3 新式連隊
帝都東京、市ヶ谷。陸軍参謀本部。
陸軍動員計画令の改定や年度陸軍動員計画令の制定は、陸軍参謀総長が立案する。陸軍大臣と協議するが、勅裁を仰ぐのは参謀総長である。そして、陸軍大臣が軍令として御名御璽を仰ぎ、副署する。それが、現行の陸軍省部協定である。実際には、陸軍省、参謀本部、教育総監部の業務担任として規定されてある。
支那撤兵中の今、新たな動員が計画されることはない。平時に軍隊を増やすことはないのだ。しかし、今ある軍隊の編成や配置は、国際状況の変化に機敏に変化対応しなければならない。つまり陸軍動員計画令の改定だ。
撤兵作戦、復員計画ばかりに倦んでいた参謀本部だが、ここにきて新規編制の計画に入っていた。支那派遣総軍の解散式の前に、20個師団を基幹とした陸軍編制をまとめておかねばならない。昨年11月の陸軍三長官会議の結論を、建制に移すのだ。
支那事変が解決されて南方作戦の発動もないのならば、50個師団も保持する必要はない。それよりも、装備と戦術の近代化であり、空軍の充実だ。これで高度国防国家の体裁を整えることができる。省部の中堅将校らの隠忍自重も報われるというものだ。
指定された参謀本部の会議室に要員が集合した。
副官が、冊子を配る。冊子には、前回の議事録と、今回の議題、関連資料がまとめてあった。
第一部長の宮崎少将が発する。
「では、始めよう」
宮崎繁三郎は、陸士26期、陸大36期、情報や特務機関の勤務が長い。しかし、歩兵第16連隊長として出陣したノモンハン事件では、野戦指揮官として卓越な能力を発揮した。
参謀本部第一部は作戦部であり、第2課(作戦)と第3課(編制動員)の二つの課があった。
第2課長の八原中佐が、今回の重要議題を説明する。
八原博通は陸士35期卒業、陸大41期では優等で、米国での2年間を米陸軍の隊附きで過ごした。積極攻勢が身上である。
「新式の島嶼連隊ですが、前回までの装備要綱では不足と判明しました」
「事由は、米師団の編制装備が、想定以上に強力だったこと」
「具体的には、米軍部隊の火力です。小火器から重砲、戦車にいたるまで」
「対抗装備も兵員も配備できます。が、その兵站が問題です」
「輸送船の船腹や機動舟艇の要目に変更が必要となります」
「あるいは、事前集積地の規模拡充です」
第3課長の中川中佐が補足する。
中川州男は、陸士30期。支那事変の功績で連隊長から陸大推薦を受け、40歳を過ぎてから陸軍大学専科に入学をした。異例である。功4級金鵄勲章を持つ野戦指揮官である。
八原と中川の両課長の発言によって、会議は一気に本題に入る。
が、宮崎は、発端の米軍編成の再確認を省こうとはしない。
「明らかになったのは陸軍師団か?」
「はい、米海兵師団は戦時にならないと編制はわかりません」
「だが、推測は出来る」
「もちろんです」
答えたのは、第二部長の藤室少将である。
藤室良輔は六尺の大男だが、陸幼予科、陸幼、陸士27期、陸大35期をすべて首席の秀才である。総力戦研究所主事から転任してきた。
参謀本部第二部は情報部であり、第5課(露西亜)、第6課(欧米)、第7課(支那)、第8課(調整)からなる。昨年まで第8課は謀略を担当していたが、教育総監部に移管した。今は、各課間の調整、特務兵監部との連絡にあたっている。
「昨年の米紙報道を基礎情報として第6課が分析しました」
「特務兵監からの情報と照合したら一致したと」
「情報は任せるよ。それよりも内容だ」
「「はい」」
今日の会議は、昭和17年度陸軍動員計画令に附される編制表に関するものだった。年度動員計画令は年度初日の4月1日に施行されるから、兵籍簿などの動員準備を考慮して、前年の秋までに制定されるのが通常だ。例えば、昭和16年度陸軍動員計画令は、軍令陸甲第55号により昭和15年11月22日に制定されている。
そもそも、陸軍の動員計画には永久計画と年度計画がある。長期に亘って運用される永久計画は陸軍動員計画であり、陸軍動員計画令と細則から成る。
この永久計画の基本は変えずに、制定時に想定していなかった事項を規定するのが年度計画であった。
永久計画である陸軍動員計画令の改定案は、参謀本部での作業はほぼ完了しており、今は陸軍省内局や外局、そして防衛総軍が、細則や附表を吟味中である。
陸軍の常設師団は全20個になる。おおよそ40年前、明治43年の韓国併合前の陣容だ。第1師団から第18師団までの18個師団と近衛師団、それに新設の近衛第2師団の20個である。
もちろん、全20個師団は歩兵師団だけであり、そのほかに師団編合に入らない重砲や高射砲、独立野砲や独立工兵、独立輜重兵、戦車などの連隊は別である。さらに、航空隊や特種船舶もあった。
現有51個師団、210万人の地上兵力を半減するということは、それに見合う新しい国防方針が策定されたということでもある。
