第5話 一番マズそうな違いは何とかなった。そうしたら接遇が凄くなった。
「あの……大丈夫ですか?」
ヒューさんは、何が驚きか分からないが非常に驚いた様で、聞き取れない程小さな声で何やら言っている。
さっきまでの泰然自若とした、細身なのに剛毅そうな老閣下のイメージは消え、何かに怯えてでもいるただの老人にすら見える。
サンタ=イリア様。サンタ=ペルナ様。
女神様の名前が違う。……ひょっとしたらコレ、相当マズいんじゃなかろうか。
うちの女神様の管轄だと思ったので拾ってきたら、別の管轄だった……って、これ普通に捨てられるコース?
それとも、無難に改宗を求められて平穏に……暮らせないか。
送り込んだ女神様が違うって、よっぽどの事だろう。
転移後の人生ももはやここまでか、と俺が肩を落とした時、ヒューさんが突然
「シューッヘ様! これは凄い事なのですぞっ! 我々はこの時を、部族3,000年、ずっとお待ちしておりました!」
一度死にかけた俺の目を、少年のようにキラキラした瞳でまっすぐ見つめるヒューさん。
頭が付いていかないうちに、手まで握られた。いや、包み込まれてぶんぶんされた。
「あの、ヒューさん。俺は殺されたりしますか」
どうにも大丈夫そうだったが、それでも不安なので直球で聞いた。
「シューッヘ様を殺す、とんでもない! 貴方様こそ、我々の国、いや世界全てのの救世主様であり、我が国にあっては建国の英雄の再来でございますぅ」
ますうぅぅ……とそのまま腕まで伸ばした土下座姿勢に入っていってしまった。これはこれで困る。
「ヒューさん、あの、頭を上げ、いえとにかく身体も……す、座って下さいっ!」
「建国の英雄様と同等の方を差し置いて、わたくし如きが馬車に同席しようなどもっての外! わたくしは馬車を降りて歩きますので!」
「待って待って! むしろ置いて行かれる方が困るからヒューさん座って!」
しばらく、馬車降りる降りないの押し問答が続いた。気付くと馬車は止まっていて、外は夕暮れになっていた。
ヒューさんの側の背中がコンコンと鳴って、
「ヒュー閣下と召喚者殿、この辺りで野営となりますが、宜しいですか」
「宜しい訳があるかフライス! こちらのシューッヘ・ノガゥア様は、あの光輝の大英雄イスヴァガルナ様の再臨であらせられる!」
「なんと! それは誠にございますか」
「誠も誠っ、故にシューッヘ様に野宿などさせられようもなし、直ちにこの馬車の全機能を解放し、最大速力で近隣の宿へと向かえ!」
「ははっ! 仰せのままに!」
何だか、小さな窓越しにすっごく盛り上がっている二人に悪いんだが、俺は女神様から頂いた力を発揮すら出来ないポンコツだ。
もしかするとその、イス……なんとかさんという大英雄? と何か接点があるのにしても、きっと絶望的に能力が違う。
いつかその「大英雄とは違うポンコツ」とバレた瞬間に、きっと斬首。それとも火あぶり? 明るい未来が見えない。
と、馬がひときわ高くいなないたと思うと、グンと加速のが掛かる。
周りは少し薄暗くなっており速度を計れそうな対象物も無いのだが、掛かってるGから相当な加速度だと分かる。
風切り音も凄い。それでいて馬車の中は揺れる訳でもなく、風が入り込んでくることも無い。
本当に魔法は不思議だ。確か精霊魔法って言ってたよな。
しばらく加速状態が続いたが、やがてGからは解放された。
外を見ると、夕焼けの薄闇に浮かぶ路傍の木や草が「すっ飛んでいく」速度が。
日本の高速道路でもこんなにはスピード出さないのでは? と思う程に、路傍の物が瞬時に後方へと行ってしまっている。
「ひ、ヒューさん。今この馬車って、どの位のスピードが出ていますか?」
「概ね、時速150クーレア、と言ったところでしょうか」
うーん、単位が分からない。早いのは分かるんだけれど。
「因みに、1クーレアとは、どんな単位ですか?」
「1日を25に割ったものを1レア、重装歩兵1人が1レアに歩く速度が、1クーレアの基準でございます、シューッヘ様」
「うーん、分かったような分からないような……ごく普通の人が歩くと、大体何クーレア出ますか?」
「人に寄りますし種族差も大きいですが、人族の場合3~5クーレア、足の強い種族であれば10~15クーレアですな」
かなり大雑把だけれど、大体1クーレアは時速1キロメートルと同じくらいなのかな?
