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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第2章 昭和17年3月
24/59

6 防特演(3) 要素


北海道、釧路国支庁。根室本線。


阿寒川を渡った後、宮元と松山の乗った列車は駅に停車したままだった。もう、ずいぶん経つのではないか。駅名は大楽毛と書いて『おたのしけ』と読むらしい。もちろん漢字は当て字で、アイヌ語の地名が元である。そういえば、釧路も元のアイヌ語は『クスリ』である。


今日は陽光が輝くいい日和だったが、まもなく日没である。乗客も、そろそろ不安になってきていた。釧路は次の次の駅、まさか夜にはならないだろうが、なにしろ日が沈むと急に冷え込む。もう一回、駅でゆっくりと用便をすませた方がいいかもしれない。



様子を見に行った松山が戻ってきた。宮元の耳に口をつけて、囁く。


「先生、わかりました」

「はい」

「状況は、民防の与参です」

「え」


宮元は突然に符牒を聞かされて、目を白黒する。しばらく待った後、松山は即す。


「先生、駅長室を借りて着替えましょう」

「あ、そうで・・すね」

「早く行きましょう、先生」


目で合図を送ると、松山は荷物の大半を引き受けて列車を降りる。宮元は背嚢だけを背負うと、早足で後を追う。




与参とは、演習時に『特務に服している現役軍人』の行動を定めた陸軍の規程である。松山はもともと現役の陸軍少尉だ。渋沢子爵の直言が効いたのか、宮元もまた現役陸軍曹長となっていた。二人は軍服に着替える。宮元は、曹長の階級章をつけるのははじめてである。


「申告します、陸軍曹長、宮元常次であります」

「陸軍歩兵少尉、松山龍夫である。宮元曹長の申告を受ける」

「はっ。原隊は歩兵第8連隊であります。只今より少尉の指揮下に入ります」

「承知した。やれることからはじめよう」

「はっ」



松山は考えをまとめていた。


大楽毛駅は貨物も扱う一般駅である。周辺には炭鉱や製糸工場、付随する発電所があって、それぞれに通じる簡便鉄道もある。駅の規模は大きい。しかし、連隊区司令部のある釧路駅はすぐそこだ。ここで列車を止めたことには、なにかの意図があるのか。それとも。


いずれにしても、連隊区司令部に連絡することだ。松山少尉は、札幌の北部防衛軍司令部や旭川の第7師団司令部での講習を思い出す。松山と宮元の識別号は頭の中にあった。さて、駅長に電話を借りるか。待たせるのも悪い。大楽毛駅長はさっきから、机の脇に直立して二人のやり取りを見つめていた。







北海道、釧路国支庁。上空。


加山中尉は、愛機の2式複座戦闘機『屠龍戊』を操縦していた。


幸いに雲は少なく視界は良好で、二つの発動機も快調である。後の同乗席の武山曹長から、小隊4機の後続を視認していると報告があった。早朝の出撃から8時間も経ってない。それでも小隊全機が出撃できるのだから、上出来だ。加山は微笑む。


加山の小隊は、今朝も出撃していた。敵赤軍の大型機が警戒中隊に発見されたからである。敵機はその後、室蘭の方に回ったから、加山小隊は途中で引き返した。小隊の守備範囲は道東、釧路から根室の海岸線である。だが、出撃したからには戦闘整備が必要で、加山中尉は整備が終わるまで付き合う。毎度のことだ。



加山小隊が所属する第31飛行連隊は、北部防衛軍の主力である第3航空師団に属し、航空機の運用と戦闘整備を担当する。ほかに、中間整備の出来る二つの飛行場、後方整備の出来る航空補給廠があって、高射砲連隊も航空師団に付属していた。


(ま、そこまではいい)


加山は思う。異例なのは、師団には自動車化歩兵連隊や工兵大隊、さらに船舶機動大隊まで付属していることだった。東部、中部、西部防衛軍配下の第4、第5、第6航空師団もそうらしい。たしかに、警備や移動のほかにも、補給、連絡、救難を考えると、そういった部隊が付属するのは望ましい。



