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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第2章 昭和17年3月
18/59

1 鍵を狩る者


ドイツ、ベルリン。


ベルリンの高級日本料理店『あけぼの』の一室で、坂西陸軍中将と西郷陸軍中佐は鍋をつついていた。坂西は在独日本大使館勤務の陸軍武官、西郷は大使附きである。


「すきやきとは豪勢ですね」

「たまにはいいだろう」

「はい。長い日陰者でした」

「まあ、やれ」

「はっ。いただきます」

「うん、うまい」

「はい。うまいですね」



今朝、大使執務室に呼ばれた坂西は、上機嫌の大島大使から褒め上げられた。日頃の精勤を賞賛され、たまには息抜きをしろと三日間の特別休暇と金一封までもらった。どうやら、坂西が上げた情報が、大島大使の役に立ったらしい。


「よほどのことですね」

「うん。しかし複雑な思いだ」

「え?」

「報告した中に役立つものがあったのだろう?」

「はい、そういうことですが」

「大使が喜ぶからには、独逸の役に立つということだ」

「あ、そうですね」

「「・・・」」


ベルリンの在独日本大使館では、穏健派の二人は異端であり、冷や飯を食わされていた。しかし、最近になって風向きが変わったのか、大使によく呼ばれるようになった。話も聞いてくれる。そして、部屋も日のあたるところになった。



「殊勲艦は3隻とも、ノルウェーに到着しましたね」

「ああ、新聞で見たよ」

「これで、ノルウェー海の独逸戦艦は3隻になりました」

「英海軍も、さぞ頭が痛いだろう」

「ソ連もでしょう」

「アイスランドからの輸送船団か」

「未確認ですが、引き返したようです」

「あの辺は、悪天候があたりまえだろう」

「はい、吹雪も結氷もありますし」

「海軍さんもたいへんだな」


殊勲艦とは、先月、白昼堂々とドーバー海峡を横切って、フランスのブレストからドイツ本国のキール軍港に帰還したシャルンホルスト、グナイゼナウ、プリンツ・オイゲンの3隻の軍艦のことである。シャルンホルストとグナイゼナウは同級の戦艦で、プリンツ・オイゲンは重巡洋艦である。


それまで、英国と王立海軍はドーバー海峡の敵艦通過を許したことはなかった。総統と独逸海軍は、英国の鼻を明かしたのである。ドイツ国内紙も海外紙も、先月末の新聞は大喝采であった。ただ1つ英国紙を除いて。



今月になって、3隻共にノルウェーに健在であると新聞に続報が出た。もちろん、坂西と西郷は、もう少し詳しい情報を知っている。独逸国防軍情報部と在独日本武官府はうまくやっている。同盟を離脱した後は追い出されると思った西郷の心配は、いまのところ杞憂に終わっていた。


「1月からいるティルピッツと合わせて、戦艦3隻か」

「もちろんUボートもいます」

「そうだな、援ソ船団の航海は難儀になるな」

「護衛の英海軍も忙しくなりますね」

「英国には何隻の戦艦が残っているのだ?」

「さて?」

「「・・・」」


二人とも陸軍軍人だから、あたりまえだが、海軍には詳しくない。戦艦は軍艦の中で一番強くて、次が重巡、そして軽巡、駆逐艦。それぐらいしかわからない。漠然と、要塞砲、野戦重砲、野砲、歩兵砲みたいなものかと想像してみる。

