第9話 すごいヤバいすごいヤバいすごいヤバい でも、きっとなんとかなっちゃう……よね?
どれくらい経っただろう。静寂の暗闇の中、胸の鼓動だけがやけにうるさい。
馬も不安になったのだろう、少し前からいなないたりガサガサ動いたりしている。
フライスさんが手探りで馬に接している。落ち着かせるようにか、声を掛けている。
ヒューさんは、座り込んだようで、その後小声で何かを唱えている。詠唱なんだろう。
ひょっとすると、2、3分なのかも知れない。しかしそれが、この異様な空間にいると、何十分にも感じる。
真っ暗闇の中に、突然ほのかな光が生じた。ヒューさんだ。ヒューさんが、ほのかに光っている。
その光で馬は少し落ち着いたのか、それともフライスさんが何かしたのか、馬は静かになった。
光は段々と強くなり、結界内がかなりはっきり見える様にまでなった。
光るヒューさんが立ち上がって、両手を前に伸ばした。
その手先にヒューさんの光が集まり、そのまま球体の光がヒューさんの手の上に浮かんだ。
球体の光の中には、ぐるぐる変化する図形があり、内部が複雑に回転しているのが分かる。
「反魔法は組み終わりました……先ほどお話しした『中間魔法体』と言うのは、これです」
ヒューさんの声に、勢いが全く無い。相当疲労しているようだ。
光に照らされたヒューさんは、汗だくにもなっていた。
「すいませんヒューさん、俺の不用意な思いつきのせいでこんな……」
「構いませぬ。召喚者様を我が国に迎えると決めた時より、何が起ころうが何とかする覚悟は、出来ております故に」
ヒューさんが、ふーっと息を吐いた。
そして、
『ディスペル・フレア・ポール!』
と、叫ぶやいなや、光のボールが弾けて、もの凄い発光をした。
直視してしまい、目の前が真っ白に染まってしまった。
「う、ぐぅ……」
ヒューさんの苦しそうな声が結界内に響く。
「ヒューさん、大丈夫ですか!」
「反魔法は、確かに打ち込みました。しかし、反応が取れませぬ」
「は、反応ですか」
「はい。反魔法は……成功すれば必ず反応があります。しかし、それが受け取れませんでした」
「反魔法が失敗した……んでしょうか」
「恐らくそれはないはずです……恐らく、反応も魔力ですから、外から内に入れない、即ち結界に弾かれたのではと」
「そうしたら、俺の結界を解除しても大丈夫……なんですよね、きっと」
「はい。きっと……大丈夫です」
きっと、という言葉がこれほど心許なく感じたのは初めてだ。
ヒューさんの声音も、いつもの余裕あるご老体の声音では無い。息絶え絶えの必死さ。そう感じずにいられない。
「もしも……もしも、反魔法が失敗していたら?」
俺は、ヒューさんの自信を踏みつけにする最低の質問をした。
けれど、どうしても確認せずにはいられなかったんだ。
あの業火だ。もし失敗していたら、俺たちは、骨も残らず焼けるだろう。
日本にいた時に感じたことのない、突きつけられる死の恐怖。
ダンプに吹き飛ばされた時は一瞬だった。恐怖を感じる間も無かった。
今は、違う。死が、目の前で、嫌な笑顔で待っているのを感じる。
「もしもの際は……このヒュー、死者の国にて、シューッヘ様に永遠にお仕え申し上げます」
「私めも微力ながら、お仕え致します」
ヒューさんのみならずフライスさんまでも。
二人とも、死の覚悟は出来ている……そんな声だった。
ここで俺がビビって、いつまでもこうしていても仕方ない。
直径10メートルの球体内の酸素がどれだけで尽きるかは分からないが、時間は大分経っている。
いつ酸欠になるか分からない。酸素が足りなくて倒れたら、そこまでだ。
俺は……俺なりに、死ぬ覚悟を決めた。
