第3話 お外に出てみたら、地球なんかより上かも知れない意識高い街だった
ヒュー老人の後をついていった。
ヒュー老人は慣れた足取りで進む。俺は不思議な文様が彫られた床やら、見慣れない「城」の様な建物やらに、ひたすら目を奪われた。
「青年。名は何という?」
「俺は、野川修平と言います」
「君の世界では、名字があるのが一般的か?」
「えっ? は、はあ。みんなありますけど……こちらは、そうではない?」
「うむ。平民は姓は持たず、名のみだな。君の名は、ノガゥア、シューッヘ、のどちらだね」
「名は、修平です」
「そうか、シューッヘか」
ちょっと違うんだけど……
どうにも正してはいけないような、お偉いさん目の前にしてすくんでいる自分を感じる。
「シューッヘ、君のいた世界では、このような風景は珍しいのかね?」
俺を見る瞳は優しさに満ちている。声も柔らかく落ち着いた声。
さっきまでの剣吞とした雰囲気はどこへやら、である。
ただやはり、あの怒声の王様を蹴散らすだけの人。笑顔の裏に、底知れない物が何かある様にも感じる。
「はっ、はい。なんと言えば良いのか、こんな光景は、過去に滅んだ遺跡に、少しあるくらいで……」
「そうか。君の世界はこの世界とはかなり異なるらしい。ただ、言葉は通じる。これは女神様のご加護かの?」
言われてハッとする。俺は何気なく日本語を話しているつもりだし、聞こえてくる言葉も日本語の様だった。
けれど、じっくり思い出すと、あの王の叫び声も、近衛兵の焦った声も、意味は理解出来ている。が何の単語を言っていたか、思い出せない。
「不思議ですね、俺も……自分の国の言葉で話しているつもりで、自分の国の言葉が聞こえてきている様に思っていました」
「自分の『国の』言葉? 君の世界では、国ごとに言葉が違うのかね」
「全部の国で全部違うってことはないですが、俺の国の言葉は、世界では主流ではない言葉でしたね……」
そう。日本語をネイティブに話す人口は、1億人少々程度。世界何十億は、英語や中国語である。
「ふむ、面白い。もう少し行くと、馬車を待たせてある。その中で、君の世界の事を聞かせてもらいたい」
「はいっ、もちろん!」
ヒュー老人が、俺のことを理解しようとしてくれている、安堵と共に、嬉しかった。
人が自分を知りたがってくれるというのは、文化どころか世界を超えても、嬉しいものだった。
そうして、振り返ってみたらやっぱり聖堂の様な建物。その階段を降りていると、階段の下に2頭立ての馬車が見えた。
ヒュー老人の地位はよほど高いのだろう、そう一目で分かる、シックながら豪華絢爛な馬車だ。
いや、ただ……御者さんの服装は大変ラフだな。因みに体型もラフで、良い言い方をすれば、どっしり安定感のある体型をしている。
馬車は四角い箱に窓付きの扉がある。金の細工が端々にまばゆく、いかにも身分の高い人専用、という感じだ。
俺たちが聖堂からの階段を降り馬車に近付いて行くと、御者さんがささっと動いて馬車の扉を開け、踏み台を用意した。
踏み台に近付いたヒュー老人が、ふと振り返った。
「そう言えば君の世界は、馬車はあるのかね」
「馬車ですか? うーん……無いことはないですが、儀式とかで使うのが一般的で、乗り物としては……」
「そうか。この馬車はまぁそこそこ良い馬車で、揺れることがない。初めての馬車旅でも、そう不快ではないと思う」
そう言って、ヒュー老人が小太りな御者さんの手を借りて馬車に乗り込んだ。
多分乗って良いんだろうが、俺も御者さんの手を借りて良いのか?
