限界まで頑張ってしまう公爵令嬢は、さぼり魔な商人の息子に絆される
冒頭が書きたかっただけな所は割とあります。
「エリザベス・フォン・ストークス公爵令嬢! 俺様はここで、貴様を断罪する!」
ここは白百合学院。15歳から18歳までの貴族の子女、多額の入学金や授業料を納められるお金持ちの平民などが通う王国屈指の名門校だ。現在、三年生の卒業を祝うパーティーの真っ最中だ。生徒会副会長である私、エリザベス・フォン・ストークスは今回の卒業生の中で一応一番身分の高い王弟殿下、コリン・ジェームス・オースティンにいきなり名指しされた。
「何のことでしょうか」
私が首をかしげると、彼は自信満々な表情で叫ぶ。
「この期に及んでとぼける気か、この悪女め! 貴様が特待生のニーナ・ブラウンをいじめていることについてだ!」
彼はまるで大切な演説をするかのように、大げさに手を広げて言った。
「貴様は婚約者である俺に近づくニーナに嫉妬し、厳しい指導や生徒会の雑用押し付けなどの悪事を働いてきたではないか! 貴様のような輩は王弟で次期公爵である俺様の妻にふさわしくない! よって貴様との婚約を破棄し、新たにニーナと婚約を結びなおすこととする!」
彼の高らかな宣言に、会場はざわつく。ふとニーナの方を見ると、彼女は驚いた顔をしていた。私は「このバカ王子……」と内心でため息をついた後、「発言してもよろしいでしょうか?」と許可を取る。
「ふん! 俺様は寛大だからな。許可してやろう。せいぜいほざくんだな」
「では。三つほど申し上げます。まず一つ目に、私はニーナをいじめておりません」
「何を言うかと思えば。貴様は自身の立場を利用して、ニーナを個人的に呼び出し、厳しい指導を行っているではないか!」
「彼女に指導したのはお茶会など、貴族のマナーについてです」
平民であるニーナは、どうしても貴族のマナーや暗黙の了解に疎い。高位貴族が多く所属する生徒会に出入りするようになった彼女はそれではまずいと、仲の良かった私に指導を頼んできたのだ。だから私は、彼女のためにマナーのレッスンをしていた。ちなみに、個人的に呼び出していたのは最初だけだ。貴族のマナーを何も知らない子をいきなり実戦さながらのお茶会の席に突っ込むなんて真似は到底できないので、最初は私と二人だけのお茶会でレッスンしていた。
……確かに、少し厳しい指導になったのは否めない。だが、その成果もあって、彼女は半年足らずで高位貴族の令嬢に引けを取らないほどのマナーを身につけた。この経験は近い将来、必ず彼女の役に立つはずだ。
「ふん! ずいぶんな言い訳だな。言いたいことはそれだけか?」
「とりあえず一つ目は。次に二つ目に参ります。何度申し上げても伝わっていないようですが、」
私はここで一度言葉を切る。そして、バカにも分かるよう一音一音強調して発言した。
「私たちの婚約は一年前に破棄されています」
そう。会場がざわついていた理由がこれだ。すでに解消されている婚約を破棄するバカがどこにいるという話だ。
「え?」
「お忘れですか? ちょうど一年前に同じような騒動を起こされて、あなた有責で婚約を解消したではないですか」
このバカは学習しないなと、内心で盛大なため息をつく。そもそも彼は次期公爵などではない。彼はストークス公爵家を継ぐ私に婿入りする予定だった。それを彼は「自分が次期公爵だ」と男爵令嬢に嘯き、派手な婚約破棄騒動を引き起こした。それが一年前の話だ。
「ではもろ手を挙げてニーナと婚約できるな! まったく、とんだ茶番だった」
王弟は嬉しそうに叫ぶ。私は眉間にしわを寄せて、盛大なため息をついた。
「その点についても言うことがあります」
私はそう言ってニーナを見る。どうやら状況を飲み込め、冷静になったようだ。これなら大丈夫だと、私は彼女に話を振った。
「でもこちらは、私よりニーナが述べたほうが信ぴょう性あるでしょう。ニーナ、発言を許可します」
「はい」
彼女は返事をすると、一つ深呼吸をする。その後、ゆっくりと口を開いた。