出来る事なら、ヒューさんとフライスさんには生き残って欲しい。
更に出来るなら、俺も。
[結界、全解除]
目を閉じたまま、念じた。その瞬間、身体に熱波を感じた。
一瞬失敗を、死を想像したが、熱かったのはわずかな期間で、すぐ涼しい、そして煙たい風が吹き付けてきた。
目を、ゆっくり開ける。見渡す。まださっきの光の影響であまりよく見えない。
何とか見えたのは、丁度くっきり結界より数歩の位置の、黒焦げの地面。まだ黒い煙も出ている。
上昇気流が出来ているのか、中心のここに向けて煙たい風が吹き付けてくる。
「ヒューさん、フライスさん。反魔法は成功していました! 生き残れました!」
「シューッヘ様の御力には、感服を……」
どさっ、とヒューさんが横倒れに倒れた。
「ヒューさん?!」
俺が駆け寄る前に、フライスさんがヒューさんの横に膝をついた。
フライスさんが両手をヒューさんにかざして、
「[イン・ビュー]!」
魔法名なんだろう、その言葉と共に、フライスさんとヒューさんが一つの光にまとめて包まれた。
その光の何かで、フライスさんは更に何かを唱えた。聞いた事のあるフレーズ。倒れているヒューさんの上に、ステータスウィンドウが開いた。
俺も駆け寄ってそのウィンドウを見たが、文字が違う。読めない。
「ふ、フライスさん……ヒューさんは……」
「正直、絶望的な状態です。せめて精霊魔法が使える馬車内にお連れしましょう」
フライスさんがヒューさんを抱えたので、俺は急いで馬車の扉を開いた。
ひょいと馬車内に飛び込んで、床に膝を付いて、ヒューさんをフライスさんから引き継いだ。
ヒューさんを、いつも座っていた席に横たえる様に寝かせる。俺はフライスさんの方を見た。
「フライスさん、ヒューさんはこれで大丈夫なんですか?!」
「精霊魔法はありますが……回復に特化した魔法は、我らの手にはございません」
「そもそもヒューさんの今の状態は、なんでこんなことに!」
「反魔法が原因にございます、失礼」
「反魔法……そんなに消耗してしまうものなんですか」
俺の言葉に反応せず、フライスさんも馬車内に乗り込んで来た。
「先ほどのステータスウィンドウは、ご覧になりましたか」
「はい、ですが文字が。ヒューさんに俺のを見せてもらった時と、文字が違って、読めませんでした」
「……シューッヘ様が魔法行使されれば、読めるやも知れません。魔法名をお伝えしますので、復唱を」
「はいっ!」
「[トップ・ビュー・ウィンドウ・スキャン]」
フライスさんは、ひと文字ひと文字読み上げるように、ゆっくり言ってくれた。
フライスさんの目の前に、この世界の文字のウィンドウが浮かぶ。
「と……[トップ・ビュー・ウィンドウ・スキャン]!」
俺が唱えると、何とか無事にウィンドウが開いた。文字も日本語だ。
「さすがシューッヘ様。では、ご覧下さい、生命値の値と、魔法力の値です」
「……魔法力がマイナス? 生命値は、8529分の、25……」
「そうです。生命の力が、1%も残っておりません。これは魔力不足分を、命で補ったためと思われます」
「そんな、命がけで……」
「命がけというより、死ぬおつもりだったのでしょう。ローリスに、大英雄をお迎えするために」
俺はショックで意識が飛びかけた。息をフッと吹いて、何とか留まった。
「生命値は、5%を割り込むと、そのまま死を迎えます。回復魔法がたとえ使えても、この域まで生命値が落ちている場合、無意味です。……ヒュー様の最期を、共に看取りましょう」
俺は言葉を失った。
俺が、ちょっと結界試したいみたいな事さえ言わなければ。
俺のせいで、ヒューさんが死んでしまう……何か、何か手段はないか……
(女神様!!!!)