あっ、逆も聞いてみるか。馬車が基準でもこれだけ早いのがあるなら、速度の上限が出てくる。
「今この馬車は150クーレア程出ているとの事ですが、『このクーレアは超えられない』とか超えちゃいけないとか、ありますか」
「ほう、さすがシューッヘ様。風の壁についての見識をお持ちの様ですな。正確ではないものの、およそ1,100クーレアにございます」
「もしその1,100クーレアを超えると、周りの物がバラバラに壊れたり、凄い音が鳴ったりとか……」
「まさしくそうです。風の壁を破ると様々に弊害がございます。シューッヘ様のご聡明なるに、このヒュー、大変感心致しました」
と、深々と頭を下げられてしまう。
因みに今は、最初の時と同じ位置に座り直している。目の前に土下座のままでは、こちらの居心地があまりに悪い。
風の壁、地球で言う音速の壁が1,100キロ程度にあるという事は、大気圧とかは地球と変わらないんだろう。
しかし時速150キロも出ててこの安定性の「馬車」って。どういうハイパーテクノロジー。
もしくは馬がとんでもないのか? 何にしても地球では考えられない話だ。
「閣下っ、まもなくカタレアの宿場町に着きます」
「カタレアか、そこならばまともなご接待も出来よう、日が落ちぬうちに急げ!」
「はっ!」
ヒューさんが、御者のフライスさん?に向けて言った。
150キロで疾走しながら、外の御者席と小さな窓越しに会話が出来ている。
しかも、ヒューさんはそれ程大声を出していない。ちょっと大きめ、程度の声で会話しているのだ。
この馬車の中の、揺れない・うるさくない超性能と言い、御者さんと会話出来る程にノイズが無い様子と言い。
精霊魔法が使ってある、とヒューさん言っていたけれど……どう使ってあるかは知らないが、快適性の向上が凄すぎる。
きっとこの馬車も、ヒューさんの様なVIPにとって『当たり前の事』なんだろう。魔法も当然のことで。
だが、俺がいた世界からすれば、全く超次元の話ばかりだ。地球で馬車が100キロ超で走るなんて、あり得ない。
そうこうしているうちに、馬車が徐々に速度を落とし始めた。
これも急ブレーキに掛からないのは、フライスさんの腕前かな。
まだ馬車からの眺めは草原ばかりだが、ようやく木々と草とが「見える」速度になってきた。
さっきまでの速度では、ひたすらすっ飛んでくグリーン色、だけだったからなぁ……
「ヒューさん、もうすぐ宿場町に着くんですか?」
「ええ、シューッヘ様をおもてなし申し上げるには少々貧相かとは思いますが」
「い、いえあのヒューさん、俺、別にそんな特別扱いなんて……それこそ野宿でも構わなかった位ですよ」
「そうは参りませぬ! シューッヘ様は国賓同然でございます故、本来であれば王宮敷設程度の設備は……」
王宮のベッドとか? うーん、想像すら付かない。
天蓋付きのお姫様ベッド的なのだろうか。
「今宵は、誠に申し訳ありませんが本国に至らぬ故、こちらの宿場町の最上級の部屋にてどうかご勘弁を」
「最上級の部屋なんて……ヒューさんはどうするんですか? ヒューさんも、お国の重要人物ですよね」
「まぁ左様ではありますが、シューッヘ様に比べればわたしなど吹けば飛ぶようなもの」
「吹けば飛ぶようなって……」
ヒューさんの腰が低すぎて、どう声を掛けるのが適切か、段々分からなくなってくる。
いっそ俺が「言う事全部聞け!」みたいな俺様性格だったら、楽だったのかも知れない。が、俺はそういうタチではない。
「シューッヘ様がもし宜しければではございますが……このヒュー、今少しシューッヘ様とお話がしとうございます。後ほどお部屋にお邪魔しても?」
ヒューさんが心底ワクワクしている様に笑顔だ。
老齢の落ち着きよりも、好奇心の方が勝っているのだろう。目がキラキラしている。
「それは勿論、構わないです。実のある話が出来るのか、正直分からないですけど」
「到着にございます!」
会話に割り込む様にヒューさんの後ろ側からフライスさんの声が聞こえた。
馬車がスーッと音も無く停車する。ホントに一体どういう馬車なんだ、コレ。
フライスさんが御者席から降りていくのが小窓から見えた。
その後すぐ馬車の扉が開かれた。乗る時と同様、小さなステップだがフライスさんが手を貸してくれる。ありがたい。
地面に立ち、くるっと振り向くと、そこに大きなレストランの様な、オープンテラス付きの建物があった。
2階には明かりの付いた個室が幾つも並んでいるので、宿屋、兼、食事処なんだろう。
