2.夢と不安と天使と悪魔
「ここは食料庫で、こっちは書庫。普段は鍵がかかっているから、入るときはテス神父から鍵を借りてね」
リーシェに連れられ、食堂からさらに奥へと廊下を歩いていくと、さらに2つの扉があった。それぞれの扉の上には看板があり、文字と思わしき記号が横に並んでいた。
「そういえば…どうして僕とリーシェは言葉が通じているんだ? 文字は僕の世界の物とは違うみたいだけど」
「確かに文字は、国や地域によって違うことがあるよ。でも、言葉はほとんどの場合通じるんだ。魔素が言葉を翻訳しているからだって言われているけど、詳しい理由は分かんないや」
「魔素?」
「魔素っていうのはね、この世界のあらゆる場所に存在する、想像したものを具現化する物質なの。魔法を使うときは、頭の中で強いイメージを持つことで、魔素をイメージしたものに変化させるんだ」
そう言うと、リーシェは指先に小さな火種を生み出した。
「これと同じように、伝えたいことを強くイメージしながら話せば、実際に話す言語が違っても、相手に意思を伝えることができるんだって」
「なるほどね。じゃあ今言葉が伝わっているのも、一種の魔法なのかな?」
「あはは、そうかもね。そんなこと考えたことも無かったけどな~。あ、ちなみに突き当りの扉の先はお風呂だよ。入っているときは『入浴中』って書かれた札を掛けるんだけど、読めないからって覗いちゃダメだからね?」
「覗かないよ!!」
リーシェは僕のツッコミを聞いて、悪戯っぽく笑った。僕もそれにつられ、しばらくの間廊下に笑い声が響いたのだった。
その後、僕とリーシェは2階の使われていない1室を掃除し、僕の部屋としてくれた。物置小屋同然だった部屋を片付け、くたびれたところで下の階からいいにおいが漂ってきた。どうやらテス神父は僕のためにささやかな歓迎会を用意してくれたようで、僕はテス神父自慢の料理を味わった。
3人で和やかに夕食を囲んだ後、テス神父はおもむろに口を開いた。
「…さて、この世界で暮らすとなれば、何かしらの身分証は持っておいた方が良いでしょう。1番簡単なのは冒険者登録をすることですが…」
「冒険者…?」
元の世界の朧げな記憶の中にも、その存在はあった。物語の中に登場して、世界中を渡り歩く姿がよく描かれていた気がする。そんな風に記憶を思い返していると、リーシェが補足説明を入れてくれた。
「冒険者はね、街の外で薬草を採ったり、魔物や動物を狩ったりする人たちだよ。他にも商人の護衛や、街中での雑用を主にやっている人もいるけどね」
「どちらにせよ、最低限の戦闘能力が無いと務まらないですし、死と隣り合わせの生活となるでしょう。後は、市民証を得てサウストエンド国民になるという手もありますが…」
「…できるなら、冒険者になりたいです」
僕のつぶやきに、テス神父は「ほう?」と心配そうな顔をした。
「冒険者は確かに自由な存在ですが、同時に危険も付きまといます。その覚悟はあるのですね?」
「…正直に言って、僕には戦闘経験はおろか、武術の心得も無いです。でも、どうせならこの世界を冒険して、この世界の事をもっと知りたいと思うんです」
テス神父の問いかけは厳しい口調だったが、同時に心配そうな口調だった。僕が自分の想いを語ると、テス神父は口を閉ざし、しばらくの間無言の時が流れた。
「…ダメ、ですかね……?」
心配になってテス神父の顔を覗き込むと、彼は静かに首を縦に振った。
「…よく分かりました。厳しい道にはなると思いますが、私は口を挟むつもりはありません」
「…ありがとうございます」
「もし辛いと感じたなら、無理はしないことですよ」
そう言ってテス神父は微笑んだ。緊張感から解放されてほっと息を吐くと、彼は2度手をたたいた。
「さて、夜も遅い時間になってきましたし、今日はもう休むことにしましょう」
そうして僕は自分の部屋へと戻り、ベッドに横になった。窓の外には木々の間に石造りの街並みが続き、空には星が瞬いている。僕は明日からの新しい生活に不安と希望を持ちながら、ゆっくりと意識を手放した……
「お目覚め下さい、創造主様」
何処からともなく澄んだ声が聞こえてくる。おもむろに目を開くと、枕元には夢で出てきた天使と悪魔の少女が立っていた。
「君たちは、夢に出てきた…」
「あら、もしかしてマスター、あたしたちの事を忘れちゃったの?」
「記憶喪失…ですか。これは少々困ったことになりましたね……」
「あたしの知る限りだと、転生者の記憶は引き継がれているはずだけど…」
「…なぁ、もしかして君たちは『神』なのか?」
困ったような顔で話し込む2人におずおずと尋ねると、天使の少女は僕の顔を見てくすりと笑った。
「神、ではありませんが……。それと近しい者の眷属、と言ったところでしょうか」
「やっぱりそうなのか。ひょっとして、僕をこの世界に呼んだのも君たちなのか?」
「それは…そうですね。肯定も否定もできる…と言ったところでしょうか」
「それは、一体どういう…」
「まぁ、詳しいことはきっと思い出せるわ」
そう言うと、悪魔の少女は微笑んだ。気が付くと、彼女たちの身体は少しづつ透け始めている。
「もう時間ですか…では最後に一つ。この世界のどこかにある、ゼロの創世記を集めてください。そうすれば、いずれわたしたちの元に来ることもできるでしょう」
「そうすれば、この世界の秘密も、あなたの記憶もすべて思い出すことができるはずよ」
そう言い残すと、彼女たちは光の粒子となって消えていった。ふと足元を見ると、そこには1冊の古めかしい本が落ちていた。
『ゼロの創世記~原本~ 第1部 世界の構造・法則編』