離婚準備
イザベラはこれまで以上に猛烈に働き、新しい商品のアイデアをメモ帳にしたためた。
これまでの商売で得た利益で、かなりの預金もある。
予定では離婚後、遠くの街で住居兼工房を購入するつもりである。
離婚するのだから公爵家の商人を使うことはできないから、新しい取引相手を探す必要も出てくるが、この人選はすでに考えてあった。
今日はその人物に会う為、イザベラは馬車で出かける。
貴族御用達の高級な店の並びの一つに、その店はあった。
最近オープンしたばかりのブーリン商会である。
しかしその店は他の老舗とは違い、全く客の出入りというものがない。
貴族たちはすでに馴染みの店があり、普段はそこを利用する。
保守的な人たちばかりだから、新規の店に顔を出すようなこともほとんどない。
新参の店というのはそれだけで不利なのだ。
イザベラは馬車を店前に停め、入店した。
店そのものは狭くこぢんまりとしているが、ショーケースの品揃えを見れば、仕入れを行ったオーナーが目利きのできる人物であることがすぐに分かる。
緑色の髪に、アメジストを思わせる紫色の瞳。
彼はニコラウス・ブーリン。
彼がこの店のオーナー。
彼はヒロインを手助けするサブキャラクターの一人。
貴族相手の商売らしく、ジャケットに皺ひとつないスラックス姿。
そして甘さを含んだ柑橘系の香水をまとう。
ニコラウスは顔立ちも整っている。
これが後々、貴婦人たちの心を掴む最高の武器の一つになる。
「これはご夫人、いらっしゃいませ。狭い店ではありますが、どうぞ心ゆくまでご覧ください」
ニコラウスはにこやかに応対する。
人が良いような印象ではあるが、彼はかなりしたたかである。
なにせ、何もない孤児の身から成り上がったほどの才覚の持ち主だ。
イザベラはゲームをプレイしている訳だからニコラウスのことは知っているとはいえ、まだ無名の彼を知っているのは不自然だから、きっちり段階を踏む。
「素晴らしい品揃えね」
「ありがとうございます。どれも私が直接各地を周り、買い付けてきた自慢の逸品です」
ニコラウスの言葉の端々に、自分の目利きへの誇りと自信が滲む。
後にはヒロインの手助けをしつつ、大陸一の大商人になるのだ。
「実は私は客じゃないの」
「なるほど。それでは他店の偵察、でしょうか?」
ニコラウスは笑みを浮かべたまま言った。
「いいえ。あなたとビジネスをしたくてやってきたの」
「ビジネス……これは面白い」
言いながらも、その目は全く笑っていない。
「言い忘れていたわ。私は――」
「イザベラ・クロイツ公爵夫人」
「知っていたの」
これにはさすがに驚いた。
「もちろんです。あの商売上手のエルヴァ伯フリードのご令嬢にして、今や公爵夫人にまでなられた御方ですから。ですが、あなたが商売にご興味がおありだったとは知りませんでした」
「だったら話が早いわっ」
「──しかしながら私は若輩の身。あなたのビジネスパートナーとなるには力不足です。申し訳ございません」
きっと心の中では「誰が訳のわからん奴と商売をするか」と中指でも立てているに違いない。ゲーム内では腹黒ニコラウスと言われているくらい、ヒロイン以外に対しては底意地の悪いキャラでもあるのだ。
「あら、私はずぶの素人という訳ではないのよ」
イザベラはこれまで自分が開発してきた商品について説明する。
すると、ニコラウスの顔色が変わる。
彼もしっかりその商品は知っていたのだ。
「ですが、商品を開発しているのは男性のはず」
「それは身代わり……っと、あなたくらい優秀であれば、分かっているのでは? 名前は今や広く知れ渡っているのに公の場には一切姿を見せない。あなたくらい目端の利く商人であれば、違和感を抱いているはず」
三日月の形をしていた眼差しが、真剣みを帯びた。
「私には、あまり表に私の名前を出せない理由があってね。でもこれからはもっと大きく販路を拡大していきたいと考えてるの。そのために適切なパートナーが欲しいの。それがあなた」
「ふむ」
「それに、私なら、今困っているあなたを手助けすることもできるわ」
「ちょうど運転資金に困っていたところです。いかほど融通をしてくれるのでしょうか?」
「お金よりも欲しいものがあるんじゃない? レディ・アンから引き受けた依頼の一件で」
「っ!」
顔色が明らかに変わる。
「……なるほど。私のことは事前に調査済み、という訳ですか。念には念を入れて、どこにも漏れないように注意を払ったつもりですが、一体どうやって知ったのですか?」
「女にはたくさんの秘密があるものよ」
