第58話 世界外交の終わりと始まり
今回の外交は、元々俺達一団が魔族領奥地にあるという魔王直領を訪ねる、というものだった。
だが、想定外の事が立て続いた。エルクレアの歓待は真心からの歓待ではなかった様だし、道程の前半でいきなり魔王と対面だ。
しかもそこに、我らが女神様まで御降臨なさり、もはや「神様の審査の下、人間と魔族との関係協議」みたいになってしまった。
国王陛下が本来望んでおられた、奪われた魔導水晶の返還は、部分的には果たされることになった。
固定式魔導式板というのがどの程度のサイズになるか分からないが、それ専用に使うのであれば使い回しは効かない。使途限定品。王様喜ばないかも知れない。
国が自由に使える魔導水晶の総量、という意味では、恐らく増えることはない。魔導水晶の話をしたら、盛り上がってから落胆なさるであろう陛下のお姿がつい目に浮かぶ。
ただ、この会談での最大の成果は、加工魔導水晶の新たな性質の発見だった。
魔王は、どう見えているのか、または感じ取れるだけか知らないが、放射線を感知する。
その魔王が、粉を圧縮して作った加工魔導水晶からは、放射線は出ていないと断じた。
魔導水晶類から魔力を吸い上げすぎると粉を吹く、という話は、以前から聞いてはいた。
粉の現物を見たのは、今回が初めてだ。ついさっき俺自ら、一気に魔力を加工魔導水晶から吸って、粉を吹かせた。
あの手のひらより小さめなサイズの魔導水晶板1枚で、馬車用サイズの冷蔵庫が使える。電気文明の地球より凄いのかも知れない。
ただ加工魔導水晶のネックは、放射線という毒性を持つ「粉」の存在だった。しかしその粉を圧縮し板にすると、放射線は消える。
最初俺は、機械化をし出来るだけ関わる人を減らしたり、遠隔で作業出来る様にすれば、と思った。
だが蒸気機関や内燃機関の様な、大きなエネルギーを生み出す力が「人の才能に依存する『魔力』」に偏ってるのがこの世界だ。
俺も、エジソンだのフォードだのは世界史と理科で習っただけで、機械をゼロから作り出せる訳じゃない。
けれど、ローリスを発ったあの日、南部地区で向けられた視線と矢と……あれを思うと、ローリスのブラック労働の根絶は急務だと思える。
女神様のお陰で、加工魔導水晶製造工場からは、放射線を排除出来そうだ。運搬者がどうなるか、そこはまだ不明だ。
俺がほぼ無意識でやった光の無害化。これを魔導水晶に魔法陣の形で刻むらしい。誰がやるんだ? 魔王がやってくれるのかな。
『シューッヘちゃん、何難しい顔してるの? あなたと魔王が手を取り合った成果として、人間は安全に、加工魔導水晶を得られる見通しが立った。喜ぶべき場面よ?』
「えっ、あ、はぁ……」
女神様がキョトンとした瞳を俺に向けてこられる。俺としても、今は大喜びしてはしゃいでもおかしくない場面だと、頭ではそう思っている。
けれど、果たしてこれで本当に全部解決というか、今回の外交もこれで終わりで、成果を持ち帰って……で良いのか? と、どうにも頭をもたげる。
「ねぇシューッヘ、あたしはあなたがしたい様にすれば良いと思う。ここで終えても良いし、引き返して魔王城目指すのも良いわ。何でも、あなたに従うわよ」
「……アリア」
俺の手に手を重ね、顔を近づけて言ってくれるアリア。大事な俺の妻。俺の事を、本当にいつも思ってくれている。
「人間同士の情愛というものは、魔族の大方より情熱的でありながら、慎み深いな。サキュバスとインキュバスのカップルなら、もう始まってる」
『アンタねぇ、それって淫魔族系統がすぐしたがるだけなんじゃないの? 魔族っても他にもいるでしょうに』
「まぁな。ただどの魔族も野性が強いのは比較的共通だから、これだけ親愛な雰囲気が出来たらあとはその流れのままだ」
魔王と女神様が随分と変なことを言っている。俺が別に慎み深いとかではなくて、普通にこの状況で服脱ぐとか無いだろう。
『なにあんた、魔王城に行きたいの?』
女神様が俺に、意外なものでも見る様な目で仰る。
「……正直言えば」
俺もそう答えざるを得ない。それが本当に、正直なところだから。
この世界に来て、リアルに稼働してる城を初めて見た。
その時は場に馴染むことで手一杯だったが、ある日屋敷へ戻る時にふと後ろを振り返ってみた、あの夕暮れに照らされた城の壮大なことたるや。
俺がこの世界で初めて見た、オーフェンの大聖堂も壮大で美麗だった。この世界の『偉い人用』の建築物は、どれもこれも威厳に満ちている。
……もっとも、エルクレアは全然威厳は無かったな、そう言えば。
あそこの「城」とされていたのは、せいぜい領主館って感じで、塔も付いてないし高層建築物ですらない。
あの地域は実は地震があって、とかそういう日本的な理由で平屋に近い様な城になったのかも知れない。
