第1話 オーゴ
「ねぇ、やっぱりあの人を置いて行けないよ」
僕の目の前を歩いていた女性がふと立ち止まり、俯きながらそういった。薄暗く曇った空からは、ひたすらに雨が降りしきっている。
しかし、僕とその女性は雨を凌ごうともしないで、ただ服に水が浸み込んでゆくことを良しとしていた。
僕の目の前で俯いているこの女性の名前は...
分からない。
名前は当然のこと、彼女の顔も記憶にない。
けれど、どこか懐かしい。そんな暖かな感覚だけが、じんわりと身体に浸透していた。そして何より、とても綺麗な人だ。
...というか、ここはどこだ?
僕の知っている街並みではない。
...いや、街並みと言うべきではない。
僕の知っている、『世界』ではない。とでも言うべきか。
今、僕が立っている硬い黒色の地面も、辺りを囲んでいる見たこともないくらい巨大な灰色の建造物も、僕の知らないものだ。
しかし、そんな地面には幾つもの亀裂が走り、建造物も傾いていたり崩れていたりしていて、ここで何があったかは知らないが、あまり平和的な光景には見えない。
すると突然、予想外の場所から男性の声が聞こえてきた。
「....だよな。けど、どうやって助ける?」
その声が発せられた場所は、間違いなく、僕の口からだった。僕が突然、女性に質問をしたことになる。
...けれど、僕が質問をしたのではない。
僕の口が勝手に、動いたんだ。
一方、僕の質問を受けた女性は、少し考えるような表情をした。
「う~ん、...じゃあさ、アンタの力で私を避難所に送ってよ!」
僕の力?
一体この女性は、僕の力を知っているのか?
僕の力は......
...ふと、視界が足元に向けられる。
僕の意思とは関係なく話し出したり、勝手に視界が動いたり、まるで今の僕は誰かの体の中に閉じ込められているようである。
足元を見ると、「止まれ」という白い文字が地面に大きく描かれていた。そしてそれは、僕達を馬鹿にするように雨に濡れてテカテカと光っている。
「はいはい。まぁ、愛日なら大丈夫か。」
また、口が勝手に動いた。
僕自身、唐突に動くこの口に驚いてしまう。
(愛日、あいび、...どこかで、聞き覚えが...)
僕が愛日と呼んだその女性は、長い黒髪を艶々と輝かせながら、無邪気に頷いていた。
「ただし!10秒だけだ!10秒経ったらお前もあの人も、ここに戻すからな!」
また、僕の口が動いた。勝手に動くこの口はどう頑張っても制御できそうにない。
目の前の女性は張り切って、ムフンと息を吐いた。
...やっぱりこの女性は、...いや、愛日は、綺麗だ。
「りょーかい!じゃあ、10秒経ったらここに戻してね!それじゃあ!」
愛日は笑顔で僕に手を振った。まるで辺りを晴れだと錯覚させるくらいの、そんな太陽のような笑顔で。
そして、消えた。
きっと僕の『力』で、愛日をあの人の元へ送ったのだろう。僕には『あの人』が誰かもわからないが...
それでもこの物語は一方的に進んでゆく。
(......それにしても)
何故か僕の心には、ある一つの感情が常に渦巻いていた。
愛日と目が合う度に、体温が高くなり、鼓動が少し早くなる。見覚えのない、誰かも分からない女性と目が合う度に、胸が苦しいほどに締め付けられた。それはまるで、自分の人生の存在理由が、すぐ目の前に在るかのような、そんな緊張感。
僕は、この感情の名前を知っている。
この感情は...
「...俺、やっぱり、愛日のこと大好きなんだな」
口が動いた。
もちろん、
勝手に。
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国歴248年 春 ルート国
「おいオーゴ、ぼーっとしてどうした?」
父が僕の名前を呼んだ。
僕はその呼びかけにハッとする。
「あ、あぁ、父さん。ちょっと今朝の夢を思い出してて。」
僕は目の前に置かれていたパンに手を伸ばす。バターとジャムがたっぷり塗られた、僕の好物だ。
僕の返答を聞いた父は、少し不思議そうな顔をした。
「夢...?なんだ、悪夢でも見たのか?」
悪夢か...
いや、悪夢なんかではなかった。
あの夢はもっと、居心地のいい物だった筈だ。何より、こんな大事な時期に悪夢なんて見ていたら縁起が悪すぎる。
「いや、悪夢なんかじゃなくて..........あれ?どんな夢だったっけ...」
思い出せない。
...まぁ、忘れるくらいなら本当に大したこともなかったのだろう。
僕は気を取り直してスープを飲み干した。野菜がたっぷりと入った、健康的なスープ。
「なんだそれは、さっきまで考えていたのではなかったのか?...とにかく、食事中にぼーっとするな」
僕は父さんの指摘にムッとしていると、使用人たちがデザートを持ってくる。
使用人が僕の目の前にデザートの乗った器を置き、僕は間髪入れずにそのデザートにスプーンを差した。
今日はヨーグルトか。さっぱりしていてよろしい。
「おいおいオーゴ、もうデザートかぁ?お前はこの国の王子なんだから、もっと食ってもっと大きくなれよ。」
(う、うるせぇ~...)
