5 辺縁
大日本帝国、北海道、函館市。
宮元常次と松山龍夫は、青函連絡船を下船して函館駅に入った。
宮元は、私設の民族博物館に所属する民俗学者である。昨年秋から、陸軍の依頼で日本各地を調査していた。松山は、同行を命ぜられた少尉で、陸軍省兵務局に属している。
二人は、5日前に東京を出立し、東北本線で北上してきた。途中の盛岡では3泊した。昨年の調査行の仕上げである。お世話になった人々へ挨拶に回る。民俗学の現地調査、フィールドワークは、1回の見分で終わることは稀だ。
人々の暮らしは春夏秋冬を軸にしており、一年間を通してみないと、その由来はわからない。祭礼や通過儀礼には、数年間、十数年間を経ないと見れないものも多かった。調査を受け入れてくれた村や人たちには礼を尽くして、大事にしておかなければならない。
北海道庁が運営する移民休泊所が、函館駅の近くにあった。
たいていの移民希望者は、節約と逼迫のため、上野駅からの夜行列車に乗って来る。青森駅に降りると、その足で青函連絡船に乗り込み、5時間近く船に揺られて函館に着くのだ。十分な休息や睡眠をとっている者は少ない。
開拓地は道東や道北で、まだまだ数日間の行程がある。疲労困憊の心身で開拓地に到着しても碌なことはない。上陸一日目だけでもゆっくり休息して、この先の旅程に向けて英気を養ってもらいたい。そのために、移民休泊所では、茶菓や寝所を無料で提供していた。
ダブルボタンの外套の下は、国民服に編上靴とゲートル巻き。大きな背嚢を手に持った二人は、番号札を渡され、待合室に案内された。周りは移民者たちでいっぱいである。
「先生、おかしいですよ」
「え、松山君。そうかね」
「ちょっと行って来ます」
ひとり残った宮元は、くつろいでゲートルを緩める。隣の若い女性がお茶をいれてくれた。うまそうに飲み干して、女の家族と談笑を始める。一家は、その女と30前らしい男、国民学校の男子と女子で、四人は兄弟らしい。大阪出身であることは言葉使いでわかる。宮元の言葉も、関西弁に戻っていた。
誤解を解いた松山が戻ってくると、十数分の間になついたのか、男女の子供が宮元の両膝に乗っている。長兄と長姉も笑っていた。
「えー、こほん」
「ありゃ」
「先生。ここじゃないようです」
「そうでっか」
ようやく、宮元は立ち上がると、四人にお辞儀をする。
一家も立ち上がり、お辞儀をする。
「じゃあ、これで」
「「は、はい」」
「また、お会いしましょう」
「「え、ええ」」
「「せんせい、さようなら」」
「ああ、さようなら」
松山は休泊所を出ると、宮元に言った。
「道庁出張所だそうです」
「遠いのかい」
「いえ、函館駅の中です」
「ええー?」
二人は、函館駅の中で北海道庁出張所の看板を見つけた。
看板の隣には青地に赤の五稜星の旗が掲げられている。
「北辰旗ですね」
「ああ、開拓使の頃から使っているという」
「星は五稜郭に通じるのですか」
「なぜ気がつかなかったのかな」
やっと、二人は道庁の役人に会うことができた。
宮元と松山が用件を言うと、役人は、大喜びで北海道の説明を始めた。
曰く。
大日本帝国の版図は明治以来、拡大してきた。東西、南北の距離は長い。
南北でいうと、樺太の日露国境は北緯50度で、内南洋の最南端のグリーニッチ島が北緯1度だから、5,500kmもある。千島先端の占守島から台湾までが、直線距離で5,000km。
版図は、5,500km四方としても3千万km2となるが、その割りに領土の面積は小さく、68万km2。わずか2.2%だ。
さらに、平野が少なく、ほとんどが山岳地と山間地。川は、外国人に言わせると、滝と見まごうばかりの急流である。
「そのわずかな陸地の中で、北海道の面積は8万3千km2」
「本州、朝鮮に次ぐ3番目の大きさがあるのです!」
「「はいっ」」
「しかるに、人口はやっと300万人を超えたところでして」
「嗚呼、12%の土地に、3%の人しかいない!」
「「はい」」
「たしかに寒いですが、辺縁の地だからこそ夢がある」
「可能性があるのです!」
「「・・」」
「北海道庁では、600万人を目指しています」
「夢見る北の大地へ、お二人もどうぞ!」
「「あっ、ええ、まあ」」
1時間の長広舌のあと、訊きたいことを引き出した二人は退散した。
松山は、役人の勧める宿を断って、陸軍ご用達の旅館にした。宮元は何も言わない。
今回の二人の任務は1年間におよぶ予定だ。数ヶ月おきに、報告と健康検査で東京へ戻るが、ほとんどは北海道で過ごすことになる。ひょっとしたら、千島や樺太まで出張るかもしれない。
春先に北海道入りして、体を慣らしてから冬を迎える。前回の反省から、松山はそういう計画にしたかったのだが、事態が急迫しているので断念した。二人は軍命で動いているのだ。
