第60話 復讐者の成れの果て
「あれ、もう帰ってきた? って、あれ? 地面の気持ち悪い棒も消えてる」
馬車から興奮気味に身体を乗り出していたアリアの声は、俺の所まで届いた。
と言っても、既に俺達自体が馬車に近い。あと10メートル程度、そりゃあの声量ならここまで届く。
「もう大丈夫だと思うよアリア」
「そうなの? さっき出て行って、もう帰ってきたからちょっとビックリだよ?」
「そうだね、魔王様のお陰でやたら早く決着しちゃったからね」
言いつつ、馬車の入口まで辿り着く。内側からアリアが扉をスライドして開いてくれる。
「ありがと。あ、もう結界要らないかな。色々張ったけど」
と、俺が後ろを振り抜いて手を伸ばしかけたその時、
「その判断は少し早いかな」
俺の少し後ろを歩いていた魔王が言った。その意味はすぐ分かった。
25メートルと少し向こうの結界の端。そこに、黒い塊が地面に着弾した。と同時に、その塊は極めてまばゆい光を放った。
ただその光の大部分は目の前の結界で弾かれた様で、結界そのものが微振動を起こしてギギギと嫌な音を立てる。
俺との距離からして、対物理結界の方だ。光も物理と言えば物理だからな、強すぎる光は反射されたのかも知れない。
そんな悠長なことを考えていた直後、地面が縦にグワッと揺れた。思わずその場に屈み込む。
遠く思えた「閃光弾になってしまったナグルザム卿」だったが、その光の範囲が急速に拡大し、俺達の周りを飲み込んでいった。
結界の軋みは更に酷くなり、ギチギチギチッと激しく鳴った。内側はただ、寧ろそれで済んだのが幸いだった。
結界の外側になった森は、光に包まれるなり木々が煙を上げて発火し、更に次の爆風でもみくちゃにされながら天高く叩き上げられ、しかし天井側に俺が張った結界に阻まれて落下している。大量にだ。
一部は馬車の近くにも落下してきたが、これは至近距離用の物理結界が軽々と弾き飛ばしている。異音すら立たないのだから、寧ろさっきの閃光が如何に『ヤバかった』代物か、思わず唾を飲んだ。
その時ふと気付いた。
閃光の時も、その後の爆風も、いずれも魔王はその外側だ!
「ま、魔王様っ!! お怪我とかしてませんかっ?!」
思わず叫んだが、周囲に僅かに残った立木の揺れからして、まだ結界の外は爆風級の風が吹いている。叫んでも聞こえないかも知れない。
俺は、また、やらかしてしまったか。
魔王を、結界の範囲設定ミスで、あの威力の火炎に晒してしまった。
俺は魔王のことは仲間とは認識していないし、現に俺の「手前」で、結界はギチギチと苦しそうな音を立てている。
魔王の立ち位置はその向こうだ。確実に爆風の中に、その身を晒させてしまった。
俺が守るべき第一の対象ではないのは間違いないが、こんな形で魔王を失ったら、俺達にまでその疑義が掛かる可能性が……
「ふう、中は涼しいね。外は相当暑いから、まだ結界はしばらくそのままの方が良い。息が詰まるのが少し心配だが、さっき除外したサンソというのが息が出来る成分と判明しているのかい?」
俺は二重の意味でビックリして屈んだ格好から思わず飛んで、そのまま尻餅を付いた。
第一に、あの爆風の中をただ暑いとだけ言って、服すら一切焦げず燃えずそのままに、魔王が現れたこと。
そして第二に、俺の張った物理結界を悠々と、まるで何もないかのようにすり抜けて入ってきたことだ。
「あ、あわ、あ、あ」
俺の口も頭の中も、まるで言葉にならない。
目の前にお化けが平然と現れたのと大差が無いのだ。
「どうした英雄、やはり魔族固有の自爆魔法、[魂魄の火炎]は、結界があってもその身に堪えたかい?」
自然というか、何もなかったかの様に冷静で、にこやかですらある魔王の表情にも、俺は余計うろたえるばかりだった。
「あの、お怪我とかされてませんか、手当が必要であれば何でも言ってください」
「ありがとう、アリア夫人。幸いナグルザムがその残存した頭に残せた魔力は大した事が無かった。この程度の炎であれば、魔竜族との飲み会ともなると常に晒される程度でしかない」
俺の横を悠然と進み、良いかい? とアリアに確認をして、馬車に魔王が上がった。
俺もハッとして、急いで立ち上がった。爆心地を見ると、大きく抉れている。天井の結界のせいで発散せずこちら側に収束した部分もあるのかも知れない。
「シューッヘ、手、貸すよ」
「あ、ありがとう……よっ、と」
アリアの手を借りて馬車に上がる。馬車の中では魔王が今丁度席に着いたところだった。
一番お怪我をさせてはいけない女神様は……平然とアイスティー? を、この世界では初めて見るストローを使ってお飲みだ。平和、大事。
「シューッヘ様、ナグルザムは如何様でございましたか」
