第70話 機嫌の良い魔王さまは口数が多くてたまらない。
壁談義に一段落付いたところで、俺は果実水に手を付けた。
よくこれだけ喋り続けられるものだ。俺はあくまで聞いていると目線だけでしか言っておらず、相づちすらろくにしていない。
なのにモチベーションも落とさず話し続ける姿は、突然同好の士を見つけて話が止まらなくなったオタクに近いとすら感じる。
「ああっとー……ところで魔王様」
「何だい? 君もあの結界師の壁のデザインに、思うところがあったかい?」
「いや、結界師の壁は今は正直どうでも……それよりちょっと気になったんですが、ひとつ聞いても良いですか?」
俺がウンザリした様子を隠しもせず言うと、相変わらず上機嫌そうに魔王は頷いた。
「ナグルザム卿の地図がどうも嘘らしい事までは分かったんですが、ガルマの砦はあの辺りではなかったのですか?」
「ガルマの砦かい? あの砦は魔族にとって通行の邪魔だったから、解体して整地したと聞いたよ。だからもう無い」
「あらま、もう無いんですか」
解体して整地出来る程度の規模の砦だったらしい。
女神様が俺の転生寸前に見せてくれたのと同じなのかを知りたかったのだが、記憶自体も少しぼやけてるし、もう無いのなら確認しようもないかも知れない。
「ガルマの砦は、あの壁を過ぎてもう少し魔族領に入った、丁度ルートを北と南に分ける巨石の少しエルクレア寄り、ってところかな」
指し示してくれているのは分かるのだが、どうにも言い方が迂遠であまり頭に入ってこない。
ただいずれにしても、ガルマの砦と言う代物はもう無く、整地されたんだから跡地感すら無さそうだ。
「北ルートと南ルート……北ってアレですよね、虫魔族の巣窟で馬が立ち入るのは危険そうな」
俺があくまで確認の為に言った言葉に、魔王は一瞬キョトンとして、それからすぐ首を傾げた。
「北ルート界隈に、虫魔族の生育地は無いよ? 確かに森林はあるから、自然の虫類はたくさんいるかも知れないけれど、虫族魔族の生育地はもっとうんと奥地で、行くのはとても大変だ。君は敢えてその虫魔族を見たいとか、なのかな?」
一言が長ぇ……ただどうも『北ルート=虫魔族の巣窟』は偽情報らしい。
そう言えばそれを言ったのは、晩餐会の会場で、ナグルザム卿が、だっけ。
地図に引き続きそれも嘘だったとしても、別におかしくはない。
「俺としては、元々虫は好きではないので、いなければいない方が。
ただその、北ルートに虫魔族がって話は、ナグルザム卿が言っていた話なんですよ。北ルートに行かせたくなかったのかな」
ナグルザム卿の意図した事は、それが何であれ、もう確認する事は出来ない。本人は爆散して消えたのだ。
その引き金にもなっている魔王は、少し考え込む様に顎の辺りに手をやっている。
「魔王様としては、この馬車は南ルートを採るのですか? それとも、北ですか?」
「別にどちらを通っても構わないから、もし君に何か望みがあるなら、それを聞きたい。どちらが良い?」
「うーん……どちら、と言われても完全によそ者なので、どっちに何があるかもよく分かってないです。魔王様のオススメは?」
「僕としては、今まだ槍岩壁の手前だからどちらでも良い。敢えて言うなら、南だと、レオンが騒ぐと面倒かな。気付かせずに通る事は出来なくはない」
レオン。南ルートの途中にあると聞いている、獅子王の領地だ。それはどうやら嘘では無かったらしい。
「逆に、北ルートだと誰も住んではいないんですか?」
「いや? 北ルートの真ん中辺りを北に向かう道が開けていて、そこをしばらく進めば旧・ルナレーイ人達の居住する地域がある。古い建て方の城もあるし、見物するには面白いかも知れないね」
「じゃあルートは北で。時間的に可能なら、その古い城も見てみたいです」
「分かった。エラキストンとメギストンに伝達するよ」
魔王はニコッと微笑んで、そのまま目をつむった。
ボソボソと小声で何か言っているが、さすがに小さくて聞き取れない。
馬にも通じる言葉でのテレパシーなのか、何かの連絡魔法なのか……まぁ、いずれであっても『その場所に連れてってもらえる』のなら関係ないか。
少しそんな独り言タイムを挟んで、魔王の目が再びゆっくり開かれた。
「伝達を終えたよ。東部大森林の新たな直進路を超えて平地に出たら、少し高度を上げながら北ルートを取りそのままルート中央まで西進。そこから北に進路を変えて進む。君のお仲間への伝達は必要かい?」
