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そう、あの中央神殿と同じようなグラデーションの壁は、灰銀と呼ばれていたあの女の子がよく見ていた神殿に酷似していた。
モニタで見た、死ぬ間際の映像は夜だったため、既視感を覚えただけだったが、記憶を思い出しつつある今では明るい時の外壁を思い出すことができた。
灰銀と言われていたあの子は洗礼式すら受けさせてもらえず、神殿に保護どころか仕事を与えてもらうことすらできなかったのに、それでも神を信じていたらしい。
記憶のあちらこちらに神殿を見ていた記憶がある。祈り方も知らず、神殿内に入ったこともないのに神を信じていたようだ。
心の拠り所が神殿しかなかったのかもしれない。
今世のこれまでの私の感性では神殿、そして神を信じてはいなかった。
もちろん、女神様に会って祝福――お告げを受けた今、神の存在は信じるというか、当たり前に存在を認識していた。
だが、それと神殿を信じることは別物だ。
あの大神官は胡散臭いし、神殿自体いいうわさを聞かない。
祭りの際には死後への恐怖をあおるだけあおって免罪符を高値で売りつけるし、洗礼式や結婚式の際は相手が金を持っていると知るや高額な寄付やお布施を要求していると聞く。
もちろん孤児の保護や貧困者への仕事の斡旋にもお金がかかる。治療院だって運営に金はかかるし、治療費を払えないものもいる。それに神官たちだって食事もとるし、服も着る。衣食住は神殿持ちだし、少なからず自由になる金――給金も必要だ。
慈善事業の色は濃いが、金がなければ慈善すらできないのは当たり前だ。
だが、ふくよかすぎる大神官達の体型と言い、ロビーや廊下のインテリアの質といい、必要以上に金をかけているような気がする。
美術品の真贋鑑定は私にはできないが、今世では王女として一級品ばかりに囲まれて過ごしているのだ。それなりの目は持っている。
中央神殿の内装の質は、王城のものには全く届かないし、由緒ある貴族の家にも遠く及ばないだろう。だが、金のない貴族よりははるかに良い物が揃っているだろうし、平民の富豪の家よりも良い品が揃っているのではないだろうか。
貴族用のスペースに限ったことだとは思うが、そんなにいいものが当たり前の顔をして廊下の端々に鎮座しているし、特に警備もされていない。
持ち出そうと思えば持ち出せるような状態である。
それなのに、各方面に金の無心をしているし、ここ数年でもインテリアが様変わりしている気がする。
要するに、金は持っているはずなのだ。
それなのに金のある貴族や富豪などから寄付を募るだけでは飽き足らず、金のない平民にも恐怖をあおり、高額な免罪符を売りつけたり、高額な医療費を必要に取り立てたり、先払いでないとみないと言ったりすると聞く。
そういった事の積み重ねで神殿の信用はあまりないし、不信感が募るのみとなっている。
だがそれでも皆が神殿を訪ね、金を払うのにはやはり理由がある。洗礼式や結婚式、葬式というように、神殿は私たちの生活に密接に関わっているのである。
その上、洗礼式が受けられないということはこの国では人間として認められていないに近い扱いを受けるし、何より魔法が使えない。
そうこの世界には、魔法がある。ファンタジーである。




