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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第1章 昭和17年2月
17/59

10 満洲防衛

満洲帝国、新京。新京飛行場。午後。


関東総軍総司令官の梅津陸軍大将は、予定時刻に着陸してきた機体を見て、眼をむいた。真っ黒な機体に白の太い帯を四本入れたその百式輸送機は、杉山介錯官の乗機ではなかったか。陸軍将官に怖れられるその機体は、滑走路の端で回頭すると、ゆっくりと引き返してくる。


目の前に近づいてくる輸送機の機体や主翼には突起物が多い。まるでかんざしだ。そして、機首の白星。思わず数える。ひぃふぅみぃ、40もあった。ふうぅと、梅津は深いため息をついた。今度は誰だろう、もう残ってはいない筈だがと考え込む。ええ、まさか。わしなのか?



「梅津総司令官。すまんな、わざわざ」

「あっ、ご苦労様です。杉山監察官」

「首相が来れなくなってな、代わりに来た」

(ふん、怖気づいたか)

「そう、不機嫌になるな」

「あ、いえ」

「行こう」


「杉山大将、どちらへ」

「大和ホテルだ」

「あ、はい」

「他聞を憚るのでな」

「もちろんです。それで、部屋はもう」

「ああ、203号室だったかな」

「えっ、もしや」

「甘粕の隣だそうだ」

「げっ」

「東條がとってくれたんだ」

「・・・」




梅津と杉山を乗せた車が去った新京飛行場に、満洲航空の三菱MC-20が降下してきた。MC-20は、陸軍百式輸送機の民間仕様機である。10人ばかりの乗客の中には、私服の土肥原大将と田中少将がいた。ほかも、私服と軍服の違いはあれ、陸軍軍人ばかりだ。


「驚きましたね」

「うむ。見失った時もあったな」

「あれで冬季迷彩になるとは」

「私見だが、灰色も加えたらいいと思う」

「そうですね。あとは角度です」

「たいしたものだ、五郎は」

「たいしたものです、吾朗は」


土肥原と田中は、それぞれの副官、禄雄と菜々を連れていた。


「では、明日、現場で会おう」

「はっ」


土肥原は武蔵旅館へ、田中は信濃屋へと向かう。






その夜。新京。大和ホテル。


203号室は寝室と居室が区切られていた。その居室のソファで、杉山と梅津は話しこんでいた。二人の間のテーブルには、東條からの土産のウィスキーと、ルームサービスで取った料理が置かれている。


「ジョニ黒ですか」

「うむ、なんとかかんとかハイランドだ」

「・・・」

「スコッチだぞ」

「・・・」

「悪かった。グイグイやってくれ」

「それで東條、いや総理はどうなったのです」

「げぷっ」

「え」

「あ、すまん」


杉山は大きくおくびをした後、詫びた。


「東條は来る気満々だったのだが」

「はあ」

「お上に止められた」

「え?」

「東條暗殺事件がばれたのだ」

「ええ?」

「すでに未遂が10件だ」

「えええ」



杉山が言うには、陛下は東條暗殺計画の噂を耳にされて、上奏に来る閣僚たちに御下問された。しかし、閣僚らの答は判を押したように、管轄外なのでわかりませんだった。治安担当は内相の東條だが、ご心配ありませんとだけである。


「ところが、東條が兼任から引いて、内務大臣は湯浅になった」

「はい」

「まさか、湯浅は知りませんとは言えん」

「はあ」

「それで、20件すべてがばれた」

「20件!」

「お上から禁足令が出されてな、東條はしばらく動けん」

「なるほど」

「だから、わしが連れに来た。これから東京に飛ぶぞ」

「しかし、なにも杉山閣下が自ら」

「いや、監察官の仕事もある」

「え、えっ」

「こほん。陸軍大将梅津美治郎!」

「ひいっ」

「お召しである」

「は、はーっ」



「しかし、え号作戦が発動間近ですが」

「そのえ号作戦の裁可の条件がお召しなのだよ」

「ええー」

「陛下は、また関東軍が大陸に深入りするのではとご心配だ」

「しかし、それは」

「多田も山下も念入りに奏上した。しかし、ご納得されない」

「しかし、小官が着任してからは」

「わかっとるよ、梅津はよく抑えている」

「しかし、ならば」

「お前の仕事ではない。重々承知だ」

「しかし、・・」

「東條も木戸内府も困ってる。助けてやれ」






数時間後。新京上空。


梅津は、新京飛行場を発って、朝鮮上空へ向かっていた。

まさか本気で真夜中に出立するとは思わなかった。たしかに、陸軍の航空操縦者は全員、夜間飛行が出来る。だが、陸上の事物が見えず、高度感覚も違う夜間にわざわざ飛ぶことは稀だ。まして、大将二人、陸軍監察官と総軍司令官を乗せて飛ぶのは異常だった。


