第6話 新聞部の取材にしちゃ、随分と大事件だね
「なんか、最近おかしなことが起こったりしない??怪奇現象とか」
帰りながら、ハルキは聞く。
周りは下校中の学生ばかりで、
おもわず声を潜めながらきいた。
「どうして、そんなことを聞くの??」
やばい怪しまれたか??
「じ、実は、新聞部で怪奇現象の特集を組もうと思っててさ。い、いろんな人に取材してるんだよね。」
新聞部なのはうそではない。
でも怪奇現象の特集なんて嘘だ。
さくらの足が、ぴたりと止まった。
放課後の喧騒が、その場だけ切り取られたかのように、
ハルキの耳から遠のいていく。
田中の横顔に浮かんだのは、驚きだけではなかった。
そこには、彼女が感じているであろう「疲れ」が、
色濃く影を落としていた。
周囲を歩く学生の陽気な会話が、
まるで別の国の言葉のように響く。
背筋に冷たい汗が流れる。
「……そんなこと」
田中は小さく呟き、すぐに笑顔に切り替える。
だが、その笑みは、どこか作られたように見えた。
「気のせいじゃないかな?私、周りから不思議がられることあるみたいで。でも、特に何も…」
言葉の端々に、ハルキの質問を逸らすような焦りが感じられる。
その時、ハルキの肩に止まっているはずのカラスの姿が、
ハルキの視界の端にチラつく。
カラスはまるで田中を観察するように、
真剣な瞳で彼女を見つめていた。
「そう…か。ごめん、変なこと聞いて」
ハルキは、早々に話題を切り替えようとする。
だが、田中は、春樹の目を真っ直ぐに見た。
その瞳には、一種の決意が宿っているように見えた。
「でも、不思議なこと、あるかもしれない」
田中は、ハルキに少しだけ近づいて、そう囁いた。
「最近、物が勝手に落ちたり、見えないはずの誰かに呼ばれたり…。私だけに聞こえる、歌のような声が…」
その声は、ハルキの胸に、鋭い棘のように突き刺さる。
これは、見過ごせないレベルの「怪奇現象」だ。
「ビンゴ」
カラスの呟きが、ハルキの耳に直接響く。
その声は、目撃者の喜びと、
事態の深刻さを同居させた、奇妙な響きを持っていた。
ハルキは、その言葉に心臓が抉られるのを感じた。
これは、もうごまかしや逃げ場のない、現実そのものだ。
ハルキは、彼女の横顔を見つめた。
そこに浮かぶ表情は、これまでのクラスの中心にいた「陽キャ」とは、
かけ離れた、どこか脆弱なものだった。
「そういうの、怖くない?」
ハルキは、思わず尋ねた。
その質問は、新聞部の取材という建前から、
完全に逸脱していた。
だが、もうそんなことはどうでもよかった。
目の前の少女が、見えない何かに苦しんでいる。
その事実だけが、ハルキの頭の中を支配していた。
さくらは、ハルキの真剣な瞳に少し驚き、
そして、ふっと息を漏らした。
「怖い…。でも、信じてもらえないから、一人で抱えている。でも、橘くんに話したら、少し楽になった」
その言葉に、ハルキの胸が熱くなる。
「俺、信じるよ」
ハルキは、はっきりとそう言った。
それは、ハルキ自身に言い聞かせるような言葉でもあった。
これから自分が関わる世界は、今までの常識では測れないものだ。
魔法使い、魔法学院、しゃべるカラス.....。
だからこそ、目の前の少女の言葉を信じることが、
自分の歩むべき道への一歩なのだ。
さくらは、ハルキの言葉に、驚きと安堵の入り混じった表情を浮かべた。
そして、さくらの目に涙が浮かんでいるのを、ハルキは見逃さなかった。
田中さくらの告白のあと、二人の間に流れた沈黙は、
やけに長く感じられた。
夕暮れの校舎は、昼間の喧騒を嘘のように飲み込み、
遠くで鳴る部活動の掛け声さえ、
薄い膜を隔てた向こう側の出来事のようだった。
「……誰にも、言わないでね」
さくらはそう言って、小さく笑った。
その笑顔は、朝の教室で見せる完璧なものとは違い、
どこか欠けていて、だからこそ、
今のハルキにとって妙に現実味があった。
「もちろん」
ハルキは即答した。考えるより先に、言葉が出ていた。
その瞬間、肩の奥で、あのカラスがわずかに息を潜めるのを感じた。
——いい判断だ。
そんな声が、言葉にならないまま伝わってくる。
二人は並んで歩き出す。
だが、数歩も進まないうちに、ハルキは違和感に気づいた。
――音が、少ない。
下校時間のはずなのに、靴音がやけに聞こえない。
周囲を歩いているはずの生徒たちの姿はあるのに、
まるで背景の映像のように、存在感が薄れている。
「ねえ」
田中が、ぽつりと呟いた。
「今日、理科室の時計、止まってたんだ」
「時計?」
「うん。授業中、突然。秒針が、途中で……止まって。先生が気づいた時には、また動き出してたけど」
彼女は、困ったように首をかしげる。
だが、その指先は、わずかに震えていた。
「それでね」
続けて、声を落とす
「止まってる間、聞こえたの。……さっき言った、“歌”」
ハルキの喉が、ひくりと鳴った。
さくらは空を仰ぐ。
「旋律はあるのに、意味がない。」
その言葉に、ハルキの胸の奥が、微かに疼いた。
理由はわからない。ただ、その感覚だけは、妙に覚えがあった。
『それは、呼んでいる音だ。多分ハルキを呼んでいるんだろうな。』
カラスの声が、今度ははっきりと届く。
『でも、まだ応える必要はない。』
校舎の角を曲がった、その時。
カラン、と乾いた音がして、
さくらの足元に何かが転がった。
見ると、校舎の外壁に取り付けられていたはずの非常ベルのカバーが、
外れて落ちている。
「……今の、誰か触った?」
さくらが周囲を見る。
「いや……」
ハルキは首を振る。
風は吹いていない。
誰かがぶつかった様子もない。
それなのに、落ちるべき理由のないものが、落ちた。
さくらはしゃがみ込み、カバーを拾い上げた。
その瞬間、彼女の影が、ほんの一瞬だけ、遅れて動いた。
ほんの一瞬。
見間違いと言われれば、それまでの、刹那。
ハルキの背中を、冷たいものが伝った。
「……帰ろっか」
さくらは何事もなかったように立ち上がり、そう言った。
「うん」
ハルキは頷く。
その背後で、誰にも見えないカラスが、静かに羽を広げる。
『始まった。 でも、まだ追う時ではない。』
夕焼けに染まる校舎が、ひどく遠くに見えた。
まるでここが、
もう少しで「日常」から切り離されてしまう場所であるかのように。
そしてハルキは、知らず知らずのうちに理解し始めていた。
自分は、完全でないにしろ、魔法使いなのだ。
『やれやれ』
カラスが羽を広げ、低く笑った。
『新聞部の取材にしちゃ、随分と大事件だね』