「……なるほど」
ニコラウスはカウンターから出てくると、店の鍵を閉め、クローズの看板をかけると、カーテンを締める。
「ここでは何ですから裏でお話をお聞きしましょう」
「ありがとう」
店の奥は事務所になっており、応接セットを薦められた。
レディ・アンは、珍しいもの好きの侯爵夫人で、かなり顔が広い。
この人の依頼で、帝国北部の名工による石像を都まで運ぶ仕事を請け負ったのだが、問題は指先ひとつ欠かさず運べるのかということだった。
これを逃す訳にはいかないと明確なアイデアがないまま請け負ったはいいものの、どうするべきか、頭を悩ませていたことだろう。
「それなら私に任せてくれれば大丈夫。しっかりやらせてもらうわ」
「……でもどうやって?」
「衝撃を吸収する資材で名案があってね」
「分かりました。では期待しましょう」
「それじゃあ、取引成立ね」
握手をしようとするが、ニコラウスは「一つ聞きたいことがあります」と言い、握手を保留する。
「何? 何でも答えるわ」
「どうして私なんですか?」
「どういう意味?」
「確かに私は自分が最高の商人になるという夢を持っていますし、そのための努力も惜しまない。計画だってちゃんと立てている。そうは言っても今日明日すぐに私が大商人の仲間入りを果たすことはない。あなたが協力者を探すのなら私のような人間ではなく、今、国中に支店を持つ大商人を相手にするべきではないのですか?」
「その大商人たちが、小娘の要求をほいほい呑んでくれないでしょ? ましてや、あの伯爵の娘なんだから。その点、あなたは決して好機を逃さない。かつ、協力者を罠にはめるほど愚かでもないし、そんな余裕もない。私は商売に注力したいの。大切な時に背中から刺されるなんて真っ平ごめんなの」
「なるほど。大商人なら平然と、あなたの持っている商品だけを取り上げて、不当な要求をしてきそうではありますね」
「そうでしょう? 私は客はもちろん、協力者であるあなたも、みんなが幸せになれるような商売がしたい。別に生活にかつかつで困っている訳でもないし」
「分かりました。とにかく、できるだけ早い内に、衝撃吸収の資材を持ってきてくれるとありがたい」
「今週中には」
「お願いします」
今度こそ握手を交わし、ほくほく顔で屋敷へ戻る。
(出だしは順調ね)
頭にあったのは前世、通販ではお馴染みのエアクッションである。
あれの特大版。さらにイザベラの付与魔法で耐物理、耐衝撃の魔法をかければ、どんな衝撃も大丈夫だろう。
ついつい話をしすぎたせいか、屋敷に戻った頃にはすっかり日が沈んでいた。
「おかえりなさいませ、奥様。お食事はいかがしますか?」
「食べるわ」
出迎えてくれるサンチェスに微笑みかけた。
「イザベラ、おかえりなさい。戻ってきてたんですね」
食堂に入る。すでにジークベルトは食事を始めていた。
「ジーク様、ただいま戻りました」
「遅かったですね。心配したんですよ」
表のジークベルトがそう微笑みかけてくる。
「申し訳ありません。つい買い物に夢中に……」
「何を買ったんですか?」
「結局、何も買わなかったんです。悩み過ぎて、また後日ということで」
イザベラが席につくと、食事が運ばれてくる。
「……香水を変えたのですか?」
「はい?」
「柑橘系の香りが香ったものですから」
「きっとお店に寄った時についたんだと思います。柑橘系のアロマを焚いていたので」
「そうでしたか」
ほんの少しの違和感。
ジークベルトは普段、こんなことを指摘してきただろうか。
暗殺者としての鋭敏な感性ゆえに、聞かずにはいられなかったのだろうか。
(さてと、私のほうも是非、ヒロインとの進捗状況を聞かないと)
「ジーク様こそ、本日はいかがでしたか。たしか出かけられたのですよね」
「皇太子殿下とお茶を飲んできただけです」
その帰りに、ヒロインとも出会っているはずだ。
つまり、順調に親交を深めているということ。
「そうでしたか」
ただヒロインとジークベルトが出会った時にはすでにイザベラは故人だから、どのタイミングで離婚を告げられるか分からないことだけが不安材料ではある。
できれば下準備が整うまで待ってくれるといいのだが。
(土地の購入と、工房兼店舗の建築……やることはたくさんだわ!)
イザベラは食事中も離婚後の人生計画についてあれやこれやを考えるせいで気付いていなかった。
ジークベルトが鋭い眼差しで、イザベラを見ていることに。
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