第68話 魔王様ご自慢の空飛ぶデカ馬
アリアの強烈な光でまだ視界が白っぽいが、俺は魔法陣の中で向きを変え、魔王のいた方に向いた。
魔王と馬。馬は2匹。今は羽を畳んでいるのか、さっきまであった馬体の3倍くらい大きな羽は見えない。2頭とも、真っ黒な馬だ。
魔王は馬の鼻先を撫でながら、何か話しかけている様に見える。馬が頷く様に頭を下げているのは、言葉が分かるからなのか、単にそういう気分なのか。
伝説のベガスースとやらでは無いらしいが、空を駆ける馬って時点で既にファンタジーでしかない、俺にとっては。
片方の、こちらから見て手前の馬に、漆黒の大きな馬車が繋がれており、もう片方の馬は何も引いていない。
馬車は、揺れないらしい。魔王が言ってたのが本当なら、グラスの飲み物がこぼれないほどだとか。
どうやって空気中を走れるのか既に意味不明ではあるが、現に馬車を水平に引いた馬が、遙か向こうの空から飛んできたのを確かに見た。
事実は事実として受け入れるほかに無い。
「ヒューさん、あの2頭の馬の片方だけで、こっちの馬車とか全部、運べるんですかね」
「どうでしょうな。飛翔馬の飛び方やその馬力については、ローリスではその研究が全くされておらず、わたしも見当が付きません」
俺達のチーム一番の知恵者なヒューさんですらこの調子だ。
不安は残るが、これはもう魔王に直接聞くしか無さそうだ。
「ヒューさん、バフはもう全部出来ましたか?」
俺が振り返って尋ねると、ヒューさんが他のメンバーに目配せをした。皆それぞれに頷く。
「皆、全て終わったようでございます。魔法陣から出て頂いて結構でございます」
「ありがとう。おっ、なんか足が軽いな」
初めてドラゴンブーツを履いた時程の変化では無いが、足取りがかなり軽くなっていることに気付いた。
「私の身体強化だろう。うっかり走るとつまづくので、気をつけて欲しい」
「そっか、分かった。ちょっと魔王の所に行って、馬車自体どうやって運搬するのか聞いてくるよ」
「ご主人様がわざわざ、か? なんであれば私が行ってくるが」
「バフの結果も見せたいしね、これで良いのかどうかは、魔王しか判断出来ないから」
振り返りながら足を出したら、その一歩が調子外れに大股になって、後ろ向いたまま前の地面に顔から突っ込んだ。
「ぐへぇっ……あ、あれ? 痛くない?」
「我が加護の働きである。攻撃と言わずとも、皮膚を傷つける事は無くなる。半日程度でしかないが」
ほへぇ。大精霊の加護とやらは、対魔法での無効化だけかと思ったら、物理での強靱化? も付与されたらしい。
俺は地面に手を突き立ち直した。うん、確かに地面に結構強く手を付いたのに、小石が刺さる痛みも無い。不思議な感覚だ。
「じゃ、ちょっと行ってくる」
俺は少し慎重な足取りでもって、魔王が馬をあやしている場所まで向かった。
もう少しで辿り着く、という位置に至った時、二頭の馬が揃ってこちらを睨んできた。
「う、馬さん俺は敵じゃないよー……」
言ってはみるが、やはり言葉は通じないのか酷く怖い目で睨み続けてくる。
近付いてよく分かったが、その馬体は強靱馬より更に一回り大きい。ここまで大きな馬は、全く経験がない。
そして見えなかった翼は、背中に窮屈そうに折り畳まれていた。よく畳めるな、あのサイズを。
「英雄、この馬は魔族領が生み出した発明でもあるんだ。通常の飛翔馬は飛べる空域が限定的に過ぎるからね。この子達は違う」
機嫌よさげに笑みを浮かべる魔王が、馬の頭をポンポンと叩いている。それに呼応する様に、あくまで俺を睨みながらだが、馬は魔王に鼻先を寄せる。
「えーと、魔王様。バフ、これでもかって位に掛けられまくって来ましたけど、どうです?」
「ふむ。最も強いのは、精霊の加護か。多少思っていた方向性とは違うけれど、強さの点では十分だろう」
何が正解なのかまるで分からないが、取りあえず合格はしたらしい。
「それで魔王様、その、飛翔馬? ですか? 片方には馬車がつながってるので分かりますが、もう一頭で俺達の馬も含めて、全部をどうやって? そもそも浮くんですか?」
「まぁ、質問はまとめてするものじゃないよ。まず僕の馬車を引くこの馬が、エラキストン。そっちの、君たちの馬車とかをまとめて引くのが、メギストン」
名前があるらしい。見た感じその差はまるで分からないが、こちらに近い、馬車がつながってる方がエラキストンで、あちらの馬だけの方がメギストン、か。
「名前で呼んだ方が良いですかね」
「そうだね、僕以外になつく事はまず無いけれど、彼らは発話は出来ないけれど言葉は理解するし、気持ちを察する力は並の魔族より優れている」
「そうなんですか、じゃあ……エラキストン、魔王様と一緒に馬車に乗る、シューッヘ・ノガゥアです。よろしく」
