深夜のドラッグストアで、学校一の美少女(ずぶ濡れ)を助けたら「運命の王子様」だと勘違いされました。――実は三度目の人生、君を救うためだけに六年留年したなんて、口が裂けても言えない。
第一章:雨の深夜、ずぶ濡れの天使(推し)が降臨した件
AM 2:15。
深夜のドラッグストア『サクラドラッグ』の静寂を、自動ドアの開く電子音が切り裂いた。店内に流れ込む、湿った雨の匂い。
レジカウンターで在庫表をチェックしていた俺――久遠慎一は、心臓が口から飛び出しそうなのを、必死にポーカーフェイスで抑え込んでいた。
(……来た。予定より3秒早いが、誤差の範囲内だ)
顔を上げれば、そこには奇跡が立っていた。
高校1年生の一ノ瀬陽葵。学校では「氷の令嬢」なんて呼ばれて恐れ多い目で見られているが、今の彼女は、捨てられた子犬のように肩を震わせている。
しかも、だ。
土砂降りに打たれた彼女の白いセーラー服は、無慈悲なほどに透けていた。薄い生地が肌にぴたりと張り付き、淡い水色の下着のラインが、残酷なまでに鮮明に浮かび上がっている。
寒さのせいか、それとも不安のせいか、小さく波打つ胸元と、雨粒が伝う白いうなじ。
(……落ち着け、俺。ここで鼻血を出したら、これまでの24年が台なしだ)
そう、俺は三度目の人生を生きている。
一度目は、ただの同級生として彼女の不幸をニュースで知るだけだった。
二度目は、パチンコ店長として成り上がったが、仕事にかまけて彼女を救うタイミングを逃した。
だから、三度目の正直。俺はあえて全日制を辞めて定時制に移り、この店の深夜シフトを死守するために、わざと留年を繰り返して「24歳の高校生店長」という怪しい肩書きを手に入れた。
すべては、今日、この瞬間に、彼女が求めているものを差し出すためだけに。
「……あ、あの、すみません……っ」
震える声。今にも泣き出しそうな瞳。
俺は彼女が棚の奥で迷う前に、レジの下から準備していたセットをカウンターに置いた。
「お客様。お探しなのは、急激な発熱に効く座薬と、脱水症状を防ぐ経口補水液ですね。あと、お母様が飲み込みやすいように、ゼリー飲料も付けておきました」
「……えっ?」
陽葵が、ぱちくりと大きな瞳を瞬かせた。
「どうして……私が何も言ってないのに、全部わかるんですか……?」
「顔色を見ればわかります。深夜にその格好で駆け込んでくるということは、一分一秒を争う事態でしょう? お母様、午前1時過ぎから容体が急変したのではないですか?」
俺は極めて丁寧な、しかし反論を許さない事務的な笑みを浮かべた。
実際、俺がこの情報を知っているのは一度目と二度目の人生で彼女の母親が亡くなった状況を死ぬほど調べ直したからだ。
「……すごいです。本当に、その通りなんです。私、どうしていいか分からなくて……」
陽葵の瞳に、じわりと涙が浮かぶ。そして、彼女は震える手で小さな財布を開こうとしたが、案の定、中身は空だった。
「お代は、僕が立て替えておきます。店長の特権です」
「えっ!? そんなのダメです! 初対面の方にそんな……っ」
「初対面……。まあ、そうですね。でも、深夜にずぶ濡れの女の子を泣かせて帰したら、僕が王子様の名に傷がつきます」
つい口が滑ったが、効果は絶大だった。
陽葵は顔を真っ赤にし、俺の手の甲に触れるようにして身を乗り出した。
「お、王子様だなんて……っ。でも、本当に助かりました。……久遠さん。私、一生忘れません!」
俺は店の備品のビニール傘を、彼女の小さな手に握らせた。その時、俺の指先が、彼女の冷え切った柔らかな手のひらに触れる。
(……やわらかい。そして、めちゃくちゃ良い匂いがする)
「一ノ瀬さん。あなたは独りじゃない。僕が、ここにいますから」
陽葵は、救世主を見つめるような熱い視線を投げかけると、雨の中へ駆け出していった。
その背中が、なんだかふにゃふにゃに緩んでいたのは気のせいだろうか。
第二章:人生三回目。俺の努力が、一ノ瀬さんの「好き」に変わるまで
陽葵を送り出した後の店内に、再び静寂が戻る。俺はレジカウンターに突っ伏した。
「……やり遂げた。ようやく、間に合った」
この瞬間のために、俺はどれほどのものを捨ててきただろうか。
二度目の人生では、パチンコ業界で成功し、金も女も不自由しなかった。
夜な夜な派手な女を抱きながらも、心の中は常に凍てついていた。抱いている女の喘ぎ声が、いつの間にか陽葵の泣き声に変換される。
(……陽葵。今度は、金で救ってやるからな)
そう誓っていたのに、結局は「場所と時間」が合わずに彼女を救えなかった。
だから、今。俺はあえて社会から「落ちこぼれ」と蔑まれても、このドラッグストアのレジに立ち続けた。
翌日の夜。
俺がシフトに入ると、店の自動ドアが勢いよく開いた。
「……久遠店長!」
そこにいたのは、昨日とは見違えるほど明るい表情をした陽葵だった。
「一ノ瀬さん。お母様の具合はどうですか?」
「はい! おかげさまで、熱も下がって! 本当に……本当に、久遠さんが助けてくれたおかげです!」
彼女の笑顔は、一度目や二度目の人生では決して見ることのできなかった輝きを放っていた。
「あ、あの! これ、お礼に焼いてきたんです。その、クッキーなんですけど……」
差し出された紙袋。氷の令嬢が手作りクッキー?