「殿下、わたしと婚約とはいったいどういうことでしょうか? わたしたちは恋人でもありませんし、実際に王家から打診されたわけでもございません。わたくし自身、今この場で聞かされて戸惑っております」
「ニーナ、何を言っているんだ? お前は俺様の恋人だろう!? 俺様を愛しているのだろう!?」
「何のお話でしょうか? そのようなことを申し上げたことは、記憶にございません」
私の知る限り、ニーナの恋人は別の人物だ。彼女の性格上、浮気や同時進行などするはずがない。つまり、この場は勘違いを重ねた王弟の、とんでもない暴走だったわけだ。
「わたしは生徒会長や副会長を通じて、ストーカーしないでくださいと何度も抗議させていただきました」
平民であるニーナは立場上、王弟であるコリンに強く出れない。だから高位貴族や王族である私たちが彼に抗議してきた。だが、あのバカには伝わっていなかったようだ。
「だが、兄上はニーナに勲章を与え、王室に迎え入れるとおっしゃっていた! 一体どういうことなのだ!」
とんでもない暴露をされ、私は頭を抱える。その時、会場の扉が開き、ひとりの麗しい青年が入ってきた。
「ベス、ニーナ、何の騒ぎだこれ?」
「会長!」
「アレックス、遅いです」
入ってきたのは、この国の王太子で生徒会長のアレクサンダー・ウィリアム・オースティンだった。
「オレだって早く来る予定だったんだけど……、で、マジで何の騒ぎ?」
「アレックス、口調。はぁ、とりあえず状況ですね。王弟が婚約破棄騒動を引き起こしました。しかも相手はニーナだと言い張ってます」
「叔父上……、またか……」
「これはとりあえず納めました。問題はここからで、ニーナを王家に迎える話を暴露されました」
私がそう言うと、アレックスは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「ベス、もうこれは言った方がいいんじゃないか?」
「私もそう思います」
「ベス先輩、アレクさま、あのことを言うのですか?」
「大丈夫だ。ニーナは俺が絶対守る」
二人の世界を醸し始めたアレックスとニーナに対し、「それは後にしてください」と止める。彼ははっと気が付いたような表情をした後、ニーナに恭しく手を差し出した。
アレックスのエスコートで、ニーナは壇上に上がる。彼は「皆、聞いてくれ」と口を開いた。とたんに、ざわついていた会場が静かになる。
「私、アレクサンダー・ウィリアム・オースティンは、ここにいるニーナ・ブラウンと婚約することを発表する!」
彼がそう告げると、会場が沸き上がる。そう、コリンが聞いた話は、正確には「ニーナを王太子妃として王室に入れる」という話だったのだ。
「先輩たちの門出の日に、私事の報告をして申し訳なく思う。どうか今宵は、楽しんでいってほしい」
アレックスがそう告げると、華やかなパーティーが始まる。私はその喧騒をしり目に、明日から忙しくなりどうだと小さくため息をついた。
◇
卒業式から数日後の、とある日のお昼休みの事。私は、中庭のガゼボで昼食をとりながら書類と格闘していた。生徒会長であるアレックスは春休みにある夜会で行われるニーナとの婚約発表のために一足先に王宮に戻り、優秀な生徒会役員であるニーナもそれに同行している。二人が抜けた穴を埋めなければならないため、私は例年では類を見ない忙しさに見舞われていた。
「とりあえず終わりました……」
完成した書類をわきによけながら私は呟く。このところいつもこんな感じだ。放課後も遅くまで残って書類や学院の問題ごとに対応している。ここのガゼボはぽかぽかと日当たりが良く、思わずうとうととまどろんでしまう。
(ダメ……です……。こんな……ところで……寝ては……、はしたない……)
そう考えながらも、瞼はどんどん落ちていく。連日の疲れがたまっていた体では、迫りくる眠気にあらがうことはできなかった。
◇
「ん……」