踏み台は小さくて、そのまま足を乗せるのはちょっと怖い。躊躇していると、
「ささっ、あなたもどうぞお乗り下さい。お身体を支えましょう」
御者さんが、手を取るどころか俺の腰を支えてくれて、馬車に押し込んでくれた。パワフル。
日本でこういう経験はしたことが無い。当然か。VIP待遇と言うか……いやVIPでも自分で車には乗るか。凄い待遇だ。
御者さんが外から扉を閉める。きしむ事も無く静かに、パタンと扉は閉まった。
中の席は、向かい合わせで6人が座れる程に広い。馬車に持っていたイメージと違い、
立っていられるほど高い天井、そして席はアンティークのソファーのようだった。
既にヒュー老人は、進行方向とは多分逆になる席に、どっしり腰掛けている。
うろたえて目線が泳ぐ俺に、ヒュー老人が苦笑いの様な笑い顔をしつつ、手を差し出した。向かいの真ん中に座れ、という事らしい。
軽くヒュー老人に一礼して席に座る。見た感じソファーだったその席は、座り心地も上質だった。
と、前方から、御者さんの声がした。
「では参ります閣下。市街地までは、相変わらず時折揺れますのでご注意を」
「あぁ、出してくれ。馬車に不慣れな青年がいるからな、揺れは出来るだけ抑えるよう」
「かしこまりました」
ヒュー老人がとことん気を使って下さる。ありがたい事なんだが、何だか恐縮してしまう。
いや、今御者さん、このご老体を「閣下」と呼んでいた。やっぱり、絶対、凄い権力者に違いない。
馬車が動き出した。ゴトゴトと音を立てている割には、揺れはほとんど無い。
外観を見た限り、自動車に付いているようなサスペンションなど無い、車輪の上に馬車が乗っかっている構造。
なのに、車輪は音を立てていて、揺れてもおかしくなさそうなのに、馬車の中はほぼ揺れない。不思議だ。
「王宮区画は、あまり馬車での乗り入れを考えた作りになっておらんでな、まぁこれは仕方の無いことなのだが」
「これで揺れてるんですか、ヒュー……閣下」
ぼそっとすごい小声で閣下呼びしてしまった。言うならもっとはっきり言えよ俺!
御者さんの呼び方、この異様に高性能な馬車。まじまじ見ると、ヒュー閣下のフード付きローブはフードのてっぺんから足下まで、金の太い紐で装飾されている。
ちょうど、女神様の世界で見た「女神様の腰ベルト」みたいな感じの紐が、ヒュー閣下の「見えている部分」の縁取りをしている感じだ。
こんな装束を着て、閣下と呼ばれる人物が、高貴な人でないはずが無い。まさか「ヒューじいさん」とか呼ぶ訳にも……
「君に閣下と呼ばれると、私としてはむしろ恐縮してしまう。様とか閣下とか、持ち上げんでくれ」
ヒュー閣……ヒュー老人は、窓際・ソファーの腕に肘を乗せ、頬杖を付いて苦笑いしている。
「いえしかし、俺のような……この世界で得体の知れない人間が、偉い方をどう呼べば良いのか……」
「普通に『さん』付けで呼べば良い。それに『得体の知れない』と君は思っているようだが、君の立場も相当なのだよ?」
俺は思わず、へっ? と口から漏らしてしまった。
「そうそう、その調子で、緊張せずにな。まぁ少し説明しよう。さっきの召喚の際、君は英雄と呼ばれただろう」
「は、はい! ……役に立たない英雄だ、と……」
「英雄というのは、役に立つ立たんの話以前に、その職能だけで貴族位が与えられる。これはどこの国にあってもそうだ」
「貴族位? 貴族になれるって事ですか?」
「うむ? あまりピンと来ておらぬようだな。それもそうか、王城が遺跡にしか無い遺物であるなら、貴族というのも無い、ということか」
ヒュー……さんは一人頷いて、窓際に寄って座り直した。
「では、貴族街区のようなところも珍しいだろう。外を見てみるといい、わたしには見慣れた景色だが、君には珍しいやも知れん」
手招きされ、窓に寄る。馬車の窓と言っても比較的大きな窓で、普通の住宅の窓の半分ほどは、幅がある。
完全に透明なガラスがはめ込まれており、景色は見やすい。
「あの辺りが、王族の親類、まぁ公爵殿とかな。その辺りが住む一番『尊い』とか言う街区だ。金で売買した爵位に尊いも何もとは思うのだが」
苦笑いするヒューさんの顔が、威厳に満ちているだけに何とも親しみ深く感じる。
ひょっとすると、俺の緊張をほぐしてくれているのかも知れないし、そういう事では無いのかも知れないが、俺としては何だか肩の力は抜けてきた。
「もうすぐ街区の境で、本来なら身分によって立ち入り出来る出来ないとうるさいのだが、今回は君も私も国の代表なのでな、フリーパスだ」
外を見ていると、槍を持った兵士、門兵なのかな、左右に5人ずつ並び敬礼しているところを、減速もせずにさっさと通り過ぎる。
「ここからは、市民街区になる。にぎやかで面白いところだが、今日は残念ながら遊んでおる時間はないのだ、すまぬな」
「い、いえそんな……」
何だか孫に構ってくれるおじいさんの様な声音でヒューさんは言った。
市民街区に入ると、更に馬車の振動は無くなった。まるで氷の上でも滑っているかのようだ。
「馬車、さっきよりもっと静かになりましたね」
「この馬車は、そこの御者、フライスが使う精霊魔法の力で振動を消しておるのだが、貴族街区と王宮やら王宮の近辺では、魔法行使は御法度なのだよ」
「それにしては……さっきもあまりに、揺れてない気がしますが……」
「そもそもこの馬車自体に、精霊の加護が付いておるのだ。弱い加護故気付かれぬし、尻が痛くならん程度には馬車の揺れも収まるしのう」
と言って、大きな口を開いて笑った。
優しそうで、明るい雰囲気で、俺を歓迎してくれそうな……ヒューさんに拾われて、本当に良かった。
俺が噛み締めていると、ヒューさんが後ろ手に背中の辺りをカンカンとノックした。馬車がスッと止まる。
ヒューさんは、ちょいちょいと窓の外を指さした。
「あの辺りが、市民街区の中心のマーケットだ。賑わっておるだろう、あの王、あれでいて庶民の心を掴む政策には長けておるのだ」
指さされた方を見ると、大きなテントを出入りするたくさんの人たちが、
……ん? 「人」じゃない顔付き・身体付きのもたくさんいるぞ??