「なかなか、快適だろう?」

「驚きました」

「発動機を換装して、余力が出来た」

「その分を?」

「うん。空調装置の他は、電装に回した」

「電気艤装は重いし、電気を食いますからね」

「そうらしい。電波航法機、電波警戒機、電波標定機・・」

「えええ」

「機体の串を見ただろ?」

「なるほど」


たしかに、杉山の乗機は空調が効いていた。なにより、ひと回り広い便所にも暖房がある。便所の換気は荷物室に逃がしていて、匂いはしない。陸軍監察官は勅許によるから、大蔵省の主計官も文句をつけられない。それを幸いに、航空本部がいろいろと試しているらしいとは推察できた。



「その代わりに、定員は乗員3名のほかは6名と、半分以下に減った」

「民間機仕様でも乗客11名ですからね」

「ま、席がないだけで、荷物室は広い。空調はないが」

「はあ」

「わしと副官、護衛のほかに生きた客が乗ることは滅多にない」

「えええ」

「遺体も死体も冷たいし、だいいち、暖かいと腐るからな。あっはっは」

「・・・」


「どうした?」

「その、機首の白星ですが」

「ん?」

「昼間の到着時は40でしたが、さっき乗るときは43に増えてました」

「そうか、気にするな」

「え」

「うちの機付長はいいかげんだ」

「・・・」



前席の防弾鋼板を引き倒すように、杉山が手で指示する。示された手順を真似すると、防弾鋼板は倒れて、縁取りの着いたテーブルになった。


「ほう」


杉山は足元に置いた鞄からジョニ黒とグラスを取り出した。


「ほれ、続きだ」

「あ」

「上空では酔いやすいから、スコッチずつだ」

「あ、はい。ごくん」

「わしらは洋酒が好きだ。ぐび」

「はい。ごくん」

「ウィ、好きー」

「あはは」


「安心しろ。わしの愛機は冬迷彩になる」

「ええ」

「冬の満州には、白と黒しか色がない」

「ああ」

「ま、真夜中で何も見えないが」

「あはは」

「落ちたとしても、そのまま葬式にもなる」

「あははー」

「「あっーはっは」」


確かに、上空では酔いやすいらしい。







翌日。大日本帝国、帝都、宮城。


梅津は、参謀総長の多田大将の後に続きながら驚いていた。

かつて陸軍次官も務めたから、宮城には何度も来たことがある。しかし、地下室に入るのははじめてだ。階段を下りながら思う。さっきの廊下も傾斜していた。すると、すでに地下4階ぐらいではないのか。


部屋に入るとさらに驚いた。漠然と、会議室を想像していたが、違った。部屋は80畳以上の広さがあった。一段高いところに、板襖で仕切られる16畳の舞台があり、大きな机が置かれていた。奥には帷幕が張られた玉座がある。



陸軍軍人の習い性で、まず玉座の位置を確認すると、視線を置き換えて部屋を吟味する。なるほど、これは作戦司令室だ。梅津の頭の中には、玉座を守る侍従武官と警衛や護衛、会議机に陣取る司令官や参謀たち、そして、広間の司令部要員や伝令、通信員の配置が、自然と浮かんできた。


大きな机は幅があり、正方形に近い。満洲周辺の地図が置かれていた。日本はもちろん、ソ連や中国の過半が載っているから、縮尺は百万分だろう。壁には、世界全図や太平洋全図が貼ってある。変わったところでは、北極を中心とした地図があった。