「今しばらくお待ちくださいシューッヘ様。フライスが、席とお食事を確保しに参りましたので」
「た、助かります」
ふと、空腹感を感じた。食堂からの香り、肉とスパイスの様な香りで刺激されたのかも知れない。
数時間前には、槍を目の前に突きつけられ、生々しい死の恐怖を感じた。あの王の様子もとても怖かった。
それに対して今は。
ヒューさんの丁寧すぎる様子は対処に困るが、悪意は感じない。
俺のことに興味を持ってくれているのは明らかで、よく分からないが俺に価値を見いだしてくれてもいる。
ひとまず命の危機は去った……するとどうしても、腹の虫も動き出すのだろう。
異世界料理がどんななのか少し気になる。もてなされる以上、食べない・食べたくないは、ダメだしなぁ……
日本人な俺としては、どんな料理であっても美味しそうに頂くのがマナーだが、食文化ばかりは、うーむ。
そうこう不安を感じていると、フライスさんがヒューさんのところに戻ってきた。
「うむよし、重畳である……シューッヘ様、お食事のお席が整いました、参りましょう」
ヒューさんが笑顔で先導してくれて、その宿・食事処に入る。
入口に、『宿屋:砂の窓』という看板が掛かっていた。漢字ではないのだが、不思議と読める。女神様のご加護なんだろう。
ヒューさんに付き従い、どんどん奥に進んでいく。
レストランはそこそこ賑わっていたが、ヒューさんの姿を見るや、皆食べる手を止めて黙り込んだ。
俺そんなに空気感とか読めない性格だけど……皆さん明らかに、ヒューさんに気を使っている感じだ。
そんな俺でも分かるほどハッキリと、皆さんの様子が違っていった。
沈黙は伝染し、レストランは物音一つしない。
「ささっ、こちらのお部屋にどうぞ」
ヒューさんがレストランの一番奥にある個室の扉を開いて、俺に勧めてくれた。
断る理由も無く、中に入る。ヒューさんも、更に続いてフライスさんも入り、扉が閉じられる。
気のせいか、レストランの方から大きなため息を感じた。扉が閉じてから、ようやく少し話し声が戻り出す。
「さすがヒューさん。レストランの皆さんが、圧倒されてましたね……」
「んーむ、これはわたしの失態ですな。このローブのせいでございます」
と、ヒューさんがそれまで身につけていた真っ白な、そして金の紐で装飾されたローブを脱いだ。
すぐにフライスさんがそれを受け取り、部屋の隅のハンガーに掛けている。
「あのローブは、ローリス・国家元首の証にございます」
「国家元首……? ヒューさんは、王様なんですか?」
ここまで色々異次元だと、段々肝も座ってくる。ヒューさんに思ったことをそのまま聞く。
「いえシューッヘ様、わたしは元老院の前の長に過ぎませぬ」
闊達に笑い、すぐ手前の椅子に座った。
「この度は全権代理としてオーフェンにおりましたので、国王の名代として、あのローブをまとっておりました」
フライスさんが奥の側のイスを引いてくれたので、俺はそこに座った。何故か俺が上座だ。
白いテーブルクロスの掛かった円卓の、あっちとこっち。割と大きな円卓なので、距離はある。
と、ドアが開いて、若奥様くらいな女性がワゴンの上にワイン? を載せたクーラーケースを、俺の横につけた。
ワインのボトルは砕いた氷でよく冷えている様だ。好きな人なら「異世界ワイン!」とかって興奮するのかな。
しかし……未成年の俺には、ワインにしろ何にしろ、酒はまだ分からない世界だ。
「おや、シューッヘ様は、お酒は嗜まれませぬか」
俺の様子を察したのか、ヒューさんが言った。
「えぇっと……俺のいた国では、二十歳までは酒はダメでして」
「ほう。割と成人が遅いのですな。こちらの世界では、十五歳成人が主流です」
ヒューさんがワゴンを運んできた女性にめくばせをする。女性は軽く頭を下げ、ワゴンを下げようとした。
「あの、俺は飲めないですけど、ヒューさんは飲んで頂いて構わないんですけども……」
「いえいえ、賓客がお飲みにならない方なれば、それに合わせるのも当然の作法にございます」
そ、そういう作法もあるのか。よく分からないから、ここは従っておこう。
程なくして、再びワゴンを女性が運んできたが、そこにはハーブ水の様なボトルがあった。
女性がグラスに給仕してくれる。よく冷えていて、グラスにすぐ霜が付いた。
「それではシューッヘ様。シューッヘ様の御降臨を祝しまして。我らが女神様のご加護の深くあらんことを」
と、ヒューさんがグラスを軽く上げた。俺もその格好だけ真似してみた。