前回の任務、仮名山口某と東條某の由縁調査は、短期間の探査行だったが成果をあげることが出来た。依頼主の山口某には思わぬ収穫もあったらしい。しかし、最後に失策があった。宮元の発病である。報告書をまとめる段で夜更かしを続け、肺結核で重篤となったのだ。
フィールドワークの間は、松山も気を配っていた。
陸軍省には、宮元の入営中の記録もあった。病気がちだったという。見当はついた。滋養のあるものを食って、暖かくする。それが肝要だ。だから、体力を消耗する現地調査の間、食事や休息、衛生や防寒に関しては注意を払ったつもりである。
急変は、報告書作成の段階で起きた。
すでに冬に入っていたのだが、報告書作成は旅館で行ったので油断があった。炬燵にあたりながら記憶を再現して、文章にする。朝昼晩と、食事はうまいものが出るし、毎晩風呂を浴びて、柔らかい布団で寝る。病気になるわけがない、と松山は思っていた。
宮元の特異な能力は、フィールドワークにある。巧みな話術と交渉術で住民の本当の生活の姿を掘り出す。住民との距離はなかった。写真機も器用に使いこなし、眼で見たままを撮影できる。そして、異常な記憶力と注意力で、現地を離れても再現できた。
松山は、宮元の記憶を掘り起こす役目だ。忘れていたこと、失念していたことを、写真やメモを指定して思い出させる。見た筈だ、聞いた筈だ、嗅いだ筈だと言われると、宮元の頭には断片が浮かんでくるのだ。においや音までも再現できるのは驚異的である。
仕事が捗るから二人とも夢中になって、ついつい、夜更かしを重ねてしまった。まさか、頭を酷使することが体力を消耗し、発病に至るとは思い至らなかった。しかし、同じ姿勢のままで心身の緊張を継続すると、たとえ胡坐や椅子であっても、体には過大な負担がかかるらしい。
宮元常次が陸軍病院に入院したと聞いて、渋沢敬三はすっ飛んできた。
静かに病室に入った渋沢は、寝床で昏睡している宮元を見つめた。眼を大きく見開き、手の平を、宮元の鼻の先や額の上へと、あちこちに翳す。小康を得ているようだ。呼吸は一定で穏やか、頬や額にも目立つ紅潮や発汗はない。
それだけ見届けると、渋沢は、病室に詰めていた田中少将、太田中尉、松山少尉に、目で合図した。三人は頷くと、後に続く。渋沢は何も言わないが、肩から怒りは伝わってくる。病室を出てさらに歩き、病棟の外に出た。
中庭で、あたりを見回した渋沢は、低い声で田中兵務局長に言った。
「それで、田中少将閣下。宮元さんの報告書はどうでした?」
「感服しました。実に優れた報告書です。思わぬ収穫もありました」
「宮元さんは、完璧な仕事をしたのですね」
「はい。正に完璧です」
そこで、渋沢の顔色が変わった。
「わたしは、陸軍を見損なった!」
「「申し訳ありません」」
「宮元さんは帝国の至宝です。大切にしないといけない」
「「万全を尽くしています」」
「万が一のことがあれば、全力で抗議します」
「「・・・」」
三人には、もう言葉がない。肩より低く頭を下げるだけである。
そこへ、軍服の上に白衣を羽織った軍医が近づいて来る。背が高い。六尺の大男だ。しかし、口髭を生やしていても貧相で、どこか胡散臭い。陸軍病院の中でなかったら、渋沢は口をきかないだろう。
「渋沢子爵、陸軍の弁明をお聞き願いたい」
「あなたは?」
「陸軍軍医少将の石井四郎です。細菌学を修めました」
「なるほど。続けてください」
「全力を尽くしたい。新しい施術があります」
「新しいとは?」
「話は少し長くなります。が、幸いにクランケは小康です」
「聞かせてください」
「こちらへ」
渋沢は、石井軍医少将の後に続いて行った。
二人の姿が見えなくなると、三人は、深~い息を吐いた。
宮元常次は、石井の碧素静脈注射と持続点滴で、劇的に快方に向かった。
そして、松山龍夫は石井に呼び出される。
「松山少尉、貴官のレントゲンを撮る」
「はっ、軍医少将閣下。しかし、松山はきわめて健康であります」
「バッカモン。結核患者と同じ部屋で徹夜を続けて、健康のはずがあるか!」
「はっ」
「来い!」
「はっ、ありがたくあります」
石井軍医少将は言う。
「軍人なら、戦場で死ぬのが本分だろう」
「はっ」
「戦傷はともかく、病死は、この石井が許さん!」
「はっ、はいっ」
松山少尉は感極まって、泣きそうだった。
前を歩く石井は、こみ上げる笑いを抑えきれない。
碧素の静脈注射と持続点滴は成功したが、新施術や新療法のアイデアは、まだまだある。レントゲン撮影もその一つで、深部撮影があった。少しばかり線量を増やすことになるから、壮健な男子は絶好だ。しかも、陸軍軍人ときた。
(ふっふっふ)