いずれにしても、米英からの支援物資が届かなければ、ソ連は不利になるだろうう。春、いや夏からの東部戦線は独逸軍が有利になるかもしれない。



「どこになりますかね?」

「独逸の夏季攻勢の目標か」

「はい。3つのどれか」

「北、中央、南の3つか?」

「最初に立てたソ連野戦軍の殲滅はもう無理でしょう」

「そうか?」

「昨年開戦からの独軍の損害は80万です」

「投入兵力300万の3割か」

「戦果は捕虜も含めて400万」

「独参謀本部が見積もったソ連の総兵力なのだ、それは」

「「・・・」」


「もう、決戦は無理ですね」

「西郷中佐、考えたんだがね」

「はっ」

「電撃戦は、心理作戦でもあるんだな」

「あっ」

「敵軍指揮中枢の想像を超えた快進撃と大戦果」

「はっ、予備や動員など敵の対応を許さない」

「タネは、火力と装甲と速度の集中なのだが」

「それで敵国首脳部の継戦意欲を潰す」

「もう降伏しかないと追い詰める」

「心理作戦ですね。まさに」



「中央のモスクワ攻略が一番困難だ」

「突出しますし、両翼から横槍を喰らいます」

「正攻法なら大兵力が必要だ」

「集中ができないなら、ひと夏では無理ですね」

「正面への集中はまだ可能だろうが」

「側面防御の手配までは」

「だから一点突破の電撃戦だったのだが」

「冬の間に防衛線が敷かれては、もう通用しない」

「北と南をかかえていてはな」


「やはり、北ですね。レニングラード」

「芬蘭を誘っての片翼包囲、形はいい」

「湖が凍って補給線になるとは想定外でした」

「戦訓だな。満洲防衛に活かせる」

「どこかで突破できませんかね」

「そうだな、芬蘭に増援するのが早いかな」

「上陸戦と後方からの包囲でも」

「いま少しなんだがな」

「それでも、ひと夏はかかります」

「ひと夏あれば出来るんだよな」



「すると、南ですか」

「クリミア半島は抑えたから、もう十分なのだが」

「総統の戦争経済がありますから」

「ああ、バクー油田か」

「遠いですか?」

「そんなことはないが、作戦目的をどこにおくか」

「ソ連軍への石油を絶つことでしょう?」

「バクーまで行かなくても、それは実現できる」

「石油を渡さないか、我が物にするか、ですね」

「占領されると見たら、ソ連軍は破壊するだろう」

「なかったことにするのですね」


「南は深い。バクーが取れたら守らなければならん」

「ボルガ河までですか」

「少なくとも、河口の両岸は抑えなければ」

「かなり突出することになります」

「ああ、カスピ海では海軍を運用できるよな?」

「大型貨物船が行き交う海です」

「そしてバクーの先はペルシアだ」

「イランは英国が進駐しました」

「いくらなんでも店を広げすぎだろう」



坂西が頷くと、西郷は追加の肉と酒を注文した。胃痛は治ったらしい。

なにしろ、この店の日本酒は高い。飲める時に飲んでおかないと。


「つまり、1年や2年では終わらない」

「長期戦になると資源と兵站線の維持が」

「ああ、北だとアルハンゲリスクとムルマンスク」

「レニングラードさえ抜けば」

「南はペルシア回廊だな」

「水運を抑えるには、カスピ海とボルガ河」

「ペルシア湾は中東の英軍も使っているな」

「そして、油田は南のカフカスとイラン」

「「・・・」」


「閣下、熱いうちにどうぞ」

「おう、すまんな。中佐」

「こうして見ると、モスクワに固執する必要はないですね」

「ああ、開戦直後の昨年ほどの価値はない」

「ソ連は首都機能も工場群も疎開させたといいます」

「それは、つまり、電撃戦を封じたということだな」

「なるほど、そうなりますね」

「総統には政治面、内政・外交の懸案もある」

「ドイツ人の支持は磐石ですが、公約もあります」

「わしら軍人は、政治については語らない」

「はっ。その通りであります」


「ん、もぐもぐ」

「うい、ごくん」

「戦争経済といっても、資源ぐらいはわかるぞ」

「げふ。は、はっ」

「見るところ、兵站は鉄道の石炭」

「戦闘は、陸戦・海戦・空戦ともに石油です」

「クリミア半島まで進駐した枢軸軍は」

「ルーマニア油田の防御は完璧になりました」

「独逸軍の分だけ、あるいは東部戦線の分だけだ」

「ああ、伊太軍がいましたねぇ」

「げふんげふん。えー、同盟国にも回すには」

「バクー油田が欲しいんですね」



しめの雑炊をつくるために、西郷はご飯と玉子を頼む。

坂西は、野菜が残っていないか、鍋を箸で掬う。


「どうも西洋のマッシュルームは鍋に合わない」

「はい」

「えと、あれだ」

「はっ」

「枢軸国全体にとっての鍵は、石油だな」

「はっ」

「独逸に限っては、人が鍵だ」

「人的資源ですか」

「兵隊にする若者だな」

「つい数年前まで600万の失業者がいたのですが」

「今は、フランスから30万の労働者を輸入しているぞ」

「はい」

「昨年の80万の損害を回復するには、数年かかる」

「いい方法があるんですけどね」