まどろんでいた意識が覚醒する。やってしまった……と自己嫌悪していると、隣に誰かの気配を感じた。慌てて顔をあげると、国内でも有数の大商人の息子、ダニエル・バードンが隣に座っていた。彼はニーナと同じクラスで、居眠り癖があるのか学院内で昼寝しているところをよく見かける。以前昼休みの予鈴が鳴るまで眠っていた彼を起こしてから、何かと交流がある生徒だった。
「あ、起きたぁ?」
彼は少し気の抜けた喋り方でそう問いかける。慌てて体を起こすと、肩にかけられていたジャケットがずり落ちた。
「あっ、すみません。はしたないところを……」
「ああ、うん、気にしてないよ。ここはあまり人が来ないけど、一応顔が見えないようジャケットをかけておいたから」
「お気遣いありがとうございます」
眠っているところを見られたという気恥しさから目を伏せる。彼は「気にしないで」と笑った後、「生徒会の仕事が忙しいの?」と聞いてきた。
「まあ、そうですね。眠ってしまった手前信ぴょう性はありませんが、一応、自分の処理能力の範囲ではありますけど……」
「そうだといいんだけど。副会長さんは限界まで仕事詰め込む癖があるみたいだから。うん、顔色もよくなったね」
「そうですか?」
私が首をかしげると、彼は「うん」と頷いた。
「しかも副会長さんの場合、なまじ優秀だから限界まで詰め込んだ仕事も処理できちゃうんだよね。だから、はたから見ればやばいのに、自分では限界が来ていることに気が付かない。ぼくが見るに、今まさにその状態だよ」
「そう、なんですか……?」
自分に限界が来ていると言われても、いまいちピンとこない。首をかしげていた私の耳に、チャイムが聞こえてきた。
「あっ、今の予鈴ですかね?」
「うん? 時間的に……、四限の終わりじゃないかな?」
彼の言葉を聞いて顔が真っ青になる。四限をすっぽかしてしまった。口をはくはくと動かしていると、彼は「落ち着きなよ」という。
「副会長さんが限界まで頑張ってたのは教師も分かってるだろうし、副会長さんも真面目だからね。そこまで怒られないと思うよ。生徒会の仕事はまだ残ってるの?」
「あっ、はい。今日提出の書類が結構……。でも大丈夫ですよ。ずいぶんとお昼寝してしまいましたし」
「うーん、今の副会長さんの大丈夫は信用ならないかな。ぼく、手伝おうか?」
「その申し出はありがたいですけど、大丈夫ですよ」
「これでも商人の息子だから、そういう仕事には慣れてるよ」
あれよあれよという間に、彼が手伝いをしてくれることになった。私の荷物も持ってもらい、申し訳ない気持ちになりながら生徒会室に向かう。途中職員室に寄ってすっぽかした授業のことを謝ると、怒られるどころか心配されてしまった。
生徒会室に着くと、すぐ書類をさばきにかかる。彼の手腕はすごく、少し教えただけで書類を書き上げることができた。日が暮れるころには、山積みになった書類の山がきれいさっぱり消え失せていた。
「本日は本当にありがとうございました。お礼は必ず」
私は彼に深々と頭を下げる。彼は「べつにいいよぉ」と笑った。
「どうしても気になるんなら、今度の休日どっか出かけない?」
「ええと、そんなことでよろしいのですか?」
「うん。副会長さんの予定が開いてるならでいいけど」
「今度の休日にはこの事態も落ち着いてるはずですし、いいですよ」
私がそう答えると、彼はにっこりと笑って「じゃあ、この近くの喫茶なんてどう?」と言った。ちょうど気になっていた店なので「かまいません」と返事する。待ち合わせの時間や場所も決まり、じゃあまた後日ということでその場は別れた。
◇
ダニエルとの約束の日、私はお忍びの馬車で待ち合わせの場所である噴水広場に向かった。私の今日の格好は品の良いワンピースと、お忍びを意識した可愛らしいコーデに仕上げてもらった。元の顔がちょっときついから、あまりに合わないのだと思うけど。
「副会長さん」
声をかけられたので振り向く。するとそこには私服のダニエルが立っていた。品の良いシャツに身を包んだ彼は、私の姿を見ると駆け寄ってきた。
「今日は一日よろしくね。副会長さん、今日はリズさんって呼んでもいい?」
「そうですね、今日はお忍びですしかまいませんよ」
