第二夜 パインハンバーグ
「わぁ、やっぱり進んでる」
朝日を浴び、鳥のさえずりが聞こえる中、私はゲームをしていた。
朝に読んだ日記の通りテレビゲームの話は進んでいて、気づいたら妹がパーティーにいた。丁寧に書いてくれた日記に感謝しながらも心のどこかでは不気味さがあった。私が知らない夜に私は日記が正しければ確実に生きていている。
記憶が無くなるのはこれで四日目になるけれど、慣れないものだ。でも、自分の知らない自分がいるというのは何かわくわくする所もあって。
「そうだ、返事書いてあげよう」
今日は大学が午後から始まる。だから朝からゲームをしていても問題はない。
「思ったことをそのまま書こうかな」
イスに座りノートを前にペンを口にくわえながら書くことを考える。
「えーっと、『ゲームの進行度を丁寧に書いてくれてありがとう。助かったわ。』っと。これに返事が来たらまるで交換日記だね」
お腹が鳴る。朝にこの日記を読んだせいかカレーが無性に食べたくなっていた。もちろん冷蔵庫を確認するも日記の通り、一昨日に作ったカレーは無くなっていた。
***
○〈今日は家の掃除をしました。夜だから掃除機をかけたりは出来ないけれど、軽く掃除をしておきました。ゴミ袋は玄関ホールに置いておくので朝に捨てに行って欲しいです。あと、小さな空の瓶が棚の中に沢山あってそれもまとめておきました。収集日が違うと思うのでその時は玄関ホールに出しておきますね〉
○〈今日は温かい紅茶を飲みながら本棚の掃除・整理をしました。並びを少し変えてしまった所があるので驚かないでくださいね。あと、明日は瓶ごみの日だったと思うので玄関ホールに瓶ごみを出しておきますね。あ、助かって良かったです〉
少し前の日記を合わせて読み返す。
瓶ごみを捨てるのは一人暮らしが始まって初めてのことだった。それは、他の収集方法とは違い出し方が曖昧だったのと、そもそも瓶ごみがあまり出ていなかったことがその要因であった。でも、二十歳になってお酒を飲むようになってからは、瓶ごみや缶ごみが増えそろそろ捨てなくちゃと思っていた所だった。
しかし、この沢山あった小さな空瓶は見覚えがなく、日記を見ても「こんなごみあったっけ」と思いながら分別をした。
「さっちゃん急だったのにありがとね」「うんうん、大丈夫だよ」
友達とうちは家の近くのファミレスに居た。大学で講義を受けたのち「今日食べに行かない?」と誘われた。予定が無い私は何の問題もなくその誘いにのった。
「これこれ、コラボ商品が今日からなんだよ」
にこにことメニュー表をこちらに見えるように抱える友達。「へぇー、これは何かのアニメ?」「そうそう、その感じだと見たことないかな?」「ないね」「最近映像化してね。盛り上がっているんだよ」「そうなんだ」ゲームは好きだが、アニメにはあまり触れたことがない。興味はあるがゲームでいそがしくて、という全く良くない言い訳が宙に浮かぶ。しかし、「かなり昔のものになるけどゲームもあるよ」という一言で興味は転換するのだった。「ゲームならやってみたいかも」。
「私は決まったよ」「あ、ちょっと待ってね」「大丈夫だよ、ゆっくりでいいよ」
優柔不断な私は食べたいものを決めるのが遅かった。優柔不断なだけならいいけど悪い癖があって、それは値段を気にしてしまうことだ。こっちの方が安いなとか、こっちは高いけど美味しそうとか。別にそんな癖があってもいいのではと思われるかもしれないが、うちは直したいと思っている癖だった。
ふと、いつからなんだろうと考える。いつからこんな癖ができてしまったのかと。でも、心当たりはあった。
親とご飯に行くことは多かった。選択肢はすしかハンバークかという二択で、行く場所も大体決まっていた。その時は肉が食べたくてハンバーグと言ったんだっけ、そこは確かじゃないな。でも、印象的なメニュー表が記憶の片隅でちらついていて、それがハンバーグ屋さんのものだった。
『ハンバーグ、チーズハンバーグ、チーズinハンバーグ、その二つを掛け合わせたもの、パインハンバーグ、おろしハンバーグ』昔から優柔不断だったうちは自分が求めているものは何だろうと胃袋に問い、たくさん悩んだ。そして、導き出した答えとしてチーズハンバーグと口に出そうとした、しかし写真の下の値段が目に入った。小さな数字。幼少期の頃には気にすることもなかった値段が、大きくなった私にありありと突き付けられた気がしたのを覚えている。
『お金』それを考えた時、口から出た言葉は『パインハンバーグ』だった。
そして、それからか、付随するように親に対して『本音』を言えなくなってしまった。
思い返していくうちにこの話が、本当にこの癖のきっかけになったのか分からなくなってしまった。もっと前にそのきっかけがあったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも確かなのは、お金を気にする癖を作り出した一つの事象ということだ。きっと癖とは過去の自分が行ったたくさんの事象が連なった結果だとこの癖について考えることで分かった気がした。
「私はパインハンバーグにしようかな」
でも、この癖も悪いだけではなく思わぬ出会いを呼ぶもので、それからというものパイナップルののったハンバーグが好きになった。
「美味しいの? それ」
「美味しいよ」
***
玄関を開ける。
「あっ」
今日は記憶が続いていた。
「あれ、おかしいな」
五日も続いていた記憶が無くなる現象が今日は無かった。
「いや、これが普通なのか」とセルフツッコミを挟みつつ家の中へ入っていった。気づいたらまたあの現象が起きるのではとびくびくしながら、温かい紅茶を入れた。
そう言えば先日、大学で学んだ知識でこの現象を呼べるのではと思った。それは『解離』だった。一時的に記憶がなくなる現象。
「解離」
本当にこの現象に合っている言葉なのかは分からない。でも、こうして言葉にすると何だか安心するものがあった。解離、解離、解離。
そして、この安心感はこの温かい紅茶の味と匂い、久しぶりの夜が連れてきたものであろうこともよく分かっていた。
少しだけ並びが変わっている本棚を見る。うちの知らない夜を過ごした私は、この紅茶で心安らぐ時を過ごしたのだろうかと感慨にふけった。
その夜は久しぶりにうちがお風呂に入り、布団を敷き、歯磨きをして、電気を消して、眠りについた。