようやく、大沢中尉が口を開く。
「どうも、大山少尉の言うことはよくわからないな」
「ですから」
「まあ、待て。知っているか?」
「はあ」
「過去に帝国は外敵から爆撃されたことがある」
「えっ」
初耳だ。
「ほとんどの国民は知らないし、軍人も忘れているが」
「・・・」
「支那事変が始まってまもなくだ。昭和13年2月には台湾、5月には宮崎と熊本が、支那空軍機で爆撃されている」
「ええ」
「陸海軍が帝国防空の分担を決めたのは大正12年だ。防空法が制定されたのは昭和12年」
「はい」
「陸軍が電波警戒機の開発に着手したのは昭和11年だ。英独に遅れること、わずか2年なのだが」
「・・・」
大山少尉は大川曹長と顔を見合わせる。
(どうも、大沢中尉は思った以上の人物らしい)
(いや、それは。しかし、兵たちが)
(お前が言ってみるか)
(いや、それは。しかし・・)
大沢中尉は、話を続けている。
「それでな。百数十メートルの塔が防衛の要となるのだ」
「え」
「聞いておったのか?」
「は、はぃっ」
「そう。こう、四方を囲むようにな・・」
「「・・・」」
いつしか、特設小隊の全員が大沢中尉を取り囲んで、熱心に聞いていた。兵たちの関心は中尉に移ったようだ。
とりあえず、大山少尉はほっとした。
北海道、釧路国支庁、阿寒岳山麓。
松山少尉と宮元曹長は、阿寒白糠民間連隊の連隊本部にあった。
当初は大楽毛駅内に設営されていた連隊本部は、連隊長の寺岡大佐の判断で北方の阿寒岳の山麓に移設された。ここは北海道農事会社の開拓村の1つで、何のことはない、寺岡大佐ほか第1小隊員の居所だった。
「えええ。許されるのですか?」
「許すも許されないも、連隊長の決心だ」
「はっ。しかし、その・・」
「曹長は不服か?」
「とんでもない!」
「え」
「すぐに仕事に入れますよ」
「あ。ああ、そっちか」
宮元曹長は列車乗客の10人の予備役・後備役甲をあずかって、一般避難民、すなわち開拓村の老人子女と列車乗客の保護にあたっている。早い話が、避難所の警備員である。避難所は連隊本部のすぐ傍に設営された。連隊長の決心である。
巡察に来た松山少尉と話しはじめると、部下の伍長が口をはさむ。
「しかし、連隊長の決心で、連隊は全滅を逃れました」
「こ、こら」
「それは事実だなぁ」
「し、少尉」
「参謀少佐どのによると、ほんの5分」
「うむ、まあ」
「寺岡大佐は、釧路師団長なのです」
「伍長、それは」
「まあまあ」
伍長は釧路市内の郵便局長で、出張からの帰路に列車に乗り合わせた。
郵便局長といえば、地方の名士であり有力者だ。国から武装も許されており、拳銃どころか、北海道では猟銃も持つ。宮元の民俗学の現地調査では、まず第一に接触すべき相手だった。無碍にはできない。
大楽毛駅内に本部を開設した寺岡大佐は、釧路連隊区司令部と連絡を密にしていた。連隊区司令部は、通常は連隊司令部と同義であるが、釧路連隊区には連隊がいない。釧路連隊はなく、実態は旭川第7師団の兵事事務所と化していた。人口が少なく面積が広い北海道では、師団主力である3個連隊を分駐させるのは不利と判断されていたのだ。
釧路連隊区は、根室から北見・帯広と道東のほとんどを区域とするが、阿寒白糠民間連隊は、釧路周辺が管轄である。連隊といっても3個大隊基幹ではなく、3個中隊基幹だ。それは、民間連隊の任務が戦闘ではなく、後方警備だからだ。
前線の正規戦闘部隊が機能していることを前提に、後方の民間治安、秩序の維持、避難・疎開・隠遁の速やかな手配が任務である。そのために、所轄の民間人を会社や自治会・郷村単位で指揮する。敵の第五列を捜索することもあるが、荒事は前提ではない。
「ここだけの話、民間大隊でよかったのでは」
「うん、そうだ」
「では?」
「後方警備の後にも任務があり、それは大隊規模ではできないんだ」