彼の提案に頷く。すると彼はにっこり笑って、「それじゃ行こうか」と手を差し出した。
ダニエルと連れ立って街を歩く。すっかり街は春色に染まり、花壇や軒先の植木鉢には色とりどりの花が咲いていた。
「風がきもちいいねぇ」
「そうですね。最近はすっかり春めいてきましたし」
「うんうん。気候が良くなってきたから、ついついお昼寝しちゃうよ」
たわいのない話をしていると、目的の喫茶店に着いた。幸いさほど混んでおらず、私たちはすんなりとテラス席に通される。
「リズさん、何頼む?」
「そうですね……」
そう呟きながらメニューを見る。コーヒーとパスタ、それにケーキのセットがあったのでそれを頼んだ。ダニエルはコーヒーとサンドイッチのセットにしたようだ。
しばらくすれば注文した料理が運ばれてきた。料理に舌鼓を打っていると、彼は「美味しそうに食べるね」と笑った。
「お恥ずかしいところを見せてすみません」
「んー? ご飯を美味しく食べるのに、恥ずかしく思う必要はないと思うけど。リズさんは食べ方もすごくきれいだし」
「あ、お褒めいただきありがとうございます」
「あはは、どういたしまして。ようやく笑ったね」
彼はそう言いながら目を細める。ずっと笑顔だったつもりだが、周りからはそう見えていなかったのだろうか? 不思議に思っていると、彼は再度口を開く。
「最近のリズさんはずっと張りつめた糸みたいだったから」
「そう……ですか?」
「うん。頑張らなきゃ、頑張らなきゃってずっと肩ひじ張ってたよ」
「……人より努力しないと、皆さんには追い付けないんです」
彼の指摘に思わずうつむく。昔から公爵令嬢としては出来が悪かった。だから寝る間も惜しんで努力した。今だって、高度な学院の勉強についていくため必死で勉強している。
何でもそつなくこなすアレックスと、才能を花開かせたニーナ。二人に対して羨望のまなざしを向けたことは、一度や二度ではない。思わず零してしまった言葉を聞いて、彼は「やっぱりリズさんはすごいね」と言った。
「私が、ですか?」
「うん。努力するってすごく難しい事なんだ。時々授業をさぼるぼくが言うと、説得力あるでしょ?」
「授業はちゃんと出てくださいよ」
「気がむいたらね。って、ぼくの話はいいんだ。凡人は、うらやましいって言うだけで終わるんだよ。うらやましいって思うだけじゃなくて、きちんと努力して王太子やニーナさんに追いついたリズさんは、努力の天才だと思うよ」
彼は一度言葉を切った後、「ただね……」と続ける。
「リズさんは、ちょっと休んだり、力を抜いたりするのが下手かもね」
「……アレックスにもよく言われます。いざ休め、力を抜けって言われても、どうすればいいか分からなくて」
「じゃあ一緒に練習する?」
「練習、ですか?」
「そう。ぼくはさぼりの天才だから」
おどけたように笑う彼につられて笑う。
「ではよろしくお願いしますね、先生?」
冗談を交えてそう言うと、彼は「やる気のありそうな生徒でよかったよ」と笑った。
◇
ダニエルと出かけてから数日後、私は白百合学院の終業式に臨んでいた。今日ばかりはアレックスやニーナも戻ってきて、生徒会役員としての役割を果たしている。私は学院長の話を聞きながら、小さくあくびをかみ殺していた。
(うぅ……、夜更かしをしすぎましたね……)
そんなことを考えているうちに終業式が終わる。あとは生徒を誘導しきれば今日の仕事は一区切りだ。私は一年生のクラスの担当だったため、彼らを誘導する。彼らを全員講堂の外に誘導しきった時だった。
「あ……」
突然世界が真っ暗になる。貧血だ。その場に倒れこんでしまうと思った瞬間、誰かに体を支えられた。
「リズさん、大丈夫?」
とっさに支えてくれたのは、ダニエルさんだった。彼は「脳貧血かな」と呟いた後「ちょっと失礼するよ」と私を寝かせ、足をあげた。その甲斐あって視界が戻ってくる。
「ありがとうございます……、助かりました」
「気にしなくていいよ。気づけて良かった。……まだ気分悪い?」
「ええ、はい……」
