ブロウ外伝⑯ 惨劇
「ブロウ、おめでとうございます!」
スレナは不安も心配も全て隠した満面の笑顔を用意して、扉を思いっきり開ける。
この部屋の中に、最終試験を勝ち残ったブロウが待っている。それを考えるだけで、自然と全身に力が入った。
ブロウが最終試験を勝ったことは教官から聞いた。けれど、イトアトスが生き残ったかどうかは聞いてはいない。
...しかし、それでもスレナは信じていた。きっとこの部屋の中には、勝ち残ったブロウだけではなく、傷だらけになってでも笑って待っているイトアトスの姿もあると。
だから今は、自分も笑って二人を迎えようと、スレナはありったけの笑顔で部屋に駆け込んだ。
「......あれ?」
スレナが部屋に2、3歩あゆみを進めた時、彼女は猛烈な違和感を感じた。
何故なら、その部屋の中には、誰も居なかったから。
いや、誰も居ないどころではない。...正確には、何もなかった。
スレナが駆け込んだその部屋は、無機質な灰色の壁に囲まれた、窓の一つもない小さな薄暗い部屋であった。よく見てみると、部屋の壁のあちこちに小さな穴がプツプツと開いていて、その穴から覗く暗闇が底知れぬ不気味さを放っていた。
(なに、この部屋...?誰も居ないし、何もない。教官は、ブロウがここに居るって__)
スレナはその部屋にただならぬ気味の悪さを感じ、一歩だけ後ずさりをしてしまう。そして部屋の外にいる教官の存在を思い出し、スレナは振り返って、さっきの小太りな教官に質問しようとした。
「あ、あの!本当にこの部屋です...か...?」
しかし、振り返ったスレナの目に映ったのは、あの教官の姿ではなく、固く閉ざされた鉄の扉であった。さっきまで開いていた扉が、いつの間にか聳え立つように閉ざされている。
スレナは恐る恐るその扉に近づき、取っ手にゆっくりと手をかける。
開かない。
入ってくるときは、少し押しただけで簡単に開いたこの扉は、今は押しても引いてもビクともしない。
スレナの脳裏に、ふと不吉な予感が走る。
(騙された)
そして直後、鮮明に思い起こされるのは、二日前教官が言っていた、「選ばれなかったサポーターは処分される」という言葉。
途端に心臓が速くなり、嫌な汗が額を伝う。もう一度、スレナは力を込めて扉を引いてみた。...しかし、当然のようにその扉は動じない。
「教官、これはどういうことですか!?ブロウが最終試験を勝ち残って、私がサポーターに選ばれたって...!あれは嘘ですか!?」
スレナは、扉の向こうに居るであろう教官に向かって声を張る。しかしそれでも、扉の向こうから教官の返答が返ってくることは無かった。
「こうなったら...」
スレナは自分の腕力で扉を開けること、そして教官の手助けを得ることが困難だと悟り、多少強引な手に出ることにした。
自身の掌力を使うのだ。
スレナの掌力は『引寄』。彼女はその掌力を扉に向かって使用し、分厚い扉を無理矢理破壊しようと試みたのだ。
スレナは一歩扉から離れると、両手を扉の方に向けて立ち止まった。そして一呼吸つくと、今度は思いっきり腕に力を入れて掌力を発動する。
「...くッ!」
彼女の『引寄』は、手の平の向いている方にある物体を、自分の側に引き寄せる能力だ。その力は、彼女自身の腕力の数倍は強力である。
しかし、それでも扉を破壊する事はできなかった。
彼女が掌力を扉に向かって使用している時、扉はほんの少しだけ、「ギッ」と音をたてたが、やはりそれ以上は動かなかった。
スレナは一度手を下げて、肩で呼吸をしながら扉を睨みつけた。
(一発で開きはしなかったけど、少しだけ動かす事はできた...!何度か繰り返して『引寄』を使えば、もしかしたら...)