「「ええっ」」
「つまり、敵上陸後だな」
「そうなのですか!」
「後方警備は土地勘が必要だし、人数は要らない」
「はい」
「だから広域は無理だし、大隊でもいい」
「すると、連帯規模の人数が必要な任務とは?」
「戦闘だ」
「えっ」
「予備役や後備役甲だけでなく、成人男子全員規模の動員となると」
「はあ」
「それはまさか」
「そう、国防の最終段階だな」
「「えええ!」」
埼玉県、所沢。東部防衛司令部。
東部防衛司令官の田中中将は、土肥原大将に乗っ取られた指揮室の片隅で、固唾を呑みながら一挙一動を注視していた。
北部防衛軍司令部で起こった混乱は、防衛総軍司令部にも波及するかに見えた。防衛総軍司令部まで混乱するようなら、東部防衛司令部にもお呼びがかかるかも知れない。そう思うと、指揮室を離れることはできなかった。
今も、土肥原が副官に問いかけているところだ。
「どうだ」
「はい、ぼちぼちですね」
「そうか」
副官の山内中尉が答えると、土肥原は連れてきたほかの参謀たちを見る。
教育総監部の参謀たちは一様に頷く。
「頃合だと思います」
「よし」
「では」
田中中将はいやな予感がする。状況ボ09を発令した時と同じだ。また大混乱を起こすのか。
しかし、参謀らは指揮室の黒板を土肥原大将の正面に寄せると、何やら書き始める。
「あの後、情報の氾濫が一気に起こった」
「それが目的ですから」
「通信の脆弱さが一気に出た」
「何をどこに伝えるか」
「最重要の情報が伝わらない」
「時系列は無理ですな」
土肥原大将はすぐに指示を出す。
「詳細はあとだ、まずは課題だけを羅列しておけ」
「「はっ」」
「検討と解決は安達が帰京してからになる」
「「はっ」」
「安達本部長は今夜にでも?」
「今夜は可哀相だ。打ち上げも慰労もあろう」
「へえ」
「あれ」
板書された課題を帳面に写すのに必死のはずの山内禄雄中尉は、しかし余裕綽々である。
「副官、いいのか。すぐに消して出るぞ」
「あっ。写真機を持ってきました」
「なに、カメラ?」
「はい。最後にバシャで完璧です」
「ふん、楽を覚えおって」
「えへへ」
「今に痛い目にあうぞ」
参謀たちの課題抽出が終わったと見て、禄雄は立ち上がり、写真機を構える。
「あれ」
「ん」
「何か足りませんねぇ」
「うむ、もう一つ二つあったはずだが」
そこへ、もう一人の参謀が入ってきた。
「総監、いや統監。北海道から至急電です」
「おう」
「本部長からですか?」
「いや、民間連隊長の寺岡大佐からだ」
「「??」」
「あの空襲を逃れおったか。聡いやつだ」
「「・・・」」
「寺岡め。もう解決しおった」
「「えっ?」」
「参謀、これも加えてくれ」
「はっ」
電報を渡された参謀は、黒板に新しい課題を書き付けた。
『兵站思想』
『浸透戦術』
「「・・・」」
黙って考え込む参謀たちの後ろで、土肥原は呟く。
「独断専行か、寺岡が言うとはな」
「「え?」」
「永田が一目置いただけのことはある」
「「えええ?」」
阿寒白糠民間連隊長の寺岡大佐と土肥原大将は、陸士16期の同期だった。
「さあ、お叱りを受けに行くぞ。副官!」
「はっ。車と護衛はすでに」
「全員!首を洗え!」
「「はっ」」
(え!)
東部防衛軍司令官の田中静壱中将は、あっ気にとられた。
土肥原大将をはじめ、参謀・副官の全員が腰から手拭を出すと、首の廻りをごしごしと擦り始めたのだ。田中には訳がわからない。
「邪魔したな、田中」
「は、はあ。土肥原さん、ご武運を」
「それは不敬だろ」
「ひっ」
副官と参謀たちが板書やほかの痕跡を消しているのを見ながら、土肥原は田中に告げる。
「大丈夫だ」
「ほっ」
「お前も一味だからな」
「えっ。え、えっ!」
田中中将が防衛総軍特別演習の終了を知ったのは、その1時間後だった。田中は、とりあえず風呂を浴びることにした。
 