ヒューさんが少し強ばった顔で俺に聞いてきた。
「えーっと……首だけの存在になって飛んできたらしいんですけど、それでその、魔王様が撃墜したあとで爆発して……」
「その説明は乱雑に過ぎるな、まぁ現象面だけ見ればそうかも知れないが、それではナグルザムがあまりに不憫だ」
席に着いて、一息ついた感じの魔王が苦笑いしながら言う。
まぁ、そうか。不憫なものなのか。
ナグルザム卿にしてみれば、遠隔地から魔王のあの「キラッ」ってのに身体をがっさり持って行かれて、首だけになって。
それできっと一矢報いようとしたんだろうな、首だけの火の車みたいになって飛んできて、俺達をなんとか探し当てた、と。
そう考えると、他の地域が誤爆とか受けたりせず、人間領地の方にも行かなかったのは救いだ。
俺達の『待避ルート』はとてもしっかりと不自然で、砦の位置から森の中に、異様に真っ直ぐ切り開かれた道だ。
どの程度の飛行速度が出るものか分からないが、強靱馬でも砦まで2時間近く、そして今の地点まで追加で少なくとも30分程度は馬が走っている。
例えばローリスに寄り道していたら、この程度の時間では済まないはずだ。無論、戦闘機みたいなよっぽどなスピードが出る飛行体なら、話は全然別なんだが。
「少し丁寧に言うと……さっきの魔王様の『キラッ』と光るのでもって、ナグルザム卿は頭だけになってしまって」
「そうだね、狙ってそうした訳では無いけれど、魔力の大半を保持する心臓と肝臓を取り除けたのは、結果として良かった」
「そうなんですね? えっと、それで報復? ですかね、魔王様に対して攻撃を仕掛けた様なんですけど、魔王様の再びの光攻撃で、真っ黒けになって」
「あの光は、君達の文明で言う『聖魔法』の光なんだ。僕自身は魔族だけれど全ての魔法に耐性があるからね、聖魔法も痛くもなんともない」
「せ、聖魔法?! あーなるほど火傷の酷いのになる訳か……あ、でその魔王様の聖魔法で黒焦げになって浮いてたのが落下して、ドーンッと」
手のひらをパッと上に向けて開く。通じるか知らないが、爆発を表すジェスチャーをしてみた。
「君なりの説明をありがとう。因みに魔族は、魔法攻撃にせよ剣や弓矢にせよ、自分に傷を負わせた相手が本能的に分かる。だから恐らく、寄り道せず真っ直ぐ僕の元に飛んできたはずだよ」
俺の懸念を知ってか知らずか、他の地域の被弾が無さそうであることを魔王は教えてくれた。
『因みにガルドスに聞くわ。あんた、全魔法に耐性を持ってるなら、なんでイスヴァガルナとの魔法戦で負けてるの』
突然遙か古代の話を女神様が差し込んで来られた。
いや、女神様にしてみれば『ついこの間』位なのかも知れないな。
「ペルナ神の絶対結界は、まさに絶対的だった。僕はそこを踏み誤って、反射を起こす度に魔速と魔力が倍増する様に仕組んだ魔法弾を、イスヴァガルナの鼻先に、至近距離で打ち込んだんだ。
だが絶対結界は、まさに絶対だった。僕の結界と絶対結界の間を、魔速を増しつつどんどん威力も同様に倍増させていく魔法弾。僕の結界も本当に限界まで頑張ったけれど、いずれ倍化を繰り返した魔法弾の威力に負けてその結界は破られてしまった。
さすがに、一体何倍になっているか分からない程の単純な魔力の塊、しかも避けることなど無理な至近距離だよ? 受けて流せる程には僕も耐久力は無いからね。すっかり全て焼かれてしまって、僕は跡形もなくなったのさ」
初めて聞く魔王ガルドスの攻略法。
いや、魔王が失策を打たなければイスヴァガルナ様も勝てていなかったのかも知れない。
『それでああいう形になったのね。仕掛けてきたのは分かったけどその直後に一瞬で燃え切ったから、一体何事かと思ったわよ』
「ん? ペルナ神はその場を『見て』いたのか? 対神・対魔神結界は?」
『私はイスヴァガルナには、感覚共有の出来る傀儡を与えておいたの。お腹に巻いて装備してたから、イスヴァガルナの全ての感覚とその場の状況は共有していたわ。
けれどあの時、突然あんたは煙になって消えたじゃない、凄い熱波だけ残して。逃げたのかと思ったのよ最初は。けれどイスヴァガルナから、勝ったのかと尋ねられれば、まぁ勝ったと言う他ないし。結構ドギマギしたのよ、あの時』
「そうか、死を感知される間もなく、僕は消え去ってしまったのだね。気付いた時には魔霊界にいたから、珍しく寿命前に渡ってきてしまったなとは思っていたんだが、そんな話になっていたとはね」
魔王がフフ、と笑うと、女神様もそれに答える様にニヤリと笑ってみせられた。
イスヴァガルナ様、鼻先にトンデモナイ魔法を打たれたんだな。俺だったらビビってちびりそうだが。




