第53話 女神様と魔王様と。 ~その遙か下に、俺。そんな気持ち~
「魔王様。それからわざわざ俺達の為に駆け付けて下さった女神様。今回の騒動は、俺の……俺の誤解が、生んだものでした」
言って、俺はソファーから立ち上がった。息が入ってこない。苦しい。
そのまま、前へ2歩、進んだ。女神様と魔王が座るソファーの、丁度中間・両者と三角形の位置に、俺は立った。
息は入らないのに、溜息は簡単に漏れた。浅い溜息だったが、俺の魂が抜け出てしまったのではないかと思える程に、もう俺は空っぽだった。
その場で、両膝を折り、正座する。
「全ては、俺の勘違いが原因です。魔王様。女神様。本当に申し訳ありませんでした……」
両手を床につき、指先も揃え、床すれすれまで頭を下げる。
だが……俺が土下座したところで、それがなんだと言うんだ。
森は戻らない、死者も戻らない、エルクレアと結べたつもりの友好関係も無い。
誰も口を開かない。
俺自身も体勢を変えない。
許しが欲しい訳でもなく、ただもうそうするしか、俺には無かった。
俺がしでかした事。魔王の右腕、ナグルザム卿にあらぬ疑いを掛けた事。
フライスさんの情報を十分確認せず、単なる退路として、生きている森を再度焼き払った事も事象としてある。
断片的な情報を勝手に、俺の頭の中だけで組み立てて、真実と異なる事を、疑いもなく信じ切ってしまった。
考えていけば、もっともっとある。エルレ茶救出の件だって、アリアを止める事も出来たはずだ。
東部大森林、と魔王が呼ぶ森林を、アリアの魔法は大規模に、そして簡単に消滅させた。魔王によれば、森の再生は困難らしい。
ゴブリン達は気色悪かったが、魔族、と括れば、ゴブリンもその大きな集団の一部だ。それを殲滅されて、魔族の王たる魔王の気分が良い訳がない。
女神様にもご心配をお掛けしてしまった。
女神様がその御姿をこの世界に晒して御顕現されるのは、そうそうある事では無い。
俺の光魔法や結界などを授けてくださった恩もある、それにオーフェンで、魔族世界との交易の先鞭を付けられたのも女神様ご自身だ。
今もまだ、上座のソファーに居てくださる。それだけでも、実に申し訳ない。
来て頂いて早々、使徒、とまで呼んで下さったのに。その使徒がやらかしたのは誤解に基づく自然破壊その他。
女神様のお顔に泥を塗る行為。俺にとってそれは、絶対避けなければいけないはずの事だったが、時すでに遅し、だ。やってしまった物・事は、取り返しが付かない。
いっそのこと、魔王でも女神様でも、それ以外の誰かでも構わない、俺を罰してくれ……
アリアの火力でもフェリクシアの刃でもっ、魔王の永遠の呪いでも女神様の瞬殺でも何でも良いっ……!
俺はただこの空間から逃げたい。その一心だった。
『まぁ、間違いは誰にでもあるからね、人魔神問わず』
人魔神問わず、といういきなりのパワーワードに俺は思わず女神様の顔を直視してしまった。
「女神様、でも俺……」
『まぁ、繰り返すけど間違いは誰にでもあるのよ。その場で間違いと分かる今回のはまだ軽い方よ? 十年、百年とか経ってようやく【あの結論は間違っていた】なんてなると、その間に動かした事全部やり直し。そんなのよりは、うんとマシじゃない?』
女神様が可愛らしくニコッと俺に笑いかけてくださる。いやだが俺は……
「あ、あのっ! 魔王様にとっては、ゴブリンも大切だしその、森? も大切なんですよね。誰かが大切にしているかも知れないってことを考えられなくて、ごめんなさい!」
俺の横にアリアが滑り込んでくる。アリアにとっては、森を大切にする、という考えはそう無いらしい。
そりゃそうか、地球でも……開発時代の歴史は、自然破壊の歴史でもある。その時には自然を保護しようという機運自体もそんなに無かったと聞く。
「敵の急襲に対して、特に前方の敵にのみ意識を割かれ荷車の防衛を怠った私にも大いに責任がある。荷車が襲撃されさえしなければ、奥様は魔法を用いなかったはずだ。
ご主人様は精一杯、我々があの甚大な魔法の中で無傷でいられる、具体的かつ実行可能な、ほぼ唯一の方法を取ってくださったに過ぎない。護衛の力不足だ、誠にすまない」
俺の逡巡を知ってか知らずか、フェリクシアまでも二歩進んで土下座の姿勢になった。
俺は、一言で言い表しづらい複雑な気持ちを胸に強く感じていた。誰も俺を責めない、責めてはくれない。
魔王は責めると口では言っているが、英雄とは所詮そんなものだ、という認識を強く感じる。俺自身を、責めてくれてはいない。
「責任という点に於いて言えば、わたしほど責任を負うべき立場の者は他にありません。
若年であるシューッヘ様の行動をよく観察し、時にその若さ故の拙速さをたしなめるのが、老齢なる従者の務めでございます。
しかし此度は、長らえた者が重しになれず、全体を俯瞰する者が不在となりました。これは間違いなくわたしが行うべき執務です」
ヒューさんまでも、ソファーから降りて土下座になる。静かに頭を下げるヒューさんの姿は、俺にとって心が痛んだ。
だって、ヒューさんはああ言っているけれど、ヒューさんにそんな責任なんてある訳がない。
確かに俯瞰視してくれる人がストッパー役になってくれれば嬉しいけれど、それをヒューさんに求め続けるのは甘えでしかない。
そうして俺達パーティーの総員が床座になって、女神様のご発言につい頭をあげた俺以外は、全て頭を床すれすれに下げていると、
