第36話 アリアさんの心遣い ~ヒューさんに掛かると全部青春扱い~
ヒューさんの部屋に来た俺は、早速にヒューさんが広げていた物件の見取り図に食いついていた。
物件は、俺自身も中を見て回ってある程度把握はしているつもりだったが、平面図となるとまた趣が変わる。
平面図を見る限り、2階はかなり広い。1階よりは、転移用の廊下分だけ狭いのだが、あまりそれを感じさせない。
一番奥に主寝室があり、主寝室には水洗式トイレがあり、シャワー室まである。湿気対策とかどうしてるんだろうな。
この辺りだけでも、ちょっとした高級ホテルの一室みたいな感じはある。日本基準の「寝室」より多機能だ。
「主寝室は俺が使うとして……2階にあと3つある部屋をどうするか、ですよね」
「はい。主寝室寄りの所から、それぞれ個室にはなっております。ただ部屋に備え付けの装備が異なります」
「あれホントだ、同じ様な間取りなのに、3部屋とも違ってますね」
そうなのだ。何が目的なのかイマイチ俺には分からないが、3つある寝室っぽい部屋の並びなのに、部屋ごとに違いがある。
一番主寝室寄りの部屋は、主寝室のそれより狭いがシャワーとトイレがある。
その横、階段の横側の部屋には、小さく四角に切り抜いた窓があるらしい。トイレはあるがシャワーは無い。
そして階段があり、その向こうの部屋。奥の部屋は、トイレと、あと小さめだがキッチンスペースがある。
そもそもこの世界でのキッチンと言うと、3階の王宮食堂か、メイド控え室のコンロとかしか見た事が無く、「普通の」キッチンを俺は知らない。
そう言えば、シャワー室はともかくとして、浴室はどうなるんだろう。
あの日見た限りだと、個室はいくつもあるのだが、共用で使う浴室を見かけた覚えが無い。
トイレも、あの大人数用を常に使うのか?
「一番の問題は、アリアをどのように住まわせるか、でしょうな」
図面かじりつきの俺を図面から引き剥がしたのは、ヒューさんの断言調の言葉だった。
「アリアさんのベッドをどうするか、みたいなことですか……?」
「結局はそうなります。シューッヘ様がどのような前提でアリアを住まわせるか、そのお考え次第です」
ん? どういう意味なんだろう、ちょっと分からない。
「つまり、どういう事です?」
「端的に言えば、アリアと同じ居室を使うか、別部屋になさるか、という事です」
ぶはっ。俺は思わず吹き出してしまった。
「い、幾ら何でもそんなっ。まだ結婚もしてないですよ、なのに同室とかって」
「おや? シューッヘ様のおられた『ニフォン』いう国では、男女の交わりは結婚後までお預けにございますか?」
うろたえる俺に、さも普通の事のように問うてくるヒューさん。
俺自身どう答えて良いか分からない。日本にだって、同棲から始めるカップルもいるし、色々だ。
「えと……日本は、色々、でした」
「少なくともこの国では、仲が決まり切った相手であれば、同室は当たり前にございます。遠ざけられると、それだけで寂しいと感じる者もおります」
畳みかける様にヒューさんは言った。俺はますます萎縮する感じを抱いてしまうばかりだ。
「となると……アリアさんを別の部屋にすると、アリアさんは寂しいと感じるかも、と?」
「そうです。シューッヘ様のご様子からするに、多少の覚悟は必要かも知れませんが、ここは覚悟のしどころかと存じます」
うやうやしく言ってくれるが、要するにアリアさんと同室にせよ、という事だ。
正直俺自身、アリアさんの扱いがこのままで良いとは思ってはいない。色々と中途半端に過ぎる。
けれど、いきなり俺と同室? それはそれで、俺にとってはかなり急ピッチで、精神的に厳しい所がある。
「うーん……考えておきます。ただ、アリアさんが寂しい思いをする可能性は、知れて良かったです」
「男女の機微は、文化と密接に関わります。元々この国の習慣をお持ちでは無いシューッヘ様だからこそ気をつけられた方が良い場合もあるかと思い、失礼ながらご助言申し上げました」
頭を下げるヒューさん。うん……大切な事、には違いない。
ヒューさんの懸念として、文化性の違いから来る齟齬。これに、事前に気付いてくれたのはありがたい。俺だけでは知りようも無いからな。
けれど、いざ実践するとなると、なかなか勇気が要る。今日から同室です、とかになったら、緊張で眠れそうにも無い。
同室になったら、色々あって「つい」手を出してしまう、みたいな事もあるかも知れない。
アリアさんは、それでも良いのだろうか……
「ヒューさん。改めて聞きたいんですが、この国の『男女の機微』って、他の国とかと比べて何か特色はありますか」
俺が問うと、ヒューさんは目を閉じて頷いた。何を意図しているのか分からない。
「シューッヘ様、その問題に真正面から向き合って頂き、ありがとうございます。アリアの養親として、お礼を申し上げます」
「俺自身、ヒューさんの言う通り、この国の風習を知らないですし……まして男女の仲についてなんて……」
