第80話 ドワーフ酒と酔っ払いたち
扉は開かれている。その扉を開けてくれたドワーフさんは、額の汗を腕で拭いつつ、にこやかに反対側の手で俺達を『宴会場』に誘っている。
「俺、出来ればこのまま後ろ向いて逃げ出したい。ダメ?」
「あたしも入りたい感じはしないけど……」
「まあヒュー殿を見殺しになさるのであれば、ここで翻すのも良いだろう。ご主人様?」
さすがにフェリクシアも、俺がヒューさんを見殺しには決してしない事を分かって言っている。
弱腰な俺に対して、フェリクシアは俺達より前で、開かれた扉の真ん中に仁王立ちし、腕組みまでしている。
後ろ姿からすら、威風堂々と言った感じだ。英雄の位あげるから代わりに行ってきちゃくれないものか。
「はぁ……入る、か」
さすがに諦めが悪すぎると俺自身も思い、フェリクシアの横まで進む。
更にアルコール臭い。なにこれ、誰か消毒薬でもぶちまいたの?
「すっごいニオイね。中もかしら」
アリアも、俺と反対側のフェリクシアの横に立つ。
と、扉の中からは大きな笑い声が聞こえてきた。
ここから見える範囲では、ドラマで見る様な社長室な感じの部屋の奥に、やたらにデカい木の机がある。
多少寸が低い気もするが、ドワーフの座高からすればあの辺りが使いやすいのかも知れない。
無垢の木材を切り出した様な、塗装の無い低い机の手前少しの位置に、革張りっぽい黒いソファーとガラス天板のテーブルがあり、ソファーにそれぞれ人影がある。
「おおっシューッヘ様! ようやくお出ましにございますか! ささ、早うお入りになってくださいませ!」
んん? ヒューさんの声だし、口元に手を添えて大声で言ってるのは、さっきまでのあのローブから見ても、間違いなくヒューさんだ。
だが、どうにもテンションがおかしい気がする。いつも冷静なあのヒューさんが、何だか陽気な声で叫んでいるのは少し驚きだ。
「おーい英雄、君が入るとそれだけで酔いかねないから、魔法的に何か防御をした方が良いよ」
と、ヒューさんとは逆サイドに一人座っている人影が少し動き、対酒・魔法防衛を提案してきた。
「魔法的に何かって……アリア、生活魔法で何かあったりする?」
「単純に、お酒に酔わない様にする魔法はあるわ。けど、お酒の楽しみも無くなっちゃうけど」
「いいよそんなの無くて。元々俺弱いから、こんなアルコール臭の真っ只中に入ったら、魔王の言う様にそれだけで酔いどれになりかねない」
「あるこー……? よく分かんないけど、[酩酊無効]の魔法で良いのよね? えいっ、[酩酊無効]!」
アリアの手から白い光の粒がパッと舞い、俺の全身に降り掛かる様に消えていった。
「えーと……これで酔わないの? 特に何も変化無いし、酒の成分のニオイもキツいままだけど……」
「うん、酩酊無効の魔法は、あくまで飲んだお酒で酔わなくするだけ。お酒がここまで強く臭う部屋で、吸っちゃう分は……大丈夫。たぶん」
たぶん、か。ローリスでこんな酒臭い経験も無いしな、アリアも無いんだろう。
いずれにしても、アリアとフェリクシアは、俺からすると随分飲める人なので、調整しながら飲んでくれれば大丈夫だろう。
酔わない魔法で勇気をもらえた俺は、フェリクシアの横で及び腰だった自分と決別するかの様に、思い切り前へ一歩踏み出した。
歩みを止めること無く開いた扉をくぐる。床は赤の分厚い絨毯になっていて、外のコンクリの様な感触よりうんと大切にされてる感がある。
中に入ると案の定余計に酒臭い。何気なく窓から光が差し込んでいる左側に顔を向けて、俺は呆れた。
酒樽が、1、2、3……7樽。しかも天蓋が全部開けられている。
一瞬こんなに飲んだのかと思ったが、よく見ると樽は透明な液体でほぼ満たされている。
嫌な予感がして反対側に目を向ける。とそこにも、7樽の天板が開いている樽がある。
アルコールは揮発する。密閉していれば大丈夫だが、あんなに開けっ放しの容器に入れていては、アルコール分がどんどん揮発してしまう。
だからか、この部屋が異様にアルコール臭いのは。何の目的があるのか全く理解出来ないが、それと見かけ同じ樽がソファーの近くに置いてある。
そっちは飲む用なのか、ちょっとした台に乗せられていて、樽の下部に栓がされている。年末のワイン騒動の時に見た様な、そんな栓だ。
「ようやく来たね、英雄。さぁ君も、君たちも、まあまずは一杯どうだい?」
と、左側に座る魔王が木製のジョッキをひょいと掲げる。
魔王の横、手前側に座るドワーフマスターのマグナスさんは、俺の事も魔王の事も眼中に無いのか、ジョッキを呷っている。
「シューッヘ様っ、この老卒! ただ酒を頂いてばかりで中の成果も上げられず! 面目次第もございません!」
ヒューさんが上半身をガバッと倒して、大仰な詫びを入れてくる。
いやまぁ、今回の外交はあくまで俺がメインだから、ヒューさんが何かしないといけない事はない。
「ヒューさん、そんなの気に」
「わたしはっ! シューッヘ様がお越しになる前にはっ、せめて通商交渉の手がかり位はとっ! しかしこの酒がっ!」