私がそう答えると、彼は「保健室に行こう。立てる?」と聞いてきた。まだ頭がくらくらする。立ち上がるのは厳しそうだ。そう伝えると、彼は短く「分かった」と返事をする。
次の瞬間、視界が上がった。一瞬遅れて、彼に抱き上げられているのだと気づく。
「えっと、下ろしてください! 重いでしょう?」
「ん? ぜんぜんだよ。リズさんが保健室に行くことを誰かに伝えたほうがイイね。ええと、生徒会役員さんは……」
彼がそう言った途端、ニーナがこちらに走ってきた。
「ベス先輩、大丈夫ですか?」
「リズさんは貧血を起こしたみたい。ぼくが保健室に連れていくよ」
「そうでしたか。ダニエルさん、先輩をよろしくお願いしますね」
ニーナはそう言って頭を下げる。ダニエルは「もちろんだよ」と返事をして、あまり揺らさないようにしながら保健室に向かってくれた。
保健室に行っても、養護の先生は用事があるのか席を外していた。ダニエルは私をベッドに寝かせる。目を閉じた途端、寝不足な体はすぐに睡魔に絡めとられてしまった。
小一時間ほどたったころ、私は自然に目を覚ました。さっきよりは体調がいい。
「あ、起きた?」
声をかけられて驚く。急いで体を起こしてベッドの脇を見れば、椅子に座ったダニエルがこちらを見ていた。
「あ、はい。ずっとついててくださったんですか?」
「うん、リズさんが心配だったし。まだ生徒会の仕事が忙しいの?」
彼の問いに首を横に振る。
「いえ、そういうわけではなくて……。昨日はちょっと、釣書を見ているうちに夜更かししてしまいまして……」
「……釣書……。ああそうか、高位貴族だもんね」
「むしろ遅いくらいですよ? 今度の夜会もあるので、パートナーも決めないといけませんし」
うちは私しか子供がいないから、私が爵位を継ぐことになる。だから入り婿してもらう必要があるのだが、貴族社会では入り婿は敬遠されがちだ。そのうえ、私は少々顔も性格もきついから、殿方から敬遠される。そのため、私は少ない選択肢の中から、どうにか家の益になる人を探さなければならない。
「本当に大変で。釣書を送ってくる方々は皆あまりよくない噂がある方ばかりで……」
「へえ、例えば?」
「スケルトン公爵家令息とか、ティンバーソン伯爵家令息とかですね」
社交界でも有名な放蕩息子たちの名前をあげると、彼は「そんな奴やめときなよ」と言った。
「そうですね。家を傾ける原因になりかねませんし、おことわりする予定ですよ。まあ、うちも相手が見つからないですから、あまり贅沢は言っていられないのですけど」
女遊びが激しい方も過度な浪費家の方も、家を傾ける原因になる。そこまで考えた時、彼に愚痴を聞かせてしまったと申し訳なくなった。
「すみません、私ったら愚痴ばかりで」
「気にしないで。……ねえリズさん、ぼくじゃダメかな?」
「はい?」
発言の意味が飲み込めず、二三度瞬きをする。
「そんな奴より、ぼくのほうが何倍も、いや、何百倍もリズさんを大事にできる。リズさんはすごく頑張り屋で、たとえ嫌われたり、怖がられたりしても、みんなのために動くことのできる魅力的な女性だ。そんなリズさんを、一番隣で支えたいんだ。だめかな?」
彼はそう言いながら、私の手を恭しく取って手の甲にキスをした。突然の告白に顔が真っ赤になる。確かに、ダニエルの隣は自然と力が抜け、自然体でいられる。はい、と答えそうになった私の喉を、理性が押しとどめた。
彼はバードン商会、つまり平民の息子だ。平民を蔑むつもりはないが、それにしたって家格が違いすぎる。何も言えなくなっていると、彼は「なんて」と笑った。
「ごめんね、急にこんなことを言って」
「いえ、大丈夫です。……嬉しかったですし」
目をそらしながら答えると、ダニエルは「それはうれしいなぁ」と笑った。その後彼は「本気を出さないとな……」と呟く。「どういうことですか?」と尋ねても、彼は「気にしなくていいよ、こっちの話だから」と笑ってごまかした。
◇
春休みに入ってからも、私は忙しい日々を過ごしていた。後ろ盾を持たないニーナの後見としてストークス公爵家が入ることとなったため、マナー講習を含めた夜会準備をしなければならないためだ。
