第10話 夜の学校
ハルキは、覚悟を決めた。
もう、これ以上先延ばしにはできない。
そう結論づけた決定打は、
あの――校内へ流れた、妙にノイズの混じった放送だった。
声の隙間に、 “混ざってはいけない何か”が、確かにあった。
本当なら、カラスと一緒に動くつもりだった。
無謀だと笑われながらも、横で舌打ちされながらも。
けれど、カラスはいまだ戻らない。
だから―― ハルキは、一人で行くことにした。
……しかし。
(どうしたらいいか、全く見当がつかない!!!!)
頭を抱え、その場にしゃがみ込む。
思考が、堂々巡りを始めていた。
犯人が誰なのか。
一人なのか、複数なのか。
どうやって戦えばいいのか。
何ひとつ、分からない。
分かっているのは――
(田中さくらに、魔力の種子を植え付けたなら……)
おそらく、犯人は学校に潜んでいる。
それだけだった。
結論としては、あまりにも心許ない。
それでも、考えに考え抜いた末に、
たどり着けたのは、その一点だけだった。
……多分、カラスも、もう気づいている。
気づいた上で、
何かを確かめに行っているのだろう。
(でも……時間がない!)
胸の奥で、焦りが脈打つ。
ハルキは立ち上がり、ナップザックを引き寄せた。
考えるより先に、手が動く。
キッチンの引き出し。
金属の擦れる音。
包丁を、三本。
……家にある、全部。
(いや、料理するんじゃあるまいし……)
自分で自分に突っ込みを入れ、しばらく固まる。
警察に職質された光景が、脳裏をよぎる。
真夜中の学校へいくわけだし可能性はゼロではない、冷や汗が流れた。
結局、一本だけを残し、
他は元の場所へ戻した。
ナップザックの中は、やけに軽かった。
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夜。
街灯を避けるようにして、ハルキは学校の裏手へ回る。
フェンス越しに見える校舎は、
昼間とはまるで別の建物のようだった。
窓は暗く、
校庭には風の音しかない。
フェンスに手をかける。
金属は、夜気で冷たく湿っていた。
一度、深く息を吸う。
「……行くしかないだろ!」
誰に言うでもなく、呟く。
ハルキは、学校のフェンスをよじ登った。
靴底が、金網に引っかかる。
わずかな音が、やけに大きく響いた気がした。
校内へ降り立つと、
土の匂いと、夜の静寂が一気に押し寄せる。
――その瞬間。
どこかで、
“羽ばたきに似た音”がした気がした。
ハルキは、反射的に振り返る。
……何もいない。
けれど、背中に、
確かに視線の名残が残っていた。
「……カラス?ここにいるのか??」
答えはない。
夜の学校は、
すでに彼を迎え入れてしまっていた。
ーーーーーー
ハルキは、まず一階の教室から探索することにした。
きゅっ、きゅっ、きゅっ
夜の校舎は、音が少なすぎた。
足音が、必要以上に響く。
それなのに、反響が返ってくるまでに、わずかな“間”がある。
廊下の蛍光灯は、消えている。
点いている灯りも、どこか元気がなく、
白というより、薄い灰色の光を落としていた。
一階。
普段なら、最も生活感のある階。
昼間の名残が、
ここには、まだ残っているはずだった。
――はず、なのに。
最初の教室の扉に手をかける。
引き戸が、音もなく開いた。
教室の中は、整いすぎていた。
机も椅子も、すべてが等間隔。
黒板には、消し残し一つない。
チョークの粉の匂いすら、しない。
(……こんなに、綺麗だったか?)
夜の教室は、少し散らかっているものだ。
プリントが一枚、机の下に落ちていたり。
消し忘れた落書きが、黒板の隅に残っていたり。
そういう“人の痕跡”が、ここにはない。
ハルキは、教室の中央まで進む。
そのとき。
――カタン。
一番奥の席の、椅子がわずかに揺れた。
ハルキは、息を止める。
風?
いや、窓は閉まっている。
目を凝らすが、
教室の中に、他の誰かの姿はない。
それでも、
“誰かが、今まで座っていた”
そんな気配だけが、そこに残っていた。
ハルキは、教室を出た。
次の教室。
その次も。
どこも、同じだ。
綺麗すぎて、
静かすぎて、
そして――
時間が、止まっている。
廊下を進むにつれ、
耳鳴りのような感覚が、少しずつ強くなる。
自分の鼓動だけが、やけに大きい。
ふと、壁の時計を見る。
秒針が、動いていない。
いや――動いてはいる。
けれど、一秒が、異様に長い。
一、
二、
三……秒。
(……遅い。空間が歪んでるみたいだ...。)
ハルキは視線を逸らした。
その瞬間。
背後の教室から、
黒板を引っかくような、微かな音がした。
キィ……。
振り返る。
だが、廊下には何もない。
教室の扉も、確かに、さっき閉めたままだ。
(……まだ、出てこない)
ハルキは、無意識にそう思っていた。
――何かが、
こちらを観察している。
それだけは、はっきりと分かる。
一階の廊下は、
まだ“入口”に過ぎない。
ハルキは、次の教室へと足を向けた。
夜の学校は、ゆっくりと、牙を研いでいる。
でも、引き返すわけにはいかない。




