第72話 雑談と決断
そこからしばらく、俺は真剣に魔王との『雑談』に興じた。
魔王自身は、俺の転生前のことが結構気になっていた様で、日本のことを色々聞かれた。
もっとも学生だった俺には、魔王が知りたがった『国の運営状況』や『軍隊の構成』など分かるはずもなく、歯切れの悪い回答しか出来なかった。
そんな中で俺は俺で、魔王から様々な事を聞き出そうと必死になった。
まずは何より魔法の事。但し光の自由操作の話に至らない様に気をつけながら。
光の自由操作は、女神様が下さった『特権』。
普通の魔法とは違いそうだから、一応敵方になる魔王には伏せる事にした。
古代魔法の話は、結構実入りが良かった。基礎数750とかいう超重い魔法の存在も知った。到底発動は出来ないが。
こと古代魔法については、あのサイコロ型になってしまっている原典があるので調べればどれだけでも、と思っていたが、事実は違うらしい。
今伝わっている古代魔法それ自体は、7,000年前に体系化されたものなのだそうだ。原典が本として残ったのは奇跡的だった、と魔王は言った。
ただ魔王に言わせると、4つか5つ前の文明の魔法行使の方がもっとエレガントで知的だった、と。エレガントで知的な魔法って何だ?
なんでも、魔王城には過去の文明が残した文献も、多くはないが傑作と言えるものだけは保存されているのだそうだ。
フェリクシアやヒューさん辺りに言ったら、きっととても読みたがるだろうな……特にヒューさんは本のマニアだからな。
でも文字が違って読めないのでは? と、そこも聞いたのだが、それは恐らく大丈夫、という答えが返ってきた。
破滅した過去のどの文明も、完全に人が消滅した訳ではなかったのだとか。
生き残った人が、ごく少数から段々また増えて、新たに文明を作る。
でその文明が、ペルナ様に審査されて、滅ぶ。けれど人を一掃する訳ではなく、またわずかに残った人が少しずつ増えていく。
そういう形で、過去の最初の文明の時から、この星の人間達はあくまで『人間』という種を保った。そして言葉もまた、そこまで大きくは変わらなかった、と魔王から教えてもらった。
「凄いですね、何万年とか昔の文明と言葉が同じなんて。俺の元いたところじゃ、たった千年前の文書を読むのだって、無茶苦茶苦労しますよ」
古文とか漢文とか。
学生時代、全然読めなかった記憶がある。千年もすれば言葉はああも変わる、ものだと思っていたが……そうでない事もあるのか。
「まぁ、多少言い回しとかにその時代ならではの色合いが出たりはするけれどね。基本的な会話なんかは出来るはずだよ、原初の文明の人とも」
「……因みに、原初の文明の人、って言いますけど、それってどれくらい前の話なんですか?」
幾つもの文明が滅んだ、という話はヒューさんから聞いているが、最初の文明は、という話は無かった。
「原初の文明は、どうだろう、今から数えると1,000万とか2,000万年前になるんじゃないかな。僕も意識して数えてないから少し当てずっぽうだけれど」
1,000万年!
地球の文明とは、全くスケールが違うな……
「ところで英雄。唐突で悪いんだけれど、君、魔族領に住む気はないかい?」
「……は? ごめんなさい、何か聞き違えをしてそうなんで、もう一度言ってもらっても良いですか?」
「まぁその位の反応にはなるよね、何度でも言うよ。魔族領に住まないか? 君の為に城を1つ新造しても良い」
……雑談のテンションから、いきなりの英雄懐柔策?
いや、これ、なんだろうな。からかってるんだな、きっと。
「またぁ、魔王様。俺はローリスの英雄ですよ? なんでいきなり魔族領に住む話になるんですかー、もー」
俺は苦笑いをしつつ魔王の戯れを軽く笑っていなした。
……つもりだった。
「いや、僕は本気で言っている。君ほどの特殊な存在、僕としては是非、長期間近くにいてもらって、その性質を研究したい。
それに、ローリスとの関係で言っても、君が人間としての立場で魔族領に城を築けば、もうこれは人間と魔族の融和になるじゃないか」
テレビショッピングの中の人の様な、ちょっと大げさな動作でもって魔王は言う。
真面目に言ってるのか。
となると、茶化してはぐらかす、という手は使えない。
しかも、今ここって、魔王というトップと、英雄というトップの密室会談とも言える。
下手なことを俺が言うと、それが決定事項になってしまう。
「魔族との融和は……確かに俺が求めているものではあります。けれどそれは、人間がいて魔族がいて、丁度隣人の様な間柄の話です」
「確かに種族対種族の関係は、それで良いと思うよ僕も。けれど、決定的な部分では、重要人物の交換か、または外交官的に移住してもらった方が、より一層両国の関係は強固に出来る。違うかい?」
むう……確かに、平安時代にせよ江戸時代にせよ、お姫様を嫁がせて家と家の繋がりを、なんて話はあった。
外交官的に、と言われると更に弱い。それはまぁ確かに、としか返しようが無い。
あの平和ボケ日本でも、日本大使館がどこの国でもまずあって、そこには日本人の大使がいる。
