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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第1章 昭和17年2月
16/59

9 内政干渉

アメリカ合衆国、ワシントン府。在米日本国大使館、大使公邸。


まだ日が高いというのに、駐米大使の吉田茂は、娘婿の麻生太賀吉と酒を飲んでいた。


(なに、日本は夜中だ)



今日は日曜日で、娘の和子は、女中のみつを連れて買い物へ出かけた。美容院にも寄るというから遅くなるだろう。料理人の村上も、書生の南と一緒に周辺の市場巡りに出かけた。また、仕入先を替えるらしい。


吉田は太賀吉のホテルに行きたかったのだが、結城書記官に止められた。警備に不安があるという。仕方がないので、公邸に来てもらった。はじめは、上機嫌で太郎と遊んでいたが、太郎が午睡に入ると、もう大の男二人はやることがない。



酒の仕度を言いつけると、結城書記官は、なんと日本酒を持って来た。つまみはするめである。


「おい」

「はい。大吟醸です」

「いや、そうじゃなくて。するめだけか?」

「不調法でして、料理は出来ません」

「ハムを切るぐらいは出来るだろう」

「村上さんが冷蔵庫に鍵をかけて行きました」

「え」

「ふぐの肝とパテを間違えられたら困ると」

「そういうことがありましたねぇ、あはは」


「何もないのか?」

「パンはあります」

「・・」

「ワインとパン、日本酒とするめ。どちらになさいますか」

「そりゃあ、日本酒になるな」

「そういうことです。どうぞ」

「うむ、そうか」

「ま、やりましょう。あはは」



こういう時のためのカンポなのだが、宮沢は荷物持ちとして和子につけた。山藤ならガーリックブレッドぐらいは作れるだろうが、シカゴの領事館へ出張中だ。ほかの者も夜勤明けやなにやらで、世話するのは結城書記官ひとりだけだった。


「だから、ホテルに行くといったのだ」

「今日は、万全の警備ができません」

「大使の行動が優先されるのではないのか」

「いえ、優先されるべきは、大使の安全です」

「ふうむ」

「どうぞ」

「おう」

「たまにはいいじゃないですか。あはは」


三人は、冷でぐいぐいとあおる。盃も見つからず、茶碗酒である。




吉田は、部外者の前で任務や仕事の話をすることはない。といって、麻生もおしゃべりというわけではない。二人は、自然と、結城書記官を睨む。


((何か話題を振れ、酔っ払っちまうぞ!))

(えっ、えっ)



「麻生さん、年末は大変でしたね。ご実家が」

「ああ、飯塚の方ですね。やれやれです」


昨年末の北九州は不穏な情勢であった。右翼の巨頭が福岡に帰郷し、そのまま滞在していたからだ。大々的にアカ狩りでもはじめるのではないか。追い詰められた主義者たちがあちこちで暴発した。麻生家の経営する筑豊の炭鉱でも鉱夫の暴動が起き、飯塚の屋敷も焼き討ちに遭った。


「幸いに屋敷はボヤ程度でした」

「それはよかった」

「納屋は全焼しましたがね」

「え」



麻生は、詳細な報告を受けていた。事件の収拾に当たっては、いろいろと不都合な問題が出たらしい。それが、醜聞まで発展しなかったのは、陸軍省顧問の矢次一夫が出張って来たからだという。


「命拾いしましたね」

「えっ」

「げふんげふん」


やっと、結城書記官も気づく。どうも、まずい話題を振ってしまったようだ。どうしよう。焦る。早く、別の話題に振らないと。


気まずい雰囲気の中で、三人は黙って飲む。





吉田大使は、するめを噛みながらも、ずっと考えていた。


ワシントンでの日米交渉は、新たな局面に入っていた。そして、不調である。少しばかり焦りすぎたか。いや、そうではない。成功の後だからこそ、小さな失策は吸収できる。早めに反応を知ることが出来たのだから、よしとすべきだ。


日米交渉は、第1段階の『支那事変以前の状態に戻す』がほぼ完成した。石油製品も屑鉄も輸入できるようになった。そして、第2段階の『ハル4原則明記の日米通商条約』も最終段階に入っている。東條首相や重光外相の尽力で、帝国では日米友好の機運が高まっていて、その影響は大きい。



駐米大使館も米国内で、日米融和・日米友好の宣伝啓蒙活動を積極的に行っていた。昨年12月23日の皇太子殿下御誕辰日には、救世軍への寄付を行った。正月や紀元節など、日本の慶事行事に際しては、アメリカ赤十字社や名のある福祉団体への寄付を欠かしていない。


同時に、日本での慶事や行事の由来を新聞紙面で発信した。帝国議会で米国に関する首相や外相の発言があった時は、記者会見を開く。巡航見本市船の日昌丸が横浜を出港した際にも広告を出したし、政財界や軍の有力者には招待状を送った。吉田自身、自分と基督教との出会いを有力紙に寄稿している。



ルーズベルト大統領は、昨年11月末の戦争計画スクープ以来、参戦反対のキャンペーンを張られていて、強硬策に出られない筈だ。日米友好は十分に醸成されている。そう思って、吉田は、重光との連携の下に、第3段階の根回しに入った。


すなわち、人種差別撤廃明記の日米同盟を、私案として提案してみたのだ。ハル長官とグルー大使は理解を示した。だが、条約に明記するのは無理だという。ルーズベルト大統領と民主党が大反対するのが目に見えてるというのだ。



逆に、人種無差別を提案するならば、まず日本が満洲・朝鮮・台湾・内南洋の植民地を解放すべきだろうと、ハル長官は云う。

もちろん、吉田は反論した。


満洲は独立国である。朝鮮は懇願されたから、条約で併合した。台湾は清国との講和の結果であって、内南洋は国際連盟からの委託だ。すべてが国際条約の下であり、他国から文句がついたことはない。



