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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第2章 昭和17年3月
21/59

4 防特演(2) 前哨



大日本帝国、北海道、札幌市郊外。北部防衛司令部。


防特演開始1時間後、状況が送られて来た。


『初期条件、

・われは青軍。敵は赤軍、

・赤軍は長距離重爆撃機をもつ。詳細は別紙、

・赤軍の水陸両用軍は海軍艦艇と陸軍上陸部隊からなる。詳細は別紙、

・要するに、別紙要目二、四、六、九、十一の各項のとおり』


参謀たちは大急ぎで密封指令書の封をあけ、指定要目を吟味する。要目の指定にしたがって、壁の地図上に墨が入れられた。同時に、兵棋のいくつかが除去される。つまり、そこは敵勢力下にあり、部隊は使えない。ありていに言えば、基地は占領されて部隊は壊滅したということである。



「「ああーっ」」


千島列島のうち、北得撫水道から北の島々が墨で塗りつぶされる。新知島までは敵占領下であり、制空権も取られて偵察もできないということらしい。樺太も豊原以北が塗り潰された。海上には、ちらほらと赤い兵棋が現われた。赤軍の航空機か艦艇であろう。


「なかなかやりますね」

「え?」

「たいしたものです」


英国武官が、ソ連武官を誉める。だれが考えても、北海道へ侵攻するのはソ連だろう。どう見ても、樺太は北から攻められているのだ。地上から侵攻するならソ連領からしかない。それに、ソ連軍は赤軍なのだ。


しかし、米国武官は考え込んでいた。


(長距離爆撃機と水陸両用戦部隊だと)

(ひょっとして、わが国か)

(それとも、わが国とソ連の協同軍?)




また、ブザーが鳴った。今度は赤電灯だから警告情報だ。指令所の喧騒が一際大きくなる。立ち上がって叫んでいる者も多い。隣の指揮室では言い争いが始まったようだ。


「えらい騒ぎですね」

「赤灯だから、やばい事だろうな」

「例えば?」

「北海道は孤立したとか」

「「・・・」」


今度は、じりりりりんとベルが鳴った。電灯は白である。

じじ。スピーカーが入った。


『北部防衛司令官である。次の状況は1時間後』

『現状を完全に把握し、対策を複数立てておくこと』

『30分後に対応策を検討し、決心する。以上』


防特演の実施要綱では、演習開始の最初の1時間が部隊呼集と掌握確認で、続く1時間が初期状況の設定と理解となっていた。つまり、次に状況が動くのは1時間後だ。そして、それからが演習本番である。



「平時から戦時への移行演習じゃないんですね」

「うむ。戦時体制での演習だな」

「前線は迫ってます。かなり変則的な演習だ」

「ふむ。単純な本土爆撃や局地侵入ではない」

「橋頭堡を確保されてからの、本格上陸侵攻か」

「「・・・」」


「では、ランチをいただこうか」

「「そうしましょう」」


観戦室の隅のテーブルには、昼食が配られていた。メニューは、ツナと野菜のサンドイッチに、チキンスープ。チーズとクラッカーもあった。そして、紅茶のポットの奥には、ワインも置かれている。






北海道、十勝平野。根室本線。


宮元常次と松山龍夫を乗せた列車は、狩勝峠を越えて東へ進んでいた。根室本線である。日高山脈を下り、十勝平野を横切る。中央の帯広を過ぎると、十勝川に平行して太平洋に向かう。十勝川河口からは、海岸線に沿って釧路から根室へと続く。



札幌の北海道拓殖実習場では、一週間の講義を受けた。宮元の希望で、農具や機械の実習もさせてもらった。旭川の第7師団駐屯地では、道内や樺太、千島の軍事状況の説明を聞き、冬装備の支給も受ける。函館-札幌-旭川と、比較的に設備の整った街を行き来して、身体を北海道の冬に慣らす。大学や博物館にも通って、先人の研究を復習した。


二人の任務は、2つあった。ひとつは、アイヌ以前の住民の痕跡を探し、その生活を再現すること。ふたつは、本州からの移住者の生活の民俗調査である。先行する金田一らの研究の追試をおこない、続くべき研究の先鞭をつける。アイヌ人の学術調査は先例があったが、和人、日本人の生活の研究はなかった。



政府は、50年で北海道の人口800万を目指している。単に移住者や開拓民の待遇準備だけでなく、その将来、2代目、3代目の姿も見据えた政策を検討していた。そこで、宮元の交渉力をアイヌ人との間で発揮させたいらしい。


他にも陸軍省から請け負った任務があった。調査の中心は釧路から根室となるだろう。二人は、このまま終着駅の根室まで行って土地勘を養う。それから釧路に戻って、フィールドワークを開始する。まずは、釧路の西・北・東の3箇所を選定していた。




狩勝峠は石狩川水系と十勝川水系の分水嶺で、日本海側と太平洋側の境ともされた。この先は、最も開拓の遅れている道東である。北海道の真冬は、雪、雪、雪。隧道を出ると十勝平野が一望にできたが、やはり白一色であった。


雪のないところは黒だ。針葉樹の葉に雪は残らない、葉がある潅木もそうだ。荒蕪地には雪が積もるが、草原の雪が消えるのは早い。すなわち、白と黒の世界である。


(どうしてだろう?)


