第8話 思ったより自体は深刻そうだ
「……まだ、はっきりしたのはないんだ」
ハルキは慎重に言葉を選び、空気を探るように続ける。
「でも最近、学校の中で妙なことが増えてるだろ。
物が勝手に落ちたり、時計が狂ったり、誰もいない廊下で足音がしたり」
「あるな」
キーボードを叩いていた二年の女子部員が顔を上げる。
「理科準備室の温度計、三日連続で壊れてる。新品なのに」
「体育館の照明もだ」
別の部員が、被せるように言った。
「スイッチ切っても、しばらくチカチカして消えない」
ハルキの背中を、冷たいものが滑り落ちる。
偶然にしては、重なりすぎている。
佐藤は顎に手を当て、黙り込んでいた。
その表情には、いつもの軽さはない。
「……なあ、橘」
声を落として、問いかける。
「それ、いつ頃からだ?」
「正確には分からないけど……」
ハルキは昨日の出来事を思い返す。
「ここ数週間、かな」
佐藤は短く息を吐いた。
「俺も、気になってたことがある」
ハルキが顔を上げる。
「田中さくらだ」
その名前を聞いた瞬間、心臓がわずかに跳ねた。
「最近、やたら保健室に呼ばれてる。体調不良って理由だけどさ」
無意識に、声が潜む。
「授業中も、ぼーっとしてる時が増えた。前はあんなタイプじゃなかっただろ?」
そのときだった。
「あの……新聞部はこちらですか?」
夕陽が差し込む古びた部室。
軋む音を立てて開いたドアの向こうに立っていたのは、田中さくらだった。
一瞬、時間が止まったようだった。
インクの匂い、キーボードの音、紙をめくる指先。
それらが、彼女の声を境に、すっと遠のく。
「……え?田中さん?」
最初に声を出したのは、佐藤だった。
だが、その声音はいつもの軽さを欠いている。
田中は、制服の裾をきゅっと握りしめていた。
普段、教室で見せる明るい表情は影を潜め、どこか居場所を探すような目で室内を見回している。
「えっと……橘くんが、新聞部だって聞いて」
その名前が出た瞬間、ハルキの喉が鳴った。
「……俺?」
思わず立ち上がりかけて、途中で止まる。
自分の動きが、必要以上に大きく感じられた。
佐藤が、怪訝そうに眉をひそめる。
「田中さんが、新聞部に何の用だ?」
問いかけは穏やかなはずなのに、
なぜか部室の空気が、ぴんと張りつめる。
田中は一瞬、言葉を探すように視線を伏せた。
「……怪奇現象、調べてるって……聞きました」
その言葉に、数人の部員が顔を見合わせる。
さっきまで机の上に広がっていた“噂話”が、
急に現実の輪郭を帯びたようだった。
「私……」
田中さくらは、小さく息を吸う。
「私の周りで、変なことが起きてて」
夕陽が、彼女の背後から差し込み、
床に細長い影を落とす。
その影が、ほんの一瞬だけ、
揺れた。
「……話、聞こうか」
佐藤が、いつになく慎重な口調で言った。
「丁度、最近の怪奇現象について話してたところだったんだ」
田中は、ほっとしたように小さく頷く。
その横顔は、美少女と呼ばれる理由を十分に備えていながら、
どこか――“追い詰められた人間”の顔をしていた。
ハルキは、胸の奥がざわつくのを感じる。
だが、それがなぜなのかは、まだ分からない。
ただ一つ確かなのは――
彼女が、この部室のドアを開けた瞬間から、
自分たちは後戻りはできなくなった、ということだけだった。
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田中さくらは周りで起きた、おかしな出来事について話す。
話が進むにつれ、
佐藤はだんだん険しい表情になっていった。
「……偶然だと思うか?田中さんとこの怪奇現象について」
さくらと佐藤の視線が、まっすぐにハルキを射抜く。
二人は、ハルキの答えを待っているようだったが、
ハルキは答えなかった。
否――答えられなかった。
部長が咳払いをする。
「……さっきも言ったが、怪奇現象そのものは記事にするのはだめだ」
腕を組み、渋々と言う。
「だが、“校内で続発する不可解なトラブル”としてなら、調査価値はあるかもしれん」
佐藤が、にやりと口角を上げた。
「決まりだな。橘、調査担当だ」
「え、俺?」
「最初に言い出したのはお前だろ」
楽しそうに肩を叩く。
「それに、お前、変なところで勘が当たる」
ハルキは、曖昧に笑うしかなかった。
放課後の光が、部室の窓から斜めに差し込み、
床に長い影を落とす。
その影の中で、一瞬だけ――
ハルキの影が、ほんのわずかに遅れて動いた気がした。
気のせいだ。
そう思おうとした、その時。
校内放送が、ノイズ混じりに鳴り響く。
『……――ザザ………ザザザザ…ザザ……』
意味をなさない音声。
数秒後、何事もなかったかのように放送は切れた。
部室の全員が、顔を見合わせる。
「……今の、何だ?」
誰かが呟いた。
ハルキは、唾を飲み込む。
日常は、まだ壊れていない。
だが確実に、亀裂は広がっている。
そしてその中心に――
田中さくらと、自分がいることを、
ハルキは、もう否定できなくなっていた。
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校内放送が切れたあとも、部室にはしばらく沈黙が残った。
誰も口を開かない。
まるで、次に喋った者が“何か”を呼び込んでしまうと知っているかのように。
「……今日は、ここまでにしよう」
みかねた 部長がそう言って椅子を引いたとき、
その音が、必要以上に大きく響いた。
解散、という言葉は使われなかった。
だが全員が、同じ速度で立ち上がる。
逃げるようでもあり、確かめ合うようでもある動きだった。
廊下に出ると、夕方の校舎は不自然なほど静かだった。
部活の声も、足音も、どこか遠い。
「橘」
佐藤がハルキを呼びとめた。
呼び止める声は低い。
「一人で調べるなよ」
「……え?」
「冗談じゃない」
佐藤は前を見たまま言う。
「こういうのは、単独行動が一番危ない。それに......思ったより自体は深刻そうだ」
その言葉に、ハルキは一瞬だけ頷いた。
佐藤とカラスの姿が重なったのだ。
だが胸の奥では、別の答えが浮かんでいた。