しかも、彼女の顔はリンゴのように真っ赤で、視線が泳いでいる。
「久遠さんって……もしかして、私のこと、ずっと前から知ってましたか?」
心臓が跳ねた。
「だって、昨日……あんなに完璧に、私の欲しいものを分かってて。……私、昨夜から久遠さんのことばかり考えちゃって。……もしかして、これが『運命の王子様』なのかなって……」
(……チョロすぎる。いや、俺の努力が実を結びすぎているのか!?)
二度の人生をドブに捨てて、必死に積み上げた「完璧なタイミング」。
それが、彼女の中ではロマンチックな物語として変換されていた。
「一ノ瀬さん。あまり店員を神格化しない方がいい」
「それが、もう王子様なんですっ! 私……久遠さんのこと、もっと知りたいです。……迷惑、ですか?」
潤んだ瞳で見上げられ、俺の理性が音を立てて軋む。
「ああ、迷惑なはずがない。……むしろ、ここからが俺の本当の人生だ」
第三章:バックヤードは、二人きりの甘い檻
それからの陽葵は、毎晩のように店に現れるようになった。
最初は「お釣りを返しに」、
次は「お母様の経過報告に」、
そしてついには「店長とお話ししたくて」と、
理由がどんどん素直になっていく。
ある夜、またしても強い雨が降った。
「あ、また濡れてる。一ノ瀬さん、こっちへ」
俺は彼女を、従業員専用のバックヤードへと誘った。
狭い空間に、二人の距離が急激に縮まる。
「……久遠さん、近い、です」
陽葵の吐息が俺の鎖骨あたりにかかる。
俺は彼女の濡れた髪を拭くために、タオルを手に取った。
彼女の髪に指が触れるたび、甘い香りが鼻をくすぐる。
濡れた制服から覗く鎖骨、そして薄い生地の下で上下する胸元。
俺の独占欲が、心の奥底で獣のように咆哮を上げる。
「一ノ瀬さん、君は無防備すぎる」
「……久遠さんの前、だからです」
彼女は俺のユニフォームの裾をぎゅっと掴み、潤んだ瞳で俺を見上げた。
「私、久遠さんが定時制に通いながら、ここで一人で頑張ってるの、知ってます。……クラスの誰よりも、どこの誰よりも、久遠さんが一番かっこいいです」
パチンコ店長時代、数多の女から愛を囁かれたが、これほど胸に響く言葉はなかった。
俺は思わず、彼女の細い肩を抱き寄せた。
「……っ、久遠さん?」
「……24年だ。君をこうして抱きしめるまで、俺は24年かかったんだ」
「え……?」
意味のわからない言葉に戸惑いながらも、陽葵は俺の胸に顔を埋めた。
「よくわからないけど……久遠さんの鼓動、すごく速いです。……私と同じ」
彼女の柔らかな体温が、俺の冷え切った人生を溶かしていく。
俺は彼女の耳元に唇を寄せ、低い声で囁いた。
「もう、どこにも行かなくていい。君の未来は、俺が全部買い取ったんだ」
最終章:もう離さないし、離してくれない。――溺愛は、三度目の人生から
数ヶ月後。
『サクラドラッグ』のレジには、今日も二人の姿があった。
俺は定時制を卒業し、パチンコ店長時代の資金と、このドラッグストアで得た知識を元に、医療系ベンチャー企業を立ち上げた。
もちろん、その「専属モデル」兼「秘書」は、高校を卒業したばかりの陽葵だ。
「店長……あ、今は社長ですね。……慎一さん」
陽葵が、いたずらっぽく微笑みながら俺の腕に抱きついてくる。
「会社でもその呼び方はやめなさい。公私混同だぞ」
「いいじゃないですか。三度も人生をやり直して私を助けてくれた、王子様なんですから」
「……えっ?」
俺は耳を疑った。彼女は今、なんと言った?
「ふふ、驚きました? 私、実は昨日、不思議な夢を見たんです。雨の中、パチンコ店で働く慎一さんや、高校生で私を遠くから見てる慎一さんの夢」
陽葵は俺の顔を覗き込み、幸せそうに目を細めた。
「本当のことはどうでもいいんです。今、慎一さんがここにいて、私を誰よりも愛してくれてる。それが全てですから」
彼女は俺の頬に、柔らかな唇を寄せた。
「……でも、六年留年したのは、ちょっと頑張りすぎですよ?」
「……うるさい。君を救うためなら、あと六十年だって留年してやるさ」
俺は彼女の腰を引き寄せ、深い口付けを交わした。
二度の敗北。泥水をすするような潜伏期間。
その全ては、この甘い香りと、温かな体温を手に入れるための対価だった。
「今度は、絶対に離さないからな。陽葵」
「はい、慎一さん。……三度目の正直で、世界一幸せにしてくださいね」
窓の外では、あの夜と同じ雨が降っていた。
だが、俺たちの世界は、もう二度と凍えることはない。
(完)