「そうですね、もし可能ならお願いします」
「任せてくれ。伝達用の魔法は、今の君たち人間の文明では枠外魔法になるけれど、古代魔法としては応用の一、二程度の辺りで学ぶ内容だ。君も古代魔法を使えるのなら、僕のやり方を真似れば出来る様になる」
ほう。この魔王という生き物は、やはり人間を敵とはみなしていないらしい。
魔王との邂逅は古代魔法[フライ]を使って為された。となれば、俺が古代魔法を使えるのも理解してて、その上で教えてもくれる。
長話を聞くのは苦痛だと思っていたが、これが魔法の講義なんだと思い込めば、多少くどい講義だけれど何とか耐えられそうだ。
「じゃあ、今回は僕が君の案内に回るよ。この伝達魔法、対象は人であれ馬であれ、この魔法だと1個体にしか伝達は出来ない」
「1個体。つまり、人なら1人だけ、って事ですよね?」
「そうそう。だから僕はさっき、エラキストンへのメッセージとメギストンへのメッセージ、それぞれをそれぞれに向けて送った。
送る時に使う魔法は、魔法としてはそこまで難しくない。その対象を強く意識して、自分がまるでその人の真横にいる様に意識をする」
「意識する、だけですか?」
「うん。ただ意識を向ける際に、魔力でその人の耳につながる糸の様なものを作り上げる。その糸の両方の先端は、薄い板状に」
「……こう、ですか?」
「どれ、[マギ・アナライズ]……そうだね、今はヒューの耳元に、上手く寄せてはいるけれど、これでは少し安定しない。揺れない糸、みたいな意識で、魔力をより細く絞り込んで」
「うーん……こんな感じでしょうか」
「うん、良い感じだね。この魔法は、相手を意識下に置けさえすれば、伝達の距離を問わないのが特徴なんだ。但し基礎数は相応に重い」
「確かにそんな感じはありますね。糸を安定させて細かい振動も無くすのに、相当魔力を喰らってます」
「それでも、初回でここまで出来れば後は実際に伝達するだけだ。その糸のこちら側の端を、今の板状よりもう少し大きな薄い板に、逆にあちらの先端は、自由に振動して動ける様に魔力を抜く」
「……ん……向こう側の先端の魔力を抜くのが難しく感じます。この位で良いのかなぁ」
「マギ・アナライズで見る限り、今の状態で雑音は乗るけれど伝達自体は出来ると思うよ。そのままこちら側の、見えない魔法の板に向けて、普通に言葉を話せば良い。そうすればヒューの耳に声が届くだろう」
「じゃあ……えーと、ヒューさん。みんなに伝えてください。北ルートの虫魔族説は嘘っぱちらしく、見どころがあるらしいので北ルートを取ります。あれ? あの魔王様、どの位で着きます?」
「まぁ、あと2時間のうちには到着出来るだろうね。北ルート内の分岐路までなら、およそ1時間半と少し、と言ったところだろう」
「と、えーっと、北ルートに入って更に北へ向かうルートに入るまでに1時間半、北上した目的地まで約2時間です。リラックスして過ごしてください」
言い終えて、俺はどっと疲れを感じた。肩にずしんと重しを乗せられた様な、腕が重ったるい様な、そんな疲労感だ。
「初めての伝達魔法で、最後まで言いたい事を言えたのは大したものだよ。魔族でも伝達魔法はそう簡単に行かず、途中で途切れる事がよくあるからね」
「ふぅ……そう、なんですね」
魔王は満面の笑みで、手まで小さく叩いて褒めてくれているのだが、如何せん疲れが酷く感じられそれどころではない。
しまったな、マギ・エリクサーはこっちの馬車には無い。何か魔力を回復させる……
「あ」
と、俺は腰の短剣に改めて気付いた。普段からずっと腰に下げているので意識としては一体化してしまっていた。
そう言えばこの短剣、刀身の部分は魔導水晶だ。しかも状態は透明。フルチャージの状態だ。
粉が吹く程に引っ張ると大変だけれど、魔力の使いすぎの疲れならば、コレから吸えば良い。
「どうした英雄、随分と頓狂な声を上げて」
「あーいやすいません、魔力的に疲れたけれどマギ・エリクサー無いから何か代わりを、と探していたんですけど、そう言えば腰のこの短剣、刀身が魔導水晶なんですよ」
斬り掛かる訳ではないので、左の腰に左手を伸ばして、鞘からゆっくり、星屑の短剣本体を引き出す。
「おや、その短剣は」
「あ、これ、俺の結婚祝いにってヒューさんが持ってきてくれたものです。名前があって」
「星屑の短剣」
「えっ? ええっ?!」
俺は思わず魔王の顔を二度見した。魔導水晶の短剣は三度見した。