「そうなんだがな」

「ま、あちらもご承知でしょう」

「いろいろとあるのだろう、大人の事情が」

「・・・」


「あとは、敵側の兵站線の破壊ですか」

「補給戦だな。言い換えると」

「はい、北と南。北は出来そうですね」

「南も、やろうと思えばできるだろう」

「リビアのロンメル将軍と連携ですか」

「しかし、北と南の補給線が崩壊すると」

「残るは、北太平洋船団となります」

「それは困るな。帝国が巻き込まれる」

「ああ、そうですね」

「陸軍はともかく、海軍は黙って見逃すか?」

「しかし、米国が」

「と、国民を煽る輩が出るだろう」

「「・・・」」



すべてを食い終わって、二人はお茶を飲み、煙草を点ける。


「結局、独逸の国家目的ですね」

「うん、それで戦略は変わる」

「どこまで入植し、どこを前線とするか」

「前線の後背には兵站線がいる」

「内線機動の交通網と航空基地も必要です」

「戦争しながら建設もやる、貧乏国はたいへんだ」

「どうも、わが国と同じような」

「だから、同盟国だったのだ」

「・・・」

「鍵は、石油と人だ」

「相手は選ぶべきですね」

「まったくだ」








ドイツ、ベルリン。在独満洲国公使館。


参事官室では、星機関の幹部が会合を開いていた。

機関長の星野一郎参事官、公使館嘱託の三好次郎と杉本佐武朗の三人である。話題は、まずは星機関の収支、試算表だった。


「いい実入りになってますね」

「三好君、そういう言い方はやめよう」

「はい。星機関の経費を補って余りあります」

「さすがはD機関長です。悪知恵はたいしたものだ」

「杉本君、もう少し穏やかな表現を」

「はい。ある所にはあるものですね」

「それが欧州だよ」



シベリア鉄道の使用が日本に開放されている。満洲-西シベリア-カザフ-カスピ海-黒海-トルコを経由する、日本と欧州の連絡路は賑わっていた。日本人の利用はもちろん、通過査証をもつ欧州人もいた。


大日本帝国が発行する満州国通過査証には、最終目的国の入国許可ないし入国見込みが必要であった。日本は、外国人への入国許可はなかなか出さない。欧州人の目的地は上海租界であり、最終目的地は米国だった。政治亡命は、日本でなくても、どの国も審査はうるさい。



一方で、独ソを筆頭に、欧州各国は外国人を国外に移動させたかった。政治亡命を希望する外国人とは、活動家とほぼ同義である。活動家は、右も左も、同国人であっても安心できない。外国人なら、なおさら剣呑だ。さらに、欧州各地には数百万のユダヤ人がいる。


ここで、満洲帝国外交部が動いた。満洲への移民を条件に、満州国入国許可を発行したのだ。満洲国は、独伊ほか枢軸諸国と正式国交があり、外交官を交換している。ソ連にもチタなどに領事館があった。満州国入国許可を担保に、ソ連を含めた各国は通過査証を発行することになった。



「希望者は多いですね。思った以上です」

「そりゃ、本人以上に、国が望んでいるのだからな」

「「・・・」」


枢軸各国が追い出したい人間、もとい満洲国への移住希望者は、各国官憲で証明書を発行してもらう。この時点で、ナチスドイツ国家保安本部の審査は終わっている。満州国領事館では、証明書を確認した後、移民審査を行う。満州国内で入植地ないし住居地を購入することが可能かどうか、つまり金があるかないかである。



「満洲の移民政策を、各国は歓迎しているようです」

「うむ。特に独逸とソ連が諸手を挙げている」

「意外と、両国は似ているのですね」

「げふんげふん」


満州国外交部は、これを機に、満洲帝国を承認する国家が増えることを期待していた。今日明日でなくてもいい。時間はある。外交とは、長い付き合いなのだ。

そして、短期的には、領事館の査証・入国許可の審査料収入が急増していた。比例して、領事館の機密費も潤沢となっている。



話題は、北アフリカ戦線に移った。


「仏伊国内の工作は終わったか」

「クレシャスェールはアルジェに入りました」

「いよいよ本番ですね」

「鍵は石油と人だ」

「「・・・」」








北アフリカ、フランス領アルジェリア、アルジェ。


カスバは、アルジェリアの首都アルジェの旧市街区である。古く美しく、そして怪しい町並みは、2年前に日本で公開された仏映画『望郷』の舞台であった。

自由を愛し平和を求めるクロキグループは、今、その酒場にいる。彼らの会話は喧騒に掻き消されていた。


「どうだ、ケイコ?」

「OKです、ボス」

「そういうことだ、カザマ」

「はい。姐御も一緒ですよね?」

「今回だけは、ね」

「メルシー」

「では、ビルアケムは頼んだ」

「「ダコー」」


「ボス、歌っていい?」

「今日は止めとけ、ケイコ」

「あら、残念」

「残念です、姐御」

「打ち上げはモロッコだ」

「ウィ、ボス」

「いいか、鍵は石油と人だ。忘れるな」

「「チンチン!」」






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