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表紙
昭和16年12月、大日本帝国は支那より総撤収をはじめた。北支の軍兵は、鉄路で朝鮮に向かう。
支那派遣総軍は、支那を出境することを優先したから、南満洲は撤収中の軍兵であふれていた。
関東軍隷下として、それまで満州に駐屯していた兵力は、12個歩兵師団と2個戦車旅団である。これに、一時的とはいえ、北支方面軍の歩兵師団5個と混成旅団8個、それに総軍予備の3個師団と4個旅団が加わる。満州の日本軍は、2倍に膨らむことになった。
満支国境を越えた日本軍は、ソ連の神経を逆撫でするように、満州国内をゆっくりと移動する。
一方で、中支の歩兵師団13個と混成旅団12個は台湾を経由する。上海に集結させ、海軍徴用の輸送船で一気に運ぶ。台湾でも、内地への船待ちをする軍兵であふれていた。
日米間の緊張は急速に緩和されつつあるが、比島の米軍の心中も穏やかではない。
【第4章挿絵】
陸軍宇品軍港
宇品軍港、15m内火艇、揚陸船丁型
日独中戦車比較
97式中戦車:
1式砲戦車:
3号突撃砲: