第50話 僅かなタイムアウト
エンライトの光だけが照らす、真っ黒で少し狭い空間の中で――――
「シューッヘ様。アリアの奥の手が使えない状況と存じますが、いかがされますか。今はまだ魔族領内。その上に魔王との直接接触です。少々分が悪いかと」
「うん……ただ魔王がここまで出張ってきてくれたのは、想定外だったけれどあって欲しくない出来事って訳でも無いと、俺は思ってる。チャンスとまで言えるかは分からないけれど」
「シューッヘ様がそれだけ前向きに捉えておられるのであれば、我々はお支えするのみでございます。まだこちらは、ナグルザムの書状、それに勇気の小金貨と、話題には事欠きません」
あぁ、そうだった。勇気の小金貨。
馬車客室の後部に、大きな白い布をすっぽり被せて置いてあるので、すっかり頭から抜け落ちていた。
「もしヒューさんが俺の立場だったら、何から話を切り出しますか。やっぱり重要性の高い『勇気の小金貨』からですか?」
「多少迷いますが、相手に誠実さを訴えたいのであれば、勇気の小金貨は早めに出した方が良いかと存じます。方向としてあり得るのは、まずナグルザムの書状を渡しその流れの中で勇気の小金貨の事を開披する。この方が、流れとしては自然です」
「流れの自然さ、か……確かに、唐突に何か言い出すってのは、ちょっと避けたいな……」
魔法で輝いている右手はそのままに、左手で顎を撫でてみる。
これで妙案が浮かぶなら何度でも撫でるが、そうも行かない。気分的にちょっと楽になる気がするだけだ。
「アリアは、うん、アリアはまずは、魔王の心を読むのは辞めておこう。魔法的な罠なのか、それとも本当にそういう残忍な性質なのか分からないけれど、今の時点で全員惨殺される可能性は、高くはないと思う。もちろん殺される位なら抗うし」
「うん、シューッヘ……ごめんね、肝心な時に役に立てなくて」
少し申し訳なさげな表情のアリアに、俺は口角を少し持ち上げて、そのまま首を横に振る。
「打てる手がたくさんあるのは良いことだけど、その手の1つが使えないからって、責められる話なんかじゃないよ。他の作戦で行けば良いだけだから、大丈夫」
俺の勇気づけに、本当に安堵してくれた訳では無さそうな表情だが、少しだけアリアの眉間の厳しさは和らいだ。
「問題はその『他の作戦』だよなぁ。後は落とし所、か……。ヒューさん、これ一気に不可侵条約まで持って行けそうですかね」
俺の問いに、ヒューさんは寧ろ眉間に強く皺を寄せた。
「どうでしょうか。ナグルザムの書状も、女神様があのように仰る人物の書状ですから、何か裏があるかも知れません。魔族しか分からぬ暗号の類が含まれている、なども考えられます」
「暗号……うーん、疑い出すと切りがないな。俺としてもあんまりこう、疑って掛かる性格じゃないから、何て言うか、合わないし」
「極論、シューッヘ様が思われる事を為せば、それが此度の外政の結果の全てであり、成果となるでしょう。英雄が前面に出る、というのは、歴史を紐解いても、そういう事です」
「つまり、俺が歴史を作る、的な感じですか? 責任重いなぁ……」
改めて英雄の肩に乗っかっている人類の期待の重さとやらを知った思いだった。
英雄は、魔族を殲滅する責務が、代々継承されてきたらしい。だが俺の代で、英雄の意味づけを変えようとしている。
人類側最強の『駒』として、決して魔族側に攻め込まない駒になる事を約束する、つまり人間側からの不戦の誓いだ。
少なくとも俺が生きている間であれば、もし人間側が暴走したら、その人間達を止める程度の事は出来る。
それは場合によっては、同族殺しの汚名は避けられないかも知れないが。まぁ、結界で進路を断つとか、同族殺しをしない方法は、幾らでもあるか……
「……ヒューさん、アリア。ありがとう。お陰で覚悟が出来た」
「シューッヘ、無理はしないでね……あなたと逃げるなら、あたし何処の国でも、それこそ魔族領でも、良いよ」
「アリアは心配性だなぁ。大丈夫、きっと上手くまとめてみせる。って、自信が凄くあるって訳ではないけれどね」
「シューッヘ様。アリア同様、わたしもいざとなれば何処なりとお供いたします。シューッヘ様ご自身が犠牲となって事を為す必要は、決してございません故に」
「ありがとう、ヒューさん。じゃあ結界を解くからね。眩しいから気をつけて」
俺は、右手をギュッと握りしめて、結界の霧散を念じた。
ただでさえエンライトの光で明るかった右手は更に明るさを増した。
結界が消え去り日の光が降り注ぐが、それよりエンライトの光の方が眩しい。
「うへ、えっと、マギ・ダウン」
緊張からか上手くエンライトを引っ込められなかったので、ストップコードで止めた。
マギ・ダウンのコードは、口ずさむだけで魔法が鎮火する。いつもながら非常に便利だ。