しかし、それは既存の陸軍師団ないし連隊で間に合うのではないか。北部防衛司令部の直轄とすればいい。なぜ、航空師団に陸上戦闘部隊を持つ必然があるのだ。例えば、北部管区の上空を監視し、国籍不明機の接近ないし侵入を発見するのは、第3航空情報連隊である。


今回の出撃も情報連隊からの警報をもとにしたもので、今朝もそうだった。その第3航空情報連隊は、防衛司令部の直轄であり、第3航空師団の隷下にはない。さらに、練成中の第3航空誘導連隊も、同じく防衛司令部直轄であった。


(今の所掌と編制は暫定的なものなのか)



航空情報連隊の任務は有人監視哨や電波警戒機を運用して、敵性航空機を発見し警報を発することである。それらの情報を、防衛司令部が判断して航空師団に出撃ないし迎撃命令を出す。航空誘導連隊は、最新の電波深信機と電波標定機を駆使して敵機の捕捉を継続し、出撃した迎撃機を誘導して会敵の実現を図る。


所掌とは、すなわち、発見-識別-判定-要撃の任務分担である。精度の違いはあるにしても、敵性機の所在は情報連隊でも誘導連隊でも捉えることが可能であり、放っておけば錯綜が起こり、混乱してしまう。そこで防衛司令部が介在して、出撃の要否を判定するのだ。



(防衛司令部の主導は重要だ)


同時に複数の敵性機が侵入した場合、どれを目標とするか、その判断は重大だ。情報連隊も誘導連隊も、探知自体は機械が自動的に行うが、その読取りや伝達は人が行う。人手には限りがあり、伝達は時間と回線を占有する。


要撃にあたる迎撃飛行戦隊の戦闘機も、滞空時間や装弾数には限りがある。整備や補給も必要であり、なにより搭乗員や整備員は無限に働けない。休憩や睡眠が不可欠だ。食事や用便もある。直交替制を検討しているが、実現には遠い。だから、目標の敵機は絞るべきだった。




「機長。感度低下、機首振りを求めます」


声は同乗席の武山曹長からだった。加山中尉は我に戻る。


「了解。右に振る。前の波高はわかるな?」

「目盛19でした。今は15」

「よし。右10度まで振る」

「15、15、16。あ、21。20、17、14」

「ここか。よし、3度もどして水平にする」

「よろしく願います。ああ、22、23、最高感度です」

「進路を固定する。記録せよ」

「了解です」



武山曹長は、日蔽いの着いたブラウン管を覗いていた。発光したブラウン管の表面は濃灰色で、表示される波形は緑色をおびた白だ。武山は、二つの小さい転把を操作して、背景色をより暗く、波形をより明るくなるように調整する。


その表示は、屠龍戊が搭載するタキ1型丙電波深信機が発した電波の反射波であった。横に距離の遠近、縦に反射波の強弱が表示される。すなわちAスコープである。電波の受発信アンテナは機体と主翼に固定されてあるから、方向は、常に屠龍戊の機首の正面となる。



屠龍はもちろん、ほとんどの航空機は水平を保ったままの変針はできない。だから、変針後の最初の最高値は傾いた機体が捉えたものだ。受発信はアンテナの向きに依存し機体の傾きは関係ない筈である。しかし、傾いた電波深信機が所定の機能を発揮できるのか、それは二人の疑問だった。


だから、加山中尉は愛機の進路を微かに変え、いちいち水平をとる。そして武山曹長の報告を聞く。真正面に敵機を捉えたようだ。これからは、方向や距離より、敵機の高度と隊形が重要になる。もう、小隊各機、4機の鍾馗2の出番だ。加山は愛機を傾けて滑らせ、進路を空ける。



爆音を残して、眼下を鍾馗2が通過して行く。


ぐぅぉぉおおおーんん。おおぉぉーん。


その時、機体の揺れと同時に、加山中尉は腹に響く振動を感じていた。







北海道、釧路国支庁。根室本線、大楽毛駅。


松山陸軍少尉は驚嘆していた。連隊区司令部に電話してから、状況はめまぐるしく変っていく。はじめは、所在確認と任務確認の後に、待機または復帰で終了と思っていた。しかし、今回の防特演は徹底したものらしく、実戦に即した状況が次々と設定される。もはや、演習と高をくくることはできない。



