ブロウ外伝⑭ 最後の笑顔
8月1日 ルート国 アカデミー内最終試験会場
最終試験開始後
(......あぁ、頭が痛い...)
ブロウはうっすらと目を開く。
ぼやけて見える視界には、薄汚い灰色の壁が映し出されていた。少し視線を動かすと、焼け爛れた壁や床、そして幾つかの死体も見える。はっきり言ってその景色は、目を逸らしたくなるほど凄惨なものであった。
瞬時に、ブロウの記憶が鮮明によみがえった。気絶する直前、イトアトスに裏切られたこと。しかし、裏切った親友の為に、自分は他の参加者に向かって『一撃』を放ち、気絶したこと。
あれから、一体何分、いや、何十分経ったのだろうか。
(...俺はまだ死んでないのか?一体、なんで...)
ブロウは、喉と左腕に残った痛みから自身が生きていることを実感し、くたびれた体に鞭を打って何とか立ち上がろうとした。
...しかし、体が変だ。立ち上がろうとしても、足が思ったように動かない。確かに体はボロボロかもしれないが、それにしてもこの足の不自由感はおかしい。
ブロウは上半身を起こし、自分の足を見る。
「...!?」
なんと、ブロウの足は地面に凍り付けにされており、そこから身動きが取れないようにされていたのだ。
『人を凍り付かす』、こんな芸当ができるのは、ブロウの知る中では一人しかいない。
ブロウは思い出したように辺りを見渡す。そう、『凍結』を操れる彼の姿を探して。
「参加者全員、集まってて撃ちやすかっただろう?」
その時、ブロウの左耳は、聞き馴染みのある声を拾い取った。
ブロウは反射的に、声のした方を振り向く。その声の主は、ブロウの左側、3m程先に、息を切らして座っていた。彼は苦笑いしながら、小さく呟く。
「この試験が始まる前、僕の後ろに固まっていれば、ブロウの『一撃』は逸らすから安全だって全員に伝えておいたんだ。...後ろに固まってれば、ブロウが僕を撃った時に全員巻き込めるって思ったんだけどね。」
ブロウは戸惑って聞き返す。
「イトアトス、一体これは...」
その視線の先に映るのは、言うまでもなくイトアトスであった。
ブロウの足を凍らせた張本人であり、ブロウに嘘をついた裏切り者であり、そして、ブロウの親友である、あのイトアトスだ。
イトアトスは困ったような笑顔を浮かべると、独り言のような声色で話を始めた。
「ごめんね。一撃を回避した参加者が三人いたから、殺すのに時間がかかった。本当は君が目覚める前に全部終わらせたかったんだけどね。...そうしたら、きっと君がこれから背負う重荷も、少しは軽くなると思ったから。」
「な、何言ってんだよ?イトアトスは俺を、...俺を、裏切って、この最終試験を生き残るんだろ?俺を殺すんじゃないのか...!?」
ブロウは上半身だけをイトアトスの方に向けて、事態が飲み込めないまま震える口で叫んだ。
一方、イトアトスの顔には、もうあの冷たい瞳は無く、いつもの親友の表情が戻っていた。彼は肩で息をしながらも、何か達成感のある表情を浮かべている。
「そうだな。...もうきっと、君と話すのはこれが最後になると思うから、全部伝えようか。」
彼はそう言い終えると、ブロウが再び声を上げる前に言葉を繋いだ。
「ここ数年、僕はずっと、ある計画を考えていた。『どうしたら君が最終試験を勝ち残るか』ってことをね。...けど、何回考えてみても、そこに必ず障害になるものがあったんだ。」
イトアトスは一呼吸置き、目を遠くに送った。
「僕だよ。」
彼は少し笑った。
「何回想像しても、君が僕を殺す光景が見えなかった。...君は優しいからね。仮に、殺せたとしても、君は長く罪悪感と後悔に苛まれるだろうと思った。...だから、嫌われようと思ったんだ。君が僕の事を嫌って、憎めば、心置きなく僕を殺せるだろう?」
