9.
何か物音がした気がして、ゆっくりと目を開く。
辺りは暗く、夜中であるようだ。月明かりが細くカーテンの隙間から覗いている。
まだぼんやりする頭を持ち上げ、あたりを見回すが、特に落ちた物も見当たらない。
気のせいだったかと気を取り直し、横になる。
布団をかけなおし、眠気に身をゆだねていると、ギィとドアが鳴り、ゆっくりと開いていった。
ドアを開けているのは女のようだが、廊下からの光でよく顔が見えない。
一瞬驚き、恐怖を感じたが、ろうそくを持った女をよく見ると自分の侍女だったので、すぐに安堵の息を漏らす。
その吐息が聞こえたのか、侍女は足早に私に近づき、姫様、と呼んだ。
眠い眼をゆっくりと開けるとろうそくの光飛び込んでくる。
眩しくてつい目をつぶると、侍女は慌ててろうそくをサイドテーブルに置いた。
「姫様、お目覚めになられたのですね」
その声があまりに切実で、思わず侍女の顔を見る。
なんだか、目が覚めてしまって。
そう言おうとしたのに、喉がひりつき声を出すどころか、むせてしまった。
侍女は慌ててテーブルに置いてある水差しからコップに水を注ぐと、私を抱きおこし、支えながら飲ませてくれた。
ただの水がこんなにもおいしいだなんて、知らなかった。何か特別な水なのだろうか。
思わず吐息がこぼれる。
「姫様、お目覚めになられて、本当に良かったです」
ゆっくりと水を飲んでいると、侍女がそう伝えてきた。
首を傾げつつ侍女を見ると、侍女は困ったように、泣きそうなように見えた。
「皆様に伝えて参ります。姫様はここでお待ちください」
侍女は二杯目の水を注ぎながら言うと、足早に部屋から出ていった。
・・・・・・・
数分後、寝間着姿の父様が部屋にやってきた。
起きたまま来たのか、髪の毛がひと房、変な方向にはねているのがかわいらしいが、せっかくの美形が台無しだ。
父様はそのまままっすぐ私の元へ来ると、ベッドに腰かけ、ゆっくりと私の頬に触れる。
「アイリス、本当に良かった。どこか痛いところや辛いところはないかい」
目には紛れもない心配の色が浮かんでいて、少し驚いてしまう。
「ええ、父様。どうもありませんよ」
現状が呑み込めていないので、違和感を抑え、そう答えるしかなかった。
そもそもなぜ夜中に起きただけで侍女が慌て、父様を呼ぶのか理解できない。別に高熱を出して寝込んでいたわけでもないのに。
少しの頭痛と胸の痛みはあるが、忙しい父様に伝えるほどのものではない。
「祈り場で倒れて、一週間も寝たままだったんだ、きっとどこかに不調は出る。当分はベッドの上でおとなしくしていなさい。担当の者を増やすから、何かあったら遠慮なく言いなさい。毎日、侍医の診察を受けるんだよ。ああ、本当に目が覚めてよかった。お腹はすいていないかい」
一週間も寝ていたことと、祈り場という言葉に衝撃を受ける。
それと同時に女神様とのやり取りや、モニタの中の映像を思い出す。
あの時はモニタの中の映像、としか思えなかったが、もうあれは私の記憶だという風に思えた。
急に思い出したことに動揺はしたが、あの映像は新しく知った記憶というよりも、忘れていたことをふと思い出したようなそんな風に感じ、動揺したのは一瞬だけだった。
――そう、あれは私の前世の記憶だ。辛いだけの苦しい記憶だ。
胸が痛むが、父様の心配顔を見るうちに気分は晴れていく。
大丈夫、あれは過去に起こったこと。今の私じゃない。今の私には心配してくれる家族がいる。
自身に言い聞かせるけれど、とげが刺さって抜けなくなってしまったように、わずかな胸の痛みは消えなかった。