電話を終えて10分間で、連隊区司令部の指示は達成されていた。


駅の一室を借りて指揮所を開設した。駅長と同行して、一般駅に設置される武器庫の中身を確かめる。38式小銃10丁に実包が600発、30年式銃剣が20振りあった。ほかに97式手榴弾が30発と指揮刀が一振り、軽機と擲弾筒はない。


一方で、宮元曹長に命じて停車中の列車の乗客から予備役、後備役の名簿を作成させる。列車内にいた予備役兵は7名で、その内1名が兵長だった。後備役甲は3名で、伍長が1名いた。1個分隊は編成できそうだ。松山は、宮元曹長に命じて、彼らに武器庫の銃の点検と手入れをさせる。実包は封印のままで、開けさせない。


昨年秋に制定された国籍法準備法案とその関連法規によって、国民の権利は伸長された。そして、義務もまた伴う。国民防衛法では、戦時、平時、演習時、それぞれの場合の国民の行動を規定していた。もとより、国家総動員法は現に施行中である。


(さて、他の乗客はどうするか?)


釧路市内から20kmは離れているとはいえ、上空からは指呼の距離だ。連隊区司令部は、敵赤軍の上陸を想定しているらしい。であるならば、壮丁男子を徴発した残りの老幼女子の乗客は避難させるべきだろう。こんな大規模の駅では目だってしょうがない。つまり、敵赤軍の爆撃目標になり得るということだ。



20分が経って、状況は錯綜して来る。宮元曹長が指揮所に飛び込んで来たのだ。


「報告します。寺岡予備役大佐が率いる阿寒白糠民間連隊の第1小隊が到着しました」

「え」

「民間連隊です。その・・」

「あ、承知した。兵力は?」

「26名全員が予備役。大佐、大尉、中尉が各1名。軍曹1名、兵長2名、一等兵20名であります」

「ええ」


「持参武器は、拳銃4丁、小銃2丁、猟銃3丁、長弓1振りに槍6振りであります」

「や、槍?」

「失念しました。軍刀と太刀も2振りずつであります」

「はあ」

「あっ。小隊は、自動貨車2台、農事用牽引車1台を有します」

「すごいな」


まるで連隊本部みたいな編成だが、武器は滅茶苦茶だ。しかし、上級者がいるのは有り難い、それも三人である。そろそろ逃げ出したくなっていたのは事実だ。地元の民間連隊なら土地勘がある筈で、列車乗客の避難先も考えがあるだろう。松山は、士官3名の招致を命じた。



30分後。


もの凄い爆音を轟かせて97式側車付自動二輪車が駅舎の中まで乗り込んできた。連隊区司令部から急派された憲兵下士官と将校だった。97式は、旧式の93式と違って、自動二輪の後輪に加えて側車の車輪も駆動輪だ。つまり二輪駆動式側車である。前輪の外側にも橇がつけてあった。


雪と泥に汚れた軍装を気にもせず、二人は指揮所に駆け込む。


「陸軍法務中尉、谷岡謹平であります」

「陸軍憲兵伍長、大岡泰雄であります」

「ご苦労さま。陸軍予備役大佐寺岡です。まずは、法を執行願います」

「「はっ」」


谷岡と大岡は、寺岡大佐以下の小隊各員に予備役召集を執行する。指揮所の机を借りて召集令状を発行し、各員が淡々と受領書に捺印、または署名する。阿寒白糠第1小隊の全員が終わった。残るは、列車乗客の10名である。



「谷岡中尉、よろしいですか」

「はっ。寺岡大佐。何でありましょうか?」

「列車乗客のことですが」

「はい」


寺岡と谷岡は協議を始める。呼ばれて、松山も加わった。







大日本帝国、北海道、札幌市郊外。北部防衛司令部。


2階の指揮所の一室に設けられた演習統裁官室で、教育総監部本部長の安達二十三中将は防特演の進行を統裁していた。部屋には参謀と要員で20数名、その他に警護の憲兵が6人いる。統裁官室だけでなく、階下の通信室と行き来する伝令にも警護がつくのだ。