「...」
ブロウは言葉を発することもできず、漠然とイトアトスの眼を見つめていた。
イトアトスはゆっくりと視線をブロウの方へと傾けると、もう一度笑顔を見せた。擦り傷、切り傷、青あざ、それらが彼の顔に幾つも走り、その笑顔はとても痛々しい。
「四日前、僕は医務室で君を突き放すような発言をした。本当はそのまま距離を置いて、最終試験で殺してもらうつもりだったんだけど、...まぁ結局、僕の心は僕が思ってたほど、強くなかったんだよ。君とスレナの顔を思い出す度、胸が張り裂けそうに痛んだ。そう、最後に二人と話がしたいと、思ってしまったんだ。...だから僕は一昨日、君に会いに行ってしまった。」
ブロウは無意識の内に、拳を硬く握り締めていた。
イトアトスにそんな思惑があったなんて、想像もしていなかったから。...そして何より、そんな親友の苦悩に、気づいてあげられなかった。
「君と会ってしまったから、僕は計画を変えるしかなかった。...つまり、協力を持ち掛けて裏切る作戦に、変更したんだ。僕が君に嘘をつき、本気で殺しにかかったら、流石の君でも僕を殺すと思っていたからね。...けど、そこまでしても、君は僕を殺さなかった。これは流石に予想外だったよ。ははっ」
イトアトスの笑い声が、乾ききった中庭に反響して消えた。
二人の息遣いも聞こえるような、静まり返った空間を、今度はブロウが切り裂いた。
「...分からない。イトアトスは最終試験を勝ち残りたくないのか?なんで自分を殺させてまで、俺を勝たせようとする...?」
イトアトスは「ふっ」と笑みを溢すと、焼け焦げた壁の方を見て口を開ける。
「なら逆に聞くよ。君は何故、自分を殺そうとしてくる僕を殺さなかったんだい?」
「...君を殺すくらいなら、俺は君に殺される方を選ぶ。」
「同じさ。」
ブロウは言葉を返せなかった。
「数年前まで僕の人生は、最終試験を勝ち残り、創造神討伐遠征に選ばれるためだけにあると思っていた。実際、アカデミーで生きる人間の多くは、きっとそう考えてる。...けど、ブロウとスレナと生活をしていて、人生の意味が変わっていくのを感じた。僕の生きる意味は、君たちの為にあるんだと思うようになっていった。だから最終試験も僕が生き残るんじゃなく、君に生き残ってほしかったんだ。」
イトアトスの瞳は真っすぐ、ブロウの方を見つめている。どれだけ傷だらけになっても、彼の顔は18年間ずっと見てきていた、大親友の顔だった。
ブロウは葛藤を抱えたまま、最善策を見つけるために手探りで言葉を出す。
「な、なら!今生き残ってるのは俺達二人だけだし、この間話したみたいに、今から殴り合いでもして決着をつけよう!何も死ななくても__」
「分かるだろ、ブロウ。この最終試験は、どちらかが死なないと終わらない。」
イトアトスは冷静に、ブロウの言葉を切り伏せる。それは薄々、ブロウも気づいていた事だった。
「ブロウが気絶してる間に試験が終了していないってことは、戦闘不能くらいじゃこの試験の終了は認められてないってことだろう。...つまり試験を終えるためには、最後の一人以外、全員死ななければならない。」
一瞬、二人の間に居心地の悪い静寂が満ちる。
ふと、ブロウの脳裏に嫌な予感が横切った。
「...イトアトス、君は一体、この後何をするつもりだ?」
イトアトスはその質問に答えず、黙ったまま正面を眺めている。
次の瞬間、イトアトスはおもむろに、自分の左腕を右手で握りしめた。
そのあまりにも自然な動きに、ブロウは一瞬気が付かなかった。
...彼の左腕が、凍り始めたことを。
その異変に気が付いたブロウは、顔を青くしてイトアトスに叫ぶ。
「イトアトス!まさか自分を凍らせて...!?」
