第75話 俺には2時間は長かったんだ!
「アリア、フェリクシア! 移動中問題は無かった? 大丈夫だった?」
「やだぁシューッヘ、心配し過ぎだよー」
たったの2時間。妻達と別行動になった時間は、たったそれだけだ。
だが魔王とのサシでの『雑談』は、その時間がとてつもなく長く感じた。
今はまだ結界が俺とアリアを阻んでいる。暗いレースのカーテンの様な、黒っぽい結界越しに、うっすらしかアリアの顔が見えない。
「中は薄暗かったけど、外より少し涼しいし、快適だったわよ? 揺れも無かったし」
辛うじてアリアが笑顔なのが分かる、その程度に結界は視界を遮っている。
いずれにしても、2時間馬達と共に移動してきて、快適だったのならそれで良い。あとは大丈夫なら結界を解いてもらうことだ。
「魔王に、結界を消してもらう様に言ってくるよ。魔王は……なんか囲まれてるな」
振り向いて魔王のいた所に目を遣ると、さっきより人垣が厚い。
長身の魔王に対して人垣の縦寸が短いので、人垣の厚さがよく分かる。
ドワーフ族、混血したと言っても、その血は濃いのかな。皆似たように低身長・がっちり型の体型だ。
俺は大きく手を振って声を上げた。
「魔王さまー! 安全そうなら、お手数ですが結界の解除をしてもらえますかーっ!」
と、人垣に囲まれた魔王がこちらを向き、その手をこちらにかざした。
背中に感じていた圧迫感がフッと消失する感じがあった。今一度アリアの方を向くと、そこにアリアはいた。
「アリア!」
「はーい、アリアですよー、シューッヘ。それでシューッヘは、魔王様との時間、充実した?」
ああ、愛おしい。たった2時間なのに、魔王の長話のせいで、こんな日常的な事がとても嬉しくて仕方ない。
「アリア、ぎゅってして、良い?」
「え? あ、うん。良いよ?」
キョトンとした顔をしたアリアを、そのまま一歩進んで、ぎゅっと抱き締める。
温かい。それでいて、首元にあるチョーカー風ネックレス『時の四雫』は、金属特有に冷えていた。
「もう、どうしたの? シューッヘ。あたしはどこにも行かないし、ずっとあなたと一緒よ?」
「うん、うん、そうだね、うん……」
アリアにもこの気持ちが上手く説明出来る気がしない。
何でか、長期出張からでも帰ってきて抱き締めている様な気分。多分。
「あら、魔王様が何か言いたげよ。シューッヘ、行ってあげないと」
「あ、う、うん。俺の仕事だよね、うん。行ってくる」
俺はぎゅっと抱き締めていたアリアを解き放ち、翻って魔王のいる所へと歩を進めた。
少し距離がある。俺はブーツの効果で吹き飛んだりしない程度のソフトさで地面を蹴って駆けて行く。
「おぉっ、熱い兄ちゃんが来たぞ!」
「真っ昼間からお熱いねぇ若いの。オレの嫁もあんくらいなぁ」
「おい中にはメイドもいるぞっ、手つきか?!」
魔王に近付くと必然的にドワーフ達にも近付く。
その人垣のドワーフ達が、思い思いにワイのワイの言い出す。
「魔王様、何かありましたか」
俺は人垣の言うことはひとまず無視して、魔王に話しかけた。
「ああ、丁度良く来てくれた。まもなくこの都市の長が来る。君も今の人間の代表として、大昔、共に戦ったルナレーイの者達に挨拶をすると良いだろう」
と、さっきまで少々ゲスに盛り上がっていた群衆は、人? 人間? と口々に小声で言い出し、互い互いに顔を見合わせていた。
「魔王様、その、ルナレーイは今も『ルナレーイ』と呼んで問題無いですか。国名が変わっているとかは」
「まぁ、ルナレーイはルナレーイで違いは無い。ただルナレーイ軍事王国だったのが、ルナレーイ・ドワーフ自治領になってはいる」
ドワーフ自治領。ワントガルド宰相閣下も国の重鎮だったが、ドワーフは政治も得意なのか?