俺の言葉はそこまでになってしまった。細かい事を思い浮かべると、耳が熱を持ってくるのを感じる。
「他国の中には、純潔を強く要求する国もございます。主にはガルニア聖王国辺りですな。ローリスからすると、『堅物』にございます。
ローリスの一般的な感覚からすると、仲良くなった男女が結ばれる事に対して、二人の気持ち以外でとやかく言うのは『野暮ったい』という感覚があります。
無論、個々人でそれぞれ異なる所があるのは、恐らく何処も同じでしょう。が、ローリスの底流にあるのは、自由意志による関係性、と言ったところでしょうか」
な、なるほど。
この国では恋愛は、本人達の気持ちだけで進むらしい。しがらみが無いのは良い事かも知れないが……
と。俺が頭を抱えたい様な気でいると、扉がノックされる音が響いた。
ヒューさんが黙礼をして俺のそばから離れ扉を開けた。そこにいたのは、話の渦中のアリアさんだった。
「ありがとうございます、ヒューさん。あっ、シューッヘ君!」
「や、やぁアリアさん……」
手を振ってくれるアリアさん。そんなに距離は無いのに。
つい今し方まで、女性をどう遇するべきか、みたいな事を男同士で話し合っていたばかりなので、少し気恥ずかしさが上回った。
「あれ、シューッヘ君赤いよ? どうかした?」
「う、ううん。別に何でも無いよ」
「そ? あ、これが新しいお屋敷の見取り図ね」
アリアさんは俺の横に座ると、間取り図に食らい付いた。
新しい屋敷、その間取り図となると、俺もそうだが誰でも夢中になる様だ。
俺としては、今の今は横に座られると……意識しないでいられない。
「1階は、このスペースはホールよね。さすが貴族街のお屋敷、ホールが広いわ」
「あ、うん。ホールは実際とっても広々としてて、気分は良いよ」
「あれ? この階段から上がった先って? 図面に描かれてなくない?」
「う、うん。そっち側の階段から上がると、真っ直ぐの廊下があって、地下室に転移できる魔法陣みたいなのがあって」
「ふーん……ねぇシューッヘ君、何かちょっと無理してる? ヒューさんに何か言われた?」
うぐっ、と口から漏れるのを止める事が出来なかった。
アリアさんの勘の良さには敵わない。いや、俺が分かりやす過ぎるだけか?
「実は……」
俺はアリアさんに、一番悩んでいる事を伝えた。つまり、アリアさんを同室にするかどうか、という話だ。
それを聞いたアリアさんは、キョトンとしていて、これはこれで何を考えているのか俺には読めない。
「んー、シューッヘ君って真面目だからね。あたしがどう思うか、じゃなくて、シューッヘ君がどうしたいかで決めて欲しい、かな」
「アリアさん?」
「そりゃあたしだって、シューッヘ君と同じお部屋でいられるなら、それは嬉しいよ。けど、それをシューッヘ君が負担に思うなら、そうしたくない。それだけ」
アリアさんの優しさが、じんわり心に染み入ってくる。
俺がアリアさんの事を考えているのと同じか、もっと深く、アリアさんは俺の事を想ってくれている。
それが分かっただけでも、俺にとっては十分に嬉しい。
「今の俺には、まだ同室はちょっと重荷なんだ……アリアさんには寂しい思いをさせるかもだけど……」
「ううん、大丈夫! シューッヘ君の重荷になる事こそ、あたしは避けたいから。じゃ、横の部屋なら大丈夫?」
「うん、すぐ横の、ここなら……ごめんね、俺まだ、この国の文化とかに馴染めていないみたいで」
「ふふ、何処の国でも、女性の気持ちってあんまり変わんないんじゃないかなぁ。あたしはそう思うけどね」
もし俺が日本でもっと恋愛経験とかがあれば、少しは違ったのかも知れない。
けれど、日本じゃずっとモテない一人旅だったので、女性の気持ちが何処でも普遍、みたいな事を言われても、理解のしようが無い。
「俺がもっと、色々分かってたならなぁ……」
俺の独り言に、アリアさんはクスッと笑って応えてくれた。
「シューッヘ君は、シューッヘ君のままで良いよ。他の誰でなくていいし、今のままのシューッヘ君でいてくれれば良いんだから」
アリアさんは俺に、そっと告げると立ち上がった。
「じゃあたし、現地に先に行って風通しておこうか? ヒューさん、もし良ければなんですけど」
「うむ。鍵はこれだ。入ってすぐに魔導伝導板があるので、それを起動させておいてくれ。風通しは専ら魔導空調で行われる仕組みだ」
「分かった。伝導板起動の魔力は、あたしの魔力で足りるかしら」
「シューッヘ様が前回随分と、短い時間で多量の魔力を流されたので、その残りが十分にあるはずだ。起動だけなので魔力自体はそう必要でもあるまい」
「うん、分かった」
ヒューさんと話しを交えてから、アリアさんが鍵を受け取って、立ち去る。
またもヒューさんと二人になった、そこにヒューさんが一言、
「青春ですな」
と、何とも感慨深そうに呟いた。
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