32話 夜の空旅
「お前ら、おっそい」
温泉から出たら、待ちくたびれたラウル先輩から苦情をいただく。
そして私は、そんなラウル先輩にさらに申し訳ないことを、今から言う。
「ラウル先輩すみません! 私今から港町に行きます! ヴィオラと先に帰っててください」
「は?」
「ヴィオラとはもう話しました!」
ラウル先輩が今までで初めてくらいの間抜けっ面を晒す。
「いや待て、いや、え、今から? なんで」
「私仕事中ずっと、アクアハースはもう閉鎖すればいいって思ってました! だから報告書読んでも、何の感情も湧かなかったんです!」
「待て、その話でかい声ですんな」
「あっすみません。今日ヴィオラと話して、初日に見た港町の夜景を思い出しました。それを、もう一度見に行きます」
ヴィオラに助けを求めるような目を、ラウル先輩が向けている。だけどヴィオラのことは、もう説得済みだ。
「わかった。じゃあお前はもう見に行かなくていい。思い出せたなら、わざわざ見に行く必要はない」
「違います。私は秋の島の人間です。心の底では、春の島を舐めています。秋の島がたくさんの犠牲を出しながら得た技術を真似して、犠牲なしで今の利益を得た春の島の住人は、ダンジョンの怖さをわかっていない」
敢えて強い言葉を選ぶ。そうすると、優しいラウル先輩は少し怯んだ。
「そう思っているなら、逆に何で見に行くんだ」
「ヴィオラの話を聞いて、自分が揺れてしまったので、見に行きます。私たち魔法管理官の命のために、全部諦めろって言う。その景色を目に焼き付けます」
「結論に影響を与えられるのは、魔法班ではマレーナさんだけだ。それでも行きたいのか」
あぁ行かせてくれるのかと。ラウル先輩の表情でわかった。
「行きます」
「ヴィオラ、悪いが一人で帰ってくれ。こんな時間から、女一人で港町まで行かせられない」
「えっ! 乗り合い馬車だと明日の朝までに帰れません」
「はぁ!? 夜通し飛ぶ気か!?」
「飛びます。明日も仕事なので」
ラウル先輩はとうとう天を仰いでしまった。好意を無下にする、失礼な後輩だとわかっているので、何も言えない。
「セリアは箒の方が早く着くし安全だろうし、一人で行くのは認める。だが一つ条件だ。マレーナさんには言っておくから、宿屋に泊まれ」
ここが妥協点だろうと、私も頷く。そうやって三人で、温泉を出た。
今日は箒を持って来ていなかったから、箒を売っている店を探す。出発までは見届けると、ヴィオラとラウル先輩もついてきてくれている。
そんな時だ。やけに高貴な人が乗っていそうな豪華な馬車が、私たちの隣に停まった。
「三人とも、今日は休みなのかい?」
馬車から降りてきた見覚えのある人に、三人揃って驚きの声を上げた。
「アレイシオ殿下!?」
アレイシオ殿下は、後ろに控える護衛たちを手で制して、私たちの方へ向かってくる。そして、人差し指を立てて口の前に持っていく。内緒話だ。
「私もアクアハース・リストレーションの件で、ソレニオ兄上に呼ばれたんだ。だけど、時代に取り残された無能の王子が王宮をうろうろしていると、働いている人間の意欲が下がると言われてね。監視付きで内遊させられている」
「それは⋯⋯大変ですね」
ラウル先輩が代表して、言葉を選んだ。
「三人は帰るところなのかい?」
「わたくしとラウル先輩は帰るところですの。ぜひ馬車に乗せていただけると助かりますわ」
できれば一緒に来てほしい。その気持ちが透けているアレイシオ殿下に対して、ヴィオラが先回りする。
だけどアレイシオ殿下は、ヴィオラとラウル先輩だけが帰るということが、気になったらしい。
「セリアは帰らないのかい?」
「私は港町に行きます」
「どうしてまた今から⋯⋯」