と、よそ事を考えていたら、振り返っていた群衆の1人が突然「マスター!」と大きな声を出した。
その声は周りにも広がっていき、マスターだ、マスターがいらっしゃった、など口々にマスターマスター言い出す。
それをきっかけに、魔王を取り囲んでいたドワーフの輪は崩れ、皆、元いたはずの城の方へ駆けて行った。
「やれやれ、ドワーフの珍しい物好き精神には、僕はいつも慣れない」
魔王は小首を傾げてはにかみながら、目と口元に苦笑いを浮かべた。
珍しい物好き……要はミーハーなのか、ドワーフって。特に何か支障のある性質って程ではないな。
と、こちらを向いていた魔王が、再び、城の方に向き直る。
俺もそれに釣られて、城の正面と思しき辺りに向いて、背筋を正した。
距離がそこそこあるので目を凝らすと、さっきのミーハードワーフ達とは反対に、向こうからこちらへ来るドワーフが1体いる。
背は寧ろ少し低い。人垣のドワーフ達より一回り低い感じだ。逆に横幅はもう少しあり、がっちり体型なのは変わらない。俵が歩いてる感じだな、俵より横幅はありそう。
遠目ではあるが、革のベストの様な物を着けているのが見える。ズボンの色はカーキ。ドワーフ達を率いる意味での『マスター』にしては、外見に格別なものは見て取れない。
「ドワーフマスター、マグナス・スカルゲード。今日は突然訪れてしまってすまない。侵入者阻止のシステムを起動させてしまった」
魔王が、もうすぐの所にまで来たドワーフに、少し腰を折りながら話しかけた。
「全くだ、魔王さんよ。一報入れといてくれりゃ、あんたに自動照準の矢が飛ぶ様な事態は回避出来たのだが」
「すまない。今日僕は公の、魔王としての立場でルナレーイに来た訳ではなくて、こちらの人間の英雄の観光案内として来ているんだ」
腕組みをした、小柄だけれどどっしり型のドワーフの視線が、ギロリと俺に飛んでくる。
ワントガルド宰相もそうだが、ドワーフの視線は鋭い。バルトリア工房のバルトリアさんもそうだったな。
「英雄が生まれたのか。中でか? それとも外からか?」
「外からだね。だから彼は、凄まじい力を、神の恩恵として保持している」
「ふうむ。この若者が、ねぇ……」
どしどし更に歩いて来て、そのドワーフは俺の少し手前で止まった。
そのドワーフはその場所から俺に、値踏みしている、と言うより、かなり訝しんでいる様な視線を向けてくる。
「特段普通の人間にしか見えねぇな。まぁ服装と腰の剣見りゃ、貴族だろう事は明らかだが」
「まぁ、英雄はどこの国の所属でも貴族位を与えられる存在だからね。もっともルナレーイにはもうそんな古いしきたりは残ってはいないだろう?」
「あぁ。おう坊ちゃん、どこの国の貴族か知らねぇが、ここでは俺がルールだ。見物に来たと言われても、接待はしないぞ」
「あ、はいそれはもちろん。元々はその、魔王様から古城があると言われて、そのお城を見てみたくて来たんです」
「古城、か」
ドワーフは顔の渋さをふと緩め、ふはっと強めに息を吐いた。
「おう魔王殿よ、坊ちゃんには地下都市のことはもう言ってあるのかい?」
「いやまだだよ。少し驚いてもらえた方が、案内した僕としても嬉しいから」
「まぁ何とも、相変わらず魔王は品が良くていけねぇ。魔族束ねるならもう少し、こう、こうだろう」
ドワーフの左フック、続いて右アッパーが、ヒュンと音を立てて空を切る。
「出来れば僕は、力ずくの支配はしたくないんだ。話し合いで解決出来る問題であれば、是非そうしたいんだよ」
「でもってその人間とも、話し合いで色々決めて、その末の観光外交か? 何が珍しくて俺らの都市なぞ……あぁ、城だったか。
坊ちゃん、この城を見て、どう思う? 率直な感想で良いぞ、言ってみろ」
ドワーフマスターが目を大きく開いたまま、俺に問いかけてくる。
これ、このまま言って良い奴なのか? でも、飾り立てようも無いしなぁ……
「古城、と聞いて、荘厳でいて繊細な、真っ白なお城を想像していました」
「まあそうだろうなぁ、古城と聞けば。今はこの城は、地下都市の屋根部分としてしか活用していない。無論都市防衛の兵器は山と突っ込んであるが」
都市の屋根? 地下都市?
あの城の下に、都市があるのか。その防衛システムが、城に偽装された要塞、ってところだろうか。
「あの、俺や家族みたいな一般人は、その地下都市を見学出来ますか?」
「おぉ? 地下都市にも興味があるのか。とは言っても、地下都市は普通の、ただだだっ広い所だからな、見て楽しめるかは分からんぞ」
ドワーフの表情は、俺が地下都市に興味を示したのが良かったのか、少し機嫌良さそうに口の端が上がっている。
「そう言えば自動防衛システムは、更に強固になったみたいだね。以前は普通の木の矢ではなかったかな。金属の矢を撃ち放てる様になったようだね」
「ああ。自動化にも目処が付いてな。動力源が問題だったが、地熱の貯蔵的活用で機関部を自動化出来た。しかも複数、発射機構自体を同時稼働出来る」
「それであの矢の数、だったんだね。君たちが自力で、自己の土地を守っていてくれるのはとても素晴らしい。独立性も担保出来るしね」
魔王とドワーフマスターが何やら話しているが、城に偽装した防衛システムの話らしく、元々を知らない俺には頭に入る話では無かった。
「それじゃあマスター、改めて彼を紹介するね。彼はオーフェンに召喚された英雄、シューッヘ・ノガゥア卿。ただ今の所属はローリスで、子爵位を持っている」
「子爵様か。するってーと、後ろの若い女2人は、この坊ちゃんの奥さんか」
俺の少し後ろにマスターが目線をやる。丁度アリアとフェリクシアが揃ってこちらに来ていた。
「お初にお目に掛かる、ドワーフマスター、マグナス・スカルゲード殿。私はシューッヘ子爵の第一夫人、フェリクシアという」
「あたしは第二夫人のアリアです。まだあんまり状況が飲み込めていないんですけど、シューッヘと一緒に行動します」
「ほう、熱いね。と言っても、手つきのメイドが第一夫人で、こんな可愛い娘が何故か第二夫人なのか。ローリスにはそういう、働き者を正妻に据える様な文化でもあるのか?」
働き者が第一夫人になる文化。
うん、そういうのは全く聞いたことが無い。
「いえ、ローリスの文化は関係無くて、あくまで家庭内の決め事です」
「メイドが正妻、第一夫人、か。相変わらず人間のしたいことはよく分からん。まぁ地下都市を案内しよう。既に防衛機構は止めてあるから安心して進んでくれ」
ドワーフマスターのマグナスさんは、この世界で「なんのこっちゃ」みたいな呆れた感じを意味するジェスチャー、片手の平を上に向けて小首を傾げた。




