決勝戦
ガルシアの姿を見るなり、数日前の苛立ちが蘇ってくるのをジークベルトははっきりと意識した。
今回、わざわざ正体を隠して参加したのは、この苛立ちを消すためだ。
あのパーティーの時以来、イザベラと顔を合わせるたびに、今にも唇を奪おうとしたあの男の姿がちらつく。ついには夢にまで出てくる始末。
夢の中でジークベルトはイザベラを自分の側へ抱き寄せるということはせず、何の迷いもなくガルシアを殺した。
そんな自分らしからぬ気分を晴らすために闘技大会に出場したのだ。
これまでのジークベルトならば考えられない行動だ。その自覚もある。
ちらりと客席を見る。イザベラが自分を見つめていた。彼女は仮面の男がジークベルトだと気付いているだろうか。
服装を考えた時、誕生日プレゼントとしてもらったこの服しか思いつかなかった。
あまりじっと見つめていたせいか、ガルシアが笑みまじりに言った。
「お前も、あの悪女狙いか? 他の有象無象は好きにしろ。だが、あそこの赤髪は俺の女だからなっ」
俺の、女? イザベラが?
ジークベルトの中で苛立ちが最高潮に達する。
「何だ、怒ったのか? まさか、お前もあの女、狙いか? だったら、俺が寝た後にでもくれてやるよっ!」
本当にこの大会で、対戦相手を殺せないのが残念だ。
「では、はじめ!」
審判の声。
ガルシアと同時に剣を抜き、地面を蹴った。
これまで相手側の行動を待っていた仮面の男が最初に仕掛けてきたことに、会場がどよめきに包まれる。
ガルシアも予想外だったのだろう。行動に僅かな後れが生じた。
しかしそれでも斬撃を受け止めたのは、腐っても副団長なだけのことはある。
力はガルシアが強い。鍔迫り合いを中断し、後ろへ引く。
間髪入れず、ガルシアが雄叫びを上げて斬りかかってくる。必要最低限の動きで斬撃を回避。
わずかな間を狙い、剣を下から上へと斬り上げた。
「っ!?」
ガルシアがはっとした顔をした瞬間、剣が手から離れた。
これだけで済ますつもりはない。
ジークベルトはわざと隙を作れば、ガルシアは急いで剣を拾い上げ、再び斬り込んできた。
戦えば戦うほど、ガルシアは頭に血が上ったせいか、動きは単調になっていく。
隙を突き、何度も剣を手元から弾いた。
いい加減、ガルシアも自分が弄ばれていることに気付いたのだろう。どんどん攻撃は粗くなった。
客席からは詰る声、嘲笑が飛ぶ。
「このクソ仮面野郎が、ふざけんなっ! 殺す、殺してやる!」
ガルシアは顔を真っ赤にするほど憤激する。
そして何度目かの打ち合いの末に、剣の刃は半ばから折れてしまう。
「いいぞ、仮面野郎!」
「今だ、斬り刻め!」
じりっと後退ったガルシア。
ジークベルトは剣を鞘に収めれば、無造作に客席へと放り投げた。
そして構えを取ると、ジェスチャーで「さっさと来い」と伝える。
「舐めやがってえええええええ!」
鈍重な拳を避け、腹めがけ膝を叩き込む。
ゲハ、とガルシアは体のくの字に曲げた。その無防備な顔面めがけ思いっきり拳を叩きつけた。
ガルシアの体が数メートルは吹っ飛んだ。
審判がダウンを確認しようと、ガルシアに駆け寄る。
ガルシアは立とうとするが、膝が笑って無理だった。
「勝者、仮面の騎士!」
※
「……ま、負け? 俺が? ありえねえ……ありえね……こんな、屈辱……ありえねえええええ……っ」
ガルシアの表情が憎々しげに歪むことに、ジークベルトに注目が集まる中で誰も気付くことがなかった。
ガルシアは怒りで完全に我を忘れていた。剣を何度も手放すという騎士としてあるまじき屈辱を何度も味合わされ、おまけに拳での勝負においても手も足も出ず、完敗した。
ふざけた仮面をつけた男なんかに。尊い侯爵家の血を引く、次期騎士団長最有力候補の自分が?
そんなことあっていい訳がない。許されていいはずがない。
勝つのは自分だ。
ジークベルトが背を向けた瞬間、腹這いになったガルシアは手を挙げた。まだ魔法がある。
(殺してやる!)
