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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第2章 昭和17年3月
20/59

3 内蒙古回廊



大日本帝国、帝都。某所。


東京府某所の料亭で、大臣たちの密会が行われていた。

集まったのは、賀屋蔵相、重光外相、山下陸相の三人。賀屋も重光も、居酒屋が好きなのだが、今日は酒を飲むのが目的ではない。景気の悪い話だから、秘密が保たれる場所でないとまずかった。


「とは言っても、やはり乾杯はしましょう」

「もちろんですとも。さ、陸相」

「お、おう」


熱燗をいただいて、湯葉の餡かけをつつく。ぽかぽかと温まってくる。

だが、山下大将はいきなり本題をついた。ま、辛気臭い話は早く終わらそうということだろう。



「次官から聞いたが、やはり不足ですか?」

「げふん、足りません」

「所詮、山師は山師か」

「いや、増田部隊のおかげで採鉱量は増えた」

「新しい鉱脈も見つかって、有望らしい」

「ただ、これ以上急ぐと、山が枯れるという」

「金だけではない。銅や他も同時に採れなくなる」

「そうですか。難しいものだ」

「鉱毒もあって、藤原商工相が増産には難色だ」

「細く長くか」


「国内経済は順調に回るということでしたが」

「うん、増刷と賃金調整で、まだ2年は大丈夫だ」

「食糧や日常品は、配給にも市場にも流れている」

「では何が?」

「輸入に使う正金だ」

「しかし、中国からの賠償金が」

「この調子で輸入を続けると、あと半年ほどか」

「え、それだけですか」

「即金ではなく、年賦だし」

「現物に換えた分も大きい」



「それで、陸相にお願いだが」

「増田部隊を海外派遣していただきたい」

「まさか、墓荒らしと海賊ですか」

「それは言いすぎだ。せいぜい宝探しだな」

「国内の貴金属は、あらかた回収し尽くした」

「米国大使館に預けて、ドルを借りている」

「が、流れれば、いずれ溶かされる」

「賀屋さんは今、華族を回っておられる」

「貴金属の次は、美術骨董なのだ」

「頭が下がります」

「なに、ご奉公だ。正倉院には手をつけたくない」

「そうです。お上の耳に入れば」

「「畏れ多いことです」」


「え号作戦の御裁可が下りました」

「うむ、そうか。よし」

「なにも将兵の命を売っている訳ではない」

「誤解しないでくれよ、陸相」

「もちろんです。これは陸軍から上げたもの」

「すまんな」

「七生報国です」

「うんうん」

「外相、ふ号作戦の終結も」

「おっ、それもあったな」

「2個師団の経費が浮きます」

「「ありがとう、陸相」」



「蔵相、中国からの現物賠償ですが」

「なにか、外相?」

「非公式に、阿片はどうかと言って来ました」

「なにをいまさら。もう販路もない、腐らすだけだ」

「甘粕が根こそぎ潰しましたから」

「だいたい、一番の市場は中国ではないか」

「違います。精製して欧米に売るのです」

「麻酔や鎮痛の製剤として」

「そういえば、欧州は大戦中だったな」

「「うふふ」」

「軍医部でも研究させましょう、その大量精製を」

「日本以外には売るなで交渉しますか」

「代替案は多いほど、いいですな」

「「あっはっは」」


「なんとか、首相に報告できそうだ」

「これだけの話は、次官にはできません」

「そうだとも」

「では、もうひとつ」

「熱いのをとりますか」






満洲帝国、新京市、関東軍総司令部。


総司令官公室で、梅津大将は満洲国皇帝の使者と面会していた。

使者は、溥儀陛下の直臣、工藤忠である。工藤は、皇帝親衛隊長にあたる侍衛処長を停年で降りて、今は宮内府顧問官であった。梅津と同じ明治15年の生まれだから、今年で60歳になる。



「熱河省とともに興安四省もですか」

「はい。それで総司令官のご意見を伺いたく」

「ご意見ねぇ」

「どうでしょうか」

「熱河はもともと蒙古の地ですからよろしいかと」

「はい。興安総省の方は」

「どちらかと言えば、蒙古でしょうね」

「やはり」

「満州族の故地は吉林から奉天とされています」

「ええ、では」

「しかし、満洲国防を考えると問題ですね」

「そこなのですよ、お聞きしたいのは」

「しかし、軍事なら御用掛の吉岡に」

「ああ、吉岡少将は甘粕理事長の方へ」

「は?」


陸軍少将の吉岡安直は、関東軍がつけたお目付け役で、皇帝御用掛だ。軍事なら、まず吉岡に聞くのが筋である。それが、軍人の吉岡が民間人の甘粕に会いに行き、わしには文官の工藤が会いに来る。ちょっと違うのではないか、と梅津は思う。



