6.命を奪うということ
翌日早朝、扉を叩く音で目が覚めた僕は、眠い目を擦りながら扉を開いた。扉の前にはリーシェが屈託のない笑顔で立っていた。
「おはようレイさん、調子はどう?」
「おはよ…まだちょっと眠いかな……」
「あはは、ちょっと顔でも洗ってきたら?」
「うん、そうする……」
ふらふらと1階の脱衣所へと進み、備え付けの洗面台で顔を洗う。ちなみにこの世界では水を出す魔道具というものが普及しており、手をかざして念じるだけで水が出るのだ。やはり気兼ねなく水を使えるということは便利だね。
流水の冷たさに脳が覚醒してくると、だんだんと緊張感が高まってきた。深呼吸を繰り返しながら食堂へと入ると、テス神父がスープを温めているところだった。
「おや、おはようございます。随分と緊張しているみたいですね」
「おはようございます。ええ、これから魔物を狩りに行くんだと思うと、怖くなってきて…」
「ふふ、私も元は冒険者でしたから、よく分かりますよ」
そう言うとテス神父は、どこか昔を懐かしむような顔で虚空を見上げた。
「初めて魔物を狩ったときの感覚は、今でもよく覚えています。鮮やかな鮮血と、肉を切る感覚。血の匂いに、甲高い魔物の断末魔……得も言われぬ罪悪感が残り、しばらくはまともに剣を振ることができなくなったほどです」
そこまで言ってテス神父は大きく息を吐くと、僕を見つめた。
「魔物を狩るときは、その命を奪うことを躊躇ってはいけません。ですが、無感情に魔物を殺すことも避けなければいけません。前者は大きな隙を作り、命を失うことになりますし、後者は心を失い、冷酷な人間になってしまうでしょう」
「…はい、分かりました」
「覚悟が決まったみたいですね。さて、そろそろ朝ごはんにしましょうか」
そう言ってテス神父は、各々の器にスープを盛り始めた。その表情は、少し切ない雰囲気を纏っていた。
朝食を食べ終え、荷物を背負った僕たちは、待ち合わせ場所である西門前に来ていた。門の前は数パーティの冒険者と馬車が並んでおり、ゆっくりと門の外へと歩いて行った。その様子を目で追いながら、僕はふと気になったことをリーシェに尋ねた。
「そういえば、どうしてリーシェも一緒に冒険者登録をしていたの?」
「わたしは元々、16歳になって成人したら冒険者になろうと思っていたの。そしたら、その誕生日の日にレイさんが現れたんだよ? だから、これはきっと運目なんだって思っているの」
「運命…ね」
「そう。だからわたしは、レイさんと旅がしたいの」
そういえば、箱庭教はドラマチックな生き方を進めている、とゼロの創世記に書いてあったはずだ。そんな僕の考えを知ってか知らずか、リーシェは小声で「ダメ…かな……?」と呟いた。
「いいや、リーシェが一緒だと心強いよ」
そう答えると、リーシェは満面の笑みを浮かべた。朝日のようにまぶしい笑顔に見惚れていると、背後から足音が聞こえてきた。
「おはようさん…って、君たち本当に仲いいよな」
「おはよう…ちょっとだけ、羨ましい」
振り返ると、大剣を背負ったタクミと短刀を腰に挿したシイが立っていた。
「あ、おはようございます」
「おはようございます」
「おう。初めての狩りで緊張してるかと思ったが、案外大丈夫そうだな」
「何かあったら、私たちが守る。安心して」
「2人とも、ありがとう。何かあったらお願いします」
「おう、それじゃあ行こうか」
僕たち4人は西門をくぐり抜け、パーティ初の魔物狩りへと向かうのだった。
「今回の予定だが、メインクエストはここから歩いて2日のところにある村で、畑を荒らしているフレアボウを狩ることだ。んで、その傍らで薬草の採取や、君たちの戦闘訓練として弱い魔物を狩っていく…って流れだな」
「武器はこれを使って。私の予備の武器。…ちょっと柄が小さいかもだけど」
街道沿いを歩きながら、シイは僕たちにナイフを差し出してきた。慎重に受け取って柄を握ってみると、確かに少し小さく感じた。とはいえ丸腰というのも問題なので、ありがたく使わせてもらうことにした。
しばらく進むと、遠くからキュッキュッという鳴き声が聞こえてきた。声のした方向を見ると、草原で3体の丸っこい生物が草を食んでいた。ウサギのような長い耳を持ち、その額には長い角が生えている。
「お、ホーンラビットか。早速いい感じの魔物が現れたな」
「ホーンラビットは、怒ると突進してくる。それを避けつつナイフを振るえば、初心者でも倒せるはず」
そう言うとタクミは剣を抜き、シイは氷の礫を生み出した。
「全員、構えて…はっ!」
シイがそう叫ぶとともに放った礫は奥にいたホーンラビットの頭部を捉え、見事に撃ち抜いた。残りのホーンラビットはこちらに気付くと、飛び跳ねるように突進してきた。そこへ駆けつけたタクミは先頭のホーンラビットの突進を躱すと、大剣によるカウンターを叩き込んだ。
「ぬんッッ!!」
「す、凄い…」
「レイさん、こっちに来てる!」
あっという間に2体のホーンラビットを仕留めた2人に見入っていると、残る1体がこちらに向かってきた。僕は深呼吸してナイフを構えると、突進に合わせてナイフを突き刺した。ナイフはホーンラビットの腹部に突き刺さり、ピギィーという断末魔と共に右手の中で息絶えた。
「はぁ…はぁ…やった…」
まだ温かいホーンラビットの亡骸を抱えながら、僕は荒い呼吸を繰り返すことしかできなかった。強い興奮と罪悪感で思わずその場に座り込むと、駆け寄ってきたタクミに肩を掴まれた。
「よくやった、よく逃げずに立ち向かった。もう大丈夫だからな」
「大丈夫、もう怖いものは無いから。ね?」
タクミは数度肩を叩くと、ナイフが突き刺さったままのホーンラビットの亡骸をそっと受け取った。その後、僕はシイに抱きしめられ、そっと背中を叩かれた。その優しさに感情が決壊した僕は、シイに身体を預け、しばらくの間咽び泣いていた。