参謀本部の計画は、内地に4個師団、台湾に1個師団をおいて、航空隊と共に防衛総軍司令部が指揮する。朝鮮と満洲には15個師団を配置し、朝鮮分離後を見越して、関東総軍が一括指揮するというものだった。
重砲と戦車部隊は、満州に重点配備される。教育総監が持つ教育部隊は戦略予備とされた。
作戦方針と編制方針は、対米作戦、対英蘭作戦、対ソ作戦の3つに分けられた。東方、南方、北方である。それぞれの大方針は、専守防衛、侵攻、攻勢防御である。この大方針に沿って、陸海軍は各々の作戦と動員編制を練っていた。
「島嶼連隊は対米作戦の肝です」
「本土防衛でも重要な部隊だ」
「その装備の前提が崩れるとは」
「しかしなあ、あれもこれもとはいかない」
「帝国が貧乏なのはわかっています」
「「げふんげふん」」
「装備や兵員はなんとかなります」
「運ぶ手段か」
「南方連隊も同じことなのです」
「着上陸までは、ほぼ共通装備だからな」
「島嶼連隊と南方連隊が前線で船の取り合いですか」
「「げふんげふん」」
「やはり、想定戦場に事前集積ですね」
「中川課長、それはだめです」
「八原、なにも地下陣地まで作れとは言っていない」
「想定が外れれば、事前集積した兵糧弾薬は無駄になります」
「なるほど。やはり貧乏のせいか」
「「げふんげふん」」
島嶼連隊とは、防衛最前線に立つ防御専任部隊である。島嶼とあるのは、いきなりの本土上陸はありえず、まずは本土周辺部の島嶼占領から始まるだろうとの想定であった。だから、本土4島は建制の歩兵師団と防衛総軍の空軍で守り、周辺島嶼部に専守防衛の師団を配置しようという構想である。
といっても、水際防御か縦深防御かの結論はまだ出ていない。さらに、帝国が守るべき島嶼は多い。そこで、まず、規範となる戦術と作戦を連隊規模で具体化し、その連隊を防衛師団の基本とする。実戦では、攻撃側が戦場を選べるから、防衛部隊を配備しても肩透かしを食らうことは覚悟しておかなければならない。
だから、防衛専任といっても、機動性を持たせる。水上舟艇での機動である。敵の目的地が判明した時点で、その島嶼に急速移動し陣を張る。もしくは、敵上陸後に逆上陸を図るのだ。島嶼連隊は、敵前着上陸を前提とした防衛専任部隊である。まさに異色だ。
そのため、兵站の意味が大きく変わった。補給だけではない。
戦闘開始後の補給は、隠密輸送か、制空権確保下での強行輸送しかないが、多くはあてにできないだろう。つまりは持久だ。
だから、島嶼連隊では、着上陸時に数会戦分の弾薬兵糧も同時に揚陸する。装備が増えれば弾薬も増える。船腹も多く必要となり、揚陸時間は長くなる。
「相手が戦車ですからねぇ」
「こちらも戦車しかあるまい」
「2式は重いし、かさばります」
「超大発、あるいは超々大発」
「問題は、揚陸時間です」
「まさか、海軍に頭を下げるのか!」
「これまでは、24時間の制空海権確保を要求していました」
「だが、必要とする戦車の数と諸元では、36時間は必要だ」
「南方連隊なら攻勢・攻撃だ。海軍も戦果は望める」
「しかし、島嶼連隊の作戦は防衛です」
「海軍の戦果は見込めないな」
「戦果がないではすみませんね」
「「え?」」
「海軍部隊は、敵上陸部隊を護衛してきた空母や戦艦に向かうでしょう」
「「えーっ」」
「つまり、陸軍を放って、米海軍に向かうと?」
「友軍を見捨てることではないか、まさか」
「いや、あり得る」
「部長、それはちょっと」
「何を言うか、だからこそ、この陸軍特種船だ」
「はあ、しかし」
「台湾沖事件を忘れるな!」
「「はっ」」
(ふーっ~)
第一部長室に戻った宮崎少将は、大きく息を吐いた。
今日の会議は、藤室第二部長の知見によって、破綻することなく終わった。
船腹問題も、対抗火力を小型火器とすることによって目途が立った。藤室によると、重擲弾の大きさで敵戦車の装甲を貫く砲弾が制式間近だと言う。さすがは、総力戦研究所主事だ。陸軍技術本部にもいた藤室少将は、国内の技術動向に詳しかった。
この先は、部下に任せても大丈夫だろう。二人の課長は、参謀の任務を理解している。部隊配置と補給を計画すること、すなわち、柔軟な兵站計画こそが参謀の本領なのだ。決して、奇を衒った緻密な作戦を練り上げることではない。
(次は北方作戦か)
予見は、優秀な野戦指揮官にとって重要な能力だ。
満洲防衛計画は関東軍総司令部で詰められていたが、問題は多い。なにより、梅津総司令官が、参謀本部の編制案に難色を顕わにしているという。
(止まぬ雨があるものか)
もう退庁の時間だが、宮崎は、次長室に寄っていくことにした。
机の引き出しから瓶を一本取り出す。レーベルには、ゴム印で「リポD 陸軍高官仕様」と押してあった。栓を抜くと、一気に飲み干す。
第一部長室の窓の外は、霙だった。