弄時
今回はちょいと話しを巻き戻す描写も取り入れてみました・ω・
「ハァ、ハァ……っ!」
薄暗い螺旋階段。カチコチと響く巨大な歯車の音だけが、耳障りに鼓膜を揺らす。一段登るごとに空気が重くなり、まるで水底に沈んでいくような息苦しさを覚える。
ようやく辿り着いた最上階、巨大な文字盤の裏側。そこは、無数に噛み合う歯車が、常軌を逸した速度で『逆回転』を繰り返す異様な空間だった。
そして、その狂った歯車の中心、月明かりが差し込む影の中に、一つのシルエットが佇んでいた。
「貴女が時の魔女か?」
俺は油断なく身を低くし、いつでも古代ドワルフ語の詠唱に入れるよう両手に神経を集中させた。額から冷や汗がツーと頬を伝い落ちる。目の前の存在が放つ、底知れないプレッシャーのせいだ。下階にいるレンやアレスには、この異常な気配は全く届いていないだろう。俺は今、完全に孤立していた。
背後の暗がりから姿を現したその人物は、確かにあの交差点で俺にチケットを渡した老婆の輪郭をしていた。しかし、カチコチと逆回転する巨大な歯車の影から一歩、また一歩と光の下へ歩みを進めるにつれ、その姿は異様な変貌を遂げていった。
白髪は艶やかな漆黒の長髪へと変わり、曲がった腰はすらりと伸び、深いシワの刻まれた肌は透き通るような白さを取り戻していく。老婆の古い皮を脱ぎ捨てるかのように、そこに現れたのは、息を呑むほど美しく、そして背筋が凍るほど妖艶な若い女性だった。
「あんた、あの時のーー!?」
「フフフ……アハハハハッ!」
部屋中に反響するその笑い声は、鈴を転がすような美しさの中に、ねっとりとした毒を孕んでいた。彼女は口元を優雅に隠しながら、俺を値踏みするように、舐め回すような妖艶な視線を絡みつかせる。
「そんなに怖い顔をしないでちょうだい、可愛い坊や。私が時の魔女……トキノ。あなたがわざわざ、こんな埃っぽい時計塔の天辺まで会いに来てくれたのだから、少しは歓迎してあげないとね」
「歓迎だと……? ふざけるな! お前がガクを……あのピエロを操って、俺をここに誘い込んだのか!?」
俺の怒声に対して、トキノは全く動じる様子を見せない。むしろ、愛しいペットをあやすような、甘く、そして残酷な笑みを深めた。
「操るだなんて人聞きの悪い。私はただ、あの道化師に少しばかり『現実』を教えてあげただけ。システムに抗おうとするお節介な魂は、静かにさせておくのが一番安全でしょ?」
彼女がゆらりと細い指を動かすと、周囲の歯車の逆回転がさらに速度を増した。空間そのものが歪み、強烈な重力が俺の小さなドワルフの身体を押し潰そうとする。ギシギシと骨が軋む音が鳴る。立っていることすら困難なほどの重圧だ。
(こいつ……ただのNPCじゃない。この世界のシステムそのものを掌握してるのか……!?)
「それにしても、よくここまで辿り着いたわね。もっと早くに壊れてしまうかと思っていたけれど、その『異常』な精神状態が、かえってシステムのエラーに対する耐性を生んだのかしら。……本当に、面白い存在に育ってくれたわ」
彼女の瞳の奥には、俺の命など路傍の石ころ程度にしか思っていない絶対的な強者の余裕があった。俺の存在そのものを、ただの盤上の駒として楽しんでいる。そんな底知れない傲慢さが透けて見えた。
俺は歯を食いしばり、抗うように魔力を練り上げた。これ以上、この女のペースに巻き込まれたら確実に終わる。理由なんて後で吐かせればいい。今はとにかく、この異常空間から抜け出すのが先決だ。俺は全身の毛穴からエナジーを絞り出すようにして、呪文を叫んだ。
「ウクラス……エルヴィオーレ!!」
先刻、シャーマンの牢を吹き飛ばそうとした轟音と疾風の魔法。俺の持つ有り余るエナジーを限界まで込めた一撃が、空気を切り裂き、トキノの細い身体を目掛けて一直線に放たれる。
しかし――。
「遅いわ」
トキノが色気のある吐息をこぼし、パチン、と指を鳴らした。
その瞬間、俺の放ったはずの魔法が『巻き戻った』。
荒れ狂うはずの突風は収束し、眩い雷光は俺の手のひらの中へと逆流して消え去る。放った魔法の時間を、文字通り無に帰されたのだ。
「なっ……!?」
「言ったでしょう? 私は『時の魔女』。あなたのその拙いエナジーの奔流など、私にとっては児戯にも等しいのよ。時間を巻き戻せば、魔法など最初から存在しなかったことと同じなのだから」
絶望的な力の差だった。SAN値異常による突拍子もない行動すら、この圧倒的な時間支配の前では発動する隙もない。俺のシステムエラーすら、彼女にとっては取るに足らない事象なのかもしれない。
気がつけば、トキノは音もなく俺の目の前まで移動していた。彼女の甘くむせ返るような香水の匂いが鼻腔を突く。
トキノは俺の顎を細い指でそっと持ち上げ、その美しい顔を近づけた。冷たい指先の感触に、俺は全身の産毛が逆立つほどの死の恐怖を覚えた。彼女の吐息が耳元を掠める。
「せいぜい足掻きなさい、坊や。あなたがどれだけ足掻こうと、この世界の時間は私の思い通りに刻まれるのだから。あなたの運命も、ね。フフフ……」
逃げ場のない時計塔の最上階。狂った歯車の音だけが耳をつんざく中、俺の幻奏世界での運命は、文字通り彼女の手の中に握り潰されようとしていた。彼女の妖艶な微笑みは、俺という存在の小ささを嘲笑うかのように、暗がりの中で怪しく輝いていた。
デスク周りがお菓子だらけになってきちゃったw