父のこの指摘に、流石の僕もイライラゲージが限界値を迎えてしまう。
僕は一旦ヨーグルトを食べる手を止めて、父の方に指をさして反論をする。
「あのね父さん、僕18歳!!成長期終わっちゃってっから!」
僕は渾身の反論を放ったが、父はそれでもヘラヘラとしていやがる。
「いやいや!わからんぞ~。俺は20まで伸び続けた!はっはっは」
僕は大笑いしている父を睨みつけた。
今、僕の目の前で笑いながらパンをムシャムシャと食べているこの男、つまり僕の父は、身長が180cm後半。
母は僕が幼い頃に死んでしまったらしく、見たことがないのでどのような体格かは分からない。けれどこの僕が160㎝(ほんとは159㎝)なところを鑑みると、きっと小柄な女性だったのだろう。
それにしても、こんなにも栄養豊富な食事を毎日食べていたのに、何故160cmなのだろうか。神様は残酷だ。
とりあえず、お腹も膨れてきたので朝ごはんはここら辺にしておこう。
僕は近くに居た使用人に声をかけ、食器を片付けさせる。
「そういえばオーゴ、明後日はもう出発だぞ?準備はできているのか?」
父はサラダを頬張りながら、僕の名前を強調して問いかける。
「ん?...あぁはいはい。リュックは父さんが準備してくれたのが有るし、大体のサバイバルアイテムは入れたかな。」
明後日の出発...そう、それは『創造神討伐遠征』への出発!何を隠そう、僕の人生における最重要イベントである!
僕はこの創造神討伐遠征に何度も思いを馳せ、ありとあらゆる場面の想定をした上で荷造りをした。なので、ドッペルゲンガーにでも鉢合わせない限り、僕の命が脅かされることはない自信がある。
「けど!お前の掌力なら、城から必要なものなんてすぐ手元に持ってこれるしなぁ!はっは!」
父はまたもや大笑いして、僕の掌力を話題に出してきた。
(掌力か...)
『掌力』
それはこの世界に生きる人々が持っている力。しかし、全ての人間が持っているという訳ではなく、掌力を保有していない人間も勿論いる。
そしてそれは、文字通り手の平がトリガーになって起きる力で、内容は人によって様々。途轍もない力を持つ掌力もあれば、手から微弱な静電気を出すだけの掌力もあるらしい。だが、世界に同じ掌力を持つ人間は二人といないと言われている。
そして僕の掌力は、『入替』。
一度でも僕の手の平で触れたことのある物同士は、いつでも好きな時に場所を入れ替えることができる。単純だが、中々に使い勝手がよく、いつも僕を助けてくれている。
因みに、掌力を使うとスタミナが失われ、使いすぎるとヘトヘトになって暫く掌力を使えなくなる。まぁ走ってバテる時と同じような感覚だ。
父は僕の掌力の有用性を知っているから、簡単にこの力に頼ろうとする。
「父さん、あのね、僕は旅をしている最中は城に戻んないし、城の物に頼ったりしないって決めてるから。」
僕は自信満々に答えるが、父は余程僕を信用していないらしい。
その証拠に「大丈夫か~?」といった顔で僕の顔を覗きこんでくる。
「大丈夫か~?...それにしても、意外とすんなり創造神討伐遠征に応じてくれたな。王族の義務とはいえ、お前のことだからもっと面倒くさがるかと思っていた。」
「いやいや父さん、これでも僕は一国の王子だよ?この世から悪を根絶したいという志は父さんにも負けてないから!」
そう、僕はこの国の王子だ。
今までの人生、大した冒険もなく、大した興奮もなかった。だから生きていて特段、生を実感する瞬間なんてなかった。
かと言って何か苦労することもなかったし、父は厳しかったものの、一般市民よりは充分甘い蜜を吸って生きてきただろう。そんな人生を送ってきた僕が、当然褒められた人間ではないことなんて、自分の中では理解してるつもりだ。
...でも、だからこそ、王族の義務という物は誠心誠意果たすつもりだし、この世界の脅威である創造神を倒したいとも思っている。それは紛れもない本心なのだ。
とは言え、これは本心の内の40%、...いや、29%くらいかな??
何を隠そう、今回の冒険では僕にとって、創造神を討伐するのと同じくらい崇高な目的があるのだから。
その目標とは、ズバリ.....!!
『モテて結婚する』
........今、僕の崇高かつ高遠な目的を、「色欲にまみれた権力者」と揶揄しようとした愚か者は居たか?
もしそのような者が居たら、僕のペットのターザン・サンマルチーノ(ミニチュアダックスフンド)の餌として踵から食べさせてやるとしよう。
...そう、王族は血筋を残すことも立派な仕事なのだ。
なのでこの創造神討伐遠征で見事創造神を討伐すれば、僕はこの国の人々(特に女性の方々)から更にチヤホヤされるし、この世界から創造神の脅威はなくなるしで、つまりwin-winという訳だ。
以上が、僕の創造神討伐遠征に出発する主な動機である。
「フフフ...できれば黒髪ロングの年上お姉さんが...」
「おいオーゴ、さっきからどうした。これから冒険のパーティーになる2人と顔合わせだろう?そろそろ準備しなさい。」
父の言葉にハッとする。
「うわっ、そうだった!!」
今日は、僕とパーティーを組む2人と初対面をする予定になっている。
「じゃあ僕はそろそろ出るから!父さんも小麦粉はそこら辺にしときなよ!」
「余計なお世話だ。」
僕は駆け足で自分の部屋へと向かう。
その頃には、今朝見た夢の内容なんて完全に忘れてしまっていた。
そして、この日から始まったのだ。
人生を、
...いや、
世界を変える旅が、始まったのだ。
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