不思議そうな顔をしたアレイシオ殿下に、ヴィオラとラウル先輩が二人揃って首を振った。私からも思いっきり見えてるけど。
「現地調査です」
「⋯⋯そう。私も行こうかな」
「はい?」
「この通りをまっすぐに行って、最初の分岐を左に曲がったすぐのところに、細い道がある。そこを少し歩けば、周りを建物に囲まれた空き地があるんだ。そこで待ち合わせにしよう」
何を言い出したのか全くわからない私たちを他所に、アレイシオ殿下は「宿屋から一人で抜け出す予定だったんだ。目的地を決めていなかったから、案内役を頼むね、セリア」と言い残して去って行く。
珍しく、断る隙をくれなかった。
***
指定の場所で三人待っていれば、アレイシオ殿下は思いの外早く来られた。
「そういえば、結構男の子⋯⋯でしたわね」
明らかに慣れているアレイシオ殿下に、ヴィオラが小さく呟く。
「あのアレイシオ殿下、私まだ箒買えてなくて」
「後ろに乗ればいいよ」
手早く私を箒の後ろに乗せ、アレイシオ殿下は飛び立つ。
ラウル先輩は終始、複雑そうな顔でアレイシオ殿下を見ていた。
薄暗くなった空から見下ろした温泉街は、出歩いている人が減っているようだ。
灯りもあまりなく、今から寝静まる夜となることを感じさせた。
「セリア。あまりラウルを困らせてはいけないよ」
「えっと⋯⋯すみません」
アレイシオ殿下が、私も行こうと言ったとき。ほっとした表情を見せたつかの間、首を振ってそこからずっと複雑そうな顔をしたラウル先輩に、アレイシオ殿下も気づいていたらしい。
「だから一緒に来てくれたんですか?」
「違うよ。本当に一人で抜け出す予定だったんだ。監視付きの内遊なんて、楽しくないからね」
そう言ったアレイシオ殿下は、それなりのスピードで、港町に向かって飛ぶ。目的地は決まっていないと言っていたけれど、本当は港町に行くつもりだったんじゃなかろうか。
「一人で抜け出すのは、楽しいことなんですか?」
「意外だね。⋯⋯セリアも、夜に学校を抜け出していたタイプだと思ってたんだけど」
本当は楽しくないからじゃなくて、視察に行きたかったんですよね。その意図は上手く伝わらなかった。
それどころか、アレイシオ殿下には、同類だと思われていたらしい。魔法学校時代、夜中に寮を抜け出して遊びに行く同級生はいたけど、私は参加していない。
「男子はよく抜け出してましたけど、私はやったことないです」
「そっか。じゃあ、抜け出して夜の空を飛ぶ楽しさを、私が教えてあげよう」
「え?」
「手、箒じゃなくて腰にまわして。思いきりしがみついていてね」
私が言われるがままアレイシオ殿下の腰にしがみつけば、箒の速度が急加速する。
夜だから、他に飛んでいる人も魔法馬車もないけれど、昼間だったら、人とぶつかりそうな速度だ。
最初はヒヤッとしたものの、徐々に慣れてくると、すごい勢いで過ぎていく街並みと、いつか掴めそうな勢いで近づいていく夜空がとても綺麗だ。
自分で飛ぶよりはかなり早く、港町が見えてくる。そうするとアレイシオ殿下は、箒の速度をグッと落とした。
「どうだったかい?」
「なんだかクセになりそうでした⋯⋯。誘ってくれなかった魔法学校の同級生はずるいです」
アレイシオ殿下は、声を立てて笑う。
二人で話すときによく思うけれど、アレイシオ殿下は意外とよく笑う。王子様の微笑みではなく、ちゃんと口を開けて声を立てて笑うのだ。
「私はラッキーだったけど」
「どうしてですか?」
私の疑問には答えず、アレイシオ殿下は前に飛ぶのをやめて、その場で方向転換した。
「左を見てごらん」
「⋯⋯綺麗!」
建物を彩る、無数の光。ただ眩いだけじゃなく、光のない海の暗さ。そして建物や大型遊具の高さが、立体感を生み出している。
箒に乗れないと見られない、この景色を見ている自分の方が、ずっとずっとずるい。