ひょっとして、植物は温かいのではないかと松山は思ったが、笑われるのが怖いので言わない。




大陸の満州や支那と違って、北海道は島だから青空も出る。が、やはり曇天は多い。薄暗い雲に覆われた雪の大地を、根室本線は進む。白銀の世界は、日が差さなければ、灰色の世界だ。冬の日照時間は短い。人々は、夏に騒ぐためにか、冬は寡黙だった。



「先生、北海道ではアイヌが先住民ですが」

「そうとは限りませんよ、松山君」

「えっ、アイヌより先に人がいたのですか?」

「話は長いですが」

「どうせ、景色は白一色です」

「それでも楽しいかどうか」

「先生、お願いします」


周りの乗客たちが聞き耳を立てていた。

これでは、滅多なことは言えないな。宮元は気を引き締める。


「日本で、最初にアイヌが書かれたのは日本書記です」

「古いですね」

「蝦夷と書いて、エミシとかエゾとか読みます」

「はい」

「恵比寿は恵比須であり、また夷であって、蛭子でもある」

「ひっ」

「白子信仰と白山信仰は無関係ではない」

「白子、白人ですか」



アイヌは白人、コーカソイドとされていた。アイヌ人白人説を唱えたのは、明治初期にアイヌを観察した欧米の学者たちである。そして、金田一京助もアイヌ白人説をとった。


しかし、民俗学の大先輩の説を宮元はあっさりと否定する。


「間違いですね」

「ええっ」

「多過ぎます。そんな大勢の白人が来れる筈がない」

「はあ」

「それに、ロシア自身が言っています」

「なんとですか?」

「シベリアでコーカソイドは発見されてないと」

「・・・」


「しかし、それでは」

「思うに、モンゴロイドは一種類ではない」

「えええ!」

「新旧の二種類あるかと」

「先生、それは」

「黄色いモンゴロイドと白いモンゴロイド」

「まさか」

「冗談です、まだ」

「え、新説じゃないのですか?」

「まあ、酒も飲んでますし」

「・・・」


陸軍病院での碧素点滴は、覿面に効いた。しかし、その後、宮元は酒を飲むようになり、たまに煙草も吸う。どうやら、何かが吹っ切れたらしい。







北海道、釧路支庁。


釧路市街の西方約30km、阿寒川と釧路湿原を東に見渡す台地に、特設第6監視小隊は布陣していた。小隊は、あたり4km四方を立入禁止として、90式大空中聴音機を運用する。



第6小隊が属する第31情報中隊は、第3航空情報連隊の指揮の下、上空を目視で監視するのが任務である。中隊の監視正面は100km、摩周湖を中心として北東、南西へ伸びる山陵の上に、5つの監視小隊が分哨を設けて、警戒にあたっている。


だから、第6小隊だけが、平地に突出していることになる。目視での監視なら高いところが有利であるが、聴音機を運用するには広さが必要だ。なにしろ機械は大きいし高さもある。自動車で牽引するので平坦地が便利だ。



特設とは、なにも埃を被った古い兵器を出してきたからではない。新兵器を研究する実験隊を伴っているからである。実験隊は、いやがる聴音員を無視して、レシーバーを改造し電線を取り付けた。他にも、楽器のチューバを大きくしたような集音装置のあちこちに、ごてごてと器械を取り付ける。


小隊長の大山少尉は、気が気でない。もともと目視監視を任務とする情報中隊では、聴音機を扱うことはない。大山も座学では習ったが、実際に見るのははじめてだ。90式大空中聴音機も要員も、高射砲連隊からの借り物である。なにかあれば、自分や中隊長どころか、連隊長まで及ぶ。


それに、と大山は思う。大きな喇叭である集音装置は、薄い金属板であるから、共振や反響が変わるかもしれない。チューバが音痴になったらどうするのだ。ほかにも、聴音員のレシーバにつけた電線が逆流すれば、聴音員の耳元で大音響を出すかもしれない。レシーバはスピーカーと同じ構造なのだ。ああ。



