29話 ソレニオ兄上②
アレイシオは王子であり、当然王都にも屋敷と、交流ある貴族というものがある。
昨日は屋敷の様子見や、個人的な歓迎の宴に誘われており、アクアハース・リストレーションについてソレニオと話す時間はあまり無かった。
そのためソレニオからは、これを読んでまた明日来てくれと、手紙を送ってから新しく手に入れたという書類を渡されている。
それなりの量となっていた書類を読み切ったアレイシオは、王宮の廊下を歩いている。
時々「アレイシオ殿下? なぜ王宮に?」というような声が聞こえて、自分自身の立場の悪さに驚いてしまう。いつの間にか、王宮にいないことが当たり前になっていたらしい。
「アレイシオ? 珍しいな、王宮にいるなんて」
「⋯⋯ご機嫌麗しゅう、ルミエナ殿下。益々ご健勝のことと存じます」
正面からやって来たルミエナに、今まさしく気にしていた部分を突かれ、嫌な顔を隠しながら挨拶をする。
「あぁ、ソレニオ殿下に呼ばれたのか。そんなに頑張らなくていいぞと言いたいところだが⋯⋯。民のとっては大きな問題だからな、よく励め」
ルミエナはアレイシオが何かを言う前に、アレイシオの向かう先にはソレニオの執務室しかないことに気づいたようだ。さらには、その用件も。
長らく王位を争っていた二人のそれは、ルミエナが暫定の次期国王として指名されたからといって、全てが終わったわけじゃない。
ルミエナと別れ、アレイシオはソレニオの執務室に足を踏み入れる。
「ルミエナ殿下が来ていたんですか?」
「あぁ」
昨日と変わらず、ソレニオは難しい顔で書類に向かっている。
「珍しいですね、二人で話されるなんて」
「⋯⋯どうせ時期にわかることだから言う」
「なんでしょう?」
「王立騎士団 名誉将軍の地位をルミエナに渡すことになった」
淡々と告げたソレニオに、アレイシオは固まる。
もともと、ダンジョンと魔法と工業はルミエナ。財務と農林水産業、そして軍務はソレニオ。強みの違う二人はずっと、別々の分野で力を発揮していたはずだ。
「剣の腕で、ソレニオ兄上には歯も立たないはず⋯⋯」
「平和な世が続いている。本当に戦場に出ることなどない」
「ですが!」
「ソレニオ殿下にダンジョンの仕事を手伝っていただくのだから、私も軍務の仕事を手伝うべき。だそうだ」
ソレニオは溜め息もつかない。
王立騎士団の名誉将軍は、平和な今はあまりやることのない、ただの名誉だ。そして、ソレニオに押し付けられたのは、民の不満を一身に受け止める、負の仕事だ。
「あいつは⋯⋯王として皆を導くだけでなく、文官のような裏工作の才能もあったらしい。確かに、平和な世が続けば続くほど、必要な能力だ」
諦めと疲労が滲むその声に、アレイシオはセリアに見せてもらった契約書を思い出す。
確かに民を導くだけでなく、卑怯な手も躊躇いなく使える人だ。そして、それを公表すればーー。
「正式発表前に、王立騎士団に行く。⋯⋯お前も来るか」
***
この平和な世でも、ソレニオはたびたび王立騎士団に足を運んでいたらしい。
騎士団の敷地に入れば「ソレニオ殿下、また素振りですか? 最近特に多いですね」と声をかける年配の騎士や「ソレニオ殿下! 俺手合わせしますよ!」と駆け寄ってくる若い騎士など、多くの騎士に慕われているようだ。
ソレニオは声をかけられる都度、わざわざ足を止め「今日は仕事だ」と言い、アレイシオに視線を誘導する。
これで話しかけた騎士たちは、滅多に王宮に来ない弟に騎士団を案内していると勘違いするのだろう。
「ここに王立騎士団長がいる」
「それはプレートを見ればわかりますが⋯⋯」
「俺がこの職を手放したくない気持ちは理解できたか?」
急に問われ、でも頷く。ソレニオにとって、ここが心地いい場所だということは、この道中だけでよくわかった。
「俺が感情に負けて余計なことを言いそうになったら、殴ってでも止めるのが今日のお前の仕事だ」
そう言って、ソレニオは扉を開けた。
「ソレニオ殿下、ご機嫌麗しゅう。アレイシオ殿下、ご無沙汰しております。夏の島でのご活躍は耳にしております」
王立騎士団長は、アレイシオとも面識のある、マリネア公爵派の貴族だ。
領地運営や国政に一切興味を持たず、剣の道を極め続けた人でもある。
「ご機嫌は麗しくないな。名誉将軍の職をルミエナに譲ることになった」
「はっ!?」
バンッと音が鳴る。驚いた王立騎士団長が体を前に乗り出し、机と衝突したのだ。
「最近、気軽に足を運び過ぎたようだ。クーデターを疑った貴族が、ルミエナに忠告したのかもしれない」
「なっ! そんな言いがかりを⋯⋯!」
「少々嫌な扱いを受けることもあるかもしれない。最後にそれを言いに来たんだ」
騎士団長は、拳を机に叩きつけようとして、止める。ソレニオとアレイシオの前だということを思い出したようだ。
「最近、少々ソレニオ殿下への扱いが悪くなりすぎやしませんか?」
「⋯⋯アクアハース・リストレーションか?」
「そうです。あれも、本来はルミエナ殿下が持つべきもの⋯⋯」
「次期国王を民の不満のぶつけ先にするわけにはいかない。妥当な判断だ」
「アクアハース・リストレーションの責任を押し付けて、ソレニオ殿下を王宮に追い出そうとする動きに心当たりは?」
騎士団長の言葉に、ソレニオは押し黙る。その後ろでアレイシオも息を詰めた。
まさか、そんなことになっていたなんて。
「⋯⋯調べたが、ルミエナは関与していなかった。一部の暴走だ」
「そんなこと関係ありません! 我々王立騎士団は、あなたのためなら戦ったっていい!」
アレイシオは、この部屋に入る前のソレニオの言葉の意味がやっとわかった。ソレニオがこの言葉に頷く素振りを見せたら殴れ。そういう意味だ。
「あいつらの言いがかりを! 事実にしてやってもいいのです!!」
騎士団長の叫びと共に、部屋の中の緊張が高まっていく。
アレイシオは、思わず拳を握り締めた。
「やめてくれ。俺は望んでいない。公的には難しいかもしれないが、個人的にはまた会おう」
ソレニオはそう言うと、部屋から出ていく。アレイシオも慌ててその背を追った。
ソレニオを慕う人間は多い。そしてソレニオは、臣下のことを大切にする王子だ。だからこそ、立場から逃げられない。
「アレイシオ、勘違いするなよ。あいつは相当過激派だ」
「兄上⋯⋯」
「それに、勝ち目もない」
それでも、最初の戦いの火が落ちたら、ソレニオは自分の命を持って責任を取ることになる。
そうなるくらいだったら、ルミエナの弱みを公表して、政治と世論で戦った方がいい。
「それに、俺の臣下は優しいんだ。次期国王がルミエナに決まったときより、じわじわと俺が追い詰められている今の方が怒っている」
「⋯⋯私もそうです」
怒りを隠せないアレイシオの声に、ソレニオは「そうか」と笑う。
「そんな優しい奴らに、内乱はできないよ」
ソレニオのその言葉に頷きながら、アレイシオは思う。
ーー内乱はできなくたって、ルミエナ姉上の評判を地に下げる覚悟ぐらいなら。
握ろうとした拳は、指が震えてうまく曲がらなかった。