満洲帝国には、いま19の省があった。これを元に戻したいと工藤はいう。元とは、つまり、黒龍江省、吉林省、奉天省、興安省に熱河省の五つだろう。ま、それはかまわない。梅津の立場としては、満州国軍や興安軍の組織や関東州の扱いが関心だった。


地方行政の基礎である省区分が変われば、軍管区も変えなければならない。満州国軍は徴兵制であるから、これは大問題だ。また、興安軍とは蒙古騎兵であって、満州国軍の中核戦力である。ノモンハン事件や支那事変でも活躍した。満族や漢族の部隊と違って、興安軍の処遇は国防の根幹に関わる。



「工藤顧問官。やはり復辟ですか?」

「はい。皇帝陛下はもちろん、わたしの人生もです」

「蒙古聨合とはすでに?」

「徳王殿下とはおおよそ」

「ふむ」

「まずは、満蒙で清とします」

「真でも新でも、それはよろしいです」

「む」

「関東州は、どうなりますか」

「少し広げて租借地です」


「ふむ。あとは興安軍ですね」

「興安省が蒙古となれば、やはり」

「いや、それはまずいですぞ」

「対ソ連ですね」

「対ソ連と対モンゴルです」

「しかし、遊牧が主ですから」

「工藤さんが蒙古の代弁をされるのは理解しますが」

「恐縮です」

「対ソ国境は、国防そのものですぞ」

「はい」

「それに、定住でなければ、民籍はどうします」

「そこなのです」

「弱りましたなあ」

「恐縮です」




工藤が帰った後、梅津は思う。


なぜ、わしが弱ったり困ったりしないといけないのだ。帝国の権益のために、国境を守備する。司令官は、作戦の要求にしたがって決心するのではなかったのか。それを、満蒙の綱引きを斟酌したりとか。これでは、まるで政治家じゃないか。どうしてこうなった。


日支講和がなれば、中国国内から兵を退く。関東軍は満洲防衛に専念する。陸軍省も参謀本部もそう言った。米国とも和解するから、50個師団も必要ない。陸軍は近代化を図ってくれ。政府はそう言った。そうして、支那総軍は、駐蒙軍も引揚げて行った。



(それで済む訳がない)


蒋介石は内地18省で合意したので、その外に中国軍は出てこない。中共が跋扈する陜西省のすぐ北、内蒙古は空白となったのだ。それは、関東軍が埋めるしかない。北支方面軍隷下の駐蒙軍は、1個師団と1個混成旅団の兵力だったから、これは重い。さらに満蒙合同がなれば、さらに、関東軍の守備範囲は拡がるだろう。



(これでは、詐欺だ)


梅津は考える。中国を内地18省に封じ込めたのは、つまり、満蒙分離だ。河北省と北京周辺の中国軍兵力も制限した。それは、かつての関東軍の主張どおりで、すなわち帝国陸軍の勝利である。本当にそうなのか。なぜ、関東軍の、わしの負担だけが増えるのだ。




先月帰京した際に、東條首相の話は聞いた。そして、一応は納得した。帝国の将来には、日米関係の安定と共に、満洲周辺の安定も必要だ。尤もである。首相は満ソ国境要塞の増強予算を承知したし、第2航空師団への新式装備の優先配備も通った。


たしかに、東條は陸軍との約束を守っている。陸軍総意の近代化は、空軍の独立に昇華される。島嶼連隊と南方連隊は、陸軍と海軍との境界を変革するだろう。陸軍は、大陸進出をあきらめる代わりに、海軍の領域に侵出するのだ。


教育総監とも会った。海洋国日本の陸軍はどうあるべきか。東條なりに結論を出したのだと、土肥原は言う。この先、たとえ政争に敗れて陸軍が縮小されようと、空軍は残る。さらに、上陸戦力を持たない、艦艇だけの海軍は、日米戦で主導権を発揮できない。つまり、陸軍は帝国軍の主力であり続けるのだ。



(いーや。東條と土肥原の謀略だ)


そもそも、根本の原因は、彼奴らにあるのではないのか。内蒙古の軍事的空白や、華北と北京の不安定化には、既視感を覚えてならない。それは、土肥原と東條が、三分の計だと掻き回しているからではないのか。え号作戦のあとにも、まだ面倒が待っているような気がする。




(後始末をつけるのが、わしの宿命なのか)


