第一話-赤い瓶
夜の路地裏。
マリーンはひとり、壁にもたれて小瓶を指先で転がしていた。
街灯に照らされ、瓶の中の液体が赤くきらめく。光が彼女の頬をかすめ、その横顔はどこか人間離れして見えた。
通りかかった男が、ふと足を止める。
瓶の中の紅が、まるで呼吸をするようにゆらめいた。
「それ……なんだ?」
マリーンは答えなかった。
ただ、ゆっくりと瓶を持ち上げ、赤い光を見つめた。その瞳に、男の姿は映っていない。
男は笑った。気の迷いのように、マリーンの手から小瓶を奪った。
彼女は抵抗もしない。ただ、黙って見ていた。
栓が抜かれる音が、やけに鮮やかに響く。
男はそのまま中身をあおった。
口に広がる甘い香り。
血のように濃密で、舌に火が宿るような熱さ。
その瞬間、全身がふっと軽くなる。
心臓がより速く脈を打ち出し、胸の奥で何かが燃え上がる。
頭の中に霞がかかるような快楽が押し寄せた。
――天にも昇るような心地だった。
マリーンはただ、男の唇を見つめていた。
その時、突如として彼女は金切り声を上げ泣き喚いた。
「あなた、――酷いわ!!!!」
男は酔いが醒め、我に返った。
「あ……すまない、悪かった。」
慌てて瓶から視線を外し、男はようやくマリーンの顔を見た。
その瞬間、視線は無意識に彼女の唇に吸い寄せられ、男は心を奪われた。
胸の奥がざわめいた。理性と快感がせめぎ合い、下腹部に熱が走る。下品なほどに、抑えきれぬ欲望が湧き上がった。
静寂を、微かな息と衣擦れの音が乱した。
街灯の光が揺れ、影が絡まり、そして溶けていく。
――やがて、路地に残ったのはマリーンの吐息だけとなった。
夜風が吹き、赤い瓶がころりと転がる。
マリーンはしゃがみ込み、空になった瓶を拾い上げた。街灯にかざすと、底に残った紅い液がかすかに光った。
――微かに笑う唇の奥に、何か妖しい余韻が漂っていた。
そして、男の瞳に映ることは、もう二度となかった。
日差しが差し込む朝も、淡い光に頬を染める昼も、彼の世界は永遠に閉ざされ、赤い光だけが記憶の片隅で揺れていた。