周囲の地面がメリメリと音をたてて浮かび上がった。
仮面の男の無防備な背中めがけ、岩の塊を放つ。
「後ろ……!!」
イザベラの叫び声に、ジークベルトが振り返りざまに動く。
数秒前までいた場所に巨大な岩が着弾する。
ジークベルトを追跡し、次から次へと魔法によって岩の塊が飛んで来た。しかしどれもこれも外れた。
一足跳びにガルシアに肉迫したジークベルトは、その脳天めがけ踵落としを食らわせた。それで完全に終わった。
ガルシアが意識を失ったことで、魔力によって周囲に浮かび上がっていた岩は浮力を失い、次々に落ちていく。
完全な勝利に、さらに会場は沸いたが、ジークベルトはそんなものに構わず、ただただイザベラのことを見つめ続けた。
胸の内に渦巻いていた息苦しくなるほどの苛立ちは、気付けば消えていた。
優勝者であるジークベルトは皇帝の前に出ていく。
ジークベルトの正体に、とうに気付いたらしい皇帝は顔をしかめ、その隣にいる皇太子のレオポルドは、一体どうしてジークベルトが闘技大会に出場しているのか興味津々そうに目を輝かせる。
ジークベルトは無言で片膝を付き、頭を垂れた。
「……このたびは、素晴らしき技を見せてくれた。お前は素晴らしき、帝国の戦士だ」
皇帝からの賛辞に客席が沸く。
「栄誉を取らせる。近う」
皇帝に呼ばれ、階段を上り、すぐ目の前まで行く。鋭い眼光がジークベルトを射貫く。
「なぜお前がここにいる」
「参加する身分に参加制限はなかったはずです」
仮面ごしに、ジークベルトは答えた。
「そういうことを言っているのではないッ」
「父上、いいではありませんか。ジークベルトの優秀さが証明されたと思えば。それにしても、一体何のために出場したいと思ったんだ? 優勝賞金目当てとも思えないし……まさか、イザベラ嬢にいいところを見せようとしたのか?」
レオポルドがなぜか嬉しそうな顔をする。
「本当か」
違う、と言えばいいのに、なぜか言葉が出なかった。
場がざわつく。皇帝がこれほどまでに優勝者と話すことなどこれまでになかったのだから当然だ。
「父上、そろそろ」
苦虫を噛み潰したような渋面の皇帝が「これからも励め」と褒め称え、式典は終わりとなった。
会場は割れんばかりの拍手喝采に包まれた。
※
イザベラはメイドに先に馬車に戻っているよう伝えると、「すみません、すみません」と通路をかきわけるように進む。
目指すのは、関係者入り口。
確かそこを抜けた先に出場者の控え室があったはず。
イザベラはこみ上げる昂奮で全身が熱くなるのを意識しながら、ゲームのマップ画面を思い出しながら通路を進んだ。
記憶に間違いはなかった。
選手控え室に飛び込んだ。
そこにはちょうどジークベルトがいた。まだ素顔は仮面に隠したまま。
「ジーク様!」
イザベラは破顔し、ジークベルトに思わず抱きついてしまう。
驚いたようにそれを受け止めたジークベルトに抱き留められた。
「あの男をぶっ飛ばしてくれて、ありがとうございます! それから優勝、おめでとうございますっ!!」
イザベラは昂奮に染まった声を上げた。
(さすがは私の推し! 最強だわっ!)
本当なら「優勝したのは私の夫なんです!」と客席で叫びたかった。それをここまで我慢したのだから褒めて欲しい。
と、仮面ごしの瞳でじっと見つめられることに気付き、それまで感じていた昂奮の熱が冷めていくのを意識する。それから自分が喜びのあまりとんでもないことをしたことに我に返り、すぐに距離を取った。
ジークベルトには不愉快でしかないだろう。
「すみません、私ったら……っ」
恥ずかしさのせいで顔が熱い。ただそれでもじっと見つめられ続ける。
自分の軽率さゆえの気まずさを覚えつつ、
「でもどうして闘技大会に出られたんですか? もしかして皇帝陛下からの命令ですか?」
聞いてみる。
「ただの暇つぶしだ」
「ひま、つぶし……?」
「何か問題があるのか」
「いえっ!」
(あのジークベルトが暇つぶし!?)
ゲーム中、何もしていない時には眠ると堂々と発言していた彼が、暇つぶしに眠る以外の行動を取ったことが信じられなかった。
だってこんなに大きな変化はヒロインへの好感度が高くない限り、生じないことだから。
(一体なぜ)
やりこんだゲームだからこそ気になってしまう。
まさかまだ自分が知らないコマンドなどがこのゲームには存在していて、その影響だろうか。
そんなことをつらつら考えていると、「手を出せ」と言われた。
「は、はい」
「そっちじゃない」
ジークベルトの目が、下ろしたままの右手を見る。右手の指には少しだが血が滲んでいた。
「悪かった」
「どうしてジーク様が謝るんですか」
「俺が、あいつを殴る時に前歯とぶつかったせいだ」
「これくらい唾でもつけておけばすぐに治りますから気にしないで下さい。それ以上の深手をあのオレンジ頭に与えてくださったんですからっ」
ジークベルトは回復魔法で傷をすぐに治してくれた。
「ありがとうございます。それじゃあ、帰りましょうか?」
「俺は別に帰る。一緒に屋敷に戻ると不自然だろう」
「あ、確かにそうですね。それじゃ、また屋敷で」
イザベラはジークベルトに手を振り、控え室を後にした。
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