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微笑の檻の中で

作者: 長尾衣里子
掲載日:2025/11/29

――微笑の檻の中にいた。見えない檻社会と気づいた日本から脱出。しばし癒しを求めてタイへ。けれど、微笑に隠されただけ。そこも見えない檻の中だった。

 急遽、乗りこんだタイ行きのLCC。思いのほか、機内は寒かった。安さが売りなエアアジア。ブランケットも有料だ。とても払う気になれず、棚から冬物を出す。それを見た隣の男二人連れは、おばさん力を発揮する私を笑う。

「させてもらいたい気分」

 私の肩にもたれかかった。よろけたフリだが、明らかに故意だ。

「出国しても、日本の感覚から抜け出せない輩。同料金を払った乗客なのに、隣席が女性というだけで、これくらい許されると思っとる。私が同じ日本国籍だから兎も角、タイに何しに来たんだか……」

 眉をひそめたが、同類の輩は日本企業に増殖しとる。腹立たしい気分をリフレッシュするため、大福をパクついた。それを見た二人は嘲笑したが、無視を決めこむ。ほどなくランチタイム。タイ女性のCAが配膳。だが、オプションをつけなかったのか、隣の二人連れにランチはなかった。

 ランチの値段をCAに質問。しぶって水だけ購入。高いとぼやきはじめた。

「おばさん力って、バカにできんのよ。空港ロビーの自販機で水くらい購入できたのに」

 同情はしないが、バンコク到着まで三時間超え。さすがに気の毒になった。おばさん力をつい発揮。棚から出したランチボックスに、嘲笑する二人連れ。

「嫌いでなければ、いかがですか?」

 笑う二人連れに、ゆで卵二つ。留守中に期限切れとなる卵がもったいから、ボイルして持参しただけ。笑いが消えた二人。喉から手が出るほど欲しかったはずなのに拒否。女からの施しは受けんという態度だった。

 ふと、タイの女性研究者から習った言葉を思い出す。

「経済力のない日本男性が、より経済力のないタイ女性を買いに来る。タイ語のスラングでは、ニッポンジーンと差別用語で彼らを呼んでいる」

 微笑に隠れて、知人の心は見えなかった。けれども、「ニッポンジーン」のイントネーションには、憎々し気な蔑むニュアンスに満ちていた。日本を出発する直前、12歳のタイの少女が日本に売られたニュースを見た。捜査のためタイ警察が来日と報道。

「売るほうも売るほうだが、買うほうも買うほうだ」

 六〇人以上の日本の男どもが、十二歳の女の子を買った。彼らは捜査の対象外。タイ王国に降り立った時、同じ日本国籍を持つ者として土下座したい気分だった。隣席の男二人連れの目的は知らねど……


 翌日、バンコクからコンケン行きのフライトに乗り遅れる。

①日本発の国際便ではすんなり通過した胡弓(沖縄の伝統弦楽器)の預けるのに手間どった。「開けて確認してもOK」と言っても、どうしても〇〇〇機に通したいらしい。


②空港カウンターでパスポートが返却されず。気づいて戻れば、口をそろえて「I don’t know.」と全員シラを切った。パスポートが戻ってきただけでも良しとしよう。


③手荷物検査で、日本からの土産物が引っかかる。「捨てていい」とゲートに急ごうとしたが許可されず。結局、未開封のオタフクソース二つが問題だったようだ。お好み焼きが好きなタイ知人への土産のチョイスを過ったと後悔。


 ここは南国タイ。海外に来ても日本の感覚を持ちこんだ自分のフォルトだ。なのに、つい大声を放った。カウンターで顔を見合わせ、職員たちが笑う。

「所属組織を批判されると、日本職員も意味なく笑う。タイ職員もか」

 頭に血がのぼった。だが、的はずれと気づく。「微笑の国」だから、怒りの表情に「あの日本人、こわーい」的な笑いだろうか。

 だけど、私は日本人。待ち合わせの時間を守るのが大事だ。でも、Wifiが使えず連絡がつかない。焦りまくった。日本ほど時間に厳しくないにしても子どもがやんちゃなのは万国共通。友達は小さなBoy二人も連れてくると言っていた。今ごろ、飽き飽きした二人の少年が駄々をこねているだろう。

 三時間遅れのコンケン空港に友達の姿は見えず、タクシーでプーウヤンゴ村に向かう。


 プーウィアンゴ博物館近くのホテルで一息。風の音や、鳥のさえずりに耳を澄ませる。くつろいでいるうち腑に落ちる答えを得た。ここの時間はゆっくり流れている。大らかな自然の流れに逆らってアクセクしても空回りするだけ。

「I have no time.」

 空港で私がくりかえすと、決まり文句の返事。

「Just two minits.」

 同じセリフが返ってきた。

「まるで、時間の奴隷だ」

 要するに、それが笑いの意味だろう。本人に確かめようもないが、自分自身でそう感じた。田舎町プーウャンゴの安宿で手作りの粥を啜る朝。どこか焦る心をスローダウンしようと試みる。自然のサウンドに耳を澄ませ、大自然の時に心をあわせる。やっと、ひとつ大あくび。心が伸びをした。


 久しぶりに再会した恩ある老師。三十年前と変わらず、微笑を讃えていた。そのため、果歩は気づかない。寄る年波が彼の心を蝕んでいることに。親切には変わりない。だが、ごちそうを勧められる時でも「よし」と号令されている気分だった。まるで、飼い犬扱いようだ。実際、果歩は微笑の罠に嵌るところだった。