エラキストンが荒い鼻息を一つ吐くと、そのままさっきより少し頭を下げて俺の事をマジマジ見る様な姿勢になった。
俺とエラキストンの間には魔王がいて、少し距離があるからまだマシなんだが、この馬体の馬に睨まれるとさすがに足下がゾワゾワする。
「エラキストン。人間世界の代表とも言える相手だ。僕だけを乗せる時よりも、慎重な移動を頼むよ」
魔王が鼻先をポンと叩いて言うと、ぶひゅん、と馬っぽい声と吐息で応えていた。
ただ相変わらず2体の馬から睨まれている状況は変わらず、何と言うか、たまらず逃げ出したい様な思いだ。
「メギストンには、あそこにある物全てをまとめて運んでもらう。メギストンなら、出来るな?」
魔王の顔がメギストンに向く。言われたメギストンはひーんといなないて、両前足をちょっと浮かした。
「英雄。どうもメギストンが強靱馬含めた全てを引く事が理解出来ないらしいね、違うかい?」
無意識に馬とメンチ切り合いになっていたら、脱力系な魔王が口を挟んできた。
俺は馬相手にちょっと熱くなっていたのが恥ずかしくなり、一度目を伏せ、それから魔王に向き直った。
「はい、疑問です。総重量もそうですけど、強靱馬は空飛べませんよ? それを、どうするんです。メギストンは陸路、ですか?」
「いや、どちらも空路を使う予定でいる。エラキストンとメギストンが魔族の発明と言ったのには幾つか理由があって」
と、言葉を切った魔王がメギストンに何かハンドサインを送った。
メギストンは頷くように頭をぐっと下げた後、ドスドスと重そうな音を立てながら俺の横を歩いて行った。
「まず飛翔馬を元にした彼らは、空を自由に飛ぶことが出来る。まぁこれは、彼らが飛翔馬からデザインされたのだから当然だね」
「……デザイン?」
「ああ。それで彼らには、相応の魔法適性が持てる様に作った。幸い、潜在的な力の余白を実際に魔力が埋めてくれたから、思ったような魔法の使える馬が出来たんだ」
「あの……デザインだとか作っただとか……あの2頭は、自然に生まれた訳では無い、ということですか」
何となく魔王が誇らしげにしている理由は察しが付いた。
女神様がおられた時に、生命の設計図という言い方で遺伝子のことを言っていた。
どれだけの科学力でそれを成し遂げられたのか、はたまた魔法が科学を置き換えたのか分からないが、魔王は遺伝子操作が出来るらしい。
「そうだね、特にあの2体は特別なのさ。僕が元になる飛翔馬を選んで、組み込むべき要素も全て1から設計したんだ。上手く行かなかったたくさんの失敗作も生み出しちゃったけどね」
失敗作、と呼ばれているのも、恐らく命あるもの……あったもの、かも知れないが、生命なのだろう。
魔族の倫理観が分からないから迂闊にものが言えないが、遺伝子操作の失敗なんて、悲惨な結果しか思いつかない。
「何にせよエラキストンはその魔力も安定性が強くて、とても大人しい。対してメギストンはとても力持ちだね、魔力的な意味で」
「魔力的な力持ち、ですか……何だか俺にはよく理解出来ない領域です」
「そうかい? 君たち人間も、身体を強化する魔法は使うだろう? 彼らはそれを生来自然に出来る、ってだけのことだよ」
そう言いつつ、またエラキストンの鼻先をポンポンと魔王は叩いて、更に撫でている。
……触り心地が良いのか?
「あの、魔王様。俺も、エラキストンに触れてみても良いですか」
「ああもちろん! この子の毛並みは本当に触れていて気持ち良いんだよ。馬に触れた経験は?」
「あ、ありません……」
「そうか。そうしたらこう、今僕が立っていた所までゆっくり進んで」
「は、はい。こう……ですか?」
「そうしたらエラキストンの鼻先にゆっくり手を伸ばしてごらん」
「はい、うわ、わわ」
俺がゆっくり近づけた手に、エラキストンの鼻が近付いてきて、その熱い吐息が掛かった。びっくりした。
「そうそう、それからエラキストンに話しかけながら、首の辺りに手をやってごらん。強く叩かないようにね」
馬が近い。近付いたらその大きさに圧倒されてしまう、本当に大きかった。
ただ幸い敵意は持たれてない様で、俺の手の臭いを嗅いだのか? その後はじっとして、俺を見ていた。
「エラキストーン、さ、触るよ?」
俺が言うと、エラキストンがスッと頭を下げてくれた。目の前に首が、触りやすい位置に来た。
触るね、とつぶやきながら、内心おっかなびっくり、エラキストンの首に手を当てる。
「あ、ふわふわ……」
見た感じ艶のある堅そうな毛並みと思っていたのだが、全然違った。
整った毛並みなのは間違いないが、堅くガサガサしてると思い込んでいたのに、実際触れてみるとふんわり柔らかい。
もちろん綿毛の様な柔らかさではないが、真っ黒・漆黒の巨大馬の首の毛が、少しふわっと手が埋まる程に沈んだのでこれまたビックリした。