かすかにチンと鈴が鳴った。と思うと、玉座には陛下がおられた。


最敬礼をすると、多田総長が満洲防衛教義の説明をはじめる。説明に応じて、作戦課長らが地図上の兵棋を動かす。



ソ連領とモンゴル領内に突出した形の満洲は、つまり、西・北・東の三方を敵方に囲まれていることになる。ソ連軍が満洲に侵攻する場合、その正面は東と北とされていた。兵站線であるシベリア鉄道がそうだからである。長白山脈の山麓を防衛線とし、新京を策源地として内線機動を行い、敵を遊撃する。それが小畑構想である。


ところが、ノモンハン事件では、西のモンゴルから侵入された。ソ連軍は、鉄道がなくても自動貨車で兵站線を維持できるのか。それは、帝国陸軍と関東軍にとって重い課題になった。大興安嶺山脈は、果たして西の障壁になるのか。これまでの満洲防衛教義であった小畑構想は改訂されることになった。



15個師団を基幹とする60万の兵力でソ連軍150万を受けて戦い、全軍遅滞防御で1ヵ月持久できる。そう、多田総長が結論した。1ヵ月後の前線は吉林、新京、奉天。敵の損害が20万以上、我の損害は8万と想定されている。


無論、満洲防衛作戦の基本は陛下も熟知しておられる。納得されない限り御裁可されることはないのだ。

しばらくの後、陛下が発言された。梅津は驚愕した。直に御質問されるのは異例ではないのか。それとも、大本営のあり方が変わったのか?



『その1ヵ月の間に帝国臣民と資産は避難できるか?』

「邦人に関しましては全員を脱出させます。動産に関しましても、稼動船腹をすべて動員します」

『稼動船舶はどれほどあるか?』

「船腹量に関しましては、その具体的な数字を総長は把握しておりません。しかしながら、1ヵ月あれば、政府は十分な数を準備できるかと存じます」

「港湾に関しましては、大連、営口はもとより、葫芦島や中国領内の港も使用可能かと存じます」

『ふ号作戦は見事であった。わかった』


多田は、部屋中に響く大きなため息をついた。大変なものだ。梅津は同情する。しかし、次の御質問は、梅津に向けられた。



『1ヵ月の間にソ連と停戦は成るか、梅津大使はどう思うか?』

(えっ、えっ)


ようやく、梅津は理解した。関東軍総司令官としてのお召しではなかった。在満州国特命全権大使として、軍事を理解する外交官として呼ばれたのだ。


「お、畏れながら、一方的な侵攻作戦に対しては、まず軍事的防衛作戦の発動が第一義であります」

『うむ』

「しかして、侵攻の阻止ないし停滞をもって、外交的な活動に入ります」

『その通りだと思う』

(ほっ)


しかし、御質問は終わっていない。



『その外交活動の目途は何とするか?』

「それまでの損害から、敵の目的達成までの全損害を悟らせ、説得します」

『では、ソ連軍が侵攻する目的は何か?』

「はっ、いまさら不凍港の取得ではあり得ません」

『うむ』

「今次の欧州大戦がどう動くかはまだ予断できませんが」

『うむ』

「現時点でソ連の目的は、帝国との緩衝地帯の獲得が1つ、中国共産党への援護が1つです」



『続けるように』

「はっ、日ソ中立条約があっても、ソ連にとって帝国の存在は脅威であります。満洲から帝国を駆逐するか、満洲に親ソ政権を立てるか、あるいは無人の地にするか」

『焦土化であるか。2つめを聞きたい』

「はっ。日中講和が成った今、国共内戦はすでに始まっています。長征を思えば、陜西省から満洲への移動は現実的であります」

『延安からの移動経路はどうなるのか?』

「山西から河北もあり得ますが、この場合は内蒙古でありましょう」

『そうか。わかった』

「はっ」


『参謀総長、え号作戦を裁可する』

「「「は、はーっ」」」

『陸軍大臣を呼ぶように』

「「「は、はーっ」」」





宮城を出ると、梅津は、どっと汗が出てきた。


「梅津大将、流石でしたね」

「多田、風呂を浴びたい」

「公邸で借りましょう、首相がお待ちです」

「なに、首相公邸のことか」


おのれ東條め、軍人のわしを政治なぞに巻き込みおって。

奏答のほとんどは杉山からの受け売りだ。つまり。

梅津は、快い敗北感を覚えていた。





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