『ねぇ魔王? 英雄を含む人間の集団が、ここまでして非を認めている。それについてはあなたはどう思うの?』
女神様が正面に座る魔王に、ふわっとした笑顔で問いかける。
ある意味、あの笑顔が一番怖い。笑顔に見えるが、その顔でさらりと、オーフェン近衛兵と貴族たちを殆ど皆殺しにしてるからなぁ……
「僕としては、彼らの謝罪には特に意味が無い。かと言って、人間社会から賠償として何か提供されるにしても、文化格差が酷いので役に立たない。
そういう意味で、やられっぱなしにならざるを得ないもどかしさは感じるね。親書にあった相互不可侵条約の締結、そう言われても、既にその親書を持った人間に、魔族領東部地域は蹂躙されている訳だし」
蹂躙、という言葉に、俺の胸はことさらに痛んだ。
そんなつもりは無かった……そう言ったとしても、事実そうなってしまった以上、言い訳に過ぎない。
『それじゃあ私も、この子たちに倣おうかしら』
一瞬仰った事の意味が分からなかったが、すぐに女神様の行動で理解せざるを得なくなる。
あろうことか女神様までも床にお座りになり、そのまま俺達がした様に土下座をなさった。お美しい金色の髪が床についてしまっている。
それに対して魔王は……んん? 何だあの表情。すごく嫌なものでも見てしまった様な、ぐえ、とか言いそうな顔をしているが。
「ペルナ神……正気か? この人間達に、神がそこまで入れ込む何かがあるとでも言うのか」
『さぁ? 私としては、関わったからには、少しその道筋を照らす責務があるの。それこそ神としての義務かしら』
そう言って、女神様はようやく頭を上げてくださった。俺は、呆然とその御姿とやり取りを眺めていた事に今更気付いて、急いで頭を下げようとしたのだが、女神様は手先を振って俺を制された。
俺が気持ち的に居心地の良くない正座のまま、今一度話を振られている魔王の方を見た。
魔王の表情が険しい。だが怒りとかそういう方向ではない。言い方は悪いが、俺だったら嫌な虫とかが部屋に居たら、あんな顔をしてしまいそう。
女神様に向ける表情じゃないな、と少しイラッとするが、当の女神様は変わらぬ優しい笑顔である。
……女神様が怒っておられないのに俺がどうこう言うのは、多分間違ってる。ともかくスルーしておこう。
と、魔王が口を開く。
「神に義務があるという事自体初耳だ。それは何か? 比喩的な意味としての義務なのか?」
『そうね、比喩的と言えばそうかも知れない。私がたとえ義務を怠っても、それを責めたり罰したりする神はいない。神を罰する神はいない』
「ならば尚更、その人間達に肩入れする理由が分からない。ペルナ神は確か、ローリスでの主神であろう。ならば信者獲得に苦労する事もないだろうに」
『あー、やっぱり魔族の認識はその辺りで止まってるのね。私はようやく先日、マトモに信者を増やせて、供物にも不自由しなくなったけれど、一時期は主神の座を奪われてたからね。でもそれが理由じゃないわよ?』
「ならば、その理由とは」
眉間にシワを寄せ詰め寄るように言う魔王、一方の女神様は、その瞳を少し大きくなさった。
それから少しだけ、首を傾げられて仰った。
『私としては、面白い事が起こりそうな方に肩入れするのが性分、とでも言おうかしら。魔族は安定志向が強すぎて楽しくないし、長すぎる寿命のせいでその生命時間が間延びするしね』
仰ってる後半の内容は頭に入ってこなかったが、どうも魔族は総じて安定志向タイプらしい。
長すぎる寿命、とも仰っていた。魔族と比して人生が短い人間の方が、うーん、関わっていて楽しい、とか?
「魔族の安定志向、か。それは僕自身の性格を反映してしまっているのかも知れないね。
神がこぞって魔族擁護から手を退いた、今から5つか6つ前の人間文明の時代から、その『面白い事が起こりそう』という基準はブレない、のか……」
魔王が少し溜息混じりの声音で言う。
以前女神様から、魔族側についていた時代もあったが今は手を退いている、と聞かせて頂いたことがある。
そうか、やっぱり女神様という絶対不滅なお立場からすると、関わって楽しそうかどうか、というのは重要な事なのだろう。
女神様の寿命なんて想像も付かないけれど、確か6,000万年前に、この星に就役されたと。そんなことを以前仰っていた。
6,000万年、か。全く実感が持てない時間の単位だ。その6,000万年があって、今の女神様がおられる。
そう思うと、確かに暇な相手と組んでいても実につまらなそう、とは感じる。あくまで、漠然と想像するに、でしかないんだが。
『ブレるかどうかは、神によるんじゃないかしら。全ての神が私と同じ判断基準を持っている訳でもないわ。それこそ魔神達とか』
「あれらの話は頼むから辞めてくれ。魔神を締めだして初めて僕たち魔族は平和を得たんだ。これから先も、もう二度と関わりたくない」
『あら、それについてはあなたもブレなさそうね』
少し含みのある声音。それに対して魔王は、今度は思いきりしかめ面である。さっきから表情の変化が激しいな。
女神様は床に座しながらも、ご自身より高い目線、座位の魔王を、完全に手玉に取り翻弄する余裕の笑みを浮かべてらっしゃった。
と、ふと女神様が、少し真顔になられた。
その瞬間どういう仕組みか、馬車内の温度がハッキリ分かる程に下がった。背筋がゾクゾクし、腕は鳥肌が総立ちになった。