スレナの眼は、まだ諦めていなかった。
彼女はもう一度息を整えると、再び手の平を扉に向ける。
「今度こそ...!」
スレナがそう呟やき、再び掌力を使おうとした、その時。
背後で何かの音が響いた。
それは、「プシューッ」という、聞きなれない音。
「な、なに...!?」
スレナは何が起きているのか理解できぬまま、反射的に音が聞こえた背後へと視線を向ける。
...けれど、振り返ってみても、景色は先程と何ら変わっていなかった。殺風景な小さい部屋に、壁に幾つか開いた黒い穴。
たださっきと違うのは、薄暗い部屋の中に、何か空気が抜けるような、もしくは空気が入ってくるような、そんな音が不気味に反響していることだけである。
それでも、スレナは本能的に危機感を覚えた。
彼女は直感的に、穴から何かが放出されているのだと考え、口元を手で覆って息を荒げないようにした。
それでも、ゆっくりと、着実に、部屋の中にはそれが充満していった。
「...ゴホッ、ゴホッ!な、なに?息が、吸いづらい...!」
口元を手で覆っていても、彼女の体は疑いようのない違和感に苛まれていく。
色もなければ匂いもしない。けれど、なにかが体に害をなしていることは、簡単に分かった。
スレナは立ち眩みを覚えて、思わず壁に手をつく。息をしようと空気を吸い込むと、逆に苦しくなっていく。ジワジワと、見えない手に首が締め付けられているような、そんな感覚が首元に残る。
(心臓が速い、耳鳴りも聞こえる...)
スレナは咳き込みながら、壁に背中を預ける。しかし、足に力が入らなくなった彼女は、ズルズルと床に倒れ込んでしまった。もはや口元を手でふさぐ気力も残っていない。
彼女は肩で息をしながら、ぼんやりと薄れていく意識の中で、ただひたすらに2人の姿を思い出していた。
(...あぁ、いやだな。私、ここまでなのかな...?ブロウとイトアトスは、どうしてるんだろう。笑って、いるかな?)
狭まっていく視界の中で、何か床に光るものが見えた。
...それは自分の眼から滴った、少量の涙であった。
(私が死んだって知ったら、あの二人は泣いてくれるのかな。...ふふっ、泣くでしょうね。けどやっぱり、二人にはずっと笑っていてほしいな。)
スレナの消え入るような呼吸を、穴から放出され続ける空気の音が掻き消してしまう。床に倒れ込んで瞼を閉じたスレナは、最後に一粒の涙を流した。
(あぁ、...叶うなら、彼と二人で、外の世界を、見てみたかったなぁ...)
スレナの呼吸が、静かに止まった。
彼女の瞼が開くことは、もうない。
_____________________________________
同時刻 ブロウのいる部屋
「だれだ、おまえ」
開いた扉の先に立つ人物に向かって、ブロウは感情の籠らない声を上げた。
ブロウの視線の先に居る人物は、派手なピンク色の髪をした一人の少女であった。
その少女はブロウの生気のない顔を見るや、嫌悪感を隠しもせずに表情を歪めた。
「...聞いてないワケ?はぁ、...アタシが創造神討伐遠征に選ばれた、サポーターなんだけど。」
ブロウは今にも倒れ込みそうな覚束ない足取りで、一歩、また一歩とその少女に近づいていく。
そして、虚ろな瞳のまま、消え入りそうな声をブツブツと呟き始めた。
「な、なにいってるんだ?おれのサポーターは、スレナだ。おまえじゃない。サポーターは、最終試験の、勝者がえらぶんだろ?おれは、スレナをえらぶ...」
ゾンビのように近づいてくるブロウを、ピンク髪の少女は拒絶的な視線で睨みつけ、距離を取る様に一歩後退した。
「アンタ、まだ分かってないの?...このアカデミーでそんな話、通用するわけがないでしょ。創造神討伐に適した人材がいるなら、アカデミーはそっちを取るに決まってる。...勝者の要望なんて、いちいち聞き入れるわけがない。」
ブロウは、少女のその突き放すような言葉に一瞬歩みを止めた。
しかし、今度は何かを思い出したように、とても動揺した様子で再び少女に歩みを寄せる。
「じゃ、じゃあッ!いまスレナは、スレナはどうしてんだよ!?」
異常なほど取り乱したブロウを目の前に、少女は、まるで汚物でも見るかのような視線で彼を睨みつけ、刺々しく口を開けた。
「近づいてくんなよ...!そのスレナってのが誰か知らないけど、この創造神討伐遠征に選ばれていない時点で、今頃処分されてるわよ!」