 ある日、彼の来日時にTシャツ二枚を土産に渡した記憶が彼から抜け落ちていると気づく。その筋で有名なイラストレーターにオーダーしたTシャツだ。友達価格だから高くはない。されど世界に同じものは存在しないオリジナル。食費には十分だろうと、平気でごちそうになった。だが、彼は昔とちがい妙だった。見向きもされなくなった彼には、食費やフードで従せるしかなかった。飼い主的な態度が窮屈で逃げ出すと、食い逃げをみるような目つきだった。

 前払いのつもりで渡したTシャツを覚えてない以上、とりあえず食費として1000バーツを彼の息子に手渡す。欲しいはずのモロッコ情報も惜しまずに提供。それでも、檻の網はさらに窮屈になってゆく。タイでは失礼を承知で、先生に直接1000バーツを手渡した。

「借りは返したから、手を出すな」

 言い放つかのように渡した。だが、時すでに遅し。一度でも手ずからエサを食せば、自分の飼い犬とみなしたようだ。

 作戦を変えて、生身の人間であることをアピール。持参した沖縄の伝統楽器である胡弓を弾いてみた。沖縄の曲だけでなく、日本の童謡などを奏でる。

「Nice player.」

 愛息に称賛の言葉。

「女である前に、一人の人間である」

 アピール成功と早合点。ところが、血統証がランクアップしただけ。自分の飼い犬は芸ができると自慢しているようだ。


 めげずに、職業意識を高くアピール。彼の前で、息子がケープタウン学会に参加すると確認。

「シンポジウムの女友達がホスト役だから聞いてみる」

 いろいろ世話を焼いた。さすがの老師も肩身が狭いようだ。女性がホスト役のシンポジウムに愛息が参加するとは。タイでは従わせる存在の女性の活躍がタイ男性のプライドを疵つけたようだった。彼は男の面目を保つため、自分の用意した食べ物でもないのに、私にだけは「よし」と言いたがった。

「まぁ食べなさい」

「No,Thank you.」

 あきれ果てて拒否。もはや彼の姿は惨めったらしい老いぼれ以外の何者でもなかった。


 長年の信頼の絆を思う。昔の彼はこんな風ではなかった。だいたい彼の愛妻はどうした? やきもち焼きの彼女が愛夫と二人きりにするとは考えにくい。聞けば、ケガで長期入院。どうりで、フェイスブックでやりとりしている彼女とコンタクトできなかったはずだ。

 愛妻といえど、入院中はいないも同然。タイの憲法では婚姻の自由があるか一夫一婦制か、ノーチェックで入国してしまった。けれども、外国籍の私には適用されずとタカをくくった。それが誤りだった。

 ホテルまでさし向けられる使い。男では警戒されるため、女性数人が来る。

「迎えに来ました」

 タイ語が理解できず、微笑の意味もわからずオフィスへ案内。

「Dr.〇〇とランチを」

 何のことはない。ランチの相手に呼ばれただけだった。

「くだらない」

 〆切をかかえる私は構わず、携帯パソコンを広げた。社員じゃダメだと判断した老師は、息子の嫁を使った。

「時間あるから、いつでもウェルカムよ」

 車を運転できない私の案内役を買ってくれた。目的地をまわった後、ホテルを素通りした車。

「どこに行くの?」

「オフィス」

 微笑んで白状。また、騙されるところだった。

「眠いから、ホテルで休んでいい?」

 外国で仮病はやばいと、生あくびをした。

「OK」

 しかたなく車はUターン。

「アフタヌーンに迎えに来るからね」

 有無を言わせぬニュアンス。

「今もう、アフタヌーンだけど?」

 言い返したくともできない圧だった。


 嫁じゃだめと老師は判断。ついに、息子まで使ってきた。嫁の手引きから、彼が助けてくれたと信じこんでいた。その信頼は三度、裏切られた。さすがに三度目は学んだ。一家勢ぞろいの車は目的地でなく、レストランへ。

「ランチはどう」

 その手は食わない。タイ語のトークはわからずとも「パパ」というワードは理解できる。レストランには、父である老師が待ち構えているだろ?

「ランチはいい。車内で仕事したいから、wifi使える?」

「Sure.」

 パスワードを入力しながら。

「レストランでもwifi使えるから行こ?」

「車内でいい」

 あきらめた彼は、レストランに消えた。同時にwifiも使用不可に。

「フード代わりに、wifiをエサに呼び寄せるのか」

 しばらく何も考えられず、ふて寝するしかない。車に戻った彼はオフィスに戻った。目的地には行かず、ただレストランの誘導したかっただけ。二の句も告げない。代わりに運転席に座った妻に言った。

「少し、眠っていい?」

 帽子で顔を覆う。屈辱の涙を見られることは悔しいだけ。けれど、幼い少年たちは気づいてしまった。

「ママ、果歩は泣いているよ」

 運転手のママにも、涙を見せたくない私にも、よけいな一言。

「静かにしてあげなさい」

 ちらりと、同情の目つき。それでも、手引きの手を緩めない彼女に言い放った。

「職業ライター時代、セクハラを撥ね退けて二度クビになった。日本の社会に比べれば、タイ企業は女性にとって働きやすい環境なのかな?」

 その皮肉が精いっぱいの反撃だった。 


 タイの文化は尊重するが、しきたりに従う義理はない。どれほど位が高い男に所望されようが断固拒否する権利がある。たとえ、タイのしきたりを破ってでも……


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