「なにか、間が抜けておりますな」

「なにがだ。大川曹長」

「なにがって、聴音員の耳から音をもらうのでしょう」

「ふむ、そうなるかな」

「なぜ、直接に集音装置に繋がないのですか」

「おっ」

「転把だって、要員に廻させずに電動機を使えばよろしい」


大川曹長も中隊本部から来ている。特設監視小隊は、大山と大川を除くと、高射砲中隊付属の聴音分隊そのものである。二人は、第31情報中隊の指揮序列を確立するために中隊本部から出されたのだ。実験隊は陸軍航空技術研究所の軍属らしかったが、航技中尉が一人ついており、なにかとやり難い。


「きゅうまるしきはな、あれで完成された兵器らしい」

「90式って、12年も前ですよ」

「電動機やなにやら改造するほうが手間だそうだ」

「手間を惜しむのですか」

「減速の歯車やらで、かえって重くなるらしい」

「・・・」


曹長はまだぶつぶつと呟いているが、さすがに大声は出さない。なにしろ、聴音部隊だ。気晴らしに周囲の警戒にでも行かせるかと、大山は思ったが、まもなく演習開始だ。準備は万全なのかと聴音機を見れば、北を向いていた。阿寒岳は1400mほどある。あれで、音を拾えるのか。




大山少尉の思考は、思わぬ声音で中断させられた。


「聴音機は古い技術だが、まだ使える!」

「「えっ」」

「知っておるか。独逸の本土防空では大活躍だそうだ」


気がつくと、実験隊を率いる大沢中尉が傍にいた。大川曹長も振り向く。


「90式大空中聴音機の最大聴音距離は10kmだ」

「「はっ」」

「高射砲には十分だが、空中邀撃には大いに不足だ」

「「・・・」」

「わかるか?」

(わかる)



第3航空師団の主力迎撃機は2式単座戦闘機『鍾馗』だ。敵機の侵入高度を5000mとした場合、鍾馗がその高度に達するのに5分近くかかる。新型の鍾馗2でも、まだ4分を切れない。敵爆撃機の巡航速度を350km毎時とするなら、鍾馗が迎撃高度に達するまでに、敵機は30km近く進んでいることになる。探知距離は遠いほどいい。


「その通りだ。どうやってその距離を稼ぐか、だな」

「電波警戒機ではないのですか?」

「うむ。新式なら数百kmの距離で探知できる。精度はまだ粗いが」

「もしや、その精度を上げるのに?」

「ほう、曹長はやるな。お見それした」

「えへへ」




陸軍の電波警戒機には、原理方式から旧式と新式の2系統があった。

旧式は超短波警戒機甲、上空に張った電波線を航空機が横切った時に探知する。ドップラー式とかいう原理で、陸軍が北陸と朝鮮に配備したのは2年前である。野戦移動型は支那事変にも送られた。


「その旧式だが、探知は電気的だけでなく音響でもできる」

「「えっ」」

「ドップラーというのは、もともと音響研究から発見されたのだ」

「へぇー」

「では、北の阿寒岳を向いているのは」

「なんだ、気づいておったのか」

「「・・・」」


電波警戒機を運用しているのは、第3航空情報連隊の警戒中隊だった。大山と大川は、普段は休めている頭を酷使して、中尉の言葉を理解しようと努める。なにか、言葉の裏に意味があるらしい。



「それからな」

「「は!」」

「探知距離を伸ばすには、性能や出力の他にも方法がある」

「「まさか」」

「何を言うか。情報中隊の任務は何だ!」

「目視で敵機を発見するにあります!」

「ふふ。ならば、なぜここにいる」

「それは、可能な限り前で敵を発見する・・」

「「ああっ!」」


「ようやく理解したか」

「「・・・」」

「探知距離が10kmで、邀撃に必要な距離が110kmならば」

「100km先で監視すればいい?」

「まさにそうなのだよ、少尉」

(ほっ)

「そして、半径10kmは確実に探知できるのだ、90式は」

「はっ」

「目視もそうなのだよ、曹長」

「は、はっ」

「100km奥の友軍基地に連絡できる手段があればいいのだ」

「そうなのでありますね」

「そうなのである!」




しゃきん。

大川曹長は、姿勢を正して、中尉に最敬礼する。

そして、聴音機に向かって歩く。近づくと号令をかける。


「姿勢そのまま。聞けーぇぇ」

「手空きの者は、空を見張れえぇ」

「気合を入れろぅ、始まるぞぉ」

「各自点呼、申告ぅ!」

「1番機手、班員の配置よし!」

「2番機手、垂直転把よし!」

「3番機手、・・」



大山少尉は、大沢中尉に敬礼した。どうやら、小隊に活を入れてくれたらしい。






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