『処分』
その言葉の意味を理解するのに、今のブロウには数秒の時間が必要であった。
しかし、言葉の意味を理解するその前に、彼の頬には涙跡ができていた。
ブロウは息を荒げ、涙も鼻水も垂れ流したまま、目の前の少女の肩を強く握る。
少女はそのあまりの握力に「いっ...!」と声を洩らした。
ブロウは血走った眼で、少女に顔をグイっと近づける。
「おまえが...!!」
「一体なんなの?痛いんだけど、早く離してくんない?」
ブロウは半狂乱とも言える形相で、少女に向かって大きな口を開いた。
「お前が殺したようなもんだぞッ!!お前がスレナを...!!なのに、なのになんでそんなヘラヘラとしてやがるんだよ!クソがッ!!」
ブロウが少女に怒声を言い放った、その直後、
ドゴッ
鈍い音が響いた。
...いや、正確には部屋にその音が響いた訳ではない。ブロウの頭の中に、響いたのだ。
ブロウの視界が大きく揺れ、次の瞬間、部屋の白い床が映る。
さっきまで憎むべき少女を掴みかかっていたはずなのに、今は床に倒れ込んでいる。そして左頬に残る、ジンジンとした強い痛み。口の中で鉄の味がした。
彼はぐわんぐわんと回る視界で、自分の足元に立つ少女を見つめた。
少女は右拳を硬く握りしめており、それがブロウの左頬を強く殴打したことは誰の眼にも明らかであった。
そして少女は、さっきまでの嫌悪感のあるような視線ではなく、今度は苛立ちに満ちたような瞳で、ブロウを見下ろした。
「『お前が殺したようなもん』?...ふざけたこと言ってんじゃねぇよ。テメェは、実際にその手で、何人の人を殺したんだよッ!?あぁ!?」
少女はそう言い終わるや、ブロウに馬乗りになり、彼の頬を何度も何度も殴打し始めた。本来ならば、少女相手にブロウが力で負けることは無いが、最終試験を終えた今の彼には、抵抗する腕力も、気力も残っていなかった。
ブロウの頬と口から、真っ赤な血が左右に飛び散る。その血を見ても少女は手を止めず、何度もブロウの顔面を殴り続けながら、彼に向かって憤怒の声を上げ続けた。
「お前は!最終試験を生き残る為に!他の参加者全員、その手で殺したんだろうがよッ!最終試験の中には、アタシの姉貴だって居た!血は繋がってなくても、昔っから本当の姉妹みたいに、アタシを可愛がってくれてた!」
ドゴッ ドゴッ
「だから、...だからアタシが創造神討伐遠征に選ばれたって知らされた時、もしかしたら姉貴が勝ち残って、アタシを指名してくれたのかもしれないって、本気で思ったッ!けど!扉を開けた先に居たのは、名前も知らねぇお前だったッ!そのくせお前は、アタシに向かって誰かを殺したようなモンって...!なら!テメェは考えたことあんのかよ!!さっき自分の手で殺した人たちの事を!アタシの姉貴を!なァ!!」
ブロウの赤く腫れあがった顔面に、幾つもの水滴が落ちてきた。
それは、馬乗りになっていた少女の涙であった。
「なぁ、答えろよ...!」
「......」
少女は未だにブロウの顔を殴ろうと、拳を振り下ろし続けているが、その拳には最早力が入っていなかった。
ブロウは浅い呼吸の中で、思い返した。最終試験の最中、ほかの参加者に向けて『一撃』を放ったこと。
あの時は、イトアトスを生かす為に精一杯だった。誰かを『殺す』と言う感覚がマヒして、障害物を『排除』するという感覚に近かった。
いまとなって、自分の右腕が途轍もなく重くなっていることに気が付いた。
(この右手で、一体何人殺した?)
顔を知っている奴もいた。何度も話したことがある奴もいた。
そして、全員が誰かにとっての、”大切な人”だった。
それを、自分の腕一本で、全てぐちゃぐちゃに壊した。
「あぁ...!あぁあ...!!」
ブロウは潰れている喉で、喚いた。涙が出ると、殴られてできた傷と痣が痛んだ。それでも、涙は止まってくれなかった。
一番の親友だったイトアトスも、何よりも愛していたスレナも、死んだ。二人共、救えなかった。
そして残ったのは、人殺しの自分だけ。
ブロウは腫れあがった瞼を見開き、擦り切れた声で絶叫した。
「あぁ、...うああああぁぁぁぁぁぁッッ!!」
涙を流し続ける少女と、傷だらけの男。
二人しか居なくなったその部屋に、延々と叫び声だけがこだましていた。
続く