梅津は、東京を発つ時に杉山大将が言った言葉を思い出した。


『大丈夫だ。梅津が前線にいる限り帝国は滅ばんよ』


つまり、次に内地に異動するのは、亡国の時なのか。

わしが陸軍の葬式を出すのか、ひょっとして。


(ひぃ、ぶるぶる。畏れ多い)








その夜。新京市。大和ホテル。


満洲映画協会理事長の甘粕正彦は、大和ホテルの自室に帰っていた。


洗面をすませて、新しい協和会服に着替える。部屋のバーからウィスキーを1本選ぶ。選んだのはホワイトホースで、グラスと共にテーブルに置く。グラスは4つ。サイドテーブルの上には、アイスペールをトレイごと置く。ホテルは一流であり、氷も水も、いつも交換と補充がされている。


甘粕はテーブルとソファの配置を確認し頷くと、ソファの1つに座る。静かにオンザロックを作る。背筋を伸ばして、作ったグラスを目の前に掲げると、深くあごを引く。一瞬、甘粕の両目が燃え、眉間の皺が深くなる。10年ほども若返ったかのように。

だが、グラスを飲み干した甘粕は、ふだんの穏やかな表情に戻っていた。



二杯目を作り、葉巻に火を点けて、氷が解けるのを待つ。二服、三服した頃、ドアの外に人が立った。こつんと一度だけ、ノックの音がする。


「理事長、比良です」

「どうぞ」

「失礼します、今晩は」

「うん」


比良と名乗った男は、仕立てのいい背広を着ていた。部屋に入ってくると、儀礼章をつけた甘粕に一礼する。ソファに座り、自分のグラスを作る。目の前に掲げると、一度、テーブルの中央に頭を下げ、飲み干した。そこにはハンカチが広げてあり、中に変形した拳銃弾が3つあった。



さらに二人の男が入室してきて、同じ仕草を繰り返す。それぞれ、本間、加茂と名乗った。室内の四人は、しばらく無言で、酒を飲み、煙草を吹かす。今日は、月命日であった。5ヶ月前のこの日、二人の要員が死んだ。弾丸は、遺体から取り出したものだった。


ホワイトホースの瓶が半分ほど空いた頃、甘粕が部屋の電話で氷の交換を頼む。ボーイはすぐに来て、ペールを交換し、真新しいナプキンを置くと出て行く。甘粕は、ようやく、ドアの鍵をかける。202号室は特等室であり、ふだんから警備は固い。来客か就寝の時以外に、鍵をかけることはあまりなかった。



甘粕は一人で話す。三人は無言だ。


「今日、皇帝御用掛の吉岡少将が、本社に来ました」

「すなわち、日本の意志は決まったということです」

「誠に残念ですが、日本は間もなく手を引く」

「昨年、二人の盟友を失くしましたが」

「その後で気づきました。別れを言っていなかったと」


三人は思う。何十年も前に国と陸軍に捨てられた。それを拾ってくれたのは、かつての上官である甘粕である。すでに墓まである者まで追って、見つけ出し、拾い上げた。おそらく、死んだ毛利や大塚もそうだったのだろう。もちろん、三人は国と陸軍を恨んでいたが、遠い昔になろうとしている。もはや、日本人でもない。



甘粕は続ける。


「大日本帝国には、綺麗な体で帰ってもらいます」

「満洲に残された暗部は、すべて始末します」

「これまでと同じように」

「わたしは、日本人としてこの国で働いてきた」

「その結果であるこの国を、わたしは愛したい」

「君たちはどうしますか?」


三人は思う。甘粕は、今、死にたいのではないかと。頂点の身で死にたいのではないか。そして、三人ともに、引導を渡すことができる。

((しかし、今なのか?))

いくばくかの未練もない訳ではない。けっして帰ることができない国だからこそ、三人なりの仕様があった。死は向こうから来るものだ。なにもこちらから出向くことはあるまい。

((大尉にお供するしかあるまい))



「比良君」

「理事長に従います」

「本間君」

「帰るところはありません。ご随意に」

「加茂君」

「なにを今さらです」

「わかりました」


「では、一緒に死んでもらいますよ」

「「「本望ですね」」」

「馬鹿だな、君たちは」

「部下を馬鹿と知って使う理事長は、もっと馬鹿です」

「合理主義の理事長が、感情を聞くとはいただけない」

「理事長は速決主義でしょう、時間が無駄です」

「む、言いたいことを言いますね。むろん、承知しました」

「「「はっ」」」




話は終わった。

四人は、さらに、無言で飲み続ける。


日付が変わると、一人ずつ、間をあけて部屋を出て行く。

2本目のホワイトホースが半分になった時、甘粕は一人だった。






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