「エリザベス、お前に縁談だ」
何とか隙間時間に自室で勉強をしていると、父から声を掛けられる。
「どなたからですか?」
「ミラー伯爵家からだ」
ミラー伯爵家とは古くから続く貴族だ。数代前には王女が降嫁したこともある。
「先方には入り婿できる方っていらっしゃいましたっけ」
「何でも、最近遠縁から養子を迎えたらしい」
はて? と首をかしげる。ミラー伯爵家は領地が災害に見舞われ、借金を抱えていたはずだ。最近返せるめどが立ったともうわさを聞くが、養子を取るほどの余裕はあったのだろうか。首をかしげている私に、父は「とにかく一度会ってみなさい」と告げた。
数日後、お見合いを兼ねたお茶会が開かれることとなった。
「ミラー伯爵家次男、ダニエル・K・ミラーです」
自己紹介をしたお見合い相手の顔を見ては、私は驚愕した。そう、そこにいたのはダニエルだった。
「ダニエルさん!? どうしてここに?」
「君のお見合い相手だから」
ぽかんと口を開けている私に、彼は訳を説明してくれた。
「びっくりさせてごめんね、実は養子に入ったんだ」
借金を返せるめど……、養子は大商人の息子……ということは……。
「もしかして、持参金養子ですか?」
「あ、バレた? でも、誰も不幸にならないんだしいいんじゃない?」
曰く、ミラー伯爵家は令嬢を変態親父の後妻としてそわせようとするほど切羽詰まっていたらしい。彼は変態親父の提示する結納金よりも高い持参金を持って、養子縁組を持ちかけたそうだ。
「ぼくは貴族の身分が欲しかった。公爵家にはお金が必要だった。利害の一致だよ。言ったでしょ? リズさんを一番隣で支えたいって」
驚きの発言に、目を再度瞬かせる。私は微笑むと、「さぼり癖は治していただきますからね」と告げる。
「あ、うん、それは分かってる。頑張るよ」
「では、よろしくお願いします」
頷いた私に対し、ダニエルは「こちらこそよろしく」と笑った。こうして、私たちは婚約者となったのだ。
◇
シーズン最後の、勲章授与の夜会の日。前日から準備のため家に来ていたニーナは、緊張をどうにかしようと何度も深呼吸していた。
「そう緊張しなくても大丈夫ですよ、ニーナ。あなたのマナーは十分次第点ですから」
「ありがとうございます、ベス先輩」
「ここは学院の外ですから、ベス先輩はだめです」
「は、はい。エリザベスさま」
そんな話をしていると、侍女が来客を告げる。どうやらアレックスとダニエルが到着したようだ。部屋に入れるよう指示すると、正装に身を包んだ二人が入ってきた。
「ニーナ、オレが送ったドレスを着てくれたんだね。良く似合ってる」
「あ、ありがとうございましゅ……」
彼女は緊張のあまり噛んでしまう。アレックスは「落ち着いて」と笑った。
「何があっても俺がフォローする。だからリラックスして、堂々としてて」
「はい……。頑張ります……」
頑張らなくては、と小さくガッツポーズをする彼女に「外では気を付けてくださいね」とたしなめる。そんなニーナを、彼はいとおしそうな目で見つめていた。まるできょうだいのように育った幼馴染の幸せそうな姿に、思わず目を細める。
「リズさん」
甘い声で呼ばれる。顔をあげると、とろけるような笑みをしたダニエルの姿があった。
「とてもよく似合ってる。まるで妖精みたいだ」
言われたことのない口説き文句に、顔が真っ赤になる。私の様子を見たアレックスは、小さくくすくす笑いを漏らす。
「あのベスが、すっかり骨抜きだなぁ」
「からかわないでください! もう行かないと間に合わなくなりますよ!」
照れ隠しを兼ねてそう言うと、アレックスは「そうだな」と笑った。そのまま彼はニーナの手を取る。私もダニエルに手を引かれ、城に向かう馬車に乗り込んだ。さて、ここからはたくさんの思惑が渦巻く戦場だ。一層気を引き締めなければと思う私の手を、彼がそっと握り返してくれる。それだけで、何でもできるような安心感が私を包み込んだ。
読んでくださりありがとうございました。