統裁班は状況と審判を発令する。審判班は主に戦闘の解決を行うが、統監の要求により青軍の実働に介入することもある。さっきも、迎撃戦隊の稼働率でサイコロを振ったばかりだ。サイコロは六のぞろ目だったから、実働のまま加減はなかった。記録班は文字通り、演習の進行を余すところなく記録する。



「なんとか息が出来るようになったな」

「はっ。外国武官が半分以上引き揚げましたから」

「おかげで使える部屋も増えた」

「もともと地下ですから息苦しい」

「そう。酸素が増えたかな」

「「あっはっは」」


部屋の隅には航空部隊用の酸素瓶が50本ほど置かれていた。



「しかし、何が起きたのでしょう?」

「さて」

「緊急帰還したのは、英米ソ独伊洪羅中です」

「思うに、鍵は中国だな」

「はい。場所は支那で、欧州大戦へ波及する案件・・」

「うむ。樋口さんの管轄だな」


8ヶ国の武官たちは、大使館からの緊急命令だと東京へ帰っていった。演習中の逼迫した中で、司令部はなんとか輸送機を仕立てた。残ったのは、フィンランド、満洲、仏印、トルコ、アルゼンチンの5ヶ国の武官である。安達中将でなくとも何かあると感じる面子だ。その5ヶ国は、重光外相が重点的に接触している国々なのだ。


(なるほど。だから、明日の予定がああなったのか)




そこへ、通信室から伝令が戻ってきた。新たな状況が発効されたらしい。統裁班の参謀が受領書に署名して受け取る。安達統裁官は、渡された通信の封を切る。


「えっ」

「「ええっ」」

「・・・」

「「・・・」」


しばらくの間、安達中将は通信紙を見つめたままだった。顔色が蒼白に変わっていく。


「と、統裁官」

「・・・」

「あ、安達中将」

「ん。総監に電話だ。繋げ!」

「はっ。安達統裁官より土肥原統監へ電話、至急」

「はいっ」



電話が繋がる間、安達は考える。


敵赤軍は千島の北半分に奇襲上陸、占領する。その後、飛行場を急速設営すると、航空部隊が飛来する。赤軍は海空で活発に行動し、それは道東への上陸を企図していると判断される。しかし、青軍司令部は北海道上空の制空権を保ち続け、防衛陣地や軍事・兵站拠点への爆撃を許さない。


それが、ここまでの進行であった。そろそろ赤軍は方針転換するのではないか。北海道の戦略拠点に爆撃を実行しながら、戦術的な間隙を窺う。隙が発見されたら、すぐにも上陸戦が開始されるのだろう。危うい状況ではありながら、青軍は防衛に成功しつつあった。


(しかし、この状況が発令されれば、一変する)




演習統監の土肥原総監は、東京の教育総監室から状況を発している筈である。しかし、電話が繋がるのには、思ったより長くかかった。


「土肥原だ」

「安達です」

「うむ、どうした」

「ボ09を受領しました」

「そうか、やれ」

「総監、これは無茶です」

「なにを言うか。やれ」


安達の声は悲痛で、背後に控える統裁参謀たちも蒼白である。ボ09は、順調に進行する演習に、混乱を起こせと命じていた。



「事故が起こります」

「それも戦訓だろう」

「しかし、死人が出るかも知れません」

「数人の犠牲で、いざという時に兵隊数十人が助かる」

「ですが」

「北部防衛司令部は万全を期している筈だ」

「総監、お願いします」

「だめだ。安達本部長、考えてもみろ」

「はっ」

「一人の兵隊の後ろに何人の国民がいるのだ」

「うっ」

「答えろ、安達中将」


「一人の兵隊の後ろには二百人の国民がおります」

「そうだ。ならば、二百人を救うために一人を殺せ」

「くっ」

「兵隊は喜んで死ぬだろう」

「はい」

「わしら将官だけが命令できる」

「その通りです」

「やれ。務めを果たせ」

「わかりしました」

「復唱!」

「安達統裁官は状況ボ09を発令します!」



土肥原教育総監は、静かに言う。


「それでよい」

「・・」

「安達本部長」

「はっ」

「わしらは演習をやっているのではない」

「はっ」

「国防をやっているのだ」

「そうです!」


受話器を置いた安達二十三中将の顔は紅潮していた。





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