「やはりか。何とはなしに予感しておったが……この世界は人間だけで成り立ってはおらん。先ほどから精霊の事は言っておるが、それ以外にも、色々な種族がおる」
窓からじっくり見ても、向こうからこちらへの視線は感じない。マジックミラーにでもなっているのだろうか。
見る限り、物語で聞くエルフの様に耳の長い「人っぽい」のから、ラノベだとゴブリン扱いで退治されるばかりの小型で浅黒い「人っぽい」のが、楽しそうに家族連れのように、小さいのやら太ったのやら、まとまって歩いている。
マーケットというだけあって、そこから出てくる人の多くは、バケットパンのようなもの、ネギっぽい長い野菜、それ以外にも袋に一杯何かを詰めて出てきたりしている。
それぞれの種族が反目し合うどころか、よく見ると、この世界では非常識な物言いかも知れないが、豚の顔をしたオーク? がトマト? を両手に、店主と色々話している様な様子も見えた。
この国は……人種差別どころか、種族差別も無いのか。地球より遙かに、人権的な意識は上だ。圧倒的に、上だ。
「……俺のいた地球では……同じ人間同士で、肌の色が違うだけで、国籍が違うだけで、憎しみあったり、時には殺し合ったり……」
「そうなのか。良き為政者に恵まれなかったのだの、その『チキュウ』という国は」
「国ではないんですが……」
みんな、幸せそう。にこにこして、時には人間の2歳児と同じように地面に寝そべってだだこねてる小さなのがいたり、痩せたのも太ったのも小さいのも大きいのも。
今日は休日なのだろうか、子供らしい小さな人……いや人間族と違う耳と色とをしているので「人」はおかしいか?
でもなんて言えばいいのか分からない、色々な種族の人? うーん……「人」が前提の日本語の限界だなこれ。
「どうかね、この世界は。君のいた世界とはきっと違うだろうが、人々は活気に満ちている」
「そうですね、みんな楽しそうで、幸せそうで……」
「この平和が今、脅かされようとしておるのだよ」
窓に寄って片耳でヒューさんの言葉を聞いていたが、最後の一言は途端重みがあった。
俺はこれ以上窓の外の幸せを眺めてほうけてはおられず、ヒューさんに向き直り座り直した。
「この世界には、魔族という生き物がいる。彼らは、人や獣人、その他知性を持ち人間と共に歩む文化そのものを破壊しようと試みている」
馬車の中が一転重苦しくなった気がした。いつの間にか馬車はゆっくり動き出していた。
「魔族との融和を図ろうとした過去もあった。だが、無駄であった。ことごとく交渉団は殲滅され、残忍に遺体も晒されたり、誠に悲惨な有様だった」
俺は息を飲んだ。この世界は魔族という、絶対的な「敵」がいる。
そして、『英雄』という、恐らく「ストレートにそれ向け」の職能が、この世界には存在する。
「ヒューさんは、俺に……魔族と戦えと、そう仰るのでしょうか」
緊張のあまり、口調まで堅くなってしまう。
俺の緊張を察してか、ヒューさんは深刻そうな顔を、すっと脱力した笑顔に変えた。
「君がどういう力を持っているか分からないが、英雄の『資質』はあっても階位が低すぎる」
俺がついひょっこり首を横にひねると、
「階位、というのも馴染みは無いようだな、まぁ、これを見ると良い」
ヒューさんが俺の胸辺りに手をかざし、何やら唱えた。この「何やら」は日本語訳されないのか、初耳の言葉で聞き取れなかった。
ヒューさんの開いた手からパッと明るい光が二、三度明滅すると、俺の前に長方形で半透明の板が浮かんだ。
ラノベなRPGでよくある『ステータスウィンドウ』っぽい。体力やら知力やら、日本語記載になっていて、読める。
ざっと見る限り、「職能」と親切に括弧書きまでされたのがあり、そこに『英雄 第1階位』とあった。