ただ俺は今、この異世界という新しい世界の、片側を支配する王、魔王と場を共にしている。
その魔王の洗練された様子、失礼だがローリスの陛下よりも余裕と風格のある有様を見て、その城を見ないというのは、あまりに惜しい。そう思えたのだ。
「ほう。英雄は我が城に来たいと言うか。攻め落としに来るつもりであれば」
「いえっ! あくまでっ、見学です! 物見遊山です!!」
魔王の言葉に本気は感じなかったが、本当にドンパチやらかす気は一切無く、俺の興味なだけなので、身体もごく低姿勢にして言い切った。
『あらま、じゃあもうローリスと魔族領は相互外交樹立じゃない。そうしたら、後はオーフェンが入ってくるのの待ちね』
「オーフェン? ペルナ神、僕はオーフェンにはむしろ、4年ほど前に先兵を放っているが。そちらは報復攻撃か?」
『いやあねぇ、そんな野蛮な話じゃないわよ。ちょっとややこしい話も含むから思念波で伝えるわ、受け取れるでしょ?』
思念波? よく分からないがその女神様の言葉に、しっかりと首肯して返したのだから、何か出来るのだろう。
魔王が女神様の事をじっと見つめる様にしている。同じく女神様も、魔王を見つめ返している。お互い表情は一切動かない。
これがその、思念波とやらの通信なのか? テレパシーみたいなものなのだろうから、多分両者の頭の中は忙しいんだろう。
「……アリア」
俺が身体を傾け、小さな声でアリアの耳元にささやく。
『あぁ気にしなくて良いわよ。思念波での通信はレイヤーが違うから、言語レイヤーからは影響されないから』
「あ、ありがとうございます、じゃ……アリア、フェリクシア、ヒューさん。ちょっと馬車の後ろの方へ」
俺はそう言って、まず自ら立ち上がり、金貨入りの炉の所まで進んだ。
「ねぇシューッヘ、れいやー、って何?」
「えっ? レイヤー、レイヤー……言うなら、層、かな。簡単に言うと、建物の1階の廊下で矢を放っても、3階の廊下には影響ないじゃん? そういう事」
「ふーん、真剣そうなのにあたし達が声出して話してても邪魔にならない、のよね? 失礼に当たらないと良いんだけど……」
「アリアよ、そこは女神様が直々に仰せになられたこと故、疑うことこそ失礼に当たるぞ」
ちょっと頷きつつもシュンとするアリア。養親のヒューさんにはいつもシュンとさせられる。いつもながら可愛い。
いや、そうでなくて。
主題はそこじゃない。
「あのさみんな、俺の勝手で、魔王城見学に行きたいんだ。そうしたからって、ローリスの為になるとか、人間世界の為になるとか、無いとは思うけれど」
「あたしは良いと思うし、一緒に行くよ。あたしはいつでもどこでも、あなたが嫌だって言わないなら、どこへでも一緒に行くの。良いわよね?」
「うん、道のりは遠そうだし、エルレ茶のゴブリンみたいなのも出るかも知れない。レオンも通らないとだし、簡単じゃないと思う、けど……」
「ご主人様が決した事をただ遂行し実現することこそ、ノガゥア家家臣団の仕事だ。我々に遠慮をすることはない。ヒュー殿はいかがなさるか、ヒュー殿を家臣団と言ってしまうのもどうかと思うのだが」
「わたしがシューッヘ様の家臣から外されてしまうのなら、失意のまま出家して、レリクィアで死ぬまで祈りの日々を過ごしますぞ」
おぉぅっヒューさんの珍しい、すごく露骨に嫌そうな顔。
フェリクシアとしては、ヒューさんに気遣ったつもりなんだろうが、ヒューさんにしてみれば仲間はずれにされる感じなのだろう。
「ヒューさんさえ良ければ、是非一緒に行きましょう。俺じゃ分からない人間と魔族の文化差とか、陛下にもご報告したいですし」
「ありがとうございますシューッヘ様。伊達にあちらこちらと諸国外交をしておりませんので、人間諸国と魔族国との決定的な差、しっかりと見定めたいと存じます」
ふう、ヒューさんの顔に柔和さが戻った。
フェリクシアは俺の『初陣』を知らないからそうなるのかも知れないが、ヒューさんは俺の最初の仲間。今外れるなんて、絶対にあり得ない。
そこで言えば、今は御者席に控えたままのフライスさんもきっと、俺が行きたいと言えば一緒に来てくれるだろう。
第一、フライスさんが来てくれなかったら、誰もあの強靱馬をあんな滑る様に操れない。ヒューさんなら馬は乗れそうだけど、それと馬車を繰るのとはまた違う。
「じゃあ決まりで。俺達は魔王城を改めて目指す。地図は宛てにならないから、道は魔王様に伺う。それから……」
「道を教えるのは構わないが、ならばいっそ僕が転移で帰還するのに同道するかい? それなら一瞬で魔王城だ。どうだい?」
女神様と黙って対話してたはずの魔王がいきなり差し込んできて、またそれが微妙に迷う選択肢で。
ド正直に俺は、腕組みして唸って悩んでしまった。