俺は手を組んで、心の全力で叫んだ。
『うっさーーーい! 何よいきなり! そんなバカでかい声で祈らなくても通じるわよ!』
「め、女神様。サンタ=ペルナ様。ヒューさんが死にそうで……助ける手段はないのですか?!」
『ん? その程度の力、あんたにもう授けてあるわよ』
「そ、そう言われても、回復魔法みたいなのはもう間に合わないそうですし、他に魔法なんて分からないし」
『グダグダ言ってないで、知恵を使いなさい。地球人の優れたところは、発想・着想と知恵なんだから』
ブツッと回線が途切れる様な音がした。
発想、着想。俺に何が出来る、俺は……結界と、そうだ、全属性の魔法!
「女神様とて、死にゆく者を生き返らせる事は出来ないでしょう」
フライスさんが、冷めた視線を俺に向けてくる。
ちがう、ぜったい、ちがう!
俺はヒューさんを生き返らせてみせる!
「フライスさん、教えて下さい! この世界にある魔法の、全属性を!」
「今はそんな……」
「必要なんです! お願いします!!」
俺は必死に訴えた。
フライスさんは俺の勢いにうろたえた様だった。
「う……ぞ、属性は、全部で10あります。
火、水、風、土が四大属性魔法として主流です。
この他に、物をバラバラにする『疎』魔法、物を圧縮するような使い方の『密』魔法、
ガルニア聖王国が独占している、回復魔法を含む『聖』魔法、そして光魔法、闇魔法。
最後に、使い手がおらず消失した、時空魔法で、10です」
俺は大きく頷いて謝意を示した。伝わったかは分からない。
言葉をしゃべる間ももったいない、考えるんだ俺!
この10ある属性の中で、回復に使えそうなものは?!
聖属性の回復魔法は、もう役立たないと言う。
もし一般的でない、全回復みたいな魔法があっても、俺のスキルは初級だと女神様は言っていたから使えそうも無い。
だとしたら、何がある?! 疎……死神を遠ざける? いやいや、この期に及んで迷信に狂ってる場合じゃない!
もっと時間があれば……時間? そうだ、時間を戻す事がもし魔法で出来るのであれば!
でも、魔法の行使はどうやって? 結界の様に、念じるだけで、出来るのか?
いや今は、そんな迷ってる暇は一秒もない、とにかくやってみる、それしかない!
[ヒューさんの身体の消耗状態を、今の時から30分前に戻す!]
俺は必死に、心の中で大声で叫び、唱えた。
とその瞬間だった。思い切り視界がぐにゃりと歪み、膝立ちでいられなくなって、そのまま床に転んだ。
身体がガクガク震え出す。止められない。耳が機能しないのか、キーンと耳鳴りがして、何も聞こえない。
次第に、フライスさんと床が見えている視界が薄暗くなり始めた。
(あれ……これ、俺の方が死ぬパターン?)
辛うじて働く頭で思えたのはそれだけだった。意識はそのまま闇に墜ちた。
「シューッヘ・ノガゥア様! お気を確かに!!」
ふと意識が戻った。あれ、死なずに済んだのかな……
なんか、身体がびちゃびちゃに濡れてる感じがする。
うわっぷ!
頭というか顔面に何か冷たい液体をぶっかけられた。
口にも入る。ちょっと苦い。ん? んん?!