光るのをやめた右手をちょっと振って、手の力を抜くように意識する。やはり緊張があるからか、力んだ箇所にずっと力が入りがちだ。
俺は天を仰いで大きく深呼吸をした。女神様、見ていてくださってるかなぁ。
と言っても、この場に突然女神様が乱入されたら、魔王と人間代表な英雄との話し合い、って枠組みは崩壊してしまう気はする。
俺は改めて前を、馬車を見据え、足早に進んで馬車へと乗り込んだ。
「おや? もう良いのかい? 作戦会議にしては随分と短いと感じるけれど」
フェリクシアにお酌をさせながら、魔王はワインを口にしていた。やれやれ、あちらさんはのんきなものだ。
「作戦会議と言うよりは、魔王様にお伝えする内容に漏れがないよう、とりまとめていただけですので」
「なるほど? 確かに僕が現れたのは突然だったからね。もし普通の行程通り進んでいたならば、エルクレアから魔王城区画まで、普通の馬車なら2週間は見た方が良いくらいだし」
「えっ? 魔王様の魔王城までは、2週間も掛かりますか」
ちょっと意外だった。
当てにならない地図とは言え、てっきりあの地図で書かれた切り立った山を南側に迂回した先にある都市、レオンを越えれば、ある程度近いと思っていた。
「まぁ普通の馬ならね。君達の馬は、いわゆる強靱馬だろう。普通馬とは比較にならない。
ところで、強靱馬の原産地は、元々はルナレーイ軍事王国だった、って事は知ってるかい?」
また俺の知らないこの世界の昔話がカットインされる。
馬の原産地なんて意識したことも無いし、ルナレーイ軍事王国に至っては、とっくに滅んでいて接点すらない。
「知らなかったみたいだね。ルナレーイが、強く巨体を持つ馬を選りすぐり、何代にも渡って交配を続けた結果出来たのが、この強靱馬の最初だよ」
少し得意げ、に見える調子で、魔王は言った。そしてそのまま、ワイングラスを再び傾ける。
「それは知りませんでした。馬同士の掛け合わせでって事は、強靱馬もあくまで馬なんですね」
「いや? 強靱馬は強靱馬、かな。馬って言うけれど、馬かと言われると、少し困る馬でもある」
……なんだって?? また魔王の謎かけが始まったと、少しだけウンザリ感が湧く。
まぁ、高貴なゲストが話したがってるんだから、自由に話させるのももてなしの一つだろう。
「強靱馬は馬と言うけれど馬ではない、ってそれは、結局馬なんですか、馬以外なんですか?」
「馬以外、の方かなぁ。強靱馬を作るプロセスだけど、もちろん僕自身ルナレーイに関しては疎いところがあって全てを知ってはいないのだけれど、どうも最終的な段階で、交配に限界を感じた連中が生命の設計図を直接書き換えて巨体化・強靱化させたらしいんだ。当時の部下に言わせると」
生命の設計図?
それって……地球で言うDNAとかそういう話? 仮にそうだとしたら、遺伝子工学とかそんな話で、えっ?
顕微鏡すらあるか怪しいこの世界で、出来そうにも無い話だとしか思えないけれど……
「まぁ、君がいぶかしがるのも無理はない。生命の設計図を自在に操る事を僕以外が出来るなんて、ちょっと信じられない。それは僕も同感だよ」
「は、はぁ……ん? えっ、魔王様は、出来るんですか??」
あまりに自然に、遺伝子を操れるみたいな発言が出てくるので俺も思わずツッコミを入れてしまう。
「ああ、出来るよ。ただ処理が非常に微細でね。僕にとってやれる事とやりたい事とは違うって、まさにこの分野もだと、そう思わせられる分野でもあるんだ、この、設計図の書き換えというのは」
つまり、出来るけれど積極的にやりたい話ではない、って事か。
案外単にブラフで、出来ないのを大きく言ってる、って可能性はある。
が、生命の設計図、という認識がある時点で、染色体レベルかDNAレベルか知らないが、遺伝子の意識があるのは間違いなさそうな気がする。
いやただ、これは完全に今回の本題の外だ。強靱馬の出生の秘密を知っても、不可侵条約には何にもつながらない。
「えーと、まぁその、魔王様にも面倒くさい遺伝子工学の話は横に置いておいて、こちらから少しお話ししても良いですか?」
「遺伝子工学、という学問分野が、君が来た世界には既に存在していた訳か。今回の文明が遅れがちだからと、相変わらず人間をあなどる事は出来ないね。良いよ、何でも言ってきてくれれば良い」
俺が少し身構えると、フェリクシアが魔王の横からスッと移動し、俺の正面少し横に立った。
フェリクシアらしいポジショニングだな、と思う。魔王から突然の攻撃があっても、その位置なら割って入れる。けれど会談の妨げにはならない。
遺伝子工学の話は、もし魔王様と仲良くなれたらいずれするとして、今日のところはまずは、不可侵条約の締結に向けて。
俺はヒューさんに目で合図を送る。ヒューさんは黙って頷いて、懐からアイボリーカラーの書簡を取り出した。
この書簡に、変な暗号やトラップが含まれていなければ良いんだけれど……