と、ヒューさんがテーブルにあるジョッキをガシッと掴んで、何故か一気に呷る。
「んぐ、んぐ……ふはあぁ! この強い酒にやられてしまい、誠に申し訳ございませぬ!!」
言ってる事とやってる事がチグハグ過ぎる。
ヒューさんが出来上がってるところは見た事無かったが、酔っても公人の意識はしっかり残るのね。凄い人だわ、やっぱり。
「まぁヒューさんも、エルクレアから大移動で疲れたでしょ? 外交の成果は酔わない俺が何とかしますから、お酒、楽しめる様なら楽しんでください」
「ああっ! シューッヘ様の何たる慈悲深きお心っ、あなた様の大成をわたしの最後の仕事としたわたしは間違っていなかった!!」
また直角に折れ曲がるヒューさん。
とは言え、今目の前にあるのは、ガラステーブルとソファーが2台。
左側は魔王とドワーフマスターが座っていて、右側はヒューさんだけだ。
ヒューさんが詰めてくれれば、大きなソファーだから3人座れると思うんだが……
「ヒューさん、あの、席を少し詰め」
「アリア! お前は自らの旦那様にお酌をする事も知らぬのか! 今すぐ酒をお持ちするのだ!」
「ふぇっ?! は、はいっ!」
突然指名されたアリアは、驚いた様で少しビクッと身体を震わせた。
と、そこに先ほどの小さめドワーフさんが、4つのジョッキをトレーに乗せて持ってきてくれた。
「あ、ヒューさん、お酒来ました。ヒューさんのもあるみたいで」
「おおおっ、この酒は、これは、恐らくここでしか味わえませぬ! シューッヘ様も是非お飲みに!」
「あ、あは、あはは……」
ヒューさんの熱弁度が凄くて、何も言えん。
ともかく俺もジョッキを受け取り、ヒューさん詰めてくれなくて座れないので、仕方なくその場でジョッキを呷った。
酔わない、と聞いていたから安心してグイッと飲み込んだが、強烈に喉が焼ける感触に、思い切り
「ぐはぁっ!!」
叫んでしまった。
何これ?!
年末にフェリクシアが買った蒸留酒も相当強かったけど、比じゃない!
あまりの酒の強さに味わうどころでは無かった俺を、ドワーフマスターは指を指して笑ってくる。
そりゃ、超飲めるドワーフ族からすれば、俺は貧弱もいいとこなんだろうが、これはもう人族が飲んで良い酒じゃねぇ!
「ふむ。酒が強いのは確かだが、その背後にある青々しい香りは、悪くない」
見ると、フェリクシアは普通に飲んでいる。呷るような飲み方では無かったからなのか、平然としている。
次いでアリアも、ちょっと控えめに口を付け、ジョッキを傾ける。
「んー、凄く強いのは確かだけど、香りが良いわね。何かの薬草かしら」
……あれ? マトモに飲めないのって、俺だけ?
酔わないとは言え、喉は焼ける様にまだ痛いし、何だかホワホワしてきた上に頬も熱を持ちだした。
「アリア、酩酊無効の魔法、効いてる? なんだか頬も熱いし、ホワホワするんだけど……」
「酩酊無効はあくまで『酒で酔いどれにならない』くらいの魔法だから、頭にはそこそこ効くけど、身体には全然効かないわよ?」
あー……頭は酔わないけど身体は酔っ払うのね。
と聞いても、なんか違う。なんかこう、とてもふわふわして、なんなら気持ち良いと感じる。屋敷の晩酌とは方向性が違う様に思える。
「ねぇフェリクシア、酔いが回るはずのフェリ……フェリクシア?」
俺が呼び掛けても、ポヤーッと斜め上の向こうの方に視線が飛んでいて帰ってこない。
「フェリクシア? 大丈夫?」
「……んっ、す、すまない。私ともあろう者が、酒に飲まれるとは。メイドとして、ああ、そうなんだな、私はメイド、けれどメイドとしては失格なんだな……」
フェリクシアはフェリクシアで、何だか暗い調子の酔い方をしてるっぽい。がっくり肩を落として、視線も床に這っている。
てか、何でかまるで分からないが、落ち込んでいるフェリクシアを見るのが何故か可笑しくて仕方ない。
「フェリクシアもさー、いつもメイドじゃなくていいんだよ? 俺の奥さんなんだからさー」
「うぅ、ご主人様はそう言ってくださるが、私からメイドを取ったら残るのは……私には何も残らないんだー!!」
一転咆哮を上げたフェリクシア。
その咆哮が、なんかライオンが吠えてるみたいなのとダブって感じられて、腹の底から沸き上がる笑いに耐えるのが辛い。
「あー……ドワーフマスター。僕、さっきからヒューの様子を見ていて、少し良くないかもと思っていたんだけど……」
魔王が「やらかした」みたいな声音と顔付き。
それ聞いてもう爆笑。顔見て爆笑出来ない、堪えるのが本当に辛い。
「どうも人間には、ドワーフ酒定番の『元気草』が強く効き過ぎるようだな」
元気草ってなんですかー! 元気になっちゃうんですかー!
って声に出してないつもりが、声に出してた。なんでー、ウケるー!
「あぁ……酔わないはずの英雄が、別の物に酔ってしまったな。どうも人間に元気草はダメらしい。解毒は僕が受け持つよ」
魔王が俺達に向いて、その手をパンと打ち鳴らした。
その瞬間、まさに一瞬で、全ての『酔い』の感覚が消えた。焼けたはずの喉も、痛みが無くなっていた。