「はっ! アレ?!」
俺はパッと起き上がった。横を見る。
ヒューさんがフラスコみたいな三角瓶の中身を、俺にぶっ掛けたようだ。
「気付かれましたか! これをお飲み下さい!」
と、フラスコに少々残る液体をぐいっと進められる。
よく分からないが、苦いのを舐めたら急に起き上がれたんだ、回復薬みたいなのだろう。
俺はフラスコを受け取って、一気に喉に流し込んだ。うーん、苦い。
全部飲み干したら、身体がとても火照ってきた。酒の時とは少し違う、温泉でのぼせた様な火照り感だ。
「よくぞ、よくぞ戻られました! このヒュー、シューッヘ様を犠牲に生き延びたのでは、余りに申し訳なく……」
ヒューさんの目に涙が浮かんでいた。
「あの……ヒューさんは、もう大丈夫ですか」
「はい! シューッヘ様のおかげで、完全に元通りになっております!」
嬉し泣き、というものだろうか。ヒューさんが滂沱の涙で顔がグチャグチャだ。
「シューッヘ様、如何なる御業をお使いになられたのですか。わたしはもう死ぬものだと、静かに死を待っておりました」
「フライスさんから魔法の属性を聞いて……回復できなくても、もし時間を戻せれば、何とかなるかもと思って」
「時間を?! 失伝された時空魔法をお使いになったのですか!」
「そうですね、そうなるんでしょうね。消耗状態だけを30分戻したんですが、記憶とかはありますか?」
「記憶は、ハッキリと残っております。30分とは、どの位の時間にございますか」
「えーと……半レリアですね」
「……今、なんと?」
「半レリア……じゃ通じないのかな、えーと、二分の一レリアです」
「な、なんと無謀な」
ヒューさんが涙でグチャグチャの顔にパンっと手を当てて、困り果てた様な姿になった。
「あ、アレ? 半レリアは、やりすぎ、でしたか?」
「古来の言い伝えになりますが、時空魔法で戻す通常の単位はレリアの下の単位であるセクト、もしくはその十分の一以下を表すコンマセクトだそうです」
「……レリア、は?」
「これも古来の言い伝えですが、十分の一レリアで上級魔導師は悶絶して絶命し、五分の一レリア戻した者は、時の裁きを受けて必ず死す、と言い伝えがございます」
うわっちゃー、知らないとはいえ、明らかにやり過ぎた。
あれ、でもなんでそれだったら、俺今生きてるんだろ。
「俺が今生きて、こうして話してるのは……夢?」
「幸い夢ではございません、シューッヘ様。この馬車には、緊急用にマギ・エリクサーが積載されております」
「マギ・エリクサー? さっきの、苦いのですか?」
「はい。魔法力の枯渇を回復させる、最後の砦の薬です」
そっか……無茶して、魔法力が……どの位減ったんだろう。
「魔法力が枯渇すると、マズいんですか?」
「地球という国には、魔法が無かったのでしたな。魔法力の枯渇は、生命維持が絶えることを意味します」
「生命維持が、絶える?」
「心臓は正しく律動しなくなり、呼吸は自動では行われなくなり、全ての感覚器は機能を失います」
「へぇ……じゃ地球でも、意識しないだけで魔法力とかあったんですかね」
「どうでしょうか。もしくは、外界に十分な、魔法力に準ずる力が満ちていたか」
「外から供給かも、ですか……あれ、でもヒューさんも、魔力値がマイナスでしたよ」
「マイナスは、確かに相当宜しくない状態です。が、単に魔法力がマイナスであるだけなら、まだ死にはしませぬ。シューッヘ様の魔力値が至った次元は、ウィンドウ上では、『空』と表記が出ます。マイナスですらございません」
「……その、空、は、マイナスより下?」
「プラスなりマイナスなりすら存在しない。それが『空』だと理解しております。故に、死あるのみなのが『空』です」
「でも、生き返れたのは?」
「マギ・エリクサーは、如何なる魔力状態でも、その人の持てる最大の魔力量まで回復させます。故に、生き残られたのです」
はあー俺、マジで死ぬところだったんだ。
こりゃ本当にヒューさんにもフライスさんにも、頭上がんないな……
「下世話な話ですが、ヒュー閣下は惜しげも無く、迷いも無くマギ・エリクサーを摑まれましたが、あれ1本で国が買えますからね」
「こらっフライス! シューッヘ様のお命に換えなど無いのだ! 無粋な事を申すな!」
「く、国?! そ、その瓶1本で、え?」
うろたえる俺に、ヒューさんは事もなげに言った。
「まぁ、フライスが申した事自体は事実にございます。ローリス国の秘宝とまで言われる霊薬ですので、オーフェン王国を買ってもまだ十二分におつりが来るでしょうな」
と、とんでもない借金を背負った気分だ……
「そんな貴重な物を使わせてしまって、本当に申し訳ありません……」
「なに、霊薬などまた合成すれば良いのです。そして、使うために積んであるのですから!」
と、ヒューさんは大きな口を開けてわっはっはと笑ってくれた。