イトアトスの左腕に、見る見るうちに氷が付着していく。
その重そうな左腕から右手を離さずに、イトアトスは口を開ける。
「言っただろう、この試験を生き残れるのは一人だけだ。そして、その勝者は僕じゃない。」
「やめろッ!そんな死に方、俺は許さない!!せめて、せめて俺を殺せ!」
当然、イトアトスはブロウの頼みを聞き入れようとはしない。彼の左腕は見る見るうちに凍り付き、外皮の結晶化が進んで、まるでクリスタルのように光を反射し始めていた。
「ブロウにはスレナが居るじゃないか。君が死んだら、彼女が悲しむ。」
「ふざけるなッ!君の死なら悲しまないとでも思ってるのか!...クソッ!この足さえ動けば...!!」
ブロウは何とかイトアトスの元へと行こうと、足を固定している氷を殴る。
彼の拳からは血が流れ、氷は赤茶色に滲んだ。
「...あぁ、その足の氷は表面しか凍結してないから安心して。僕のコレは細胞ごと凍らせてるから修復できないけど、君のソレは霜焼けくらいにしかならないよ。」
ブロウはそんな言葉を無視して、ひたすらに氷を砕こうと殴り続けている。
しかし、そんな彼の必死の思いとは裏腹に、イトアトスの左半身の凍結は着実に進行している。
「...ブロウ、最後に、言いたいことがあるんだ。」
「最後とか言うな!絶対に死なせるもんか...!」
イトアトスの口が開く度に、彼の口からは白い息が漏れ出ている。元々白かった彼の頬が、結晶化と共にさらに白くなっていくのが分かった。
「アカデミーは、...いや、この国は、何か大きなものを隠している気がするんだ。そして、それはきっと、僕らにとって良い物ではない。...もしかしたらこの先、君を待ち受ける世界も、運命も、想像の何倍も過酷かもしれない...」
「もういい、喋らないでいい!...頼むよ、...なぁ、頼むから、俺を置いて行かないでくれよ...!!」
ブロウは涙でぐちゃぐちゃになった視界で、必死にイトアトスの姿を捉えようとする。
彼に向かっていくら手を伸ばしても、微かな冷気が手の平を撫でるだけで、結局その手は彼に届かない。
イトアトスの凍結は急速に彼の体を蝕んでいき、彼の左半身と下半身は既に氷の結晶化をしてしまっていた。右半身と顔が凍りつくのも、もはや時間の問題である。
彼は動かすのもおぼつかない口を懸命に動かして、最後までブロウに言葉を送ろうとしていた。
「...もしかしたら世界すらも、君の敵に、なるのかもしれない。...それでも、たとえ相手が、どれだけ強大でも、君は自分自身を、..仲間を信じて。...っふ、大丈夫だから。世界が、敵になっても、僕とスレナは、君の、味方さ。」
ブロウは未だに諦めようとせず、足元の氷を殴り続けた。...しかし、もうその拳には力が入っていなかった。弱々しく氷を叩き続ける彼は、嗚咽を繰り返しながら涙を流している。
そんな彼の横目で、イトアトスの顔が更に青白く染まった。
「...ははっ、...泣く、なよ、...ブロウ。...創造神を、たおす、だろ...?...君、なら、...きっと、できる。...その、いちげきで、すべてを......___」
音が、消えた。
イトアトスの声が、もう聞こえない。
...彼は、自分の作りだした氷に飲み込まれていた。
ブロウは焦点の合わない視線を、氷の中にいる親友の顔へと向ける。
冷たい氷の中に閉ざされた親友は、毎日のように見ていた、いつもの笑顔を浮かべていた。
「...はぁ、...はぁ、...イ、イトアトス...?うそだ...!あ、あぁ...、...ぅあぁ...!!」
ただ一人だけ残ったその試験会場に、絶叫がこだまする。
ブロウが笑顔を作れない時、イトアトスは決まって笑顔を浮かべていた。
続く