ハルは言った。


『存在する条約であっても、こういうふうに言いようがある。存在しない人種無差別を、どうやって条約まで持っていくつもりですか?』



吉田は返答できなかった。


予想してはいたが、欧米人は人種差別と植民地体制を、同義ととらえるらしい。白豪主義の豪州や黒人奴隷の記憶が残る米国では、内政干渉と受け止められる。といって、朝鮮や台湾の始末を米国に指図されるのは、帝国にとって内政干渉に他ならない。


(まさしく、義父の牧野翁がパリで辿った路だ。このままでは日米国家間の平等も怪しくなる)



ハルは続けて言う。


『とにかく、聞かなかったことにします。大統領には言いません。あの人は、外交がわからない』


吉田には、大統領と国務長官の仲の悪化だけが収穫だった。




人種差別撤廃、あるいは人種無差別は、吉田にとって至上命令である。これが明記されなくては日米同盟へ世論を誘導できないと、東條首相に固く念押しされていた。米国が格上と感得しているからこそ、国民は、譲歩だけの外交を許せない。日支和平と同じく、目に見える勝利を欲していた。


人種無差別を提起したのは、訓令より早い。もちろん、いつ提案するかは大使の権限で、吉田の判断だ。この先の工作のアリバイにはなるだろうと思ったが、内政干渉ととられるのはまずい。日米両国内には、熾火がくすぶっている。開戦寸前までいったのだ、燃え上がるのには訳がない。



(さあて)


吉田は思う。行き詰った時や迷った時は、初心に帰るべきだ。外交官の初心とは?


「そうだ、パーティをやろう!」

「「ええ」」


突然の大声に、麻生と結城が振り向いた。






同じ日の夜。シカゴ。


シカゴ市内のクラブで、在米日本大使館の山藤外交官補は、GN鉄道のガーハイム取締役と飲んでいた。二人ともカウンターで飲むのが好みなのだが、酔客に絡まれることもある。準白人とはいえ、山藤の肌の色はカウンターでは目立つ。今夜は、奥のボックス席に陣取っていた。



「日昌丸はどうでしたか?」

「たいしたものだ。うちのスタッフは感心していた」

「へー」

「日本の工業技術のポテンシャルは高いと」

「それでガーさんは?」

「感動した」

「え」

「商工省のホリ特使と、満業のキシモト理事と話した」

「はい」

「わがGN鉄道に、フロンティアを提供してくれるそうだ」

「えっ、えー」

「二人が、そう言った」

「ガーさん、それは」

「うん」


フロンティアと言われて、動じないアメリカ人はいない。

ガーハイムも大きな森の小さな家で生まれた。



「行くしかあるまい」

「そうですよね」

「子会社を作って市場調査をする」

「そうなりますね」

「各種機械の合弁会社も作る」

「へー」

「特許申請から認可取得までのノウハウが欲しいらしい」

「ストレィトですね。なかなか」

「うん。全員が昂揚している」

「では?」

「うん。近々、日本に行く。満洲へもだ」

「ほんとですかー」



「ジューイチに会ってから、万事がうまく進む」

「そんなー。えへへ」

「早く、役人を辞めてうちへ来い」

「いやー、それは」

「辞められない理由があるのか?」

「一族郎党の期待があるのです」

「大変だな。しかし家族はわかるが、使用人を気にするのか?」

「ああ、日本では使用人は先祖代々。つまり、世襲なのです」

「へえ、階級が固定されているのか。ずいぶん差別的だな」

「げふんげふん、いや、そうではなくて」

「いいよ、ジューイチがそうだとは言ってない」

「ガーさん。だからー」

「おっ、彼女たちか!」

「え。来ましたか?」



クラブの支配人に案内されて二人の女性が近づいてくる。

一人は白人、一人は日本人か。案内するのがウェイターではなく、ジャケットを着たマネージャーということは、二人の女性はそれなりの高価なコートを着ていたのだろう。ミンクやアザラシとか。




「やあ、とふ子」

「はあい、じゅういち」

「こちらは、ガーハイムさん。GN鉄道の役員さんだよ」

「こんばんは、とふ子です。彼女はローラよ」

「こんばんは、ローラです」


ガーハイムは、ローラと顔を合わせるなり慌てた。


「えっ」

「あら」

「わわわ」

「うふふ」



ローラは、わざとスカートを翻しふわりと座る。ガーハイムの隣に寄り添うように。

ガーハイムは目のやり場に困り、左右上下へと顔を回した。いや、下は拙い。


「ガーハイムさんですねー」

「はいっ。ハートマンであります」

「うふ。どこかでお会いしたかしら」

「もちろん覚えています。ローラお嬢さま」

「あら。もうとっくに二十歳を過ぎてますことよ」

「失礼しました」


ローラは、GN鉄道創成者であり帝国建設者であるジェームズ・ジェローム・ヒルの長女メアリーの娘だ。ガーハイムは、会社のパーティで見かけたことがあった。



「ねぇ、ローラにも殿方の飲み物をください」

「承知しました」

「あら、そんな他人行儀な言い方、いやですわ」

「え、ああ、はい。どういったものが?」

「お熱いのが好き!」

「バーテンダー、マンハッタンを!」


バーメイドは、笑いをこらえながら、オーダーを運んでくる。


「あら、これが有名なマンハッタンかしら」

「そうです、ローラさん」

「うれしい。乾杯しましょう」

「ローラさん、光栄です」

「カチン。うふふ」



シカゴの夜は更けていく。






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