当たり前の様な話だが、大使は日本の重要人物だろう。そして相手国の大使館も日本にあって、それも重要人物。
翻って俺の立場を考えると、ローリスという国からすれば、丁度『永久派遣』してもよさげな存在なのかも知れない。
決して生粋のローリス人では無いし、それでいて子爵だから相手国、つまり魔族の国との格式も問題無い。
しかも、英雄の本義で言えば、魔族に対する容赦ない殺戮者。それを、魔王自ら手元に置く……外交的意味は途方もなく大きく、俺1人の話で人間・魔族間の架け橋になるのなら、せねばならない気すらしてくる。
「……その……もし俺がその申し出を拒んだら? ローリスとの外交も、そこまで……ですか」
言ってて胃が重くなってくる。
せめて仲間が今ここにいてくれれば。せめて相談が出来れば。
「いや? 僕としては、君の処遇はどこまでも厚くするつもりはあるけれど、外交は外交として。それはあくまで、魔族の総利益を天秤に掛ける。君のことが欲しいのはあくまで僕自身で、その目的は研究だよ」
相変わらずにこやかに魔王は言った。少し拍子抜けした。
この魔王、ナグルザム卿とは違って、到底嘘を吐く様には思えない。あまりに物事ストレートに言い過ぎている。
もっとも、ナグルザム卿が嘘つきだなんて疑った欠片も無かったんだから、二の舞になる事もあり得る訳だが……
「研究って、それは何を」
「君は英雄の力とは別に、女神の寵愛を受けている。その人物は、最初の顔合わせの時点から今はもう書物にのみ残るもののはずな古代魔法を易々と使い、つい先ほども伝達魔法を使って見せてくれた。そんな英雄の力の源は何か。そして女神の寵愛の力はいずこに秘められているのか。それらをまず調べたい」
「いずこにって……俺、解剖ですか?」
さすがに無いだろうとは思うが、ニコニコが加速している魔王の表情を見ると、ちょっと念押しで確認しておかないではいられなかった。
「まさか! 金のリモージを実らせる木を切り倒して幹を漁る様な真似なんてするものか。最初は、そうだな、血を一滴かそこらもらう。そこから得られた情報を、実際の『君』との付合性を確かめながら、君の力の源を探れれば、なんて思っている」
……金のリモージ?
地球でいう、黄金の卵を産むダチョウみたいな話か?
「うーん、俺の一存で決めて良いことじゃない気がします。陛下のお考えもあるだろうし……」
既に包囲網の内側に囚われている様な嫌な予感がしてきたので、俺はグダグダ言ってみることにした。
「ローリス国王としては、魔族との戦争が回避出来て、魔導水晶も返ってきて。良いことばかりだよ? 首を横に振るかな」
「俺は陛下じゃないんで陛下のお気持ちは俺には分からないです」
「でももし君が今決断してくれれば、僕も国の王として、少し色を付ける事くらいする。返還する魔導水晶の量もうんと増やすし、残りも他国へは決して放出しないと約束する。そうすれば、魔導師に出生時のステータスが偏るローリスにとって、何十年、何百年の繁栄の元になるだろう」
「う、うーん。今じゃないとダメなんですか? 国に持ち帰って検討したいんですが」
「決めるなら今だね。僕自身の気持ちが高まってるからこそ、ここまで人間側にも妥協的になれているんだ。国へ帰れば僕の行動にとやかく言う重臣たちがいるからね、気軽に決定も出来ない」
「気軽に決めちゃうことなんですかそれ」
「こういうのは勢いだよ。さあ、君の決断を聞かせて欲しい。君1人が、まぁもちろん仲間や奥さんも込みで全く構わないけれど、とにかく君が魔族領に居を構えてくれれば、僕は大きく妥協をする用意がある。君の考えは。さあ」
うぐ。俺こういう押しにはトコトン弱いんだよ、弱いってか苦手だ。
今俺が魔族領に住む事を決めれば、ローリスは今の王様の代だけでなくもっと栄える。のかも知れない。全部鵜呑みはさすがに危険だ。
ただ、魔導水晶の返還については、王様はまさに本心とばかりだった。単に俺が移住するだけで、それが達成されるのであれば……
いやだが、英雄が、魔族への最終兵器が、魔族領内に安堵しちゃって本当にそれで良いのか?
つまりそれは、人間側は最終兵器をみすみす失うことにも繋がる。
魔族領に城を持っても、家族や仲間を人質に取られたら、その城から人間側に加勢する事すら出来ないだろう。
あぁ女神様、俺はどうすれば……ん? あっ!
「魔王様すいません。とっても良い条件を出して下さった事には、深く感謝します。けれど俺、絶対に、ローリスから離れません」
「……表情が、変わったね。因みに何故その決意に至ったか、聞いても?」
「はい。女神様の件です。魔族領内は女神様がお入りになれない場所と聞きました。そんな所に、俺が行く訳にはいきません」
俺がハッキリとした口調でそう言い切ると、少し紅潮さえしていた魔王の表情はスーッと冷めていった。
最後は片手の平を天井に向け、軽く溜息。その手はそのままワイングラスに伸び、残っていたワインは一口で飲み干された。




